蓋を拾った。


 何の蓋なのかはわからなかったが、蓋であることは間違いなかった。


 久し振りの休日で目的もなく外出していた時のことだ。何気なく入ってみた始めて通る脇道。そこにそれは落ちていた。


 先程まで歩いていた通りは多くの買い物客で賑わっていたのに、周りに人の姿はなかった。


 不思議なことにそれを見た瞬間、「自分が拾わなければ」という義務感に襲われた。きっとこれを無くした人は困っているに違いない。


 私はスマホを取り出すと一番近い交番を調べてそこに向かった。


 数分も歩くとその交番が見えてきた。中には少し強面の中年のおまわりさんの姿が見えた。


「すいません。あの、これを拾って……」


「落し物ですか? それはご苦労様です。ええと、それは?」


「蓋、だと思います」


「蓋、ですか? 何の蓋ですか?」


「えっ、何の?」


「蓋ということは何かを蓋するためのものでしょう?」


「まあ、そうですね……」


「あなたはそれを見て蓋だと判断したわけだ。つまりそれが何かを蓋していたからですよね?」


「い、いえ、これだけ落ちていたんです。他には何も」


「はあ? それはおかしいな? ではなぜこれが蓋だと思ったのですか?」


「えっと、直感というか、なんというか。あ、でも、鍋の蓋だって、それだけひとつ落ちていても鍋の蓋だってわかりますよね?」


「そりゃ見慣れているからですよね? 鍋の蓋は鍋と一緒に使うところを毎日のように見ているからこそ、それがそういうものだとわかる。でも、こいつは私が知っている、どの蓋の類いにも似ていない。じゃあ、何かね、君はこれを何かの蓋として使っているところを見たことがあるとでも?」


「いえ、ありませんけど……」


「つまり君は初めて見る物体をなぜか蓋だと思い込んだわけだ」


「それは……、確かにそうです。すいません」


「ところでそもそもこれは本当に落ちていたのかね?」


「え、それはどういう意味ですか?」


「落ちていたのではなく、何かを蓋していたのではないのか?」


「はあ? だって今あなたが蓋じゃないって……」


「落ちていたのではなく被せてあったのではないのか? 君は、それが隠していたものを解き放ってしまったのではないのか?」


「あの、何を言って……」


「昔から言うだろ、臭いものには蓋、って」


 その時、街のどこからかひとつの悲鳴が聞こえた。


 次の瞬間、それは街中の至る所から聞こえ始めた。


 隣の警官が悲鳴を上げた時、私もつられて彼の目線を追うように空を見上げた。


 そして私も悲鳴を上げながら自分が開けてしまったものが何だったか一瞬で理解した。





                 (了)








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