第25話『焦燥』
馬を走らせ、三十分程がたっただろうか。右隣に並走するラルムの顔色が優れないようだった。精神魔法で馬を手懐けている為、彼女は常にフードを脱いだ状態でいる。慣れない状況に精神が疲弊しているのだろう。
「大丈夫かい?」
僕がラルムに問いかける。
「大丈夫、少し疲れただけ……」
額に薄っすらと汗を浮かべながらも、気丈に振る舞おうとするラルム。
「あと十分もすれば、王都にたどり着く。町中が戦場と考えておけ。場合によっては、部隊を分けて、宮殿に向かってもらうことも有り得る」
ルナ教官が今後の方針を示した。全員が返事をすると共に、精神を整える。
「王都の正面入り口は、敵兵によって塞がれています」
王都付近の大きな木々に隠れ、サミュエルさんが強化された視力で敵を視認した。
「やはりか、裏の通路口から入るしかないな。皆、私について来い」
ルナ教官の指示に従い、馬を降りて進む。
「この岩の下に隠し通路が存在する」
ルナ教官が、大きな岩の前で立ち止まり、静かに言った。
「どけりゃあいいのか?」
なんて事はないかのように、巨大な岩に手を添えるリザ。
「勢い余って、割らないでくれよ?」
ルナ教官がリザに注意する。
「よいしょっと」
まるで、テレビでも動かすような気軽な調子で、巨大な岩を持ち上げるリザ。
岩の下から現れたのは、人一人が通れるかどうかの小さな穴だった。どうやら、中は階段状になっているようだ。
「これは、窮屈ですね」
別段大柄というわけではないが、この中で一番身体の大きなサミュエルさんが、顔をしかめながら言った。
「おいおい、嫌味かよ、フィロスが可哀想だろ?」
おどけた調子でニックが言った。
「別に気にしてはいませんが、僕はまだ、第二次性徴期をむかえていないだけです」
べ、別に、この身体は多少、いや、ほんのわずかに、小柄ではあるが、それはこちら側での話だ。だから、別に気にしてなどいない。
「おいおい、熱くなんなよ。人としての器はフィロスの方が大きいぜ?」
そう言って、謎のカバーをいれるリザ。
「おっ! 風の通る音が聞こえる!」
ニックの耳が、出口から入ってくる、隙間風の音を拾ったようだ。
「出口が近いぞ、無駄話はやめて、気を引きしめろ」
ルナ教官が、緩みかけた空気を一気に引き締める。
「外に人の物音はするかい?」
サミュエルさんが、ニックに問いかける。
「いや、近くにはいないな」
真剣な表情で耳をすますニック。
「この上は、路地裏へと繋がっている。まずは地上に上がってから、人気のない建物を探そう。一旦そこで、戦況の把握を行う」
ルナ教官が声のトーンを下げ説明した。
「そうと決まれば、物音がしない今がチャンスだな」
リザはそう言って、外に繋がる穴を一番のりで潜り抜けた。皆もその勢いに続き、外へと身を乗り出す。
昼間だというのに、この路地裏には日が射していない。建物の間隔が狭く、完全に日陰となっている。
「ここからは戦場だ。わかっているとは思うが、警戒を怠るなよ」
ルナ教官が、一人一人の表情を確認している。皆もそれに、無言で頷く。
「まずは安全性の高い場所の確保ですね」
僕がそうつぶやくと、ルナ教官がサミュエルさんに問いかけた。
「サミュエル、左側前方の小屋はどうだ? 人の気配はありそうか?」
「いえ、外から見える範囲には、人の痕跡は見受けられないです」
サミュエルさんが、慎重に目を凝らし、返事をした。
「人の存在する色も見えない……」
人がいないことをラルムが静かに補足した。
「では、あの小屋で決まりだ」
ルナ教官の決定に、皆が静かに従い、無人だった小屋の中へと入る。路地裏の中でも特に日の届かない、身を隠すにはうってつけの場所だ。
「まずは、情報収集ですね」
悠長なことを言っている場合ではないが、兎にも角にも今は情報が必要だ。
「情報収集なら俺にまかせろ!」
自信ありげな表情で胸を張りながら、ニックが言った。
「何か策があるのか?」
ルナ教官がニックに問いかける。
「この耳で、敵の話を盗聴します」
ニックが自信満々に言った。
「ニックにしては、マシな作戦だな!」
リザからしてみれば、これも称賛の部類なのだろう。
「では、私が盗聴する敵兵を探し、ニックがその相手に盗聴を仕掛けるという流れでいこう」
サミュエルさんが、理知的な流れで提案をした。
「よし、では、情報収集は二人に任せよう。くれぐれも細心の注意を払いつつ、行ってくれ」
ルナ教官が、ニックとサミュエルさんに情報収集を一任した。
二人が偵察に出てから十分程がたった。その間、ラルムはフードを被り、精神を休ませていた。
「少し顔色が良くなってきたね」
僕がフードの中の顔を覗くと、びっくりした様子で、フードを目深に被り直すラルム。
「いきなりはびっくりする……」
小さな声で意思表示をするラルム。もう何度も顔は見ているのに、それとこれとは別のようだ。
「ごめん、ごめん、気をつけるよ」
軽く頭を下げる僕。
「いや、いいの。それより、フィロス君の色が不安定……」
ラルムですら、僕の精神は読みにくい方なのだが、それが筒抜けということは、僕は相当に動揺しているのだろう。今は休まねばならない時間なのに、アンス王女が気がかりで、先ほどから気持ちが落ち着かないのだ。
「フィロス、考えるのはいいが、考えても変わんねーことは考えんな! 疲れるぞ」
リザがキッパリと言い切る。彼女はいつもシンプルで、それ故に一つの答えを常に持っている。今は、そんな彼女を見習おう。
「ありがとうリザ、その通りだね」
悩むのはやめよう。しっかりと考えるのだ。この先に役立つことを。
僕が心の整理をしたところで、ニックとサミュエルさんが帰ってきた。見た所、二人の表情は硬い。
「なんかわかったか?」
リザが単刀直入に聞く。
「あぁ、サミュエル、説明頼む」
ニックがサミュエルさんに言った。
「手に入った情報は二つある。一つ目は、激しい戦闘が行われているのは、ここから二キロ程先の貴族達が暮らす住宅街だ。二つ目は、敵の目的はアンス王女のようだった」
二つ目の情報は僕にとっての最悪の報せだった。心臓が早鐘を打つ。
「アンス王女の安否はわかりましたか?」
早口気味に僕が問いかける。
「敵の口ぶりからするに、アンス王女は前線には出てきていないようだ。しかし、強力な魔法師を宮殿に向かわせていると言っていた」
深刻な面持ちでサミュエルさんが言った。
ということは、王女は宮殿にいるはずだ。バールさんがなんとか、踏み止まらせたのだろう。
「どの道、貴族街も宮殿の方角にある。まずはそちらに向かい、そこで二手に分かれよう」
ルナ教官が険しい表情で言った。
「馬はもういないですが、移動手段は?」
僕がそう言うと、リザが僕とラルムの方へ近づいてきた。
「こうすりゃ解決だ!」
そう言って、両脇に僕とラルムを抱えるリザ。
十五歳の少女に抱えられながら移動する様は、あまり考えたくはないものだ……。しかし、今は格好など気にしている場合ではない。
「流石に二人抱えての移動はしんどくないか?」
ニックがリザに問いかける。
「いや、こいつら二人よりも、背中の大剣の方が何倍も重いぜ」
犬歯を見せながら笑い、無邪気にそう言うリザ。
「では、手が塞がっているリザを守りつつ、まずは、貴族街へと向かおう」
ルナ教官の指示で、僕達は古びた小屋を後にした。
路地裏を出た瞬間、日の光が降り注ぎ、今が昼間だったことを思い出す。
