92・直前

 涙が完全に乾いてからヘルメットを外そう。思っていたのに、それはなかなか止まらなかった。マザーのことを考えれば考えるほど、アンリの心は枯れていった。

 だが、周囲は彼の心が癒えるまで待ってはくれない。

 こう沈んでいる間にも幾度となく緊急連絡のブザーが鳴り、その度に内部監視室のスタッフが、


「もう少しだけ待ってください、連絡しますから」


 と頭を下げる。

 同じ所から何度も問い合わせがあるらしく、


「すみません、もう少し、もう少し待っていただけないですか」


 と声が聞こえてきて、アンリはようやく重い腰を上げた。

 天井から伸びたコードが繋がるヘルメットを脱いでそっと白いトリスト機体の前面に置き、狭い機内からゆっくりと身体を屈めて這い出す。


「いいよ、僕が出る」


 疲れ切って別人のようになってしまった声と表情に、スタッフの男は一瞬言葉を失って、数歩後退った。


「こちらアンリ、待たせたね」


 壁面備え付けの通信端末の画面に見えたのは、ハロルド・スカーレットだった。冷凍施設攻撃後体調を崩していたのだが復活したらしく、血色がいい。

 彼の背後で、何人かが忙しなく動いているのが見える。いかにも“急いでますよ”を押しつけているような構図、アンリは更にげんなりした。


『なんだその、恋人に振られたような顔は』


 言われて思わずカチンと来た。確かに、泣き腫らした目、いつもはきっちりセットしている銀髪がヘルメットのせいで萎びているのも、そう思わせてしまう原因だろう。が、あまりにも図星で、アンリは舌打ちし視線をずらした。


「――うるさいな。そっちこそ、デリカシーないだろ。マザーとの時間を妨げるなんて」


『ははん、お相手はマザーか。どんなあしらわれ方をしたんだ、AIに』


 こんなヤツのために、マザーとの余韻に浸っていた時間を奪われたと思うと無性に腹が立つ。しかも、ハロルドは悔しいくらい痛いところを突いてくる。伊達に人生経験積んでませんよと言わんばかりか。今はそんな冗談すら言っている場合じゃないというのに。アンリはまた、舌打ちで返す。


「そんなのはどうでもいいだろ。それより、ネオ・ニューヨークシティ上空はどう。どこかに侵入できそうな箇所は」


 ネオ・ニューヨークシティの外から攻撃を仕掛けるため、ESの飛空挺は上空を旋回していた。エアバイクや武器弾薬をEUドームで補充し、戦闘員も増強済みだ。政府ビルの最上階にあるという総統執務室を襲撃するのが目的だが、実際その場に総統ティン・リー本人がいる保証はない。ディックの証言によれば、執務室に併設して何らかの重要施設が有り、世界の全てを監視しているのだとか。まずは一通りの機器を破壊し、機能を停止させなければならない。

 また、内部からも攻撃できるよう、直接搬入用転移装置からも戦闘員を送る計画だ。

 問題は、この動きを政府の幹部がどこまで察知しているかということ。他ドームへの人口流出が数日前から始まっていることからしても、間違いなく“世界が崩壊する噂”は広まっている。当然、総統の耳にも届いているはず。相手が相手だ、わかっていながら、何の対策も練らないわけがない。地下冷凍施設襲撃の時のように思わぬ敵をぶつけてくる可能性はかなり高い。

 こんな状況の中で敵の本拠地を直接攻撃する方の身にもなってみろよと、ハロルドは心の中で思っていた。アンリはあくまで現地には赴かない、情報要員なのだ。


『簡単に言ってくれるな。EUドームと一緒だ。まるで張り巡らされた植物のツルに守られてる、異常な光景だ。中心部に政府ビルがあるはずだから、とにかく天辺を目指すつもりでいる。降下して植物をなぎ払い、その上で侵入できそうな場所を探そうと思うが、無理なら爆破する。まぁ、手持ちの弾薬で何とか出来るなら、だけどな。――ところでディックは? その辺にいるんだろ』


「――ハル、残念ながら、博士は政府ビルの中だ。……全く、あのおっさん、何を考えているんだか。自由すぎて手におえないよ」


『なんだって……! いつ、いつ飛んだんだ』


「さあね。僕がマザーと交信しているウチに、サッと消えたらしいよ」


 やらかしたかと、ハロルドは画面の中、片手で頭を覆っている。誰だって同じ反応をするよなと苦笑しながら、


「何、博士に聞きたいことでもあったの」


 アンリはわざとらしく丁寧にハロルドに言い返した。


『いや……可能なら、相手がどういう動きをしているのか、わかる範囲でデータを送ってもらいたかったんだが……仕方ない。アンリ、マザーに同様の内容を調査依頼してもらっていいか。俺たちだって、手探り状況で突っ込みたくはないんだ』


