王太子殿下はやはり、一人ですべて解決なさる。

 最後の最後まで保証を欲していたルギスと、彼女を守る護衛たち。

 皆が驚き、それなら――――と頷かざるを得ない発言があった。もちろん、その発言はアインの口から成されたのだが、



『俺が君たちの生まれ故郷に顔を出すと約束する。まだ時期とかは約束できないけどね』



 これにはクリスも、そして近衛騎士たちも驚いていた。

 夜も更け、この日の会談の席はすぐにお開きとなったのだが、



「殿下、よろしいのですか?」



 一人の近衛騎士が言った。

 アインには過去と比較にならない裁量が認められている。そのため、あのような場であのような発言をしてもシルヴァードに咎められることはない。あってもより良い判断があったはず、と学ぶ席を設けられるくらいだろう。



 いま近衛騎士が気にしているのは、イシュタリカの時期国王が出向くと口にしたことについて。

 それは互いの上下関係にいらぬ発言をさせかねないと思ってのことである。

 特に貴族たちから、アインが行くほどでもないという発言はすぐに予想できた。



 しかし今回、クリスは驚いていたもののアインの考えを悟っている。



「大丈夫。相手がダークエルフだから、ララルア様のお力添えも得られる」


「なるほど……確かに。貴族や平民に対しても、説明しやすい要素はございましたな」



 明言は何が何でも避けるし、実際はそうじゃないことは大前提。

 というのも、ダークエルフのララルアはイシュタリカ国内のある貴族の家系に生まれた女性だから、メリナスやルギスとは何の関係もない。辿った先に血縁があったとしても、もう無視していいレベルの話だ。



 だが、種族は同じダークエルフである。

 現王家の人間と同じ種族だからって特別な計らいをするわけではないが、そこに縁を感じ王族が顔を出すくらいしてもいいだろう。



 それに、神樹の存在もある。

 神樹のことをどこまで公にして良いものかここでは判断しかねるところだが、神樹が枯れたことで周辺の森をはじめ、おおくの影響が生じていた。

 イシュタリカとしても切実に、国土への問題を危惧する必要がある。

 そのため今回の件は、最初からアインをはじめとした王族も早めに動く必要があった。



「アイン様、アイン様」



 と、クリスがアインの服の裾をつんつんと摘まんだ。



「後はブラックフオルンの件ですね」


「だね。そっちは……とりあえず、この後俺が研究所に行ってこようかな」



 クリスには宿で騎士たちとのやり取りを頼むことにして、アインは一人席を立つ。

 身支度を終えて客室を出たアインは、



(……頑張るか)



 相も変わらず騒動に巻き込まれるなと自嘲しながら、護衛に数人の近衛騎士を連れて宿を出た。

 外に出た際に浴びた風は、初夏の訪れを知らせるかのように僅かな熱を帯びていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 変貌したブラックフオルンもどきはアインが討伐したが、その討伐されたすべては研究所の中で保存されていた。

 その研究所が元から植物を研究していたことから、調査をするのに都合がよかった。

 それに民間の研究所ではなく国営だったため、殊更である。



 ――――研究所内は薄暗い。

 アインが討伐した個体の他にも貴重な植物がいくつも植えられているため、調査が必要でも不必要な灯りを付けることはできなかった。



「で、殿下!?」


「殿下だ! 殿下がいらしたぞ!」



 中にはアインが連れてきた近衛騎士のほかに、研究員や日中からずっと調査にあたっていた騎士がいる。

 皆が皆、唐突に現れたアインを見て驚いていた。



「急に来てすまない。少しみせてもらうよ」



 アインはそう言い、近衛騎士をつれてまま研究所内を歩いた。

 変貌したブラックフオルンは、アインが倒した当時のまま横たわっている。

 本当なら移動させたかったと研究員は言うが、討伐された個体は地面に根を張ってしまっていたため、周辺への影響も鑑みてこの場に置いたままだ添えた。



 その代わり、周りには魔導兵器を用意するくらいの厳重さだ。

 ブラックフオルン程度には用意しすぎともとれるが、急な事態だったが故の処置だった。



(……うん?)



