第28話

 答えが出せないままでも、何も解決されなくても、時間だけは止まってはくれない。

 ちょうど赤い陽が落ち始めた頃合いに、いつもの河川敷で先輩と合流した。

 堤防道路から河川敷に降りる途中で、土手に佇む先輩を見つける。先輩は日傘を差したまま腰かけて、いつも晩ごはん代わりにしてるサンドウィッチを食べ終えたところだった。

 僕たちがこの時間帯に、ここで合流する理由は単純明快。先輩が猫に変身する瞬間を誰にも見られちゃいけないからだ。


「今日も一日お疲れ様、七月先輩」


 手を上げて挨拶してから、彼女の横に腰を下ろす。もう残り時間があまりなさそうだし、手短に用件を伝えなきゃ。


「先輩にさ、聞いてほしいことがあってさ」


 案の定、先輩の反応は薄い。小首を傾げただけ。きっと悩み事が増えたせいだろうな。コンビニでの一件があって以降この人、口数がさらに少なくなったから。

 すぐには言葉を続けなかったせいで、先輩は心の所在なさげに、日傘をぱちんと閉じた。


「今朝さ、電車で九凪君とばったり会っちゃってさ。それで、彼と少しだけ話をしたんだ」


 日没間際のおぼろな太陽が、橙と赤の色彩を浴びせてくる。それが描き出す陰影に、先輩の表情はどこかはっきりしなくて、でも多分いつものぼんやり顔をしてるのだろう。


「彼も相変わらずでさ。素人がイ界に出しゃばるな、危険だから手を引け、って言われちゃった」


 なんだか九凪君に責任を押しつけてしまったみたいだけれど、そこは本題じゃない。


「……そう。協会の人間なら誰でもそう言うでしょうね。それ以上何かされなかった?」


「うん、警告だけ。でね……僕さ、色々考えて、その……よくわからなくなっちゃった」


 こう切り出すことしかできなかった。先輩と出会ってからずっと悩んできた問題。それをうまく言葉にできなくて、きっかけは魔女フォースさんとの出会いなんだけど……。


「態度はあんなだけどさ、九凪君は強いよ。怪獣の日に家族を亡くして施設暮らしになって、中学のころから魔術師協会で働いてるんだって教えてくれた。それだけじゃない、うまく言えないんだけど――僕なんか相手にならないくらいの『意志の力』みたいな何かを内に秘めてるやつだった」


 通学途中で立ち話した、たったあれだけの時間でまざまざと思い知らされてきた。


「――では、僕に何ができるんだろう。僕がイ界に関わる理由って何だろう。そう思った」


 先輩はごみを袋にまとめて、自分の鞄に押し込む。日傘も折りたたんでいく。


「宇佐美瑛斗と九凪静夢は違うわ。人はみな背負っているものが違うでしょう。宇佐美くんはどうしてよくわからなくなったの?」


 優しく諭すような、なんだかお母さんに言われるみたいな問いかけ。


「そうだね……。ひとつは、九凪君と話してみて、僕の……そう、『戦う理由』ってやつが自分でもよくわからなくなっちゃったからかな」


 そうだ、僕には自覚がないんだ。

 僕たちの関係は、七月絵穹の一方的な勘違いから始まった。それは「宇佐美瑛斗はシュヴァルツソーマって中二病小説に自己を仮託する、空想豊かな少年である」っていう、見当はずれの勘違い。


「もう一つは…………多分ね、僕は怖くなったんだ」


 これも、ようやく今になって自覚できた言葉だ。


「……怖い? 何が怖いの?」


「魔術とか、イ界とか、ファンタズマとか、とにかく全部」


 あなたの友達を守る代償に、もし僕や七月先輩自身が犠牲になったら。

 僕はあまりに鈍感すぎたんだ。空想魔術が実現せしめたあの得も言われぬ高揚感――空想上のヒーロー気分にまんまと飲まれて、自分たちが実は命の駆け引きのさなかにいるっていう当たり前の事実すら、そのヒーロー性に麻痺させられていた。

 そんな現実を思い知らせてくれたのがファンタズマの自爆と、魔女の口づけ。

 でも自分自身にならまだ責任が持てる。けれども他人を巻き込む立場になったら?

 魔術師としてはまったくの素人である僕が先輩の力になることで、先輩や先輩のお友達の人生を滅茶苦茶に壊す結果になってしまったら。

 そもそも先輩はそこまで考えて、この過酷な世界に僕を招き入れたんだろうか。

 数々の出来事を通じて僕の内に湧き起こったのは、そう、疑念だ。


「残念だけど、もう時間切れのようね。その議論は明日に持ち越しましょう」


 その言葉を合図にしたかのように、太陽は遂に地平の彼方へと落ちた。

 魔法が七月絵穹を変えた。傍らにいた先輩が、まばたき一回で服の塊と化した。

 折り重なった制服がもぞもぞと蠢いて、中から黒毛の猫が顔を出す。訪れた夜の始まりに、銀と赤の瞳が爛々と煌めいた。


「……………………もう。これからどうしろっていうんだよ!」


 声に出す必要なんてなかったのに。自分自身苛立っているのに気付かされる。でも誰に何を八つ当たりしているのかもわからなくなっていた。

 先輩の通学用鞄からトートバッグを取り出して、散らばった衣服をしまっていく。理解できているのかできていないのか、黒猫先輩は逃げも隠れもせずに、隣でちょこんと座っている。あとは彼女を抱いて連れて帰って、寝床で夜明けを待つだけだった。

 でも、僕はまだまだ吐き出し足りなかった。


「――――先輩に言えなかったことがあるんだ」


 もう、誰に言うでもない。土手から腰を上げ、まだ熱気が残る大気に全身を晒す。


「気付いてたのかな。僕はね、先輩の求めているような人間じゃないんだ。魔術師じゃないただの平凡な高校生だ。空想豊かでもないし、創作が趣味でもない。『戦う理由』なんてない、ただの宇佐美瑛斗なんだ」


 夕闇に埋没し始めた川の流れをBGMに、そしてただ呟くように。なんだか詩的な感傷に飲まれてる自分が気色悪いけれど、もうそれでも構わないと開き直ってすらいた。


「七月先輩。あのね、僕は嘘つきだ」


 猫相手に、何を懺悔しているのだろう。


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