95・“神”
「ここまで堕ちてしまうとは……、失望しましたよ、エマード博士」
転移装置の青白い光の柱が、スッと床に吸い込まれ消えていく。
ケネスはおもむろにエマードの側まで歩み寄った。
水槽を抱きかかえるように泣き腫らすディックの胸ぐらをぐいと掴み、そのまま壁際の計器にドンと音が出るまで彼の巨体を押しつけると、ケネスは無理矢理、ディックの暗視スコープとインカムををはぎ取った。
情けない中年親父の顔が露わになって決まりが悪いのか、ディックは歯を食いしばり、目線をずらしている。
「NO CODEにも感情があるということか。確かにEは実験体とはいえ、あなたの娘には違いない。かといって、こんなに取り乱すなんて……、幻滅した。あなたはもっと賢い人間だと信じていたのに。あくまで研究は研究、実験は実験なのだと仰っていたではありませんか」
カーキ色の上着と厳しい目つきの軍人顔が、ディックの眼前に迫った。
彼が誰であるのか、ディックはすぐにわかった。ケネス・クレパス――エレノア・オーリンと初めて出会った空間転移システム研究室に、軍からの出向で来ていた男だ。その後、Project.Tに参加し、この地下研究室で“TYPE-E”の研究に携わった。エレノアに心を寄せていったディックのことをより近い場所で見ていた人物、そして、Eの研究に対し苦悶するディックのことを見続けた人物でもあるのだ。
出会ったばかりの頃は“いいとこの坊ちゃんだ”と馬鹿にしていたが、そんな面影は全くない。すっかり“総統閣下”の色に染められた、“完全なる下僕”の顔だ。人が変わってしまっていた。忠実な男だとは思っていたが、ケネスをここまで追い詰めたものがなんなのか、ディックにはわかりようがない。
「何故、ここにいる」
開いた瞳孔は、ケネスの冷たい目線を捉えていた。最も出会いたくなかった人物の一人が目の前に現れたことで、ディックの鼓動は否応なしに高まった。
「ケネス、買い被りは良くない。彼の心は非常に不完全で不安定なのだ。――それに、“人間”じゃない」
取り乱したディックから少し距離を置いていたリーは、ケネスの登場により落ち着いたのを見計らって、また水槽の側へと近付いてくる。長い前髪をかき上げながら、彼はディックを見下し、せせら笑った。
「しかし、例え不完全な精神状態であったとしても、その肉体の完成度は間違いなく高い。頭脳も申し分ない。不本意だが、その身体、使わせてもらう。そもそも、そのためにお前は生まれたのだからな。複製を重ねたTYPE-Cは、老化の進んだTYPE-Dと比べても、長くは持たないのだ」
「長く、持たないから、何だというんだ」
「噛み砕かずとも、何を言いたいか、お前にはわかっているはずだ、D-13」
――ドクン、と、大きく空気が波打つような音がした。
ケネスの肩越しに、円柱水槽の中でエスターがすっくと立ち上がっているのが見える。彼女はゆっくりと顔をあげ、目を開いた。しかし、青い瞳はどこか遠くを見つめているのか、ディックの顔を一切見ようとしない。
意識がない、ただ反射的に立ち上がっただけなのか。まるでマネキンのような彼女の姿に、ディックは一瞬言葉を失った。
また、地下室全体が大きく揺れる。エスターを囲う水槽をなしていた防弾ガラスが少しずつ少しずつ地下に吸い込まれていく。
「エスター、目を覚ませ、何をしている。ケネス、放せ、この手をどけろ!」
ディックもジュンヤも、必死にエスターに呼びかけ続けたが、どうにもならない。そこに見えない壁があるかのように、何も届かないのだ。
助け出したい、手を伸ばしたいと思うのに、ケネスの腕は更に強く、ディックの胸元を締め付けた。体力には自信がある、いつもなら簡単にふりほどけるはずが、びくともしない。自分より背の低い、明らかに弱い人間であった彼にしては、真っ当じゃない力だ。押し当てられた背中の計器ランプがバチンバチンと音を立てて割れた。防弾チョッキ越しにボコボコした感触が伝わる。
「何の手術を受けた。薬か……」
「強化筋肉を埋め込んだくらいですよ。閣下をお守りするため、当然のことをしているまで。あなたのように途中で投げ出したり、逃げ出したりはしたくないのでね」
水槽が完全に床に沈み、その縁から一歩、エスターが踏み出した。背中のコードは、天井と繋がれたままだ。
彼女はゆっくりと天井を仰ぎ、両手を広げる。一糸纏わぬ彼女の背に、更に太い複数の管が差し込まれた。管を通って、何かが注入されていく。身体に液体が染みこむ度に、意識のない彼女は、快楽を得たように頬を緩めた。
「金属分子を含んだ特殊溶液は、Eの身体を巡るナノマシンと反応し、彼女自身を一つの機械に造り変える。そうすることで、マザーの意志で様々なコンピューターや機器と融合しやすくなるんだ。人間の脳では、容量が足りないことも予想されるからね。――ほら、少しずつ、変化が出始めた。私の設計した“神”の姿になりつつある……!」
ティン・リーは歓喜していた。ケネスに捕まり身動きの出来ないディック、そして黒い鎧の男に羽交い締めにされたジュンヤの目の前で同化が行われていくことに。
やがて彼女の皮膚を銀色のプロテクターが覆い始めた。注入された金属分子から彼女自身が生成したものなのか、彼女の身体を包むように面積を広げていく。背中には羽が――彼女に繋がれていたコードたちが絡まり、羽の形を成していく。