 ふと、アインが覚えた違和感。

 ガラスのように透明な天井から降り注ぐ月灯りと、星明りに照らされたアイン。

 彼はしゃがんだまま、ブラックフオルンに触れたままの指先に意識を向けた。



(……生きてるのか)



 自分でも何を馬鹿なことをと思ったのだが、そう感じた。

 目を凝らし、斃れたブラックフオルンをじっと見つめるうちに、何か、その幹の奥深い場所に在るような気がした。

 しかし潜んでいる。その気配はアインから目をそらすように息を潜ませていた。



 アインが誘うように立ち上がって背を向けてみても、動きはない。

 黙りこくったアインを見て、近衛騎士が口を開く。



「どうなさいましたか?」


「……何でもないよ。ちょっと立ち眩みかも」


「ははっ、殿下でも立ち眩みすることがあるのですね」


「そりゃあるよ。朝から夜まで机の前で仕事漬けになった日なんて、急に立ち上がると偶にくらってしちゃうこともあるし」



 近衛騎士とそのように言葉を交わしてから、アインは近衛騎士を連れて歩きだす。

 すると、



「何かお気づきのようですね」



 近衛騎士が訳知り顔で、声を潜ませていった。



「バレてた?」


「はい。アイン様のことですから、本当に立ち眩みとは思えず」


「さすがだよ。それじゃ早速なんだけど、あの幹を無理やり外に運び出してほしい」


「よいのですか? 無理に運べば、周辺の植物への影響があるかもしれませんが」


「わかってる。けど、何よりも大切なのは民の平穏だ」



 アインはつづけて指示をする。

 運ぶ先は、イストの町を出て馬で一時間ほどの場所にある、建築から一年も経っていないところだ。

 そこは大規模な騎士の詰め所であり、魔導船も控える国防の要所である。そんな場所に運んでよいのかと言う話については、問題ない。

 何故ならばアインがいるからだ。



「この前見た限りだと、予備のドックが開いてるはずだ。そこに運んで、その場の防衛装置は全部切っちゃっていいよ」


「やれやれ、まるでご自分一人で片を付けると言っているも当然ではありませんか」



 近衛騎士は慣れた口調で言った。



「本来ですと、我ら近衛騎士の仕事はアイン様のお傍にいることなのですが」


「わかってるよ。でもこっちは大丈夫だから、町の人たちに影響が出ないように構えていて欲しい。みんなの強さを信用できるからこそ、お願いしたいんだ」


「……にしても、我らがお傍にいるべきですがな」


「ははっ! だがアイン様らしい。幼き頃より見守ってきた身としてはやはり頼もしいな」


「アイン様は容赦することなくすべて終わらせるおつもりだ。であれば、我らはアイン様のご命令に従うべきだろう」



 皆には当然承服しかねる気持ちはあった。しかし近衛騎士たちは最終的に頷いた。

 アインの顔に、普段より一層高まった緊張感が見えたからだ。



 ――――やがて、予定になかったがブラックフオルンの亡骸が運びだされた。



 アインはその作業から目を放すことなく見つめつづけ、連結した馬車により外へ運び出されたところで自分自身も研究所を出た。

 彼は他の馬車に乗り込むこともせず、



「誰か、俺に馬を」



 自分も馬に乗り、馬車の傍を進む。

 夜中でもその様子は民の注目を集めていたし、どこか仰々しい。

 されど、アインは気にすることなく町の外に施設へ向かった。



 アインが口にしたように、一時間ほどで目的地に到着した。

 彼の目に見えたのは、いくつもの魔導船が停泊した巨大な拠点で、イシュタリカの進化する技術力を固辞する新たな施設だ。

