第28話『哲学の種』

 六畳一間の、小さな部屋の天井を見つめながら眠りについた僕は、宮殿内の私室にある豪奢なベッドで目を覚ます。視界いっぱいに広がる大きな天井は、あちらの世界との差を、ジワジワと感じさせる。


 さて、今日はアンス王女との久しぶりの授業だ。気合いを入れて望もう。そんな心持ちで、手早く身支度を済ませた。


 僕の部屋からアンス王女の部屋までには、長い廊下が続いている。この廊下のひんやりとした空気が好きだ。壁に飾られた、よくわからない肖像画達は少々不気味ではあるが、その光景にも慣れてきた。


 今日はどんな内容の哲学を話そうか、そのことについて考えを巡らせている内に、アンス王女の部屋の前へと辿りついた。


「お待たせしました。フィロスです。入ってもよろしいでしょうか」


 扉をノックし、僕がそう言うと、ガチャ、というドアノブが回る音とともに、扉が開いた。

 そこには、予期せぬ意外な人物達がいた。


「よう! 遅かったなフィロス!」


 扉が開き、僕のすぐ正面には、ハツラツとした表情で勢いよく挨拶をする、リザがいた。それに、ラルム、ニック、サミュエルさんといった、七十二期生全員の姿もあった。


「あれ、なんで、アンス王女の部屋にみんながいるんだい?」


 僕は不思議に思い、皆に問いかけた。


「えっと? なんでだっけ? サミュエル、説明してくれ」


 説明を丸投げするニック。まぁ、僕としても、サミュエルさんの説明の方がわかりやすいので、ありがたい。


「合宿最中に、君がアンス王女に新しい学問を教えているという話になったのは覚えているかい?」


 サミュエルさんが僕に問いかける。今日もカッチリとした七三分けが仕上がっている。


「確か、夕飯の時にしたよね」


 みんなの普段の生活スタイルを話し合っている時に、口にした覚えがある。


「そうそう、リザさんがその話を覚えていて、全員で見学に行きたいと言ってね。皆の予定が合ったのが今日だったわけさ」


 サミュエルさんがわかりやすく、状況を説明してくれた。


「なるほど、よく宮殿内に入れたね?」


 僕がそう言うと、隅の方で小さくなっていたラルムがこう言った。


「師匠に頼んだ……」


 なるほど、バールさんか、それなら納得だ。


「僕は良いですが、アンス王女はよろしいのですか?」


 部屋の主である、アンス王女の意見が最優先だろう。


「仕方ないわね。たまには、同世代と机を並べるのも悪くはないかもね」


 あくまでも澄ました顔でそう言うアンス王女だったが、頬の染まり具合から、ワクワク感を隠し切れていなかった。


 以前にバールさんから聞いた話では、王族であり、類稀なる魔法師としての才能も兼ね備えているアンス王女には、同世代の友人がほとんどいないという。彼ら彼女らに宮殿内の出入りを許可したのは、バールさんのある種、親心のようなものかも知れない。


「よし! じゃあ、早速教えてくれよ!」


 リザが勢いよく言った。


「その前に、アンス王女へ自己紹介をさせてもらいたい」


 背筋を伸ばしながら、前へ出るサミュエルさん。


「サミュエル・ホワイトです。この度は、急に押しかける形になってしまったにも関わらず、その寛大なお心遣いにより、授業に同席させて頂けるとは、とても光栄です」


 ピンっと伸ばした背筋と緊張の面持ちで、アンス王女へと話しかけるサミュエルさん。


「そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。それにホワイト家には、私達王族もお世話になっているもの」


 アンス王女が微笑を浮かべながら話す。アンス王女の久しぶりに王女らしい姿を見た気がする。


 確か、サミュエルさんの家系は代々、王都の治安維持に尽力している家系だったと、合宿の際に聞いた覚えがある。


「俺はニックです! えーと、十四歳で、その、フィロスとは同期です!」


 ニックが要領を得ない自己紹介をするが、それを優しい笑顔でアンス王女が聞いている。


「フィロスから話は聞いているわ、王都の内戦鎮圧では、とても活躍したそうね。ありがとう。貴方の活躍もあり、今のノイラートはあるわ」


 王女からの感謝の言葉に、大変感動した様子の二人。サミュエルさんなど、感動のあまり、瞳が潤んできている。


 こうしてアンス王女の言葉を聞いていると、バールさん相手に顔を真っ赤にしている人とは別人のように思える。


「えぇっと、リザとラルムはこの前の時に紹介は済んでいるから、そろそろ授業に入るよ?」


 僕がみんなに問いかける。


「いつでもこい!」


 リザの威勢の良い返事に、皆も頷きでこたえる。


「じゃあ、軽い問いから入ろうかな。人間とその他の動物との一番の違いはなんだと思いますか?」


 僕が全体へと問いかける。

 アンス王女が答えたそうにウズウズした様子で肩を震わせているが、みんなの為に我慢しているようだ。


 最初に手を挙げたのはリザだった。


「頭の良さとかか?」


 リザがざっくりしつつも、的を得た発言をする。


「そうだね。つまり、考える力だ。大抵の動物は、遺伝子の情報に従って、刷り込まれた決まりごとをこなし、只々生きていればいいのに対して、人間はそうじゃない」


 僕がそう言うと、サミュエルさんが口を開いた。


「この複雑化した人間社会では、生物としての本能だけでは生きていけないからね」


 流石は最年長のサミュエルさん。飲み込みがはやい。


「その通りです。僕達人間は、日常生活や仕事の上でも常に、色々なことを考えなければならない」


 僕の言葉に今度はニックが反応した。


「確かに、狩りに出かけて、飯食って寝るみたいなわけにはいかないもんなー」


 実にニックらしい表現だ。


「僕達は、新しい状況にぶつかった時に、どうしたらよいかを考えなければいけない。つまり人間は考え続けなければいけない生き物なんだよ」

 

