第11話
さながら闇のような少年だった。長く艶やかな黒髪が風にたなびいて、戦火の炎を残酷にも照らし返していた。
闇夜に溶け込む漆黒の着衣。反して、肌は生命の脈動を感じさせないほどに青白く、しかししなやかな筋肉が皮下に張りめぐらされていることを見る者に訴えかけている。
少年の顔を飾る黒き仮面〈
――と、己が姿をまざまざと〝記述〟した直後、宇佐美瑛斗は絶望のあまり膝を折った。
「なんだ……これは……」
瓦礫にうずもれた大地に伏せた瑛斗が、自らの両手を睨み付け呻いた。足もとにできた水たまりが映し出した自分の姿が、見覚えのあるものだったからだ。
「一体何が……起こった……」
見慣れた癖毛と眼鏡の少年がそこに佇んでいた。
「俺は……俺は一体どうなったのだ……」
失意と絶望に震え、自らの両肩を抱く。度重なる戦闘で鍛え抜かれた殺人機械としての筋肉がこんな感触のはずがない。
あまり過酷な現実が、舌の根までカラカラにさせる。
「宇佐美くん、その姿は…………」
宇佐美瑛斗が空想した世界の主人公は、ただの少年・宇佐美瑛斗だった。
身長は一七〇に届かず、母親譲りの色素の薄い縮れ毛に碧眼は、長い漆黒の髪や闇色の瞳とはほど遠い。
そう、宇佐美瑛斗は〈黒き逆徒〉――つまり神叢木刹刃になりきれなかったのである。
「……いけない。今のきみは空想したとおりの神叢木刹刃のイマージュを纏えていないわ! そんな不完全な姿のままだと、最悪きみ自身が怪我をすることになる」
空想魔術師・七月絵穹が魔導器エソライズムエンジンを介して発動した魔術式――ジュヴナイルズ・ランドスケイプ。
それは宇佐美瑛斗の薄弱な空想を辛うじて変換できたものの、空想力の不足と没入力の欠如、そして何より羞恥心が
だが、絵穹の抱いた不安をかなぐり捨てるかのように、瑛斗は立ち上がった。
「いや……これでいい。この絶望的状況、俺が覆さずに誰が覆す?」
逆襲者である神叢木刹刃は、神に定められた結末を常に覆す力を備えた男だ。だからこそ少年は、斃すべき悪を、叛旗の意志宿りし眼差しで見据える。
己が対峙すべき
すると、奇妙な自信で満ち溢れてきた。これまでの宇佐美瑛斗を形作ってきたある種の弱さを、己が黒き逆徒そのものであるという確信が被膜のごとく上塗りしていく。
「ふっ……さあ、異界に蔓延る雑兵どもよ、どうやらここが叛旗の舞台らしい。俺は絶対なる逆襲者。あらゆる敗北の物語を覆す我が叛騎の刃、その身に深く受けるがいい!」
言霊を帯びた瑛斗の声が雷鳴が如く瓦礫の城を抜け、イ界の彼方へと木霊した。
「――数多の因果律を超えこの場に結実せよ我が刃、〈
神叢木刹刃が携えていたであろう魔刀、〈真説魔狼斬〉が傍らに具現化し、重たい音を響かせて大地に突き刺さる。叛旗の刃に相応しい、吸った咎人たちの血に勝る漆黒の刃をてらてらと煌めかせている。
「――我に巣くいし半身、〈
呼応し、瑛斗の僧帽筋のあたりから、さながら悪魔の翼めいて解き放たれたのは、神叢木刹刃が自身の肉体に寄生させた魔神の腕――〈叛神半魔の義腕〉だ。
暗黒物質で錬成された義腕が宿主である瑛斗に代わり魔刀を拾い上げ、漆黒に染まる両手に握りしめる。
刃渡りにして二メートルはある魔刀・真説魔狼斬が、義腕の左手で軽々と舞い始める。物理的に軽量なはずもないこの魔刀を、人智を越えた義腕を宿す神叢木刹刃という一個体の戦闘単位が、手足のように容易く捌いていた。
絵穹が瓦礫を欠片を拾い上げ、試しにそれを瑛斗へと投げつけた。
彼は血肉の末梢にまで染み渡った本能により応えた。四散。軌道予測したかの如き太刀筋が、瓦礫を微塵に砕く。
「……そう、その姿でもきみはわたしの希望になれるというのね」
興奮の色を浮かべた瑛斗の目が、絶対的勝利を約束していた。
「よろしい神叢木刹刃――否、宇佐美瑛斗。いまこそきみの持つ叛騎の力で敵ファンタズマを殲滅するのよ!」
「――ああ、あらゆる敗北の物語は、この俺が覆す。さあ、逆襲の幕開けだ――」
瑛斗は大地を蹴り、瓦礫の城から屠るべき敵軍勢の前に躍り出た。
それを狼煙に、警戒状態のまま沈黙を続けていたファンタズマの攻撃本能が働く。
百体を超える蜘蛛型ファンタズマが、一斉に進軍を開始した。四本腕の巨人型は、足元でせめぎ合う有象無象の軍勢を押しのけながら、地響きを上げ突進をかける。
瑛斗が跳躍した。
軍勢の第一波を軽々と飛び越え、蜘蛛型を踏みつけて再跳躍。そして降下。着地地点に魔刀を突き刺し、地に低く伏せての、円斬。
わずかそれだけで、薙ぎ払われた数十体のファンタズマが、水面に広がる波紋のように光へと還り、果てに散華する。
姿は違えども、彼の運動能力及び体裁きは全てシュヴァルツソーマに記述されたものだ。
瑛斗に追い付いた巨人型が、隆々として逞しき右腕を振り上げ、ゆっくりと腰の可動部を回転させる。
だが攻撃する猶予など与えない。魔刀を抜いて、その切っ先を突きつける。
と、背後から蜘蛛型が群れをなして飛びかかってきた。弾けたバネのように跳躍すると脚部を折りたたみ、球状に丸まって転がってくる。
瑛斗は横に飛び退いて、膝立ちの体勢のまま魔刀の背で蜘蛛型を受け流す。真説魔狼斬に付加された魔術加護が発動し、展開した魔法円が体当たりの運動エネルギーを相殺した。
一瞬止んだ攻撃の隙に、瑛斗は魔刀を前に、繰り出す騎槍がごとき奇異な構えを取った。
「――――叛旗獄烙狂詩曲、第四章十三節」
主の詠唱に呼応したのか、古の地より呼び覚まされし邪炎竜アズライグの稲妻が刀身に迸り、おびただしいまでの神鳴る力を体躯に帯びて、刃先へと収縮してゆく。
「こ、これはっ……神叢木刹刃が最終奥義! いきなり使ってみせるというの!?」
膨大なる魔力の奔流が瑛斗へと集約してゆき、放たれた光と熱、そして溢れんばかりのエネルギーが上げる咆吼が、ここ一帯の天地を震撼させていた。
「――――くだらない結末はここに断つ――〈黒き断章の
いまここに降り立ったその力は、虚空におわす神々への、まさに叛旗の狼煙。
集まりつつあった分厚い黒雲すら裂いて、真説魔狼斬の刃が空を白刃一閃に薙ぎ伏せた。
木偶のごとく立ち尽くす巨人型ファンタズマが、蜘蛛型の軍勢が、そのエネルギーの奔流に飲み込まれていくのを絵穹は目撃していた。
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