ダークエルフたちの戒めと。

 女性の近衛騎士が口にしたルギスの性別の件について、まだルギスは目を覚ましていないから直接尋ねられていなかった。



 当然、彼らダークエルフは緊張を主として複雑な感情に苛まれている。

 一番の懸念は、王子と告げていたルギスが女性だったこと。ただでさえイシュタリカに依存しつつある故郷の立場を鑑みれば、此度のような虚偽は相手イシュタリカに不信感を抱かせるのが普通だ。



(で、本人はまだ意識を失ってるわけで……)



 アインとクリスも多くの疑問を抱いていたが、まずは別行動をとって互いに成すべきことを成していた。

 


 まだ目を覚ましていないルギスの代わりに、護衛のダークエルフたちだけ会談の場に足を運んでいた。

 会談の場はイスト内にある騎士の詰め所だ。

 そこにアインがダークエルフたちと共に現れたのだから、話を知らなかった現地の騎士たちは大いに驚いた。また妙な雰囲気が漂っていたこともあり、騎士たちの顔にも緊張が見て取れた。



「王太子殿下!」



 一人のダークエルフが口を開いた。



「説明させていただきたい! 我らが隠していたのは――――」



 その彼が息を呑んだ。

 ダークエルフたちは騎士が会議に用いるための椅子についていたのだが、少し離れたところに座るアインの背後に立つ近衛たちを前に、より一層の緊張感を覚えていた。

 近衛騎士たちが覇気を放ってしまうのは、仕方のないことだ。

 アインが諫めるために手を上げて近衛騎士たちに合図を送ったことで、ようやく少し収まった。



「つづけてくれ」


「は――――はっ!」



 代表して口を開いたダークエルフが言うには、イシュタリカ王都に着いたところで説明するつもりだったそう。



「……我らを率いる王族には、ある義務が課せられるのです」


「義務だと?」


「はっ。我らの祖先はドワーフの国と事を構え、その王族を色香で惑わすことで技術を奪ったのです。王太子殿下たちもご存じと聞いておりますが……」



 言わずもがな、鉄の国のことである。

 女王は王族の血を引いておらず、ムートンの祖先が鉄の国とたもとを分かった王族だったため、鉄の国の王族と言える存在は既に彼しか存在していない。

 その彼は鉄の国の王権に興味がなかったため、いまは一部の者しか知らない情報なのだが……。



「聞いている。それとルギス殿が男であると偽っていたことに何の関係が?」



 アインが問いただせば、ダークエルフの喉元から生唾を飲み込む音が響いた。

 緊張して震える声音でありながら、決して嘘偽りを述べるつもりはない。



「……それから百年と経たぬうちに、我が国で内乱が勃発したのです」


「――――は?」


「当時、女王に骨抜きにされたドワーフの技術は我が国に多くの繁栄をもたらしたと聞いております。しかし国が富めばこそ、住まう民もまたその富に慣れてしまう。もっと、更に――――と水準が高まる生活を過ごすにつれて、資源が枯渇していったのです」


「同族内で、派閥争いでも起こったのか?」


「ご賢察にございます」



 古き時代、ダークエルフが用いる呪いと魔法の力は他の種族を圧倒し、またドワーフの技術を得たことで勢力拡大の一途をたどっていた。まさしく栄華を誇ったのだ。

 だが、他種族の台頭により事情がかわった。



「純粋なヒトがいたるところに国を構えました。いまでこそ異人と呼ばれる者の多くとヒトの間に交易が生まれ、やがて種族を超えた協力関係が生じたのです」


「それはイシュタリカが誕生する以前のことだな?」


「申し訳ないのですが、我らの勉強不足です。イシュタリカという国の存在は我らも古くから知っていましたが、国の中で過ごしてきたため詳しくは存じ上げません。しかし、ある時代に一人の王が大陸を統一した――――とは」


「それがわかればいいんだ。口を挟んで済まない」


「いえ」



 ここで本題だ。

 ダークエルフの国で内乱が起きた理由に戻る。



「栄華を誇った我が国は、徐々に国土を奪われました。幾度も他種族を相手にした戦争に負け、自慢の力が通用しなくなっていったのです。同族は何人も国を去り、外の国の民になりました」