 僕の言葉に静かに頷くラルム。


「変化に対応するため……」


 僕の言いたかったことを簡潔に述べたラルム。わかってはいたが、やはり、ラルムは相当に賢い。


「人間がぶつかる難問には様々な種類がある。『死』や『人生』、『生きがい』や『世界』など、考えだせばきりがない。そんな永遠の疑問に対しての手引きをしてくれるのが哲学だと思って欲しい」


 ざっくりとした説明ではあるが、これが僕なりに伝えられる哲学の形なのだろう。


「つまり、目一杯考えろってことだろ?」


 リザが自分なりに噛み砕いた言葉を口にした。


 哲学の捉え方は人それぞれだが、その全てにおいて、考え抜くという行為が必要なのは間違いないだろう。



 その後は、無知の知などの哲学を代表する有名どころの説明を軽く行なった。

 そこでニックが思いがけず良い事を言った。


「こういう知識がまとまった本とか売ってれば良いのにな」


「確かに、教科書のような物があれば、効率よく学べそうだね」


 ニックの意見に同意を示すサミュエルさん。


「じゃあフィロスが書けば解決だな!」


 リザが楽しそうに、勢いよく言った。


「確かにそれは名案ね」


 深く頷きながら、アンス王女も流れにのった。


「でも、手書きで本を書くとなると直ぐには作れませんよ」


 少なくとも、ノイラートで見かけた本の大半は手書きの物だったはずだ。自ずと本の値段も上がるわけだ。


「じゃあ、俺と一緒にヴェルメリオにこいよ! 俺の国には、精神魔法で動かせる魔導具があるからよ! その中には、字を高速で書く物もあったはずだ」


 なるほど、ヴェルメリオ王国は、海を挟んだ隣に魔大陸がある。アリス・ステラの残した魔導具などが手に入りやすいわけだ。


「そんなのダメよ! フィロスには私との授業があるのだから」


 アンス王女が頬を染めつつ抗議している。


「なんだよ、フィロスの本が読みたくねーのか?」


 リザが腕を組み、徹底交戦の構えで勢いよくまくしたてた。


「それは、うぅ……。じゃ、じゃあ、私も行く!」


 顔を真っ赤にして、アンス王女が言った。


「それはダメよアンス」


 その声は突如として現れた。何もない空間から声だけが届いたのだ。みんなも状況が理解出来ていないようで、驚きの表情を浮かべている。ニックなど、椅子から転げ落ちている。


 そんな中、ラルムとアンス王女だけは状況を理解しているように見えた。


「お母様、いつからいたのですか?」


 アンス王女が、何もない空間に喋りかけた。するとその空間に、まるで、最初からいたかのような佇まいで、絶世の美女が立っていた。


「フィロス君がこの部屋に入るタイミングに一緒に入ったわよ? そこの瞳の綺麗な女の子は最初から気づいていたようだけれどね」


 そう言って、謎の美女が、その翡翠色の瞳で、ラルムの方にウィンクした。


「お母様、普通に入ってきて下さい。なぜ、認識阻害の魔法を使う必要があるのですか?」


 アンス王女がふくれっ面で言う。


「普通に登場しても楽しくないでしょ? あっ、自己紹介がまだだったわね。私は一応、ノイラート王国の王妃をやってます、フローラ・ノイラートです」


 無邪気な笑顔の中にも、可憐さを感じさせる女性だった。なるほど、アンス王女の髪と瞳の色は、母親譲りだったのか。


 フローラ王妃の自己紹介が終わり、その場の面子がそれぞれ挨拶を行なった。愛国心の強いサミュエルさんは、感動し過ぎて、滝のように涙を流していた……。


「それにしても、フィロス君の語った哲学という学問は面白いわね。アンスが首ったけになるのも納得ね!」


「お母様! 余計なことは言わないで!」


 そう言って、真っ赤な頬に、更に赤色を重ねるアンス王女。


「アンスったら、私が他国に挨拶回りをしてる間も、手紙に書いてくることと言えば『今日はフィロスとどこへ行った』『フィロスの試験が心配だ』とかフィロス君のことばかりだったじゃない?」


 フローラ王妃の言葉に、真っ赤な顔が爆発したアンス王女。完全に動きが止まってしまった。


 そんな中、扉を開け、バールさんが入ってきた。


「やり過ぎですぞ、フローラ王妃」


 苦笑しながら、王妃をたしなめるバールさん。


「いやぁ、楽しかった! フィロス君、これからも娘をよろしくね! あ、あとヴェルメリオの件だけれど、授業のことは気にせず、行ってきていいわよ。私がノイラートにいる時間は短いから、せめてその間は、親として、しっかり教育したいしね。私がいる間は、この子に自由な時間はないのよ」


 可憐な笑顔を咲かせ、フローラ王妃は楽しそうに言った。そして、すぐに、嵐のような勢いで部屋を後にした。



 フローラ王妃の勢いに押され、何が何だかわからない状況だが、僕のヴェルメリオ王国行きは決まったようだ。


 確かに、この世界で哲学書を形にする事が出来れば、アンス王女との授業がよりスムーズになることは勿論、他の様々な人達にも、哲学を広めることすら、夢ではないかも知れない。


 夢の中の夢とは、これもまた哲学的かも知れない。

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