第50話『ギルド』

 なんだろう、柔らかくてあたたかい何かが僕の顔を優しく撫でる。ゆっくりと目蓋を開くと、そのあたたかさの正体がわかった。

 ピクピク動く少女の耳だ。いつの間にやら僕の横まで移動してきていたシフォンが穏やかな顔で眠っている。


「おはようございます。マスター」


 いつもよりも棘のある声音で起床の挨拶を告げるアイ。


「おはようアイ」


 僕はその棘には触れないよう、いつも通りの挨拶を返す。


「マスター、今日の日程はどのような流れで?」


「あぁ、まずはギルドとやらに顔を出してみるよ」


 そこで魔大陸での身分証を手に入れる。


「おはようフィロス!」


 僕の隣に寝転んでいるシフォンを摘み上げながら、元気な声で挨拶をするアンス王女。そして部屋の端の自分が寝ていた場所にシフォンをゆっくりと寝かせた。


「おはようございます、アンス王女。今朝は随分と早起きですね」


 宮殿での生活スタイルを振り返ってみるとアンス王女には朝に弱いイメージがある。


「少しはやく目が覚めたから、軽く走ってきたのよ」


 走ってきたという割には息一つ乱れていない様子のアンス王女。


 僕らのやりとりで目が覚めたのか、水色の瞳をこすりながら、身体をゆっくりと起こすラルム。続けざまに大きな犬耳をヒクつかせながらシフォンも目を覚ます。


 全員が起床したタイミングでリビングから声が聞こえてきた。


「朝食が出来ましたよ」


 ヴォルフさんの優しい声が響く。


 その声に従い、皆が食卓を囲む。

 アンス王女とシフォンは終始楽しげに笑顔を浮かべており、ラルムは瞳の色をコロコロ変えながらもご機嫌な様子だ。アイも僕の隣でこのあたたかな空気に触れている。


「寝床だけでなく、食事まで用意していただき、本当にありがとうございます」


 僕はヴォルフさんの方を向き頭を下げる。


「いえいえ、フィロスさん達は命の恩人ですから」


 そう言いながらギルドへの紹介状を書いてくれているヴォルフさん。


「これを受付で見せれば入会出来るのですか?」


 入会には何か手続きでもあるのだろうか?


「いえ、私にそこまでの影響力はありませんよ。昔の知り合いがギルドの窓口をやっているだけなので、ただ、紹介状があれば、少なくとも門前払いは受けないはずです」


 ヴォルフさんが丁寧な説明を口にする。


「ありがとうございます。試験のようなものがあるのですか?」


「そうですね、わりとアバウトな実力試しのようなものがあります。おそらく、貴方達ならばクリア出来ます」


 優しい笑顔とともにヴォルフさんがそう言った。


 * * *


 ヴォルフさんとシフォンの手を振る姿に大きな身振りで応えた僕達はギルドへ向かう道を歩きはじめていた。


「ひとまずはギルドの入会試験ですね」


 アイが淡々と口にする。


「実力試しってのも腕がなるわね!」


 あくまでも前向きに物事を捉えるアンス王女の姿勢がとても頼もしい。


「なるべく穏便な試験だといいのですが」


 僕がそう言うと、ラルムも静かに頷く。


 * * *


 歩くこと数時間、ギルドらしき巨大な建物が近くに見えはじめた。外見の煌びやかさや荘厳さではノイラートの宮殿には劣るものの、大きさや建物の歴史はこちらに軍配が上がりそうだ。それ程までに目の前に見える建物は巨大だ。


