第115話 異文化交流の基礎(下)

 俺のやることを驚きの目で見つめていた子どもたちだったが、コップを渡してみても興味深そうに眺めるだけで口をつけようとはしなかった。

 ……当たり前か。

 率先して味見をしてみるかと、自分のコップをとろうとしたところで動いたのはフヨウだった。


「これはおもしろい味だな。もう少し冷たかったらというのは贅沢か」


 どうやら、小さい子の扱いに長けたフヨウは味見の役割を引き受けてくれたようだ。

 メイリアと一緒にフヨウに続く。

 ああ、さっき味見したときは甘いなと思ったが、不思議とこうしてスムージーにしてみるとさっぱりした軽めの味になるな。

 食感はそれに比して濃厚だが、決して悪くはない。

 フヨウの言う通りもう少し冷たくても良いだろう。

 繊維が残っているという感じもないので、どうやら攪拌もうまくいったらしい。

 しかし、生物の水だけ運動させる魔術ってかなり怖いのでは? という疑問が湧かないでもない。この件についてはこのさっぱりドリンクで洗い流しておくことにする。

 メイリアの表情を見るに、彼女の感想も悪くないのだろう。


 スムージーは人数分用意してある。

 当然子どもたちの前にもコップがあり、それを興味深げに眺めていた彼らの目を見ながら、もう一度『飲む』というジェスチャーをしてみせる。


 それを見て、後ろにいた女の子がコップを取ろうとしたのを前の年長の子が止めた。

 いわゆる、「知らない人から食べ物もらったらダメだって言われてるだろ」ってやつか? なら仕方がないか、とそう思っていると、その年長者の子自身がコップを手に取った。

 中身を注視する少年。

 何か意を決したのか一気にあおるように口にする。

 あー、そんな飲み方したら……。

 わりと粘性の高いスムージーを一気飲みしたため、案の定むせてしまった。

 後ろの子どもたちが心配そうにそれを眺めている。

 年少の男の子が、彼の背中を撫でて介抱しはじめた。なんか、すまん……。

 今度はコップに水でも用意するかと考えていたところで、突然少年が頭を起こした。


「!&%##%!?」


 びっくりした。

 それくらいの勢いで何かを喋っている。


「*+!$#バイネ!」


 ほとんど何を言っているのか聞き取れないのだが、そのバイネという単語だけは耳に残った。

 少年の勢いに、後ろの子たちも反応する。

 なにやら「バイネ?」「バイネ」と単語を繰り返していた。


「どうやら気に入ったみたいだぞ」


 子どものことにも、感情を読み取ることにも長けたフヨウの太鼓判をもらった。

 たしかに残った二人も、先ほどよりずっと強い視線でこちらの用意したコップを見ている。


「君たちのだ。良かったらどうぞ」


 通じないとは思うが、少なくとも話をしようという意思は伝わるはずだ。

 人のコミュニケーションは単語を知っているかどうかだけじゃない。


 すぐにそれを受け取って口をつけるふたり。

 勢いよくごくごく飲む女の子とちびちび舐めるように口にする男の子。

 飲み方にも個性が出るな。

 二人とも、すぐにコップを離さない以上、感想は悪くなさそうだ。


 さっさと飲み終わった年長の子と女の子がもう一人の様子を恨めしそうに見ている。

 どうやら気に入ってもらえたようだ。

 それに、このあたりで一般的な調理法ではなさそうだということがわかったのも収穫だったな。

 今はそれなりにまとまったお金があるが、なんらかの理由で金銭が必要になったときはこれを売ることも考えてみよう。

 とにかく仕入れ値が安いのが良い。

 みんな飲み終わったのを確認して一つ次のコミュニケーションを試して見よう。


「バイネ?」


 予想があっていればこれは美味しいという意味の単語のはず。

 そして疑問形は語尾をあげる。

 俺の言葉に三人は顔を見合わせるとそろって、


「「「バイネ」」」


 と満面の笑みで答えた。

 この大陸に来て、何度か人と言葉を交わした。

 その度に、伝えたいことが伝えられた時の喜び、というものを感じる。

 そして、相手から笑顔を引き出せたというのはとても誇らしいことなのだと実感させられた。


 ずっと炎天下にいると熱いので、魔術で作った屋根を拡張して子どもたちを招き入れる。

 彼らはその様子をずっと興味深そうに見ていた。

 ただ、そこまで驚くという様子はない。

 マナの少ないこの地だが、独自に魔術を行使する人がいたりするのだろうか?


