猫の墓




 旅の途中、僕は道端に建てられた、ある墓を見つけた。


 たまたま目に入ったから気が付いたものの恐らく通行人のほとんどはその存在にすら気付かず素通りしてしまうような小さな小さな墓だった。


 石で造られたかまぼこ型のそれは正面に十字架型の溝が彫られていた。大きさ的にも人の墓とは思えない。恐らくはペットか何か動物の墓だろう。


 戯れに手を合わせる気になり、僕はその墓の正面に立った。するとふと後ろに人の気配を感じた。振り返ってみるとそこには白髪の老人が立っていた。


「あ、えっと、こんにちは」


「よく気付かれましたな、その墓に」


 そう言うと彼はにっこり微笑んだ。


「ええ、まあ、たまたま目に入りましてね」


「この道は旅人がよく通る。しかしそれに気付く人間は稀ですよ。目に入ったとおっしゃったが、みんな目には入っているんです。しかし気に留めるものは皆無と言っていい。『見えていること』と『認識すること』は違うということですな」


「なるほど。ところでお爺さんはこの辺りにお住まいの方ですか? この墓のことも何か知っていらっしゃるようだが」


「ええ、私はずっとここで一人で暮らしています。気になりますか? この墓のことが」


 なぜか僕はどきりとした。自分でもなぜかはわからないが核心を突かれた気がした。


「実はそうなんです。この墓に気付いてからどうも落ち着かないというか目が離せないような不思議な気分になってしまって……。これは何の墓なんですか?」


「猫ですよ」


「へえ、猫ですか。あ、ひょっとしてあなたが飼っていた猫なんですか?」


「いや、私じゃないんです、飼い主は。こいつを世話していたのはある少女でしてね」


「女の子ですか」


「はい。こいつはね、この辺では有名な野良猫だった、まあ、悪い意味の方で」


「あー、悪いとわかっていても生きるためには仕方ないことってありますからね、悲しいですが」


「ところがある日そんな彼に一人の少女が声を掛けたのです。うちに来ないって」


「優しい子ですね」


「彼にしてみると初めて自分を認めてくれた相手だった。それから彼は彼女にベッタリでね。そんな甘えん坊の彼を彼女も可愛がってくれた。二人は仲良しになりました。しかしひとつ問題が起きた」


「問題?」


「彼女はその優しさゆえ他の野良猫たちも保護していたのです。一匹狼だった彼はどうしてもそいつらと上手くやることが出来なかった」


「あー、なるほど」


「彼は彼女のことが大好きだった。彼女だけを見ていた。でも彼女は自分だけを見てくれない。なんで? 僕だけじゃ駄目なの? 彼はそう思ってしまった」


「独占欲という奴ですか」


「すぐに拗ねたり逆に騒いだり、彼女の気を引きたいがために彼は次第にそういう行動を取るようになった。そしてそのせいで彼女はその猫を疎ましく感じるようになってしまったのです」


「上手くいかないものですね」


「そしてある日ついに彼女は彼にこう言ったのです。『ここを出て行ってちょうだい。あなたみたいな迷惑な子はもういらないの』と」


「もちろん彼は鳴きました。『なんで? なんで? あんなに仲良く遊んだじゃないか。嘘だったの? 一緒に過ごしたあの時間は何だったの?』って。でも彼女は彼を外につまみ出してドアを閉めてしまった」


「それで?」


「彼はドアの前で鳴き続けました。しかしそのドアは彼女の心と同じだった。一度閉ざしたそれは二度と開かれることが無かったのです」


「その猫は、彼はどうなったんです?」


「死にました、ドアの前で。おそらく死因は餓死でしょう」


「餓死!? まさか、外に出されてから死ぬまでの間ずっとそこから動かなかったというのですか?」


「そういうことになりますね」


「そんな、そんなのは愚かなだけですよ! 死ぬくらいなら別の飼い主を見つけに行けば良かったじゃないですか! なんでそこまでしなくちゃいけなかったんですか?」


「たぶんそれは彼自身もよくわからなかったと思いますよ。でも私は彼が不幸な最期を迎えたとは思いたくない。確かにあなたの言うとおり彼は愚か者だった。でも愚か者なりの生き方を全うしたのですから」


「すいません。僕には全く理解できませんね。諦めが悪くてしつこい不器用なアホ猫としか思えない。自分はそんな生き方をしたいとは思いません」


「それでいい。生き方なんて人それぞれなんだから」


「そういうものでしょうか?」


「互いが違うことを認めて妥協できる部分を探せばいい。同じになる必要はないんですよ」


「ああ、簡単そうで難しいことですね」


「ええ、そうですね。……おっと、つい話が長くなってしまったな。すっかりあなたの旅の邪魔をしてしまったな」


「いえ、良いお話を聞かせて頂きました。ではちょっと彼に手を合わさせて頂きます」


 僕は軽く目を閉じて彼の冥福を祈った。そしてその時ふとある疑問を覚えた。


「あ、そういえば、この墓を作ったのは誰……」


 目を開けて振り返った先に老人は居なかった。


 そんな馬鹿な。目を瞑っていたのはほんの数秒だ。周囲には隠れるような場所はない。


 僕はきょろきょろと辺りを見渡した。そして気付いた。


 墓が無い。老人と同じように消えている。


 僕はひとりでぽつんと何もない道端に立っているだけだった。


 夢でも見ていたのだろうか。それとも……。


 ふとこんな考えが頭に浮かんだ。


 ひょっとしたらあの墓に眠る猫とは僕のことだったんじゃないだろうか。


 そしてあのお爺さんは心の中の猫が死んだ僕の遠い未来の姿なのでは……。


 どこかで「にゃあ」という鳴き声がしたような気がした。


 そうだね、わかっているよ。そんな悲しい声で鳴くんじゃない。


 僕はまだ旅の途中なんだから。そうだろ?


 見えない猫の後を追いかけるように僕はまたゆっくり歩き始めた。






               (了)






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