第四章 数奇なる魔女と理想郷現出

第42話

【――ニュースを繰り返します。昨夜未明、XX市中心部に突如として発生した大規模量子崩壊現象の続報です。現地報道陣によりますと、依然として現場は情報が錯綜しており、新しい被害状況が入ってきていません。災害対策本部の発表では、今朝時点で確認された死者が九名、負傷者が一二〇七名、行方不明者が――】


 ノイズにしわがれたラジオの音声が、コンビニ店内に響いていた。

 割れてしまった窓から差し込む朝日が皮膚を刺す。店内の客も見知った顔ぶれだけで、とっくに避難してしまったらしい店員はレジに見当たらない。

 僕の隣で九凪君が眠たそうな顔して、買い物カゴに片っ端から缶詰を放り込んでいる。このひと何も考えてなさそうな手つきだし、そこで僕がストップをかける。


「持ってくの、味の付いてないやつからにしよう? みんなのパンも持って帰らないと」


 サバの水煮とかコーン缶とか、食材っぽいものだけに厳選する。


「……なんでだよ。ここで当分サバイバルすんだろ。こういう缶詰はメシに合うんだよ」


 サンマの蒲焼き缶を手に、真顔で主張する九凪君。昨晩寝られてなさそうな危なっかしい目付きをしてるから、こっちも強くは言い返せない。


「いつまでこんな避難生活強いられるのかわかんないけどさ。まだ調理する余裕があるうちに、そのままじゃ食べれない食材から消費してった方がいいと思うんだけどな」


 おーい、そんな理不尽そうな顔しないでよ。寮で自炊してるって自慢してたじゃん。


「……ならさ宇佐美、お前まだスマホ持ってたろ? ネットで検索すりゃいいじゃん。こういうサバイバルんとき、どっちの選択が正しいか、ってさ」


「……あのさ、別に九凪君に張り合ってないし。いまネットの繋がり、すっごく悪いし」


 そしたら飲料水コーナーの方から噴き出す声が聞こえてきた。


「――お前らほんと傑作だな。組んだら案外イイ感じのコンビになると思うのだがな」


「ちょ、勘弁してくださいよセンセ。だいたいこいつ、そもそも魔術師じゃねえし」


 九凪君にめっちゃ指差された。


「でも静夢は彼とも前にやり合ったんだろう?」


「やり合ったも何も、宇佐美が勝手に魔法暴発させて、結局それっきりだったし……」


 こんな僕たちのやり取りを面白がってる大人の女性、左内希梨佳さん。九凪君のボスにして協会幹部でもある彼女は、僕たちをあの場から助け出してくれた命の恩人だ。

 水とかお茶をビニール袋に詰め込んで、ヒールを鳴らせながらこっちにやって来た。


【――――投入された災害派遣医療チームは各防災機関と連携中ですが、量子崩壊特有の瓦礫飛散現象により現場の状況は悪く、救助作業は難航が予想され――――】


 ラジオがああ喋ってるとおり、僕たちの町は昨夜の「大規模量子崩壊」によって壊滅状態に陥った。いや、世間向けにはそう発表されてるけれど、原因は疑いようがない。

 昨夜、イ界で魔女・フォースを取り込んで破裂した巨大ファンタズマ。それが量子崩壊に繋がって、現実界でもたくさんの犠牲者が出た。

 これこそが終末世界アポカリプスの始まり・〈理想郷現出イデアール・バースト〉だと先輩は言った。

 僕と七月先輩は、あれから正央魔術協会に保護されていた。ダアトに誘拐された僕を救出するため、先輩は協会に助力を求める決断をしてくれたんだ。協会とダアトはそもそも敵対関係にあったのもある。

 現実界に大きな異変が起こっているのと同様に、今イ界もおかしなことになっている。イ界への転移が妨害されているんだ。何でもダアトがイ界封じの強力な結界魔術を仕組んだってことらしい。

 そんなダアトの罠に対抗すべく、先輩自らがイ界封じを突破して助けに来てくれた。空想魔術って本当、業界的には掟破りな魔術体系だって今なら思えるね。

 そうして一夜明けて、避難対象地域内の雑居ビルに、ダアト緊急対策本部が設置された。

 協会の人たちは大規模量子崩壊の対応に追われていたから、当面は政府側と連携して事実究明にあたることになりそう。

 僕もしばらくは、市外に避難中の家族と再会できなさそうな予感がしていた。


【――有識者からは、今回の大規模量子崩壊は、何らかの原因で量子崩壊の異常連鎖が重なり、昨夜確認されたあの白光現象へと繋がったのではないかとの推測の声が上がっています。なお災害対策本部関係者からの情報ですが、十年前の世界同時併発災害群、いわゆる〈怪獣の日〉を機に設置された内閣府特別災害対策室の――――】