 そして落ち着くと始まるのが質問タイムだ。

 スムージーは彼らとの距離を縮めるのに随分と役に立ったらしい。

 どんどん遠慮なく質問が来る。

 当然、言葉の意味はわからないのだが……。


 それでもこちらにはフヨウがいる。

 彼女は子どもの相手も気持ちを推し量るのも得意だ。

 単語の意味を類推し、彼らのテンポにうまく合わせて答えを伝えていく。

 フヨウほどではないがアリスたちの相手で鍛えたメイリアもそういったことはそつなくこなしていた。


 このもどかしい会話はこちらにも益があった。

 出発前に準備していた対語表の範囲を大きく超えて語彙を増やすことに成功したのだ。

 『海』、『大陸(大地)』、『旅』、そして『ありがとう(感謝)』を意味する言葉。

 これは、おそらく外語教育の中でも最も優先すべきものだ。


 一通り質問攻めにあった後、しばらく日陰でゆっくりしていた彼らだったが、何かを思い出したようにそわそわしはじめた。

 おおかた、あまり外遊びをしていると親御さんに叱られるとかだろう。

 この国の法律がどうかは知らないが、未成年略取を行うつもりはない。

 帰ろうというのなら邪魔をするつもりもない。


 そんな彼らは三人で並ぶと両手を胸の前でクロスさせるようなポーズで、


「ユルウラーサ」


と、そんな風に聞こえる挨拶をした。

 最初は別れの挨拶かと思ったのだが、フヨウによるとどうやら違うらしい。

 確かに、港や市でうけた挨拶とは異なる。

 それを、俺は真似してみせた。

 王国式の礼と迷ったのだが……。


「……?」


 子どもたちは納得がいかない様子。

 あれかな、年齢とか性別で挨拶が変わるとか。

 お互いに困惑した空気がしばらく流れた後、年少の男の子が前に出て俺の左手を持った。

 握手、というわけではなく何かを伝えたいようだ。

 されるがままになっているとどうにかその手を右肩に当てるように持っていく。

 そして、


「エルート」


 と一言呟いた。


「エルート?」


 そう聞き返すと、にっこり笑顔を見せてくる。

 どうやらこれが俺側の挨拶らしい。


 しばらく三人で何かを話していたが、残りの二人がフヨウ達にも挨拶の方法を伝え始める。

 両こぶしをお腹の前で突き合わせるようなポーズ。

 俺のものとは異なるので恐らく女性系なのだろう。

 なかなか多様な種類があるようだ。

 挨拶の言葉は変わらないらしい。


「「「ユルウラーサ」」」


 あらためて三人が並び直して言う。

 今度はどう返せば良いかわかるな。


「「「エルート」」」


 今度は満足いただけた様だ。

 三人で満面の笑みを浮かべると、大きく手を振って集落の方へと戻っていった。

 さよならを伝えるとき、手を振るのはこの大陸でも同じなんだな。





しばらく感慨に耽って彼らの後ろ姿を眺める。

昼食を取り忘れていたことに気が付くのはもうしばらく後のことだ。

 幸いと言っていいのかわからないが、遠火に調整されていた魚は焦げたりはしていなかった。

 ただ、完全に食べ時は逸していたと思う。

 脂が落ち切ってしまい、幾分こけこけした食感になってしまっていたことだけが残念だった。

 魚よ、そして顔を知らぬ漁師さんに市場のおばちゃん……、ごめんなさい。


 それでも、久しぶりの保存食材以外の食事。

 フヨウの料理はうなるほど美味く、今後の旅に期待を持つことができた。

 旅先の食事は大切なのだ。


 翌日いっぱいこの集落周辺で情報収集を行ったが、残念ながら通訳ができる人材は見つからなかった。

 おかげで、というわけではないがジェスチャーと片言の単語でコミュニケーションをとるのにはだいぶ慣れたと思う。


 この調査で判明したのは、やはりこの地域は河川中心に繁栄しており、大概の旅人は東から現れるらしいということだ。

 つまり、東のことを知らない俺たちはかなり珍しい存在なのだと思う。

 大陸語については港の住人が存在自体は把握しており、しきりに東の方向を指して話していたので、俺たちが海流をつっきってギタンより西に来たという推測は正解のようだ。

 即席の翻訳が正しいのなら、ギタンへの船旅は一週間程度。

 陸沿いに移動するので海流の影響はそこまで大きくないと思う。

 ざっくり計算しても千キロメートルを超えたりはしないだろう。

 この船なら数日で到着できる目算になる。

 こうして、最低限知りたかったことを把握した俺たちはまた船旅へと戻る。

 すっかりハマってしまったこの地の食材、スパイス、果実をたんまり買い込んで。

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