 そこへ急に現れた団体を見て、番をする騎士たちが当たり前のように驚く。



「殿下ではありませんか」



 馬上のアインへ声を掛けた騎士。



「どうなさいま――――なるほど。例のブラックフオルンでございますな」


「ごめん。面倒ごとを持ってきちゃって」



 ここにいる騎士の下にも、イストの研究所で何があったのか連絡が届いていた。

 万が一に備え、情報共有にぬかりはなかったようだ。

 すると、アインに声を掛けた騎士が微笑む。



「とんでもない。殿下のお気持ちは重々承知の上です。こちらに運ばれた方が、何が起ころうと周辺への影響を最小限に抑えられます。何よりも、殿下が動きやすいでしょう」


「ほんっとに、みんなして俺の考えをすぐに理解してくれるんだもんな」


「ははっ! それはもう。私も以前は城におりましたので」


「知ってる。確かこの施設の新設に併せて異動を名乗り出てくれたんだっけ」


「そ、そのようなことまでご存じでしたか……」


「もちろん。城にいた騎士のことは、全員ちゃんと覚えてるよ」



 騎士はその声に胸が大きく揺さぶられた。

 涙すらこみあげて、その後、対応する声が歓喜に震えていた。

 しかし恥ずかしくはない。他でもないアインに理解してもらっていたこと以上の誉れが、この国の騎士に存在するだろうか。

 英雄王の再来と謳われるアインを前に、門番を務める騎士は「お気をつけて」と敬礼した。



 馬に乗ったまま進むアインが辺りを見渡す。



 この施設は背が高く強固な壁に囲まれた施設だ。

 しかもただの壁ではなく、魔力を孕んだ特別な金属を砕いた石にあわせて加工して、更に魔道具として消化した特殊な壁だ。

 更に敷地内に敷き詰められた石畳もそう。

 石畳の道は複雑に入り組んでおり、施設群が並んでいた。



 アインが向かうのはその隅に配置された、魔導船のためのドックである。

 魔導船の修理をはじめとした管理に使われる場所で、機密の塊だ。非常に巨大な四角い建物で、白い壁と天井の異質なそれだった。

 跳ね橋のようにのように開く天井。前面を覆う特殊な金属のシャッター地下に格納することにより、十分な開口幅を得られる。



 ちょうどよく、シャッターが地下に格納されて内部があらわになった。

 いま、中には修理中の魔導船やその素材は置かれておらず、珍しくがらんどうだという。



「中へ運んで、俺が入ったらシャッターを閉めて。予定通り防衛装置は切っちゃっていいよ」


「かしこまりました」



 予定通り事が進み、連結した馬車がドックの中でブラックフオルンの亡骸を下ろした。

 残ったアインは一人、中にあった簡素な丸椅子を手にとると、ブラックフオルンの前まで持っていって腰を下ろす。

 股を大きく開き、膝の上に肘を下ろして手元は口元にあげて組む。

 その上に重ねるように口元を運び、じっとブラックフオルンの亡骸を眺めた。



「――――気分はどうだ?」



 そして、問いかけた。



「ただでさえ、管理されていない魔物に対しては町中の防衛装置が強い影響力を与える。それがお前のようなアンデッドであれば特にそうだ」



 返事はなくとも、アインはつづける。

 ブラックフオルンの亡骸から目を放すことなく、そのままの体勢で。



「だからうまく動けないんだろ。基本、俺たちの町には魔物への対策が万全だから。ブラックフオルンのなりそこないをどうして動かしたのかはわからないけど、それも話してもらう」



