48・正体

 詳しい検査結果が知りたいというエマードの申し出に、リーはにんまりと笑みを返した。


「それは、君の今後の出方次第だ」


 最初からどこか不自然だと感じていた。それが明るみに出ただけなのかもしれない。

 ティン・リーは一体何者なのか、探ろうと思ったことなどこれまで一度もなかった。政府がNCC出身者の回収を進めているということ自体にも、違和感を覚えはしたが、あり得ない話ではないと思っていたのだ。

 エマード含め優秀な人材だと認められたNO CODEらは、一般の技術者や研究者と同じようにラボに配属され、そうだと知られぬまま生涯を終える。真に優秀であればコードの有り無しは関係がないのだと、どこかで聞かされた覚えがあった。何らかの目的があって人材を集めなければならないとき、記録を辿るのに限界のあるNO CODEを専門に回収するのは何もおかしいことじゃない。

 だが、リーの口から出た“D-13”という言葉はエマードの心をかき乱した。

 エレノアは緊急入院。しかも、リーが管理するビル内の病院に。担当産婦人科医のマールによれば、技術的に優れている施設に入院させるのだから何も心配はいらないとのこと。リーが中心となって、二十四時間態勢で彼女の看護に当たるのだというが、どうも信用が出来ない。

 ティン・リーはただの医師ではないと、エマードは確信し始めていた。

 何とかして正体を探りたい。あのラボでやたらと過去のことを嗅ぎ回っていたジャン・ウェイの気持ちが、今になって痛いほどわかる。彼はエマードの正体を知りたがった。データがないことで不信感を募らせた彼が、あちこち動き回るのをじっと見てきた。――まさか、それが自分の役回りになるとは。

 空間転移システム研究室が閉鎖され、仕事を失ったエマードは、これ幸いとばかりにリーの素性を本格的に探り出す。

 政府ビルにほど近いライブラリから共用コンピュータを偽名で使用し、ビルで入手した他人のIDとパスワードを利用して政府のデータベースに侵入する。

 まず探ったのが、政府の登録医師リスト。医師免許を持つ全ての名簿がコードの有り無し問わずに載っているはずだが、それにもリーの名前はない。登録されている一人一人、別名登録も有り得ると思い虱潰しに当たるが、該当無し。政府ビル内の病院、そこの勤務データもひとつひとつあぶり出してみるが、リーらしき者の名前はどこにもない。

 まるで最初から存在していないような――それは、彼が単にNO CODEである証なのか。いや、コードに関係なく記載されるべきものにも彼の名は見当たらない。

 医師ならば当然つけるであろう電子カルテ、入院中のエレノアのカルテにも、マールの名前ばかりで、リーの名前は記載されていなかった。

 何者なのか。

 考えれば考えるほど吐き気がした。

 エレノアに見舞いに行く気分にさえなれない。

 一週間ライブラリに通い詰め、日ごと別のIDを使用して情報を漁ったが、全く収穫はないままだ。

 やがて手詰まりした彼は、正体不明のリーが何のために自身を回収し、その子を孕んだエレノアを入院させたのか考えるようになっていった。

 ディック・エマードの驚異的な回復能力は、遺伝子操作によるものだ。この事実を知っているとすれば、過去に実験に携わった者以外ない。NCCに入所したときにはNO CODEであることしか施設には通知されなかったはずだ。エマードが何の実験により生み出されたのかなど、誰も知る由はなかった。

 だとすれば尚更、不自然に思えてくる。

 あの実験の研究室には、彼と年の近い研究員は居なかったのだから。

 ジャン・ウェイの恐怖で引きつった顔が、自分と重なる。エマードは出口のない闇に取り込まれてしまっていた。

 理由がわからないにせよ、リーは“D-13”だと知っていてエマードを助け、意識を失っている間に遺伝子を採取した。その後何食わぬ顔で親切を装い、エレノアの実験室に彼を紹介する。