人類がそれまで為し得なかった未知の技術が、目の前で展開されていた。マザーというAIが、この世界を包み込んでいったように、エスターの身体をカスタマイズしていく様子が見て取れる。
研究者としてAIチップ開発に取り組んだディックにとって、それは一つの感動だった。世界最高のAI“マザー・コンピューター”、トリストを介して出会ったあの女性人格が一つのプログラムとして稼働する様子を、目の前で見ることが出来る……、間違いなく、心は震えた。揺れ動いていた。
一人の研究者としての自分、父親としての自分、そして、同じように命をもてあそばれ続けてきた実験体としての自分――。
「エマード博士、口元が緩んでおられますよ。本当はあなたもご覧になりたいのでしょう、“神”を。今なら間に合います。今までの謀反も、閣下はきっと水に流してくださる。さあ、我々と共に、新たなる世界を築こうではありませんか」
狂気めいたケネスの言葉に、惑わされそうになる。
違う、ディックは心の中で呟いた。
「新しい世界など……築かれてたまるか」
落とさぬよう必死に掴み続けていたデザートイーグルの銃口を、ディックはケネスの脇腹にぐっと当てた。
「なにをなさるおつもりです」
「……お前と、リーをぶっ殺して、俺も死ぬ」
「身体を固定された状態で、うまく引き金が引けるとでも。それに、我々を殺したとしても、未来は変わらない。マザーと同化し始めたEを止める手立てなど、ないに等しいのだから」
「だったら、エスターもろとも、吹っ飛ばすしかない。頭を吹っ飛ばせば、再生機能は働かない。俺も、エスターも、死んで終わり。最高の結末だとは思わないか」
「まさか、あなたが娘を犠牲に出来るはずなど無い。これまで何のために生きていたのです。復讐のためだけなら、あんな辛い思いをする必要は無かったはずだ。追い詰められ、血迷っているとしか思えない」
「血迷いもするさ。――俺は、“不完全”なんだ。それに、“人間じゃない”。思考回路が狂ってるヤツに、何を言っても無駄だと、まだわからんのか」
口角を上げた。引き金を引いた。
銃声が響き渡り、同時にケネスの腕がディックの胸元から大きく離れた。ケネスの左脇腹から大量の血肉が飛び散り、辺りを赤く染めていく。脇腹が完全に破裂している。肉と骨がむき出しになって、ケネスは身体を屈めた。苦痛に耐えながら、
「抜かった」
と一言、床に倒れ込む。
解放されたディックは、続けてリーに銃口を向けた。ケネスが倒されたことで、顔を歪めているようにも見えたが、気のせいかも知れない。いつもの表情のわからない能面顔で、じっとディックの様子を覗っている。
「撃てばいいじゃないか」
エスターの前に立ちふさがるようにして、リーはディックを挑発する。
「撃たないということは、まだ何か言い足りないことがあるのかな。君は――何を考えている」
「お前の、正体を知りたい。俺の知る限り、お前のオリジナルは、今と違う姿形をしていたらしい。お前が三代目、俺がその次になる予定だった。つまり、その前に最低二回は姿を変えてる。その名前だって、多分その個体のものだ。俺の姿になれば、お前は俺の名前を騙るんだろう。なあ、リー。お前、本当は何者なんだ。ラムザの記憶に寄れば、お前の存在は先史から続いているらしいな。マザーにこだわり続ける理由もそこにあるのか。どうなんだ」
先史からと聞いて、リーは腹を抱えて笑い出した。
耳障りのする高い声に、思わず力が入るが、ディックはじっと堪え、銃口を向け続けた。
「ラムザが君に何を残していたのか知らないが、――そうか、あの男、そこまで掴んでいたのか。確かに、オリジナルの私は、大戦前の人間。マザー・コンピューターの基礎となるAIを開発した研究者だった。思い描いた世界がどのように発展していくのか、非常に興味があった。見届けるため、どうすればこの短い命を繋いでいくことが出来るのか。考えた末に意識の電子化を思いつく。……あとは、君らの知るとおり。それが何だというのだ。私は私以外の何者でも無い。この世界を作り出した、この世界を支配する絶対的な存在。より支配を強めるために、今はマザーとEの同化が必要だ。いくら君にだって、邪魔はされたくないな」
リーの表情が変わった。何かに合図を送ったのを目視で確認したときには、既に遅かった。
ケネスと一緒に送られてきていた大柄の男たちが、気配も無いまま、ディックの腕を両脇から抱えていた。ジュンヤを羽交い締めにしているのと同じ黒い鎧の戦闘員二人は、百九十センチを優に超えるディックの身体を、いとも簡単に持ち上げる。足をばたつかせても、肩をくねらせても、逃げられない。肉体強化されたNO CODEなのか、フルフェイスヘルメットの下から、骸骨のような顔が透けて見えた。
「油断したな、ディック・エマード。……この名を呼ぶのも今が最後だと思うと、嬉しさが込み上げてくる。マザーとEの同化はもうすぐ終わる。次は、君の番だ」
鎧の男たちは、ケネスよりも更に強い力で締め上げてくる。
腕の筋肉が千切れそうだ。
手から銃がこぼれた。カツンカツンと乾いた音がして、円を描きながらデザートイーグルは転げていった。
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