 猶も微動だにせず、何ら反応を示さない亡骸。

 ふと、アインの背後からふわっと香った蠱惑的な花の香りと、アインの首元に寄せられた柔らかさ。艶やかな赤毛が、彼の頬をくすぐった。



「ふぅん……わかってたんだ、アイン」



 シャノンの言葉にアインが頷く。



「アンデッドと戦った経験はあまりないけど、どことなく、昔暴走したマルコと似てる気配を感じた」


「ふふっ、それだけ?」


「いや、他にもあるよ。たとえば潜んでる魔物がそれなりに力のある魔物ってこととか、ここにいるのが本体、、じゃないってこととかもね」


「あらすごい。そんなことまでわかるなんて、私の陛下は本当に凄いお方だわ」


「……茶化してる?」


「ううん、本気だけど? あまり戦った経験がない相手のことを、さっきのあれだけでよく看破したのねって驚いてるもの」



 そう言うと、アインの首元から温かさと柔らかさが遠ざかる。

 トン、トンッと軽快な足取りで歩き出したシャノンはアインの前に出て、背中で手を組みながらブラックフオルンの亡骸へ近づいた。



「陛下、私が出して差し上げましょうか?」


「へ? どうやって?」


「そんなの、決まってるじゃない」



 シャノンが濃艶に微笑み、双眸を黄金に輝かせた。

 絶対的な命令の力を迷うことなく行使して、亡骸へその双眸を向ける。

 濃艶な笑みを彩る艶やかな唇から、アインに向けた声と違うひどく冷酷な声が発せられた。



「姿を見せなさい」



 刹那、幹から乾いた音が響き渡ったと思えば、すぐに割れて砕け散る。

 中から現れた漆黒の靄が人型を成し、宙に浮かぶ。



「いい子ね。けど、陛下より高い場所から見下ろすなんて許されると思ったのかしら」



 絶対的な力は黒い靄を平伏させた。

 ドックの地べたにそのまま、何ら抵抗する間もなく。

 すると、いつしか人型だった黒い靄が鮮明な姿をあらわにし出す。濃紺色のローブを着た、骸骨の姿をした魔物であった。

 宙に生じた割れめから、豪奢な杖が一本地面に落ちた。



 シャノンは一頻り仕事を終えたところで、平伏した魔物の前を退いた。

 すぐにアインの隣へ戻ると、艶美な体躯を包むドレスの裾を摘まんでカーテシーをした。アインの後ろに控えてしまうと、彼女は次のように言う。



「それ、死なないから倒せないことだけ許してね」


「えっと……どういうこと?」


「すぐにわかるわ。可能な限り帰らないよ、、、、、、、、、、うにしてあるから、、、、、、、、、好きに聞いてみて」


「ああ……りょーかい」



 アインは合点がいかぬまま、でもすぐにわかると言うから魔物に注視した。



「珍しい魔物だ」



 と、彼が射貫くような鋭い瞳で。



「この目で見るのははじめてだけど知ってるよ。お前はリッチだ」


『……』


「黙らなくていい。お前のような魔物は他の魔物と違い、知性がある。人の言葉を介することくらい、容易なはずだ」


『……忌々しい』



 リッチは低い声で呟くように答えた。

 その声は男性のようにも、女性のようにも聞こえる。

 エルダーリッチのシルビアと違い、魔物らしさが容易に見て取れた。



『偉大なる力を持ちながら、定命の者の王になるとは』


「その話は興味がない。いまの話だけで俺たちが相いれないことがわかったから、こっちから聞かせてもらう」


『我にそのつもりはない。叡智を求めず、定命の者を――――』


「もう一度言う。聞くのは俺だ」



 間髪入れずの言葉にリッチが身震いした。

 アインの傍にいるシャノンですら、一瞬瞼をピクリと揺らすほどの迫力が、丸椅子に座ったままのアインから発せられている。

 リッチはそれを境に、生存本能に従い口を閉じた。



「お前、どうやって町に入った」


『……』


「お前のような魔物は町に入れ込むことができないような仕掛けがある。それを突破した痕がないし、急に現れたも同然だ。しかもどうしてあのとき、ブラックフオルンのなりそこないを操ってまであんなことをしたんだ」


『……』



 リッチは黙りこくってしまった。

 決して答えようとせず、骸骨の頭部からは表情も伺えないから考えが見えない。

 しかしアインは、リッチから目を放そうとしなかった。



(ルギスを狙うにしても訳がわからないときと場所だった。それに、町に入り込めた理由もそうだし……)



 ふと、アインの脳裏をよぎったシャノンの言葉。

 彼女が意味深に口にしていた言葉を思い返したアインは、「もしかして」と呟いた。



「――――そういうことか」



 そして理解に至り、頷く。

 面前のリッチがどういう状況にあって、シャノンが何故あのようなことを口にしたのかすべて悟った。

 すると、アインの傍で控えるシャノンはくすりと艶美に微笑んだ。



「リッチが持つ力は『魔導』と呼ばれるスキルだったはず。その力の中に、リビングアーマーが持つ眷属のスキルに似た効果を発揮するものがあれば……誰かに自分の力の一部を潜ませて、魔物に対して影響を与える力があれば……」