 当時存在した王族同士でも国の方針に関して意見が割れて、ダークエルフ同士の戦いが勃発した。

 その争いは同族の血を多く流し、個体数を相当に減らしてしまう。

 やがて、王族の中でも穏健主義を保っていた者が民に支持されて新たな王になる。それがメリナスの祖先で、ルギスの祖先である。



「我らダークエルフが国の存続に追い込まれたのは、余計な欲を抱いたからである。当時の王はそう言い残したと言います。では、いつからそのような欲を抱いてしまったのかと言うと、古き女王がドワーフをたぶらかし、その技術を盗んでからなのです」


「――――だから王族は女性に生まれたら、その身分を隠すってことか?」


「はっ。当時の王は二度と同じ間違いを起こさぬよう、王家に生まれた女性に対しては、二十歳になるまで男として生きる誓いを立てられました」



 そう言われても、アインにはわからないことがある。

 つい苦笑いを浮かべ、どうしたものかと思いながら尋ねる。



「エルフやドワーフは年老いても美しく若々しい者ばかりだ。二十歳まで男として生きたところで、他種族の男を誘惑することは容易かったのではないか?」



 しかし、そこにはアインも知らなかった事情が隠されていた。



「我らダークエルフの女性たちは、生まれながらにして魅力の力を持ちます。王族は特に力が強いのですが、生まれてから十五年が経てばその力は弱まりはじめ、二十歳を境に多くを失うのです」


「ほう……それは興味深い。何か理由があるのか?」


「生物としての特性でございます。ダークエルフの女性は魔力の成長が男性に比べて遅く、二十歳になるまでほとんど成長いたしません。魔法の扱いそのものには長けておりますが、重要な魔力が少ないせいで、うまく行使するのに時間を要するのです」


「なるほど。その代わりに魅了の力が身を守るために存在するのか。だが、そなたらが持つ魅了の術は魔法と違うのか?」


「生まれ持ったスキルと言うべき力です。ドライアドが吸収の力を持つように、ダークエルフの女性は生まれながらに魅了の力を持つのです」


「そういうことか。合点が言ったよ」



 諸々の事情が理解できたところで、原初の問題へ帰結する。

 アインが尋ねるのは、ただ姿を隠していても意味がないだろうに、ということ。

 だが、それを聞いたダークエルフが言う。



「王族は性別を問わず、生まれてすぐにある刻印を身体に施すのです。それは魅了の力を封じるためのもので、他の効果はありません」



 それにより、王族に生まれた女性は魅了の力を封じられるのだとか。

 二十歳になれば自動的に失われる力とあって、それまで魅了の力を使わぬように施されるようだ。また、わざわざ性別を男と偽る理由だが、



「戒めなのです。二度と同じ過ちを犯さぬよう、国を再建した際の王が言い残しました」


「……ありがとう。すべて理解できた」



 やや――――いいや、第三者からしてみれば相当に辛い風習である。

 アインは過去の失敗をしないように、という考えから生き方を定められるダークエルフの王族に対し、筆舌に尽くしがたい、同情に似た感情を抱く。

 王族としての戒めはわからないでもないし、ルギスは幼い頃からそのように生きていたろうが……。



(やっぱり、俺たちの常識とはかけ離れてる)



 種族が違えば国が違う。

 もう何もかも違ってもおかしくないため、こうして共通語を話せることが奇跡に思える。

 話に聞く風習、あるいはしきたりをここまで説明していなかったダークエルフの選択は明らかに間違いだが、思いのほか思い理由にはアインもため息を漏らしてしまう。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 クリスは会談の場に同席していなかった。