「残念だけど、無理だね」


『どうして。マザーなら、総統周辺以外のデータ収集は即座に出来るんだろ』


「そういう問題じゃない」


 察しろ、アンリは思ったが、それで通じる相手ではなさそうだ。


「マザーとの通信は、もう出来ない。同化されるのは時間の問題だしね。頼れない、僕らで出来る限りのことをするしかない、わからないのか」


 画面を睨み付けた。それがどんな顔だったのか、アンリ自身見ることはできない。ただ、それまで我が儘発言を繰り返していたハロルドが、思わず息を飲み全てを悟ったように、


『……わ、悪かった。任務に戻る。GOサインだけは頼む。足並みは揃えたいんだ』


 言って回線を切った。



 *



「まさかエマード博士が、一人でこっちに乗り込んでくるとは思わなかったな」


 DNA分析室に、いつもの白衣から戦闘用の防弾チョッキに着替えたディックがいた。小型転移装置で運べるだけのものと一緒に転送してきた彼は、突入準備のために余念が無い。足の踏み場もなかった床は綺麗に片付けられ、ディックが持ち込んだ武器や防具が並ぶ。ジュンヤにも防護服を与え、着替えを促していた。

 ダニーとレナは本物のディックに興奮しきりで、気を落ち着かせることを最優先にしろと、それこそディック本人に諭される始末。だが、今まで尊敬し続けてきた人物がその場にいることに対し免疫のない彼らが張り切るのは、ある意味仕方の無いことだ。


「俺は最初から、そうくると思ってたよ。大体、ディックがまともに誰かと連携して作戦だなんて、似合わなさすぎる」


 言いたい放題のジュンヤに分析室の二人はハラハラするが、ディックはまるで気にしない様子。


「連携? 俺と連携できるような人間があの場にいるとでも」


 やはり、周囲を何かの道具としか思っていない。仲間だなんて認識は、この場にいる三人にだって感じてはいないと思われる発言をしてくる。それが彼らしさであるのだが。

 ディックはすっかり着替え、エネルギー銃と替えのボトル、いつものデザートイーグルをホルダーに仕込む。普段は嫌がって使わない暗視スコープを珍しく装着し、小型端末と繋いだ。インカムをセットし、音声チェック。これで、いつでも互いに連絡を取り合える。


「こっちからは最低限の情報しか送らない。恐らく、そこまで余裕はないだろう。で、ダニー、避難指示、救護体制は」


 言われてダニーは、背筋をただした。かけていたソファからサッと立ち上がり、どんと右手で自分の胸を撃つ。


「それは任せて。念のため、ビルから一キロほど離れた施設を救護所として利用できるよう、医師仲間にお願いしてある。地下核シェルターの跡地がうまいこと残ってたから、ビルの半径二キロまでに避難指示は出しておいた。だだ、確実な情報でないだけに、疑心暗鬼で動かない人間の方が多いようだけどね」


「だろうな」


 ダニーの話をどれだけ聞いているのか、機器チェックをしながらディックは何度かうなずいた。


「ジュンヤ、経路の確認は。フレディに記憶させたか」


「何とかね」


 装備を確かめながら、ジュンヤもうなずく。

 正直、それが一番大変な任務だった。エレベーターから通じていたという経路は既に使用不能、非常階段を辿ったが、そこも封鎖されていた。地下へ辿るには、転移装置を使うしか方法がないことがはっきりとわかり、結局、レナに協力してもらってプログラムをいじり、少しずつ座標を動かしながら進入路を探る方法に切り替えた。監視カメラの目を盗みながら、何度となくフレディを飛ばし、やっと地下実験室を探り当てる。


「飛ぼうと思えばいつでも飛べるよ」


 ディックと揃いの暗視スコープを装着したジュンヤは、頼もしく笑って見せた。


「よし。レナ、監視システムはダウンさせられるか」


「はいよー、任せて。ただ、ダウン後は、敵に見つかる前に私たちも避難しなきゃならないけどねぇ、ダニー」


 いつもの席からレナが手を振る。ダニーは困ったなと苦笑いし、ポリポリと頭を掻いていた。

 避難と簡単に言うが、“事”が始まればまともに逃げられる確率は低くなる。レナは出来る限り博士に情報を送り続けたいらしく、そうなると、いくつか機器を持ち出さねばならない。武器だって持ち歩く必要がある。扱い慣れてもいないのに、だ。

 本当にどうにかなるのか、この場で後ろ向きな考えをしているのは自分だけかも知れないと、ダニーは額から伝う汗を袖で拭った。


「ところで、ESの攻撃はいつから? その辺、うまく指示してきたんだろ」


 と、ジュンヤ。既に身なりは整え終わったようだ。


「今は、俺の手を離れた。あとはアンリが何とかするはずだ」


「何とかって……、具体的なことは、何も、そういうことなのか。いくら何でも」


「ヤツらだって、ある程度想定していたはずだ。俺が完全な協力者にはなり得ないってことを。――準備でき次第、地下へ突入する。時間が無い」


 ディックはギリリと歯を鳴らし、言い放った。

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