『ッ――――』


「正解か。なるほど……だからお前は町中に潜り込めたし、ブラックフオルンのなりそこない力を分け与えて暴走させられたのか」



 そこまで言うと、シャノンが口を開いた。



潜霊せんれい術って言うのよ。自らの魔石の力と魔力を対象に潜ませて、遠く離れた地を視たり、そこで潜ませた魔力や生命力で行使可能な魔法も使えるわ。すごく弱いけどね」


「一応聞きたいんだけど、どのくらい弱いの?」


「ボヤを起こす程度の炎とかなら放てるでしょうけど、おおよそ、人を殺したりはできないわ」



 アインはシャノンに顔を向ける。

 一度、床に伏したままのリッチから意識を手放した。



「だとしても十分強い力だと思う。個人的には脅威に感じるんだけど、多用はできる?」


「無理ね。二回も三回も使っちゃったら、エルダーリッチに進化することも夢のまた夢よ」



 魔力ならまだいい。

 しかし魔石に宿る力はステータスに現れない生命力も同然のため、それを用いてしまうことはあまりにも自殺行為である。

 たとえるならば、



「天騎士の力と一緒よ。人にとっての寿命を使う術だから、普通は一度も使わないの」



 一方で潜霊術はその力で町を占領できるわけでも、村を占領できるわけでもない。

 シャノンが言うようにその力は脆弱であるとのこと。



「ブラックフオルンのなりそこないを操作できたのは?」


「あれって元々危険な研究じゃない。ブラックフオルンになれなかったからって、その力が宿ってない訳じゃないわ」


「……道理で。なら、潜霊術を使うリッチは稀なのか」


「そうね。後はエルダーリッチになったら番に渡す短剣があるでしょ? あれを作るために魔石の一部を切り取ったり――――なんてことはあるけど、こればかりは番に対してのものだから、尊さの方が上回ってるかもね」


「ああ、そういえば俺も、その短剣を使ったことがあったっけ」



 まだ学生だった頃に勃発した海龍騒動の際、最後はあの短剣が決め手となって海龍を討伐するに至れた。

 あれほどの力を発揮する武器を作る製法と似た術だというのなら、アインにもその重大さがよくよく理解できる。

 おもむろにリッチへ顔を戻したアインが、先ほどと変わらぬ覇気と圧を向ける。

 リッチはその迫力に飲まれ、僅かに肩を震わせて平静を保った。



「――――お前、神樹の力を自分のものにしようとしてたんだな」


『ッ――――』


「もうわかったよ。道理で神樹の様子が急変して、道理で町に入り込んだんだ。神樹が復活したところで、お前はルギスに潜霊術を用いた。理由は、神樹を復活させた力を得ようとしたからだろ」



 その先に何を見出しているのかは決まっている。

 リッチが口にした『叡智を求めず――――』という言葉から、面前のリッチが何を思い、何を欲しているか察しがついた。



「俺の傍にいるエルダーリッチから聞いたことがある。その人はエルダーリッチになるために、途方もなく長い時を経てやっと至ったってね。それも、時間を経ればすべてのアンデッドがエルダーリッチになれるわけじゃない。才能と、人知を超越するほどの力を得る必要があるんだ」



 もはやリッチに聞くまでもない。



「神樹の力を得ようとしていたところに邪魔が入った。それは俺たち、イシュタリカだ。そして神樹を復活させた力を得て、エルダーリッチへの進化に近づくことを願った。ルギスに潜霊術を用いてまで危険なことをしたのは、そのためだ」



 リッチにとっても、神樹を復活させるような力は魅力的すぎた。

 それはデメリットが多い潜霊術を用いても十分なほどで、そのリスクを負ったところで得られる力が十分すぎることの証明である。

 実際、アインの力はそれほどなのだ。



 それが得られるかどうかは別としても、また、その判断が過ちだったことも別としてもそう。いずれにせよ、リッチはその力の痕跡を逃すまいと必死で、高いリスクを負ってでもルギスに潜霊術を用いることで情報を欲したのだ。