 威圧感のある石造りの扉に手をかけ、僕達は中へと入る。

 室内には様々な人の姿があった。筋骨隆々な大男や細身の剣士、それに踊り子らしき綺麗な女性。


 これ程までに統一感のない集まりを、僕は見たことがなかった。


 まずは、受け付けらしき窓口に向かい、ヴォルフさんから貰った紹介状を差し出す。


「あら、懐かしい男の筆跡ね」


 受付の女性が紹介状に書かれた字を読みながら、小さく呟いた。


「試験のようなものがあると聞いたのですが」


 僕は受け付けの女性に問いかける。


「まぁ、あいつの紹介なら性格に問題はなさそうね。後は実力かしら?」


 栗色の長い髪を耳にかけながら、受付嬢はそう言った。


「では、どのように示せばいいですか?」


「そうね、受けるのは全員で四人?」


 受付嬢は後ろの三人に視線を流しながらそう言った。


「はい、四人です」


 アイを僕の所有する魔道具として考えた場合、試験を受けるのは三人でもいいのだろうが、自然と僕の口からは四人という言葉が返されていた。


「では、二組にわかれて試験を行ないましょうか。好きにわかれて頂戴」


 受付嬢の言葉に従い、チーム分けを始める僕ら。とは言っても、初めから決まっているようなものだが。


「連携の都合上、僕とアイがペアになる他にないので、決まりですね」


「そうね、よろしくラルム!」


 アンス王女が差し出した手をおそるおそる握り返すラルム。


「そう言えば、自己紹介がまだだったわね。私の名前はミレア、見ての通り、ギルドで受付嬢をやっているわ」


「僕はフィロスと申します」


 僕の挨拶が終わり、他の三人も自己紹介を済ませた。


「では、私についてきて」


 ミレアさんはそう言って、僕達を別の部屋へと案内した。


 案内された部屋の中央にはリングが置かれている。形からみて、賭博場でみたファイトギャンブルの物と同一のリングだろう。


「見ての通り、このリング内で彼女と戦って貰うわ」


 そう言い放ったミレアさんの視線の先には、一人の女性の姿があった。全体的なシルエットが驚く程しなやかだ。黒豹を思わせるシャープな猫耳と、気まぐれに揺れる漆黒の細長い尾が視線を引き付ける。


「レオリよ、よろしく」


 見た目の印象に違わずクールで簡潔な自己紹介だった。


 僕達も挨拶を交わすと、ミレアさんが試合のルールを説明する。


 ルールの概要はこうだ。リング内には身体魔法師が入り試合を行なう。それをリング外から精神魔法師がサポートする形だ。ファイトギャンブルのルールとほぼ同じだが、原則として、致命傷を負わせる攻撃は禁止だ。もちろん武器の使用も認められていない。


「あの、そちらはレオリさんしかいませんが、もう一人は?」


 僕が疑問を口にすると、すぐさまミレアさんが応じた。


「私がサポートにまわるから大丈夫」


 自信の表れなのか不敵な笑みを浮かべるミレアさん。


「どっちから来る?」


 獲物を前にした肉食獣のような鋭い目つきで、レオリさんがそう言った。

 

「じゃあ、私達からいくわ!」


 挑戦的な声音でリング内へと入っていくアンス王女。ラルムもそれに合わせてリング外から臨戦態勢に入る。


 試合開始のゴングと同時にアンス王女の姿が掻き消えた。次の瞬間には鋭い蹴りがレオリさんの腹部めがけて繰り出されていた。しかし、レオリさんは冷静に軌道を読み取り、身体を反らして躱す。そして瞬時に態勢を整えてカウンターの拳をアンス王女に振り下ろす。が、不自然なタイミングでレオリさんの動きは停止した。おそらくはラルムの精神魔法だろう。


「ちっ、厄介ね」


 リング外のミレアさんが額から汗を流している。おそらくはラルムの精神魔法による、レオリさんへの妨害を最小限に抑えるのに必死なのだろう。対して、レオリさんの表情には余裕がある。