 小難しい話を繰り返すラジオ。魔法やイ界の存在が公然とされていない今の世の中だから、僕たちにとって有益な情報は特に聞こえてこない。


「教えてくれませんか、左内さん。十年前の〈怪獣の日〉って、魔術師とかイ界と関係があったんですか?」


 これは、これまでぼんやりと抱いてきた素朴な疑問の筆頭だった。

 左内さんは九凪君に荷物を押しつけてから、僕にまっすぐ向き合い腕を組んでみせた。


「これは本来であれば秘匿事項だ。だが、あの七月絵穹という正体不明の魔術師がこの一件に関わっているというのなら、その相棒であるお前にも知る権利があるようだな」


 僕を見据える左内さん。同世代でも小柄な方の僕よりもさらに背が低い彼女だけど、こちらをじっと射止める目に、何か深いものが宿ったのを感じた。


「その昔、英国に『異端者』と呼ばれた魔術師がいた。協会が禁忌とした魔術を、いくつも行ったからだ」


 それは実に物語チックで、そしていかにもありがちな話に聞こえた。それに「異端者」というキーワードには、どこか聞き覚えもあったし。


「――異端者フレガ。ダアトの二人組や魔女さんが、何度かその名前を口にしていました」


「ああ、そうだ、そのフレガって男だ。フレガ・サイアーズ。米国人で、若くして有能な魔術研究者だったと聞くが、のちに協会を除名されている」


「その人が何かしたんですか?」


「――イ界を生み出したのがフレガ・サイアーズだ」


 左内さんを補足するように、九凪君の声。いつの間にか手ぶらで、彼女の背後に控える。


「えっ……イ界って、昔からあったんじゃなかったの?」


「厳密に言えば、イ界は古代史の時代から存在した。それが事実かどうかは知らん。ただ少なくとも、私が物心ついたときには、魔術師なら誰でも出入りできる場所だったさ」


 そう言って、腕組みしたまま僕を通り過ぎ、つかつかと店内を歩いていく。


「イデアール境界領域内世界。本来のイ界というのは、術者を取り巻く、ごく狭い領域のことでしかなかった」


 僕がそれに首を傾げると、


「むかしは世界中のイ界が一つに繋がってなかったんだ。例えば俺が宇佐美に対して魔術を使う時、イ界は俺らの周囲だけで終わっちまう。要するにイ界がすげえ狭かったんだよ」


 わかったようなよくわからないような、とにかく九凪君が補足してくれた。


「だが、現在のイ界の有り様はどうだ? もはや地球そのもの、完全な並行世界だ。では、術者の周囲にしか存在し得なかったったはずのイ界が、何故一つに繋がったと思う?」


 そう言われては、さすがに間違えようがなかった。僕の浮かべた表情に、左内さんが微笑み返す。


「そうだ、それがフレガって男がやらかしたことだ。彼は現実界とイ界を繋げるための禁忌の儀式を、この日本で行った。そうしてイ界は現実界と影響を及ぼし合う関係を備え、より広大な魔術師の庭となり――そしてその代償にファンタズマどもが生まれた」


 左内さんの表情が一変する。目を糸のようにすぼめ、しかめた眉根に皺が刻まれる。


「――我々はその事件を〈フレガ災厄〉と呼んでいる。表の世界でお前たちが言う〈怪獣の日〉のことだ」


「えっ――――」


 肩が震えてしまい、抑えようと自然、力が籠もった。左内さんの教えてくれた真実が、僕の幼年期の意味を大きく変えるほどのものだったせいだ。


「フレガは何のためにそんな大それた真似をしでかしたんだと思う? 彼は『本当に魔法が起こる世界』が欲しかったのさ。現実界とイ界をひとつにして、分け隔てなく魔法が使える世界を実現しようとした」


「あはは……じゃあ、量子崩壊なんかもそのフレガって人の仕業だったりするんですか」


 なんで僕、こんな自棄になってるんだろう。僕ら凡人の人生まるごとが、そんな誰かも知らない人間ひとりに振り回されてたって知って、馬鹿馬鹿しく思えてきたから?