「にしても軽率だったな。黙って潜んでいればよかったのに、目立つ真似をしたのは間違いだ」


「アイン、それはイシュタリカの防衛装置のおかげよ」


「……うん?」


「時間はかかったけど、防衛装置が感知したってこと。リッチは知性ある魔物だから、あの場面で無理はしないはずよ。あの研究所ではブラックフオルンのなりそこないを研究してたせいで、リッチも意図しない形で活性化させちゃったのよ」



 その際、リッチがルギスに潜ませていた力はブラックフオルンに移っていた。

 以降、防衛装置が働いていなかったかどうかだが、これについてはしっかり働いていたはずだ。

 しかしながら、ブラックフオルンのなりそこないを研究していたこともあって、それが再び活性化でもしない限りは、防衛装置はその力を奮わなかったはず。



 つまるところ、防衛装置はその力を発揮してみせたのだ。

 しかし、研究所で多少危険を伴う研究をしていたこともあり、その影響も相まって、更にリッチが意図しない形で活性化させたのがあの結果ということになる。



「でも俺が防衛装置より先に気が付けなかったのは……」



 覚醒した魔王としては思うところがある。

 アインが項垂れかけたところへ、



「アインは勘違いしてるみたいだけど、潜霊術はルギスアインが思う人に施されていたんじゃなくて、その護衛のうちの一人に施されてたんだと思うわ」


「……ってことは、俺が会ってなかった護衛とってこと?」


「そういうこと。じゃないとアインのことだから、一瞬で気が付いていたに決まってるじゃない。むしろ気が付いてなかったって言われたら、こっちからしたら、心の中で何か企んでるの? って疑っちゃうわよ」



