十五話 取り巻きに絶望した。
「それじゃあ、私はこの辺で」
健二たちは、泊まるはずのホテル前で案内人新田と共にお互いへ別れを告げた。
「あ、そうだ思い出した。
内田くん、だっけ?君はちょっとまってて欲しい」
新田は健二を引き止める中、海山以外の班員はそんな班長を気にもとめず、とっととホテルへ入っていってしまった。
「あぁ、その隣のあんちゃん。君だけはちょっと帰ってくれないか?」
「えぇ、嫌だ嫌だ」
案の定駄々っ子のように、健二の腕にしがみつき離れない。
「大事な用事なんだよ。二人だけでしか話せないのだよ」
「それはまず、私を通してから話してよね」
一方的な恋愛意識で嫁を気取る海山に、健二はかなり腹を立てている。
お前は俺のなんなのか、と。
が、何も喋れない。
何にせよ健二自身、新田と二人きりになった時彼が自分に何をしだすのか理解していないのだ。
初対面二人から受ける板挟みとは言え、どちらの肩も持つ気にならない。
怪しい爺さんと、ぶりっ子と。
「二人でお話しないといけないのだよ。さもなくば彼は死んでしまう。そうなる前に、せなあかん事があるんだ」
「し、死ぬ? 健二くんが?」
「さよう」
「ん?俺が?……死ぬ?」
誰よりも遅く、他人事のようにして健二は空返事する。
初対面の人間が口にしているため、あまり信じたくない。
出動を除けば、自分が死に直面するタイミングはないのだ。
仮にも新田とは初対面。
健二が組織の人間であることを、彼は知らないはずだ。
「なんか胡散臭いよねぇ。まぁいいわ。後で聞こうっと!!」
気が済んだのか、海山は健二の腕から手を下ろし、行ってしまった二人の後を追いかけた。
害悪姫が消え、目の前の爺さんと物陰で二人きりに。この状況を傍から見てて、誰が得するのだろうか。
「はぁ、やっと二人になれた」
ゴキブリを退治したあとのような疲れた顔で、改めて健二と向き合う。
誰にとっても、彼女は煙たき存在なのか。
「じゃあ改めて。手短に。
誰かに見られているかもしれないからね」
「見られて、困ることなんですか?」
「あぁ。あんちゃんがこの世から抹消されてしまうような、重大なことだからね。知らないと死ぬことは確か。
リークしているのが上に漏れれば、私も」
「けど、アイツには何も無いですよほ?」
「いや、そんなことは無い。彼女からは強大で邪悪な何かを感じた」
冗談半分で聞いている半笑いの健二とは打って変わって、この爺さんはやけに真剣な顔つきで語ってくる。
光のない、生きてる心地を感じさせない真っ黒な瞳だが、真なる未来を誠の心で伝えようとしていることは分かる。
要するに、起こりかねない事故がこの先であるということだ。
健二の中ではまだ、完全に確定していると言い難いにしても。
「強大な、なにか」
繰り返し発してみるものの、あまりに漠然としている説明だったため、思うことがあっても考えられない。海山の、何が強大なのか。
「とりあえず何かあった時のために、これをあげよう。貰ったら早急にこの場から立ち去るんだよ」
ポケットの中から出てきたのは、何の変哲もない紫色のお守りだった。
健二はそれを手に取るや否や、躊躇なくお守りの包みから札らしき何かを取り出した。
「な、なにこれ。見たことないタイプや」
札には普通書かれない、『印』が刻まれていた。
それも、彼が今まで一度も目にしたことのない形だ。
形容するならば、立ち込める煙が二本の腕に覆われている様子を表していた。
「新田さん、ありが――」
既に新田は目の前から消えていた。
彼の感謝の言葉を聞かずして。
近くにいるだろうと思いつつも、健二は新田を追うことも探すことも諦めた。
✱ ✱ ✱
内容の濃かった修学旅行一日目が、重い腰をあげるようにやっとこさ終わろうとする。
健二たちは、予め担任団からホテルについて様々な通達もといディスりを耳にしていた。
言われた通り、外観は森の奥地にでも生えていそうな実にボロいホテルだった。
ところどころ壁が剥がれ落ちていて、付着しているのはただのシミなのに、何故だか飛び散った血に見えてしまう。
おそらく、映画でお化け屋敷として使えるだろう。
もしくはフィクションを超えて、ここ自体ワケあり物件なのではと疑いを持ってしまう。
がそれは、外観だけの話であって。
極上のマイナスインパクトを受け、食わず嫌いならぬ入らず嫌いを起こすも、実際にドアを引いて入ってみる。
「おいおい、なんだこれ」
思ったはるか上を行く清潔さを、内装は保っていた。
黄金に塗られたシャンデリアの数々を始め、シャンデリアの反射を受けて輝く壁と床の大理石。
ロビーに並ぶは、いかにも著名人が掘ったような彫刻や陶器。
健二の心をそれらは奪い、遠い目をさせた。
中身だけ総取替をしたのかと思わせるほど、外と中の雰囲気はかけ離れている。
時代すらも。
外観からは考えられない、自動ドアが備えられ、冷房も完備。
ロビーのソファーも非常に心地がよく、なによりウォシュレット付きのトイレが綺麗である。
健二には日々、常に思うことがある。
建物の綺麗さを図ることにおいて、尺度となるのはトイレであると。
彼は後悔し、申し訳なく思った。
荒んだ外観だけで、ものの価値を決めつけてしまったことを。
「こちらです。どうぞ」
オールバックなスタッフが一人、袖山高校二年全員を引き連れて、ホテル内のレストランへ導く。
ガチョウもびっくりな大行列。
もちろんあとから入ってきた健二も、長蛇な集合体の一片となり流されついてまわる。
「机に名前プレートあるから確認してけよ。
バイキング形式だ。夕飯のタイミングは各班自由にしてくれ。それじゃ解散!」
これ以降、グレートティーチャー吉本の干渉は珍しくも無かった。
解散をかけてもすぐ、集合をかけるような人間なのに。
「……それじゃあ、食べるか」
吉本の一声を真に受け、健二らは箸を付け始めた。
不幸にも飯は班員と共に食べることとなっている。
つい一週間くらい前まで元気にのびのびとしていた大西も、変なロリ地縛霊のおかげで枯れた草木も同然の状態だ。
それと無口すぎて空気に擬態した彩未。
さっきから机上でうたた寝している、健二たらし海山。
「こりゃだめだ」
本来ならば美味しかったはずの、プロが作る新鮮で光沢あるゴーヤチャンプルーもこのカオスで、打開策の見つからない空気のおかげで台無しだ。
ゴーヤの苦味成分だけが口の中で瞬く間に広がり、唾液と混ざり合う。
この班だけ唯一、食器と橋が重なる音のみをたてて食事をしている。
周りは箸を休め料理そっちのけ。
隣に座る友達と楽しそうな顔をして、会話と唾を弾ませているのに。
まるで自分が、彼らの分までご飯を食べているような気分になってしまう健二である。
「もう、滅入るわ……なにこれ疲れる。苦行かよ」
健二はコップに手を取り、勢いよく中の水を飲み干す。
口に張り付くゴーヤの苦味と、この気まずい空気から逃れようとして。
ゴクリゴクリ。
冷たい、爽やかな水が喉を通り過ぎていく。
だが、口の中で離れなかった苦味は、やはりどこにも流れていきやしない。
自分だけ嫌な立場に置かれているこの現実からは、不味い水と飯を荒業に取り込んだところで逃げられない。
終わるのを待つしかなかった。
「ご馳走様。もう行くわ」
不味い水と飯は、彼の腹をたったの一口で満腹にさせる。
彼の言葉を無視すように、誰も返事をしなかった。
そばにいる人形のような班員も。
いたずらに食事の時間を無駄に消費し、健二は自室に戻っていく。
小さく丸まった背中に、班長という言葉は全くと言っていいほど似つかわしくなかった。
血相は真っ白。とても生気を感じられるような力も精神も残っていなさそうだ。
それもそのはず。
明日の朝も明後日も、いること自体が恥となる空気をまたも体感しなければならないのだから。
余程の忍耐がない限り、この醜態は地獄といえよう。
「はぁ、帰りてぇ。何でこんなことになったんだ……」
その一言に尽きる。
体が疲労タンクと化し、下から疲れが溜まっていくのが嫌でも伝わってくる。
しかし彼には、これ以上の精神的な疲れを超え、かつ割に合わない重労働が待っているのであった。
自室である部屋番号408号室に着き、ドアにカードキーを掲げる。
ロックはもちろん、あっさり解除されドアがひとりでに動いた。
「最先端やなぁ……」
外観からは考えられない、見たこともないホテルの自動ドアに見とれつつ、健二は与えられた部屋に入る。
「あぁ、そろそろメールが来るかな。山田さんから……」
部屋に入り、足を放り投げくつろぐ。
疲れからか、数秒体が動かなかった。
旅の始まりが、教師のパワハラ。
ついたかと思えばそこからは野放し。
右も左も分からない場所で観光。
そして夕飯の時間は、終始気まずい状況であった。
こんだけの不快要素があれば、精神が頑丈でない限り死にたくなる。
「どうして俺だけ、報いがないんだよ。
こんなに、こんなに頑張っているのによっ!!!!!」
健二は泣きじゃくった。
怒りや悲しみのパラメーターが吹っ切れ、子供のようにして。
躍起になり、彼は無意識にもスマホを叩きつけてみた。
「し、しまった………………」
叩きつけた先は柔らかい床であるはずなのに、スマホは今日だけ簡単に傷を作った。
当たるための物なんて、何でもよかった。
ただそれが、たまたま今さっきまで右手で力強く握りしめられていた、|軽いスマートフォン≪プラスチックの箱≫だっただけだ。
後悔や遺憾の念が押し寄せる。
そして自分の愚かさにも、彼は気付いた。
「だめだな。俺……」
自分を悲観し、その場ですくんでいると、床に転がっているケータイがが突然バイブし始めた。
何度も何度も、音が重なって。
まるで誰かが、彼を呼ぶようにして、こだまする。
電話だ。
それも、組織からの。
彼の上司とパートナーで組んでいる、三人のグループチャットである。
「はい、もしもし」
「聞こえてるか? 山田だ」
「はいはーい。聞こえてマース山田さん」
「お前じゃなくてだな
「あ、さーせん!」
電話ごしに入ってくる、歌手でもないのに無駄に透き通る元気な声をだす女子。
声の主は、健二のパートナーである
歳は健二と変わらない。中だるみ真っ只中、高校二年の女子高生だ。
ただ、彼とは違う別の学校に通っている。
「まぁいい。とりあえず急ぎだ。一回だけ言うから聞いてくれ」
「急な何か、ですか」
「パイン館を彷徨いていた俺の部下二人が、何ものかに殺された」
「パイン館。あぁ、本戦場所ですか。そこで待ち伏せてた……。まさか」
ケータイが顔から遠ざかる。
「おそらく人ではない。
無慈悲にやられた二人のおぞましい頭を確認した。人間業とは思えん。
きっと幽霊の仕業だ」
放心状態とまではいかないものの、囮という、組織ではSランク相当の腕っ節がなければさせてもらえない重役についていた二人が、どこの誰かもわからないヤツに殺されてしまったのだ。
彼の頭は、その揺るぐことのない確定的かつ不安しかない事実で埋め尽くされている。
恐怖心。そのワードは彼の心を雁字搦めにしたうえ洗脳し、動けなくした。
「そういうことだ。大至急、本土近くのコンビニに来なさい。
タクシー呼んだから、それ乗れよ」