 おそらく戦況としては、サポート側はラルムが優っており、リング内での実力差はレオリさんが優勢に見える。


 その後も鋭い拳の応酬が繰り広げられている。アンス王女の動きも十分に鋭いが、レオリさんの速度がわずかに優っており、その差をラルムが埋める形で勝負は拮抗している。

 意識の同調を使いアイの視点から試合を見ることで、なんとか動きだけは追える状況だ。


「神経加速付与」


 ラルムが小さな声で、しかし力強く、聞き慣れない言葉を口にする。


 その言葉をきっかけに、明らかにアンス王女の動きが加速した。そして次の瞬間には、レオリさんがリングの床に伏していた。

 アイとの同調を以ってしても動きすら追えなかった……。それ程までにアンス王女の動きは速かった。


「強いね」


 リングの床から立ち上がった、レオリさんはアンス王女と握手を交わす。


「いえ、今のは全て彼女のおかげ」


 仲間の力を誇りながらも、自分の力不足を恥じる様な複雑な表情でアンス王女がつぶやく。


「いや、君も凄いよ。その若さで、部位別の身体強化を使いこなしているし、何より、精神魔法による神経加速についていけること自体が賞賛に値する」


 先程までは口数の少なかったレオリさんが少し興奮した様子で早口にそう言った。


「いやぁ、レオリ、面目無い。まさか、敵の妨害をしつつ、味方にブーストをかけられる程だったとはね。私には手に負えないよ」


 ミレアさんはあっけらかんとした態度でレオリさんに謝罪した。


「神の眼相手じゃ仕方がない」


 レオリさんが短く総括する。


「あ、あの、魔大陸では、この眼をそう呼ぶのですか……」

 

 ラルムが勇気を振り絞り、自らの瞳についての疑問を口にした。


「そうだよ、アリス様と同じ瞳だからね」


 リングを挟んで反対側にいるミレアさんが大声で返答してきた。


 魔大陸ではアリス・ステラは信仰の対象なのだろうか、ノイラートでは口にすることも憚られていたのに。


「そんなことより、もう一勝負」


 フラストレーションが溜まっているであろう、レオリさんが僕とアイの方を向き勝負しろと言っている。


 その言葉にのり、リング内へと入るアイ。

 試合開始のゴングが鳴り響く。


 レオリさんにとってはおそらく、軽いジャブなのだろうが、それを避けるのに必死な僕とアイ。敵の動きを読み切るまではアイの自動戦闘はあてには出来ない。

 僕がアイを操作している間は、勝機はないだろう。しかし、幸いなことに、アイの性質上、僕以外からの精神魔法による干渉は受けない。つまり、相手側からの妨害の心配はないのだ。

 

 こちらの勝利条件は、ひたすらに相手の攻撃を躱す、もしくは防ぎ、データを集めて、アイが自動戦闘に入った瞬間に僕がレオリさんの動きを妨害すれば良い。それに、先程のアンス王女達の戦いで既に大まかな情報は揃っている。


 僕のそんな思考の隙をつくかのように、ミレアさんが行動に出た。


「神経加速付与」


 しまった! アイへの精神魔法が効かない事を悟ったミレアさんが、レオリさんへのサポートにまわるのは自然な流れだ。

 明らかにレオリさんの動きが加速した。


「参りました」


 これ以上はいたずらにアイが傷つくだけだ。僕の実力不足が招いた結果である。

 ラルム程の力があれば、相手にサポートさせる暇も与えなかっただろう。


「君達の負けだ」


 レオリさんが勝敗を静かに告げる。


「そして、合格さ!」


 リングの対岸にいるミレアさんが勢い良く宣言した。


「え、なぜですか、僕達は負けましたよ?」


 完膚なきまでの敗北といえた。


「この試験の目的は実力試しさ、それに君の降参を告げるタイミングは、冷静に状況を把握出来ていたよ」


 ミレアさんは心なしか楽しげにそう語った。


「では、四人とも合格という事で良いのですか?」


 僕はおそるおそるミレアさんに尋ねる。


「もちろん、後でギルドカードを発行するわ。アンスとラルムはBランク相当ね。フィロスとアイはCランクかしら」


 その後はギルドにおける簡単なルール説明を受けた。

 ギルドには毎日依頼が舞い込むらしく、それを受けて、依頼を達成すると報奨金が支払われるとのことだ。

 依頼には難易度があり、それぞれをランクで分けているようだ。

 下から順に、E、D、C、B、A、AA、S、SSと別れており、ギルド会員にも同様のランク付けがされているので、自分のランク以上の依頼は受けることが出来ないという。

 魔大陸においては、ギルドにおけるランクが身分の高さを保証してくれているようで、使用できる施設にも影響が出るらしい。

 ランクはギルドへの貢献度、つまり依頼達成率などで変動するようだ。


 何はともあれ、これで、少しは安定した暮らしがおくれるだろう。


 さっそく、掲示板の前まで行って、数ある依頼の中から自分達に合ったものを見繕おうとするアンス王女。そわそわしながらも、頰は上気しており、ワクワク感を隠しきれていない。今はその姿が頼もしくもあり、年相応な少女のようにも見え、微笑ましくあった。かく言う僕も、この先の見えぬ展開に、少なくない期待を感じていた。

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