 アインに変わり王都への連絡をして、騎士たちの指揮をしていたからだ。

 宿に戻ったアインを迎えた彼女はアインの顔を見て、



「……お疲れさまです」



 彼の疲れた表情を見て労う。

 おもむろに頭部をころん、とクリスの肩に乗せたアイン。



「なんかもう、色々と疲れた」


「あはは……ええ。あっちで少し、ゆっくりしましょうか」



 クリスはアインが着たシャツの袖を掴んで、彼を連れて歩き出す。

 向かった先にあったソファに座り、普段、あまり見せない疲れた様子のアインを隣に座るよう促した。

 だが、アインは隣に座りかけたところで体勢を変える。

 何も言わずクリスの膝に倒れこむと、クリスも驚くことなく彼を迎えた。



「――――相手がどんな理由で黙っていたのか、陛下たちも気にしてましたよ」


「ん。だと思った」


「ですけど、アイン様にお任せするって仰ってました。何でも、『アインになら任せられる』って」


「うわぁ……お爺様のそれ、若干面倒くさくなってるじゃん」



 くすくすと笑ったクリス。

 膝の上に横になったアインの髪を手櫛で梳けば、彼はくすぐったそうに目を細める。

 彼はこうして油断した姿を見せてくれることが少ないから、クリスはつい嬉しくなって、その指先を彼の頬に伸ばしてしまう。



「触ってても楽しくないよ?」


「ううん。すっごく楽しいです」


「……そういうもんか」


「ええ。そういうものなんですよ」



 二人が僅かな沈黙を交わした後に、



「実はさ――――」



 アインがダークエルフから聞いてきた話をクリスに伝える。

 クリスは興味深い話を聞くたびに「えっ!?」とか「すごいですね……」とコロコロ表情を変えてみせる。それがアインの疲れを癒していた。



「理由はわかりました。閉鎖的な空間で過ごしてきた他種族ですから、そういう風習があっても不思議ではないと思います」


「ただ、黙ってたことをどうしようってことなんだよね」


「あはは……確かにその通りです……」


「いっそのこと、それを利用させてもらった方がいいのかも?」


「あっ、交渉を優位に進めるためですね」


「そ。相手が不誠実だとかどうのとか、今回は事が事だから思わないわけじゃないよ。ただ何百年も鎖国してきた人たちを相手にするわけだから、もう割り切ろうかなって」


「……大丈夫ですか? 相手に舐められてる、って考える貴族もいると思いますよ?」


「わかる。だからそっちはどうしようかなって頭を悩ませてるとこ」



 だがそのあたりはウォーレンをはじめとした文官がうまく動くだろう。

 アインがこの段階でウォーレンと同じように振る舞えれば最良なことに違いはないが、ウォーレンは大戦当時から幾度も姿を変え、イシュタリカを支えてきた男だ。

 そんな人と同じ振る舞いを簡単にできるなんて、誰も思わない。



 アインは来年には王となる身だが、文官的な力はまだまだ学びが必要なのだ。

 ウォーレンやシルヴァードも、こうした貴族の機微が関わる問題をいまのアインがすべて解決できるとは思っていない。

 少しずつ、できることを増やしていくはず。

 アインの基本方針を聞き、シルヴァードたちが大きく反対することはないだろう。



 ダークエルフたちの過ちを寛大な心で受け止めることで、相手がイシュタリカを舐めることのないよう、けん制することなどウォーレンたちには容易なことだ。

 決して頭を悩ませるだけではなくて、逆に利用してやるくらいの心持ちでいてくれるだろう。



(現実的には、俺一人で解決しようとしても問題なわけなんだけど)



 下手をすれば独裁と判断されかねないので、やがて誕生する一人の王だけの言葉で物事を考えることは愚かな一面もあろう。

 とはいえ統治力その他に欠ければ立派な王とは言えず、塩梅が難しいところだった。



「…………」



 クリスがアインのことをじっと見下ろしていた。

 何か言うわけでもなく、ただ静かに。



「どうかした?」


「えっと……アイン様はその……」



 随分と歯切れが悪い。

 しかし彼女はここで引き下がることなく、意を決した様子で、やや弱々しい声音でアインに問いかける。



「相手の王族が女性だった場合、何か別の方法で融和を求められたら……あの……」


「……うん?」


「で、ですから! イシュタリカではあまりなかったけど、ハイムなどではあった、国家間の――――っ!」


「ああ、王族同士で婚約してどうのこうのってこと?」



 クリスが双眸の表面を薄く濡らしていた。

 とてつもない緊張感に全身を襲われているのか、アインはクリスの太ももが硬くなったのを感じ、その直前に一度震えたことを忘れていない。

 意を決して尋ねたクリスには悪いが、



「しないって」



 アインは平然と答えた。



「それが融和に通じる簡単な選択なことはわかるけどね」


「……貴族や相手のダークエルフに提案されてもですか?」


「うん。大国の王になるならそう簡単に決めちゃだめだと思うけど、万が一そんな流れになっても俺は断るよ。ありがたいことに英雄って呼ばれてるから、割とわがままは通せるだろうしさ」



