第31話 瞳に映るもの。





 シリカは警戒心を剥き出しにしながらも、自分の見たままを包み隠さずに話した。空虚な次元の裂け目ギンヌンガ・ガップを連想させる空間の裂け目が、天から舞い降りて天界の全てを喰らってしまったのだと──。


 幼い顔立ちを恐怖に引き攣らせ、時にぶるりと身を震わせるシリカ。突如として天界を襲ったその無慈悲な現象に、畏れを覚えるのも無理からぬことであろう。もしも彼女が天界に属する神であったならば、一緒くたになって虚無の彼方へと葬り去られていたに違いないのだ。


「天界が呑まれた、か……。にわかには信じ難いが、あながち嘘というわけでもなさそうだ」

「ええ、大変興味深い話ですわね」


 ユグドラシルの内包するこの世界──、わば神界が、暴力的なまでの力によって創り変えられた。だとすればそれは一体どんな理屈で、果たして何のためだというのか。あれこれと思考を巡らすライラに、ウィヌシュカが言う。


「まあ良いさ。ギュゲスを墜としたその後で、この目で確かめればいい」

「あらあら、頼もしいお言葉ですこと」

「その空間の裂け目とやらに、私たちまで呑み込まれたら笑えるがな」


 背筋も凍るようなウィヌシュカの冗談に、ライラは肩を竦ませて応じた。憚ることを知らない二人の会話に、シリカが慌てて口を挟む。


「ちょっと待って! キミたちが何者なのか知らないけど、ギュゲス様に危害を加えるつもりなら、この僕が相手になるぞ」

「──なるほど、お前が属するのは精霊界か」


 灰色の外套の奥で、ウィヌシュカの紅い瞳が怪しく光る。ギュゲスの居場所への案内役として、この上なく適任な相手に巡り合ったのだ。


「うっ、そうだけど、そうだとしたら何だよ……」

「このライラが、心優しいシリカさんに深甚しんじんなる感謝を申し上げますわ」


 突如として降って湧いた幸運に、ライラは口元を吊り上げた。嫋やかな動作でシリカの前に跪き、感謝の言葉を恭しく述べる。その微笑みには有無を言わせぬ迫力があり、シリカは最早もはや首を縦に振るしかなかった。


 詳細を語らない無言の圧力こそが、この場面において最良の交渉術である。瞬時にしてそう見極めたライラが、一滴の血も流すことなく勝利を収めたのだ。ウィヌシュカの無鉄砲な行動が、まさかこのような形で実を結ぶとは不思議なものである。


 敗北の屈辱に頬を紅潮させるシリカの口からは、「絶対にいつか病気にしてやる」という言葉が呪詛のように繰り返された。しかし幾千の修羅場を潜った二人の女神を前に、シリカのそれは何の脅し文句にもならない。


「さあ、先を急ごう」


 ウィヌシュカは左の肩に、まるで風見鶏のようにシリカを乗せて言った。シリカがちらと後ろを見れば、死神の大鎌デスサイズの鋭い刃が触れてしまいそうな距離にある。少しも生きた心地がしない場所だ。


 女神たちの幸運は、瘴気を司る神シリカにしてみればとんだ災難でしかなかった。足を速めるウィヌシュカから振り落とされないよう、彼女は灰色の外套越しにウィヌシュカの頭にぎゅっとしがみつく。


 そしていかにも不服そうな顔で、女神たちが進むべき方角を無言のままに指し示すのだった。





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 ウィヌシュカとライラが精霊界に赴いたその一方で、あなぐらに残ったクロードは着々といくさの準備を進めていた。この世界ヘルヘイムにおいては新参者のクロードであったが、創世神リーヴであるライラが絶大な信頼を置く参謀として、持ち前のカリスマ性を遺憾なく発揮していたのである。


「いいか? 絶対に遠慮すんなよ。先輩とか後輩とか関係ねーから、必ず自分が一番得意とする獲物を選ぶんだ」


 クロードは声を張り上げながら、隊列を組ませた選民たちに武器を選ばせた。無論それは、魔銀製の武器だ。


 ある者は剣を、ある者は槍を、またある者は斧を──。実際に手に取り、持ち上げては振って、馴染みのある武器や扱いやすい武器を選んでいく。


「その武器を、お前たちの命の次に大事な物としな。大切に扱うんだぞ。竜人たちがおびただしい量の血を流して鋳造したってことを、絶対に忘れるんじゃねー」


 血塗られた武器を利用して、女神たちは聖戦に挑む。その血塗られた武器の中の一つが、天界の主神コットスを確かに討ったのだ。多少の計算違いはあったが、


 腰元にいた片手剣クレイモアの柄を握り、クロードは言う。


「よっしゃ、次は順番に斬りかかってこい。見込みのある奴が部隊長だ。即席の部隊とはいえ、権力は権力だぜ? さあ、あたしを殺す気で来な」


 ざわざわと戸惑いの声が上がる中で、腕に覚えのある者はすでに屈伸や跳躍を始めていた。各国を滅ぼして回る道中で、あのライラが口説き落とした者たちなのだから、決して烏合の衆というわけではないはずだ。


 強い信念や気高い理想、その裏側にある綻びにつけ込んで、新世界ヘルヘイムは勢力を拡大してきたのだから。


 勇ましい掛け声と共に降りかかる無数のやいばを、涼しい顔をして潜り抜けながら、クロードはぼんやりと夢想した。神々への謀反ラグナロクにも似たこの戦いの果てに、覇者として世界を導くであろう自分の姿を。


 クロードの七色の瞳オッドアイは、全てを見透かすようにして未来だけを見ていた。信頼や友愛といった幻想のたぐいは、時に彼女の最大のつるぎとなるのだ。




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