それにしても、人、二人を抱えているとは思えない程に、リザの動きは俊敏だ。
「リザ、スピードを落とすか?」
教官がリザを気づかい問いかけた。
「冗談だろ? 今の倍はいけるぜ!」
そう言って、さらに加速するリザ。
「おい、待ってくれよ」
ニックが慌てて追いかける。
「先行するな、スピードを合わせろ」
教官も慌てて、指示を出す。
隣で抱えられているラルムは、あまりの速度感に顔を引きつらせていた。
そんなやり取りも束の間、貴族街の豪奢な正門が姿を見せた。
「正門にはノイラートの魔法師がいるみたいだ。きっと、入り口の守りは奪い返したのだろう」
サミュエルさんが報告をする。
「よし、では正門から入るとしよう」
ルナ教官の背に続き、街の中へと入る。
「国家魔法師団、第三部隊所属、副隊長のルナ・アスールだ。現段階での戦況を教えて欲しい」
ルナ教官が門兵の一人に問いかけた。
その門兵の話によれば、貴族街での戦いはこちら側がやや劣勢のようだ。しかし、ここさえ乗り切れば、貴族街の最奥地にある宮殿へと向かった敵も逃さずに済むようだ。だが、ここで問題なのは、宮殿の現在の状況だ。宮殿の方にも増援をおくってはいるが、連絡を取る為の魔法師が帰ってこないそうだ。
断続的に響き渡る金属音が僕の不安を煽る。
「ルナ教官、僕とリザは宮殿の援護に向かってもよろしいでしょうか?」
居ても立っても居られない状況だ。今すぐに飛び出したかったが、僕一人では、戦場を潜り抜け、宮殿に辿りつくのには無理がある……。
「よし、わかった。フィロスとリザは宮殿へとむかえ。我々残りの四人はこの場の戦いに加勢する」
ルナ教官が真っ直ぐな瞳でそう言った。
「ありがとうございます。リザ、最速で頼む!」
僕がそう言うと、リザは僕を左腕に抱えて、猛烈なダッシュをした。
景色が次から次へと、後ろへと流れていく。僕達はいま、一筋の弾丸となっていた。
度々、襲ってくる敵兵の攻撃も、一切かすりはしない。リザは斬撃など関係ないと言わんばかりに速度を上げ、最短距離で戦場を駆け抜ける。
ものの数分で僕達は、宮殿の前へと辿りついていた。そして、そこには多くの死体に囲まれながらも、傷一つない、一人の男が立っていた。
考えられる限り最悪の相手だろう。プラチナブロンドの美しい髪には、返り血一つ付いていない。その実力が、ノイラート最強の騎士、エオン・アルジャンの実力を物語っていた。
「エオンさん……」
僕がそうつぶやくと、最強の騎士は、試験のあの日と同じ笑顔で笑ってみせた。
「すまないね、フィロス君。君をこの先に通すわけには行かない。お願いだから、じっとしていてくれないか?」
これだけの死体を積み重ねておいて、無益な殺生はしたくないとでも言うのだろうか。王国最強の騎士が敵側に寝返るなど、誰が予想出来ただろう。
「フィロス、気にすんな。お前は今すぐに宮殿へ向かえ。正直俺はウズウズしてるぜ? 物語で読んできた、伝説と戦えるんだからよ!」
そう言って、背の大剣を引き抜き、炎を纏った切っ先を伝説の男へと向ける。
僕が一歩踏み出した直後、眼前には、細身の剣を引き抜いたエオンさんと、それを止め、鍔迫り合いをするリザがいた。
「いけ! フィロス!」
切羽詰まった表情でリザが叫んだ。
「困りましたね、流石の私も、煉獄姫を相手に、フィロス君を気にかける余裕はありませんね」
これは本心なのだろうか。僕には明らかに、見逃してくれているようにしか見えないが。だが、そんなことを気にしている余裕はない。後ろの金属音を背に、僕は宮殿の扉に手をかけた。
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