第29話 死の女神、その自壊と自浄。





「愛しき選民たちよ。忌まわしき邪神、かのコットスが地に堕ちました。我らの積年の願いが、大きな希望を勝ち取ったのです」


 壇上のライラが高らかに言い渡すと、二万を越える選民たちが歓喜に沸いた。ある者は笑い、ある者は泣き、互いに抱きしめ合っては──、昂ぶりを抑えられずにまた狂乱する。


 あなぐらを揺るがすほどの歓声を遠目に、ウィヌシュカは怪訝に眉根を寄せていた。剝き出しの土壁にもたれかかっている、隣のクロードに尋ねる。


「これは一体、何の寸劇なのだ」

「さぁな、あたしにもよく分かんね」


 ぞんざいにとぼけようとするクロードだったが、真剣な剣幕で詰め寄るウィヌシュカを前に、態度を改めた。


「ライラいわく、これがヘルヘイム新世界なんだってよ。そんでもってあいつは、群衆を束ねる創世神リーヴ様ってわけだ。なぁウィヌシュカ、お前はこういうの嫌いか?」

「……好き嫌いの問題ではない。ただ私は、騒がしいのが苦手なんだ」

「ふうん。苦手だから──、ってだけには見えねーけどな」


 耳元で打ちささめくクロード。彼女の七色の瞳オッドアイが、言葉よりも雄弁にウィヌシュカの本音を問いかけていた。


「もちろん思うところはある。だが私に、ライラのやり方を責める資格はない。責めるどころか私は、ライラの企てが形になるのを待ち望んでいた身だ」

「だけどもそれが、こんなカタチだなんて思ってなかったんだろ? だからあたしは、『お前も同罪だ』とまでは言わねーよ」


 ウィヌシュカは俯いた。群衆の盲信を利用するライラのやり方に、嫌悪感が無いといったら噓になってしまう。それにこうも考えるのだ。神々からの脱却を志しているはずなのに、ライラが新たな神と成ってしまっては本末転倒ではないかと。


「知っているのか? ここに集った人間たちは、私たちが断罪の使徒だと」

「まさか知るわけねーだろ。いつだってあたしたちは、一人残らずってきたんだからさ」


 女神の見目形もその役割も、人間たちにとっては想像上の産物に過ぎないということだ。つまらないことを聞くなと言いたげなクロードの視線。この期に及んでも煮え切らないウィヌシュカを咎める気持ちが、少なからずあるのだろう。


 壇上のライラは、選民たちの士気を高めるべく巧みな演説を続けていた。薄暗い窖の中に、人々の熱気が満ち満ちていく。彼らの瞳には狂気の色が灯るが、その根底にあるものは揺るぎない希望である。


 信仰こそが生み出す強い意志。かつて滅ぼしてきた国や集落で、ウィヌシュカはその瞳を散見したことがあった。それどころか彼女は、何度も呪われてきたのだ。絶望に屈することを知らない、人間たちの一途な眼差しに。


「──次はどうする。私は何をすればいい」


 ようやくとして覚悟を決めた様子のウィヌシュカに、クロードは白い歯を見せてにかりと笑った。


「コットスが討たれた今、ブリアレオスもギュゲスも、迂闊に地上ミッドガルドに下りたりはしないだろ? だからを引き連れて、こっちから奇襲をかけようってのが次の一手だな」


 クロードは顎先だけで選民たちの方を促した。彼女の口調に淀みはない。


「魔銀兵による一度きりの奇襲。だからこそ、あたしは用心深いギュゲスをここで叩いておくべきだと考えてる。つまりは精霊界を侵攻するってことだな。ウィヌシュカ、お前にはその先駆けを頼みたい」

「分かった。それはいつだ」


 奇襲についての詳細はなかったが、ウィヌシュカは即答した。これだけの数の選民たちが、日夜魔具を着用して貯蔵した魔力があるのだ。ギュゲスに一矢報いるだけの準備は整っていると考えて良い。


「早けりゃ早いほうがいい。三つ巴の均衡が崩れたばかりの、この混乱を生かしたいからな。だからお前には悪いけど、ちっちゃいのを探しに行くヒマはないかもしれねー」


 唐突にリュイリィの話題を振られて、ウィヌシュカの表情が強張った。虚を突かれたかのように心臓は跳ね上がり、ばくばくと早鐘を打ち鳴らす。


「……余計な心配は無用だ。全てが終わったら、リュイリィは私が必ず探し出す」

「そうやって独り善がりだから、こんなことになってんだろーが」


 呆れ顔のクロードが、首の後ろで両手を組んだ。強がるウィヌシュカが、自ら口にした言葉に戸惑っているように映ったからだ。とは何なのか、彼女自身が理解しているようには到底思えない。


「いいか? ウィヌシュカ、よく聞けよ」


 消沈したウィヌシュカに向けて、クロードは言う。


「結局のところ、あたしもお前も生命いのちを奪うことしか出来ねえんだ。それなのに、奪うことすら躊躇ためらった結果、お前はちっちゃいのに見放された」

「返す言葉も無い。まったくそのとお──」「──だけど」


 ウィヌシュカの言葉を遮って、クロードは続けた。

 彼女の七色の瞳オッドアイが、力強く煌めいている。


「お前の穢れたやいばを、あたしとライラが必要としてる。ただ奪うだけのお前は、殺してきた人間たちにとってだったそれは事実だ。それでもその穢れた刃が、ここに居る人間たちにとってのになることだってあるんだよ」


 まるでそれが免罪符であるかのように、クロードの言葉はウィヌシュカに響いた。しかし悪夢だとか希望だとか、そういった言葉が彼女に響いたわけではない。


 が、今のウィヌシュカにとって何よりの救済であったのだ。崇高でもなければ高尚でもなく、ただ迷いに迷うだけの愚かな自分。この弱さを直視して、それでも求められるのならば──。


「……そうだ。私はウィヌシュカ──、死の女神にして断罪の使徒」


 そう独りごちるウィヌシュカは、清廉なまでの美しさを帯びていた。自壊に等しい自問に苦しんできた彼女は、血塗られた己の刃にひとつの信念を与えたのだ。


 奪うしか能の無い自分ならば、せめて奪うことに正直であれ、と──。




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