 エレノアはもしかしたら、利用されていたのかも知れない。妊娠を知ってリーに相談を持ちかけるという構図も、自分にエマードを紹介したという恩から来るものなのだろう、知っていて彼はそういう行動を取ったのではなかろうか。

 ――目的は。本当の目的は何だ。

 考えすぎると、まともな思考が出来なくなるのは悪い癖だ。冷静に物事を見極めようとすればするほど焦り、何も見えなくなってしまう。

 大切なエレノアがリーの元にいる。

 彼女がお腹の子供のことを一番に考えている状態では、とてもその場から引きはがすことは出来ない。

 何故連れ戻したいのか、何故中絶させたいのか、本当のことを話してしまえば全てが壊れてなくなってしまう、それが怖い。


 **


 その日、ライブラリから戻ると、エマードの自宅マンションの鍵は開いていた。エレノアが入院して以来、寝るだけの場所に戻ってしまっていたが、施錠だけはしっかりしているつもりだった。外側からは掌紋認証しなければ開かないはずだのにと、首を傾げドアを開けるエマードの視界に飛び込んだのは、あの男。ストレートの黒髪が不気味に揺れた。

 ライブラリが閉まった午後八時、真っ暗闇に浮かび上がった華奢なシルエットは、彼の心臓をぎゅっと押し潰す。


「今日は何を調べてたのかな、D-13」


 エマードは明かりを点けるのも忘れ、震え上がったままドアに背を押しつけた。


「毎日毎日、ありもしないデータをコソコソと。ご苦労様と言いたいね」


「何をしに来た。お前は一体何者なんだ」


 にやりと白い歯を見せ、リーは室内の明かりを点けた。ラフな黒い服装が小気味悪い。

 まるで自分の家にいるかのように、リーは好き勝手動き回った。

 エレノアが前のマンションから持ち込んだ小さな硝子テーブルとシンプルな合皮のソファ、彼女の好きな小さな植物や雑貨、二人の写真。それらを舐めるように撫で、またにやりと笑う。


「随分充実した日々を過ごしたようだ。さぞ楽しかったろう。これほど人間らしい生活をしてるNO CODEは、珍しいんだよ。やっぱり、君のことを手放したのは失敗だったんだと気づかされる」


 リーのセリフは抽象的だったが、彼の言わんとしていることは、エマードには理解できていた。


「やはりお前は、俺が何の実験で生まれたのか知ってるんだな。実験の結果俺にもたらされた、最悪なこの身体の秘密も、何もかも。――何が目的だ、あの実験は一体、何のために行われていたんだ。俺は何故」


「――世界には、“コードのを持たない者”が存在する。そのひとつは“反政府組織で生まれ育った者”、もうひとつは“実験体”。君は僕を“実験体”、つまりNO CODEであると勝手に決めつけた。前者ではないことが明白だからだ。だが、僕の記録はどこにも存在しない。コードによって辿ることは当然出来ないし、メイン・コンピュータの各種データベースにも、僕の存在は記録されていない。ならば僕は誰。優秀な君は、本当はそれにもう気づいてるんじゃないのか」


「どういうことだ」


「どういうことって。いやだな。本当にわからないの」


 リーは言いながら、ゆっくりとエマードに近付いてくる。ドアは彼の背にくっついたまま。逃げようと思えば逃げられる状態だのに、エマードの足は動かない。


「そもそも、君の義父ラムザ・エマード博士が、君を連れ出してしまったのが全ての始まりだった。実験体に同情するなんて、彼はあまりにも愚かだったのさ。人間と実験体の境目がわからなくなった彼は、君を逃がした。その後確保され、NCCに入所させられたときには、君は何者かわからなくなってしまっていた。他のNO CODEらと同等に扱われてラボに配属されたとは知らず、僕は懸命に君を捜したんだよ」


 怯えるエマードの真ん前に立ちふさがったリーは、天使のような顔を歪めてニヤッと笑った。



「Project.Tの実験体、No.D-13。まだ、わからないのかい。全ての指揮をしているのは、この僕だ」

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