塗り絵
会社から帰宅すると一人息子が何やらお絵描きをしていた。
まだ幼稚園児の彼がどんな絵を描いているのかと興味深々で覗き込んでみると、それは一から描いた絵ではなく塗り絵のようだった。
キリンやライオン、ゾウのような動物が線画で描かれているもので息子はクレヨン片手に一心不乱にそれを塗り潰していた。
ほお、なかなか面白い色使いだな。ひょっとしたらうちの奴は天才かも。
親馬鹿な俺がそんなことを思っているとプレッシャーを感じたわけではないだろうが息子の持つクレヨンは大きく絵からはみ出してテーブルに青の線を引いた。
「おっと、はみ出しちゃったなあ。ママに怒られちゃうぞ?」
冗談っぽくそう言ったのになぜか息子は何も反応を示さなかった。その眼は自分が引いたテーブルの青の線をじっと見つめていた。そのあまりの真剣さに子どもとは思えないものを感じ、俺は我が子を初めて不気味に思ってしまった。
「お、おい、どうした? そんなに怖がらなくてもパパも一緒にママに謝ってやるから……」
すると彼は急に動き出した。謝るどころか握り締めた青のクレヨンでテーブルの上を塗り始めたのだ。
「こ、こら! 何やってんだ? さすがにパパも怒るぞ!」
その声は彼に全く届いていないようだった。息子はぴくりとも反応せずただ一心不乱にテーブルを塗り続けていた。
おかしい。まるで何かに取り憑かれたようだ。こうなったら無理矢理でもクレヨンを取り上げるしか無い。
俺は息子の腕を掴んだ。少々乱暴だが仕方ない。そんな俺の考えは一瞬で吹き飛んだ。大人の俺がかなりの力で抑えたというのに彼のクレヨンを動かす手は全く止めることが出来なかった。
「う、嘘だろ? こんなの、幼稚園児の力じゃ……、う、うわあ!」
俺は情けない声を上げながらクレヨンの臭いがするテーブルに顔から落ちた。息子は立ち上がり今度は壁を塗り始めたのだ。
俺の悲鳴を聞いた妻がやってきて目の前の異常な状況に驚き、やはり悲鳴を上げた。その間も我が家の壁はどんどん青に染められていた。
そして俺と妻の眼が合った。声には出さなかったが同じことを考えていることがわかった。
ほぼ同時に私たち二人は息子に飛びついた。
しかし自分たちが相手にしているのはもはや息子ではなく小さな怪獣だった。見た目はこれまでと変わらない彼なのに二人がかりで動きを止めようとしてもびくともしなかったのだ。
すると彼は壁ではなく今度は俺と妻の身体を塗り始めた。顔、上半身、下半身、全身があの独特の臭いがするクレヨンで染められていった。
いつの間にか俺は失神した。
どのくらい意識を失っていたのか。気が付いたのは錯乱する妻が騒ぐ声を聞いてのことだった。
彼女も気を失い、目が覚めてみると息子の姿が家になかったのだという。
俺は慌てて玄関のドアを開けてみた。うちから道路に向かって青いクレヨンの帯が伸びていた。それは道路に出た後、左に曲がり、その後は真っ直ぐずっとずっと先まで延々と続いていた。
俺はその跡を頼りに息子を探したがどこまで追いかけてもその青の帯は途切れることがなく街中を走り回っても結局彼まで辿り着くことが出来なかった。
仕方なく俺と妻は警察に息子の行方不明者届けを出した。
それ以来残念ながら息子とは会えていない。しかし毎日のニュースを見ていれば息子がどこかで元気に生きていることは察しがついた。それだけが救いだった。
この世界全てがむせかえる青に染まる日もそう遠くないのかもしれない。
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます