その話の決着は、すでにアインがつけている。
あれ、買ってあげる。
シルビアは紛れもなくそう言って、先を歩いてた。
一目見て誰もが傾城の美貌を称えるであろう二人は、以外にも注目を集めていない。
彼女たちが用いる認識阻害の魔法は強力で、たとえこの時代の魔道具を駆使したところで大した意味はない。
視界の端に佳人を見かけたような……そのくらいだろう。
しかし、店頭に立たれると話は別だ。
特に店主が、唐突に姿を見せたシルビアに息を呑む美しさを感じていた。
「なにぼさっとしてるのよ。ほら、こっちにいらっしゃい」
そのシルビアの口から発せられた声。
もう一人、シャノンがやってくる。
ぶっきらぼうな態度というよりは戸惑いにより、うまくシルビアと話すことができていないといった感じだ。
こうなることはシルビアにとって、ある程度想定内だった。
「……ぼさっとするなって言うのは無理があるでしょ」
そしてこういう返事が届くだろうことも予想の範疇にあったから、シルビアはくすっと笑みを浮かべていつも通りに振る舞う。
「私が平然と、自然体でいられると思った?」
「言いたいことはわかるけど、気にしすぎてもよくないわよ。さぁ、いいから早く選びなさい。私が買ってあげるから」
「え、選びなさいって言われても……!」
早く選べと言われても、シャノンはまだ戸惑っていた。
仕方なく、シルビアが店主に「どれがおすすめ?」と問いかける。店主が勧めた品をいくつか買って、紙袋に詰めてもらった。
「ほら行くわよ」
「行くってどこに!?」
「静かなところを探すわ。ここで立ち話をするのはちょっとね」
そして、さっさと歩きはじめたシルビアを追う。
多くの人の間を、霧のように。誰にも視認されることなく二人は歩きつづける。
目的地はなかったけれど、シルビアが途中から人気のないところを探し手歩いているようだった。
「そうだ」
ふと、シルビアが振り向いて。
「はいこれ。シャノンの分ね」
「……あ、ありがと」
「いいえ、お気になさらず」
青い空を見上げたシャノンは、複雑な感情に苛まれていた。
いままで何度も思い返していることだ。公然の事実として、シャノンは魔王大戦を引き起こした張本人であるということ。
背後に同族のオズがいたことがあっても、これは変えようのない事実である。
心を殺され、暴走に至ってからというもの。
シャノンの意思と心は魔石の奥深いところに封印され、表に出てくることはなかった。
それでも心身の痛みだけは何百年も感じつづけ、孤独に捕らわれた。
魔王大戦のあと、ハイム戦争がおわるまでずっと。
彼女が持つ孤独の呪いという力。
その名の力が、彼女自身を孤独に陥れたのだろうか。
……二人は言葉を交わすことなく歩きつづけ、港の一角へ。
そこに、誰も立ち寄らない静かな桟橋があった。
偶然? そこには人っ子一人おらず、いま足を運んだ二人がいるだけ。
波の音が静かに聞こえてくる。先ほどまでの雑踏はもうなかった。
手にした甘味は三角に折られた紙に包まれたパンだ。
シャノンはそれを手に、いつの間にか立ち止まって俯いていた。
数歩前にいたシルビアが振り向いて、
「どうしたの?」
「――――こっちの台詞よ。何百年も昔にあんなことがあって、ハイムでも戦争が起きた。それなのにシルビアは……」
「だから、そのことを話しに来たんでしょ」
「ちがっ――――そうじゃなくて!」
人ごみの中で、やはり二人の姿は視認されていなかった。
「どうして平然と声をかけられるのよ! 恨まれて……ううん! 私を殺したいはずじゃない!」
「……」
「なのにどうして……あのときと同じように……!」
あのとき。
シャノンが赤狐の長として同族を率い、イシュタリカの民となったときだ。
「どうして……私のことを……!」
ぽたっ、ぽたっ――――シャノンの足元に雫が滴る。彼女の涙だった。
振り向いたシルビアが少しの間、シャノンを見守ってから、
「貴女は昔と変わらないのね」
仕方なさそうに笑っていた。
俯いて涙するシャノンはそれを見ていない。
「ずっとずっと昔と同じ顔をしてるわよ。私のところにきて、同族を紹介した時の貴女と何も変わらないわ」
「……そんなの、当時の姿でいるからに決まってるじゃない」
「そうじゃなくて、表情のこと。あのときと同じ、助けてって言いつつづけてる小さな女の子みたい」
「……嘘ね。私はそんな顔を見せなかったはずよ。堂々と、まるで命令するように言ったはず」
「そう思ってるのは貴女だけだったってことよ。シャノン」
すると、
「お顔を上げなさい」
シルビアに促され、それでも上げなかった。
しかし、シルビアがシャノンの頬に両手を添える。
するとまったく抵抗なく、シャノンの頬がゆっくりと持ち上がる。
もう目元が真っ赤で、頬まで赤い。ただ懸命に謝って、それで死ねといわれたらここで消えるつもりですらいたシャノンを見て、
「ほら、あのときと変わらない」
シルビアはなおも笑みを崩さず、シャノンを両手で抱き寄せた。
「……どういうつもりよ」
「どういうつもりも何も、あのときしてあげられなかったことをしただけよ。助けてって言ってるように見えた女の子を、優しく抱きしめてあげられなかった。私がずっと悔いていたことよ」
さらに数十秒。
シャノンが気が付くと、周りの景色が濃霧に包まれたかのように白くなっていた。
二人しか存在していないような世界にて、暖かな抱擁に身を委ねた。
「……どうして、アインと同じようなことをするの?」
「私が彼の母だから」
「……どうして、私に消えろって言ったりしないの?」
「一度は消えた人にもう一度消えろなんて、言えるはずないじゃない」
戦争で命を失った者たちのことを思えば、ここでシルビアが何を成すか色々なことを予想できた。
しかしそのどれもせず、抱擁はつづく。
心がすっと清らかな気持ちに満たされていき、同時に自分の愚かさを再確認。
シャノンの腕は、いつの間にかシルビアの背に回されていた。
「私だけ、こうして戻るなんて許されない」
「……そうね。貴女の境遇を知っても、戦死した人たちの多くは許さないかもしれないわ。だけど、許す人だっているかもしれないでしょ」
「ならシルビア、貴女は私を消さないといけないはずよ」
震える声と、震える腕だった。
次の答えが届くまで、何分もかかった。
やがてシャノンの耳に届いたのは、
「馬鹿ね。普通に生きたいってあんなに願ってたのに、どうして死にたがってるのよ」
シャノンがこの世のすべてを恨んでも、心の中から消し去れなかった想い。
「罰が必要なら、それももう受けたでしょ」
「っ――――い、いつよ! 私は罰なんて別に……っ!」
「心を殺されてから何百年もずっと、最初の恨みを晴らすためだけの人格に支配されてたじゃない」
元を辿ればオズの存在がすべての歯車を狂わせた。
シャノンは精神世界で自分の口から言ったように、当時のイシュタリカごと何かする力はなかったし、そのつもりもなかった。
アインに対し個人的な恨みはあっても、それだけとも言える。
そして、捨て子だった初代国王の本当の両親……誰も知らない恨みの根源を向けられたアインですら、もうそのことはいいと許している。
シャノンという存在が利用された事実は変わらずとも、彼女の意志ではない。
だとしても認められない、そうした言葉が届くことはあっても、事実、彼女がしたことではなかった。
心が殺され、魔石に僅かな意識が残されてから……。
シャノンは自分じゃない人格と身体が、ただ恨みを晴らすためだけに動くたびに魂ごと蝕まれるような、そんな長い年月を過ごしたのだ。
……それに、
「すべてを知ったアイン君が、はじまりの王としてすべてを終わらせた。だったら私たち臣下には、もう口を出す権利はないわ」
たとえ親であっても、当時の戦争を経験していても、と。
言葉が出ず、ただ震えるばかりのシャノンがシルビアの胸に顔を押し付ける。
背中を優しくさすられる赤狐の姿は、やはりどこか少女のよう。アインがあの世界で見たときと同じ、その見た目に反して幼い少女のそれであった。
「前に旧王都に来たとき、城下町を歩いていたでしょ」
「……うん」
「たくさんのお墓の前でしゃがんで、手を合わせた。お墓がなければ崩れた家、昔はたくさんの人がいた公園でもそうしてた」
「……うん」
「一度でもアンデッドが現れることはあった? 黒い魔力や呪いで、貴女が蝕まれることはあった?」
「……ううん」
シャノンがシルビアの胸元を離れ、涙を服の裾で拭った。
高貴さを感じさせる見てくれと違って、幼子のように。
「私は、このまま償いつづけていいの?」
「アイン君がいいというのなら、きっとね」
「……じゃあ、貴女は?」
シルビアは唇に手を当て、点を見上げた。
彼女が考えている姿を見ていると、一秒一秒が数十分、はたまた数時間にも感じてしまう。
