絵本の中の猫




 吾輩は猫である。名前はまだない。


 どこかで聞いたことのある始まり方かも知れないが事実なのだから仕方ない。


 吾輩は絵本の中にいる猫なのだ。


 かにいかつみ、とかいう売れない絵本作家が創作した「絵本の中の猫」という題名の絵本。


 その主役が我輩というわけだ。


 何しろ売れない作家さんなので吾輩はずっと町の小さな書店の片隅に取り残されているような状態だった。


 このまま忘れ去られて、いつか処分されてしまうのだろう。


 ずっとそう思ってきた。


 その時、君が現れた。


 まだ幼い君はお母さんに手を引かれ本屋に入ってきたね。


 他にも美しい絵や面白い絵が描かれた絵本はたくさんあったはずだ。


 でも君は古臭い絵柄の我輩を選んでくれた。


 その時どんなに嬉しかったか言葉には表せない。


 そして吾輩と君の生活が始まった。


 君が眠い時、吾輩は君を寝かせつけるお手伝いをしたね。


 君のご機嫌が斜めの時、吾輩を見ただけで笑顔になってくれたよね。


 毎日が幸せだった。君のことが大好きだった。


 でも吾輩と君との間には決定的な違いがあった。


 君は成長する。吾輩は絵本の中に閉じ込められたまま。


 同じだと思っていた毎日は少しずつ変わっていたんだ。


 いつしか君は我輩の世界を訪れてくれなくなった。


 決定的だったのは猫だ。


 まったく、皮肉な話だ。吾輩の影響で猫を好きになった君は本物の猫が欲しくなってしまったのだから。


 本物には敵わない。なるほど、偽物の役目は終わったということなのだろう。


 悲しくないと言ったら嘘になるけど君と出会えなかったら吾輩は楽しいという気持ちさえ知ることが出来ず消えていたに違いない。


 吾輩の住む場所は光り差す君の部屋の本棚から暗い押し入れの中へと変わったけど、新しい家族となった猫さんと遊ぶ君の楽しそうな声を聴きながら眠りにつくのも悪くなかった。


 それからどのくらい眠っただろう?


 眩しい光に包まれた吾輩は目を開けた。


 そこにはすっかり大人になった君と見知らぬ女の子がいた。


「ママが子供の頃ね、この猫さんが大好きだったの」


 君はそう言って我輩をその女の子に紹介してくれた。


 そして吾輩に新しいお友達が出来た。


 また役目が終わるその日まで、吾輩のなにげない、それでいてかけがえのない日々は続いていく。






                (了)





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