ケータイから聞こえてくる山田のダミ声も、精神が上の空な健二の耳には遠く届かない。
そしていつの間にかチャットは終わっていた。
同時にホテルのフロントにはどこから来たか検討もつかない、上司の呼び寄せた黒いタクシーが止まっていた。
「速く、行かないと」
健二は大きく足を前に振り出そうとした。
大胆に、足も腕も振っていた。
大げさなモーションをしたのに。
彼の足は、床に接着剤で固定されたように動かなかった。
自分より断然格上な上司を、どうやって殺したかは分からない。
だが殺られてしまったことは、どうにも覆せない事実だ。
上司を超えてしまう様な、逸脱した強者共と、自分たちの組織は犠牲の出た今もなお対峙している。
電話が終わった今、戦場と言う荒れ狂うデカイ渦の中に飛び込むのだ。
未熟な経験の浅い、現役高校生が。
誰だって、逃げたくなる。
大人でさえ、惨劇というゴールしかない危険な状況に好き好んで身を投じるはずがない。
「くそおおおおおぉっ!!!!!!!!!!!!!!!!
こんなの、無理だろ………………」
恐怖心、それだけではない。
彼の動きを制限していたものは。
こうして彼が動けなくなっている今でさえ、平和からもっとも離れし戦場と言う場で動きまわり、
ただただ命のない虚無な存在と腕を交えている組織、我が組織を疑問視し悲観している彼の心が。
「なんで、こんなこと……俺がしなくちゃ……いけないんだ……」
彼はまた泣いた。
尊き命を、どうしてこんなにも失わないといけないのか。
しかし退去命令や平和条約を結ぶことは、ちっぽけで下っ端の彼にはできないことである。
ブーン……。
再びバイブを起こすケータイ。
今度はたった一度の振動を逃さず、健二は画面を見つめた。
山田からのメールだ。
どうせまた、読んでいて飽き飽きする策略でも押し付ける気なのだろう。
この不安定な精神を抱えて、怯えあきれ続ける男に。
あからさまな落胆と、恐怖心で動かない右手をどうにかして顔の前に持ってきた。
「ん? これは……」
メールをポップアップする。
出てくるであろう長く、漢文のような呼吸を置かせる気の無さそうな字面を予想していた。
案の定、手紙の内容は漢字だらけの読む気を失せる文章だった。
が、しかしその内容は。
『世の中は既に腐敗しきっている。
それは誰のせいとか、そういうのは無い。
もし誰かのせいにしたいのならばそれは……。
この社会に身を投じる世の大人のせいだろう。
そして同時に、腐敗する社会で生きる大人が教える、腐敗した環境でしか育っていない子供たちも、いずれは腐敗した存在になる。
もし、不平があるなら腐敗したこの世界で、君は少しでもいいから新鮮でいなさい。
同時に君の環境を、もっと新鮮にしなさい。
そのためにも、君はこの腐敗した世の中から背かず真っ直ぐな目で確認しなければならない。
私にはできなかったことを、君にはしてもらいたい。
君しか、適役はいないのだから。
from 山田』
健二は、その場で崩れた。
コンクリート漬けのようにして固く、直立していたはずの足が柔軟性を獲得し床へ落ちる。
――行かなくちゃ。
俺の役割がなくなっちまう。
己を奮い立たせたちっぽけな戦士は今、その身を投げるように動き出した。
崩れてもなお、ゾンビのように復活する一対の足で。
力強く。
速く。
一心不乱に。
行く先は決まっている。
自分の居場所を与えてくれた、人生の先輩の元。
すなわち戦場へ。
彼はかくして動きだす。
涙はもう、枯れて無くなった。
「ここでへこたれるのは、やっぱ男じゃない」
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