 考えてみれば、ルギスは多くの護衛を連れていた。

 アインがその全員をみたわけじゃなかったし、植物の研究所に入った際も全員を確認していたわけじゃないから、そのうちの誰かに対して潜霊術が用いられていたようだ。



 ブラックフオルンのなりそこないがルギスに反応したように見えていたから、アインは勘違いしたのである。

 さすがにアインが護衛全員を調べる――――というのは諸々の事情から難しい。

 日程の面から言っても、そんな余裕はなかった。



「ありがと。そう言ってもらえて少し元気が出たよ」



 アインが遂に立ち上がった。

 するとほぼ同時に、リッチの身体が黒い粒子に変わりはじめる。

 先ほど、シャノンは可能な限り帰らないようにしていると言っていた。どうやら潜霊術は潜ませていた力を任意でかき消すことができるようだ。

 シャノンはそれを帰る、帰らないと表現していたが、帰るときが訪れたのだろう。



「俺はすぐにお前を追う。手を出してきたんだから容赦はしないよ」


『不可能なことを。そなたが我を追う機会も、痕跡もすべて――――』


「あるじゃないか。俺の目の前に」



 リッチの頭部がきょとんとした様子で揺れ、口元からカラン、という音がした。



「まだお前は残ってる。それだけでも十分だよ。……俺にとってはね」



 猶も全身を黒い粒子に変えつつあったリッチ。

 潜霊術によりこの場に実体はなく、何があろうと、その痕跡を掴ませないと確信できていたリッチの前で、アインがおもむろに片膝をついた。

 彼は次に片手をかざして、リッチの額に人差し指を当てる。



「俺が甘いって言われてる理由だ。最後に聞くよ。すべてを悔い改めて、罪を償う気はないか?」


『愚かなり、魔に生きる者として力を持ち得ながら、そのような戯言を口にするか』


「……わかった。どうやら俺たちはわかり合えないみたいだ」



 アインが纏う気配が変わった。

 普段、アインは自身の強大すぎる力を限りなく抑えている。そうでなくてはただそこに立つだけで人々を恐れさせ、本能に生きる魔物を刺激してしまうほど。

 暴食の世界樹の力は、まさしく人に理解できない力の結晶なのだ。



 アインはその力の一端を、指先からあらわにする。



「見せようか。――――お前が欲していた叡智の一つを」



 何もかもが吸い込まれるような思いだった。

 リッチは抗いきれぬ波が背中から押し寄せてくる感覚を覚え、それにより、アインにすべてを奪われそうになると言う、あまりにも抽象的すぎる感情に苛まれる。



『ぐ、ぉぉ……ッ!?』


「悪いけど、ただで帰らせるつもりはないんだ」


『貴様……我に何をぉ……ッ!?』 


「たいしたことじゃないよ。お前を追えるように、お前の力を食べてるだけだから」 


『た、食べ……?  それに、この力は……な、なんだ……これほどの力をどこに……ッ』



 ふと、リッチは幻覚に陥った。

 見たこともない真っ暗な世界に落とされて、その中でシルエットが光る大樹を見た。その大樹の幹にひびが割れたと思えば、数多の瞳がこちらを覗いている。

 嗤って、そして舌なめずりするかのように黒い液体を滴らせていた。



 十数秒後にその世界から解放されたリッチは今頃、その本体が深い恐怖に苛まれていることだろう。

 黒い粒子は既に消え、後に残されたのはしゃがんだアインと、その彼の隣にやってきた同じようにしゃがんだシャノンだけ。



「他の方法ってあった?」


「皆無ね。潜霊術を使ってる相手はどうやっても討伐できないから、その本体を討伐しにいかなくちゃ。だからアインも、リッチの力を食べたんでしょ? 別に相手を舐めて時間を使ったわけでも、わざと逃がしたわけでもないわ」


「まぁそうなんだけどさ。ただ他にうまいやり方があればって思ってただけ」


「心配しないの。あれで限度よ。というか普通の人にはできない方法で痕跡を得てるんだし、それ以上ないじゃない」



 すると、アインはシャノンと共に歩き出す。

 途中でシャノンはアインの身体の中へ溶け込むようにして姿を消した。



「殿下」



 ドックの外にいた近衛騎士の声だ。

 いまさっきアインが放った力による影響はない。アインが披露した力はあれでも抑えられていたし、そのすべてがリッチに向けられていたからだ。



「収穫はございましたか?」


「かなりあったよ。神樹に手を出してた魔物を見つけたりとかね」


「それはお見事でございます。では早速、我々に命令を?」


「そうするよ。とりあえずウォーレンさんに連絡して、すぐにダークエルフの里にいる騎士たちにも連絡をしたり――――忙しくなるかな」



 アインはそう言って身体をうんと伸ばした。

 そして次に、彼はダークエルフの里がある方角に目を向けて、不敵に頬を吊り上げる。



「それと、俺も動く。いまから討伐してくるよ」


「い、いまからですか……!?」


「うん。早いに越したことはないしさ」



 あっさりと言い放ったアインが、ここに来るまでに乗っていた馬に近づいた。

 馬に乗ると、彼は満天の空を見上げて呟く。



「目先の欲に駆られて、世界樹の魔王を侮ったな。――――悪いけど、俺たちも大事な時期なんだ。邪魔はさせない」



 アインはこの夜、急なことに驚くクリスを連れて魔導船でイストを発った。

 そして特筆すべきこともないうちに、リッチの討伐を成し遂げてしまう。

 なんてことなくあっさりと、アインの強さに見慣れたクリスが唖然とするほど圧倒的に、一瞬で。

 


『あ、ちゃんと終わらせておいたよ』


『終わらせておいた、じゃありませんっ! いきなり魔導船から飛び降りたと思ったら……もー』

 

『ごめんごめん。リッチは例の元相談役とは無関係みたいだったし、それなら逃げられる前に討伐しておかないとって』



 絶対的な命令の力シャノンの力で確かめるべきことも確かめた。

 そして一応、アインを見てすぐに魔法を放ってきたのもリッチの方だ。友好的な態度が一切なかったから、どう考えても討伐以外の選択肢はなかった。



 そのため、結果は一瞬。

 アインが手にした黒剣イシュタルが、リッチの魔石を一突きだった。



『帰ろっか。近くだしメリナス殿に挨拶をって思ったけど、こんな時間だしいきなりだと相手に悪いからね』



 ――――アインはクリスの手を取り、魔導船に乗り帰路に就く。



 この夜の件についての報告を聞いたシルヴァードが苦笑したのは、いつも通りのことである。これによりダークエルフたちとの話がどのような展開になるのか、それはまた数日後にわかることだった。

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