早く戦争が始まればいいと思います

早く戦争が始まればいいと思います。


そうなれば歌も漫画も詩も小説もきっと愛国の塊のような作品ばかりになることでしょう。


皆々様は先行きの不安を払拭、瞑るために熱烈にそれを求めるのです。


そしてその熱量でグツグツと煮詰められ沸騰された愛国心とやらを様々な人が作品として変化させることで無数の泡として浮かびあがることでしょう


なぜなら人が熱烈に求めるところには金の水脈が溢れ我々表現者は愛国節という金メッキを施した作品で賞賛と大金を得るのですから


賞賛。 ああなんと素晴らしいことでしょう。


誰もが内心では憧れ、全身で浴びたいと密かに思うはずのあの賛意と敬意の波飛沫。


とかく平和が長すぎて、価値観が無尽蔵に増えすぎたこの社会では賞賛というものには少なからず人の醜さである嫉妬や妬みが不純物として、しかし分離出来ぬ穢れとして混ぜられているのです。


ですが、戦争が、闘争が、海の向こうや私達の頭の上でやかましくドンパチと始まれば皆々様はきっと純粋な賞賛を始めることでしょう。


それは自身では戦争にいかぬ者や内心の後ろめたさを忘れるために熱狂するものには極上の酒を飲んで宴を楽しむような気分になることでしょう。


な~に、私も貴方もそれに乗っかればよい。


命をかけて働く軍人達を無責任に褒めたたえ、かけがえの無い家族だと言い放ちそして思いこみ、それらを自身の創作の糧にすれば良いのです。


踊る阿呆共の中にいるのならば同じ阿呆となって踊り狂えばよろしい。


皆がそれをやっているのですから恥じる事はありません。


例えるならば誰もが当たり前にやっている立ち小便や誰も居ない道の信号無視のようなもの。


咎めるものなどおりません。


稀に咎めるものが居たとしてもかつての私達のように非国民だと罵倒すれば良い。


もっと記憶に近いものでは震災の時に個人のちょっとした楽しみにめくじらを立て避難した同胞。

そのように善意の名の下に膝を折り曲げておやりなさい。


なにしろこれはかなり利回りの多い賭け事ですから、無邪気に、脳みそを使わずに波に乗ればいい。


勝てば、ほれみたことかとほくそ笑み、上級の方々を誉れとして賛美歌のような作品を作りあげ、仮に敗北したとしても、今までは無理やりにやらされていたのだ、あいつらに騙されていたのだと被害者の叫びを浴びせ、今度は勝者におもねり誉れの歌を捧げましょう。


さて再度申し上げましょう。


咎めるものはおりません。


咎めるものはいないのです。


勝ち馬に乗らないバカなど、この国には存在しません。


うまく言葉を右に左にと揺らし続けちょうど良い塩梅のところで素知らぬ顔で口を開けばよい。


かつての祖先達がしてきたことなのですから。


私達に恥じ入ることなど無いのです。


そうです!私達には恥が無いのです。


ただただ都合の良い物語に酔いしれたい者達の為。

表現者である私達はかっこうの酒の肴となる為に生きていくのです。


決して後ろを振り向かず。


フラリフラリと風の向くままに。


そんな、悲しき表現者にどうか極上の賞賛と哀れみを。

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