 我がままかどうかと言うと判断しかねるところだが、大前提としてアインに政略結婚を受け入れる気はない。

 相手の気持ちを鑑みてもそうだし、そもそもその気がないからだ。

 アインは膝枕の体勢のままクリスを見上げ、彼女の頬に向けて手を伸ばしてみる。彼女はその手を取り、自分の頬をこすりつけるようにじゃれついた。



 次に何も言わずに背を曲げて、アインの唇に口づけを落とす。

 それを終えたとき、クリスは頬を真っ赤にしていた。



「……慣れたつもりだったんですが、こうして改まるとダメですね」



 彼女が「たはは」とはにかんだ。

 その姿が愛おしくて、アインはクリスに今一度手を伸ばす。

 クリスの服の袖を掴むと、いつもとは違った積極的な仕草で自分の方に引っ張って、今度は彼女の唇をアインから重ねさせた。

 一瞬、面食らったように目を見開いたクリスが、ぎゅっと瞼を閉じる。

 開放されたとき、彼女は全身から力を失ってソファに倒れこんだ。



 逆に膝の上に寝ていたアインが身体を起こした。

 彼はいつの間にかクッションを抱いて悶絶しているクリスを見て、クリスの頭に手を伸ばして優しく撫でた。



「大丈夫?」


「……だいじょばないです」



 そうは言いつつも密かに片手をアインに伸ばして彼を掴んでいるあたり、これもまたクリスの成長と言えるはず。



(王都に報告しとかないと)



 近衛騎士や文官からも報告が届いていると思うが、それはそれ。

 アインはシルヴァードの許可によりこの地に足を運んでいるから、今日のことを報告する義務がある。

 意識を失ったルギスが目を覚ましたら、彼――――ではなくて彼女の下へ足を運ばなければならないから、その前に成すべきことをしておかなくては。



(一番の問題もまだ残ってるし)



 研究所を巻き込み、大規模な調査が行われている。

 ブラックフオルンのなりそこないがどうしてあのように変化したのか、それがダークエルフたちによる策謀なのかを確かめている際中なのだ。

 だが取り急ぎ届いた報告に寄れば、ダークエルフが何かした様子はないという。

 ダークエルフの周囲は厳重に管理されており、また魔道具による調査も行われているからわかったことだ。



 となれば予想できなかった不思議な事故か、あるいは別の何かか。

 先ほどはルギスの性別周りのことで時間を使い過ぎたため、騒動のことはまだ整理しきれていない。

 ただ、例の元相談役と鉄の国の騒動から間もないとあって、すぐに何らかの判断を下すつもりはアインにもない。

 こちらも今日中に調査をはじめ動かなくてはと思いつつ、アインは「やれやれ」と呟く。



「メッセージバードを取ってくるから、少し待ってて」


「あっ、ごめんなさい……! 私、邪魔しちゃって……っ!」


「そうじゃないって。俺がしたくてクリスに癒してもらってただけだから、気にしないで。すぐ戻ってくるから、そのままでいいよ」



 すぐ戻ると言ったアインは心の中で、クリスが僅かながら不安を抱いたことを気にしていた。

 メッセージバードで報告する際は一人で居なければいけないわけじゃなく、傍にクリスが居て困るような話をするわけでもない。

 だからメッセージバードを取ってきたアインはすぐにクリスの傍へ戻った。



 クリスが仕事の邪魔をしないように席を外そうとすれば、隣に座ったアインが彼女の頭を撫でてそれを止める。




「いいから。俺も少し疲れてるし、もうちょっと休憩してからちゃんと仕事しよう」



 この状況下でただゆっくり過ごすつもりはない。

 でもアインが疲れ、整理しきれていない問題にぶつかったことは事実で、ここで余裕を失って冷静さを欠くことの方が恐ろしい。

 本当にアインは癒されていたし、それにより得られる冷静さもあった。

 中には彼の優しさも内包されているが、それも二人にとって重要なことである。



「……あのさ」



 メッセージバードで報告する前に、



「確かに俺は自分から首を突っ込むことが多いけど、こういう予期しない事態に遭遇することも多いんだ」


「ええ。私はずっと昔からお傍に居るんですから、知ってます」


「……さすがにこれは俺のせいじゃないよね?」



 いわゆる巻き込まれともいえる状況はアインの責任にない。

 そう言いたかったのだが、クリスはクッションを抱いたままアインを見て、苦笑。



「……アイン様は人を惹き付けるお方ですからね」


「言い方を考えてくれてありがと。ちょっと元気になれたかも」



 アインは最後にクリスに気を遣ってもらってから、王都へ連絡したのである。


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