「量子崩壊とは、ファンタズマがイ界から現実界へと越境しようとして引き起こされる現象だ、という説が有力だ。ただどのみち真相は迷宮入りだ。当のフレガがもう死んでるからな」


「――フォースさんが殺した。彼女自身がそう言ってました」


 そう言葉にしてから、心臓がずしりと重しのようになった気がして、息が詰まった。

 僕があの人の命を奪った。直接じゃないけど、でも原因のひとつじゃないのか。そんな不毛なだけの後悔が、昨日から頭の中をぐるぐると巡り続けている。


「……ああ、そうだった。宇佐美はすでにフォースと出会っていたのだったな」


 途端、左内さんの目が、肩の力が抜けたように、どこか人間味のある雰囲気に変わる。


「あの子はな……フォースは、私がヨーロッパ本部にいた当時の後輩だったんだ。ジゼルというのは、あのころから使っていた旧い名前でね」


「じゃあ、左内さんは始めから知ってたんですね、彼女が魔女だったことを」


 左内さんは目線で応じ、さらに昔話を続ける。


「本部は彼女に、目の上のたんこぶだったフレガの抹殺を命じた。だが儀式は止められなかった。あの無口で人付き合いの苦手な天才魔術師ジゼル・クプランの正体が、本当は魔女――それも悪名高いスルールカディアの一門だって知らされたのは、実際にあの災厄が起こって、そしてすべてが取り返しの付かなくなったあとだった」


 左内さんが語ってくれたのは、初めて知る銀髪の魔女の過去だった。


「……今の彼女は、もう私のことも覚えていない。フレガと対決して、刺し違えたんだ。最後の戦いが終わったあと、心を失って、言葉すら忘れてしまって、何もかも空っぽになってこの町を放浪していたって訊いたよ。あのとき、あの子はすでに死んでいたのかもしれないな……」


 わけもなく拳に力が入ってきて、とうとう抑えきれなくなる。


「――そんなのっ! そんなのって……さ…………」


 もう死んでたって、だったら僕の知ってる彼女は一体誰だったんだ。あのとき僕を必死に庇ってくれたフォースさん。最後に見せた表情がずっと頭に焼き付いて離れなくて、くだらない冗談でも言っていないと、あの光景がよみがえってきさえするというのに。

 なのに左内さんは、そんな僕の手首をついと引く。引き寄せられて、そしてふら付いた僕の肩に手を置いた。


「もう過去の話はいいんだ、宇佐美」


 少しでいい、今は前へ進めと促すかのように。


「この話には後日談がある。協会はフォースを解放して、この国で隠居させていた。……そしてあの子には娘がひとりいる。いま我々があの子にしてやれるたったひとつのことは、残された娘をあの子の代わりに守ってやることだ」


 あの人の娘という、まだぼんやりとした誰かに、僕はまだ困惑していた。なのに、親しかった友人を失ったこの小さな大人は、どこか微笑むような表情さえしていて。


「宇佐美。お前を襲ったダアトというのは、フレガの歪んだ理想を信奉するテロリスト集団だ。奴らは協会の遵守してきた秩序の輪から離れ、魔法による世界の支配を企んでいる。昨夜の量子崩壊がフレガ災厄の再現だとすれば、一連の魔女狩りも、儀式の一環だろう」


 理想を追うあまりの暴走。それこそ誰にでもシナリオが描けそうな、実に陳腐な理想だ。


「これからこの世界がどう転ぶかはわからん。だが、奴らが儀式の器に魔女を使っているというのなら、あれで儀式が完成されたとは到底思えない。ダアトはより強い儀式の器を求めて、娘のフィフスも必ず狙ってくると我々は見ている」


 フォースさんもその娘さんも、そんな陳腐な悪巧みの犠牲になったということなのか。


「ただ我々もお前も、巨悪を倒すヒーローなんていう、大それた立場ではないのは理解しているな? 魔女や、この町で犠牲になった連中を守れたかもしれないなんて悲劇の英雄面は、役人どもにでもやらせておけ」


 そんな台詞を言いながら浮かべた、屈託のない笑み。立ち込める不安を吹き飛ばすかの気勢で、この小柄な女性はぐんと胸を張る。


「とにかくお前たちは、知っている限りの情報を我々大人に伝えてくれたら、今はそれだけでいい。もうお前の戦いは終わった。お前は昨日、あの場所で立派に戦い抜いたんだ」


 優しく諭すようにそう言ってくれたから、込み上げてきた熱に僕は耐えられなくなる。

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