それでもシャノンは、涙を止めて覚悟しつづけた。
「償いがどうとかは置いておきましょう。きっと貴女、勘違いしてるから」
「――――勘違い、って?」
「私、貴女のことを警戒しはじめたのは貴女と会ってすぐじゃなくて、しばらくあとよ。私が最初から貴女を目の敵にしてたみたいに言ってるけど、勘違いよ」
「ど、どうして!?」
「さっきも言ったけど、貴女を救ってあげられたらって思ってたから。思い出してごらんなさい。貴女の力は私とカインに通用しなかったでしょ」
魅惑の毒と孤独の呪いは、合わさってようやく特別な力となる。
その毒が相手を強く蝕むことで、二つの効果はより一層高まるのだが、強く蝕むためには条件がある。
「そうよ! そのときは私の意識がほとんど消えてたからあんまり覚えてないけど……どうして二人には効かなかったの!?」
「そんなの、効力を発揮する条件を満たしてなかったからに決まってるじゃない」
「え……?」
相手が、シャノンをどれだけ嫌っているかだ。
逆に相手が負の感情以外をシャノンに向けていれば、一切通用しなくなる。
「あの力の仕組みがわかったのも、ハイム戦争のあとなんだけどね」
シルビアが微笑みを浮かべて。
「貴女を救えなかったのは、私とカインの責任でもあるわ。だから私たちも、必要があれば貴女と一緒に何でも背負う義務がある。もちろん、義務がなくてもきっと背負ってあげたんだけどね」
アイン以外の優しさに触れ、生まれてこの方経験したことのない温かさがシャノンの全身を駆け巡る。
やはり、言葉が出てこなかった。
彼女の口から「あの」や「ええと」など言葉にならない声がつづくと、シルビアがまた優しく微笑んだ。
シルビアはシャノンの手元にあるパンを指さして、
「……さぁ、あったかいうちに一口だけでも食べてごらんなさい」
シャノンの手元にある、紙に包まれたままの甘いパン。
いわれるがまま、一口かじった。
「美味しい?」
「……うん。うん――――」
何度目かわからない涙がほろほろと流れ、桟橋に敷かれた石畳を濡らした。
もう一口、また一口とパンを口元に運んで、口を大きく動かした。
ここでも彼女は小さな少女のようで、見た目と仕草がそぐわなかった。
「もう、意味わかんない……!」
「何がわからないの?」
「ぜんぶ……ぜんぶ! 貴女と話したことも、いままでのこともぜんぶぜんぶよ!」
「ふふっ、そうね。私もカインもすごく長く生きているけど、シャノンと同じでわからないことだらけよ」
ぐずる少女を慰めるように、さっと。
だけど、軽んじているわけではない返事をした。
港の隅での会話は、まだしばしの静寂を交わすことになる。
数分もすればシャノンは再びぐしぐしと目元を擦り、涙の痕を消した。
代わりにこすった痕が赤く残っているのだが、彼女は気にした様子を見せない。逆にシルビアがそれを見て笑っていた。
「なによ」
「別に。ただ、大変そうねって思っただけよ」
「大変そうって、何がよ」
ややつんけんしているが、様々な感情を隠すゆえのもの。
シルビアがつづける言葉を聞き、シャノンはきょとんとさせられる。
「だって貴女、アイン君のこと好きでしょ?」
「…………」
沈黙はつづき、
「…………」
さらにつづくこと十数秒、シャノンの首筋から頬が真っ赤に染まった。
「な、なななな――――なに言ってるのよ! い、意味わかんない! 急になに!?」
「ああやっぱり。どうせそうなんだろうなーって思ってたけど、図星なのね」
「っ~~だったらなんなのよ! 悪い!? 好きになるなって言うほうが無理じゃない! 私が言ってること、おかしい!?」
くすくすと笑うエルダーリッチ。
秋の海風と、汐の香り。
燦々とした陽光を全身に浴びながら、
「アイン君は魅力的だものね」
と。
赤狐の真祖をからかった。
――――――――――
引き続きお休みをいただきがちの中で恐れ入ります……。
6月に、コミックス最新刊が発売となります。
web版をここまでお読みの方にはネタバレにならないかと思いお伝えいたしますと、最新刊はマルコが初登場したところの範囲となっております。
原作書籍版で加筆した展開や魔物も登場しますので、是非、ご覧いただだけますと幸いです!
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