世界樹様の肥料作り(予定)
ダークエルフの件をカインから聞いた数日後。
諸々の公務に少しずつ落ち着きがみられはじめたところで、現在、イシュタリカに滞在中のエレナがアインの執務室を訪ねた。
「よければお手伝いいたします」
執務室で仕事をしていたアインはその申し出に素直な感謝を告げた。
時刻は朝の十時。開いた窓の前で揺れるカーテンから、揺らぐ陽光に混じって涼しい風が執務室に入り込んでいた。
時折、クローネも使う机に向かったエレナ。彼女はその際、アインが使う机から、彼女が手伝っても大丈夫な仕事に限った書類をまとめて受けとった。
「今度、夫もご挨拶に参りたいと言っておりました」
「すみません。本来なら俺から挨拶に行くべきなのに」
「何を言ってるんですか。殿下はこのイシュタリカの王太子で、時期国王陛下ですよ。我らハイム自治領の者にへりくだる必要はありません」
「――――その前に、お二人は俺にとっての義母と義父ですよ」
アインならそう言うだろう。
わかり切っていたことにエレナが苦笑。
「実はその件でウォーレン様のお手を煩わせてしまいまして」
「ウォーレンさんが?」
「ええ。私と夫が名実ともに殿下の家族となることに関連して、取り入ろうとする他国の者が何人もいたんです。それをウォーレン様が対処してくださったんです」
「……すみません。俺のせいでもありますね」
「い、いえいえ! とんでもありません! いつも娘をお傍に置いていただき、こちらこそ感謝するばかりでございます!」
エレナが言うようなことも気を付けなければならない。
失念していたアインは仕事に勤しみながら申し訳なさからため息を漏らし、ウォーレンへの感謝を覚えながら「しっかりしないと」と呟き頬を叩いた。
「殿下がご自身をしっかりしてないと申されると、騎士たちが泣いてしまいますよ?」
「はは……俺としては、しっかりしないとって常に思ってますよ」
アインがそう口にしたところで、執務室の扉がノックされた。
ここはアインの自室もある階層にある執務室のため、足を運べるのは王族か、近衛騎士をはじめとした一部の人間に限られる。
ノックの音を聞いて立ち上がりかけたアインへと、「私にお任せを」と言ってエレナが立ち上がる。
扉に向かった彼女がそれを開けると、外に居たのは彼女の娘――――クローネだ。
「クローネ?」
「え、お、お母様……? どうしてアインのところに居るんですか?」
「私は殿下のご公務に微力ながらお手伝いをって……そういうクローネこそ、何をしに来たのかしら?」
すると、クローネは引き攣った笑みを浮かべて目を反らす。
その目は部屋の奥に居たアインに向けられて、まるで助けを求めているかのよう。
どうしたんだろう? 首をひねったアインがクローネの姿を見て、気が付く。彼女はゆったりとした服ではなく、第三者に見られても恥ずかしくないような服に着替えていたのだ。
「あ、あのねアイン! 実はシルビア様からちょっとくらいならって――――」
「エレナさん」
「――――はい」
それ以上の言葉は口にせずとも、エレナはアインの意図をくみ取った。
エレナの手がクローネの手を掴み、執務室から離れるよう外に連れ出してしまう。
「お母様? そちらはアインの執務室ではありませんよ?」
「知ってるわよ。でも殿下がそうしてくれって私に言ったの」
「ア、アインは何も言ってません!」
「なら言い換えるわ。言ったも同然よ」
汲み取られた意図だが、つまるところ連れ帰るようにと言うことだ。
クローネはシルビアからちょっとくらいなら自由にして平気とでもいわれたのだろう。だが、それはちょっとくらいなら仕事をしてもいい、ということじゃない。
彼女も馬鹿じゃないから無理はしないはずだし、身体を大事にする気持ちは間違いなく優先されている。僅かな気分転換がてら、アインの執務室を訪ねたと言ったところだろう。
クローネも反論の余地がないと理解していたのか、むすっとしながらエレナに従う。
だが、扉が完全に閉じられる寸前にアインが口を開く。
せっかく来たのに帰らされるクローネへ、彼女が喜ぶ一言を投げかける。
「お昼を食べたら、ちょっと散歩しに行こうか」
それを聞いたクローネはぱぁっと明るい表情を浮かべた。
弾む声で、どこか以前にも増して少女の頃を思い返す声音で。
「うん! 楽しみに待ってる!」
そう言って連れられて行くクローネの顔は、幸せそうな微笑みを浮かべていた。
エレナはその後で、扉の隙間から唇の動きだけで『娘が甘えん坊になってしまって申し訳ありません』という旨の言葉を声に出さずアインに伝え、アインは『嬉しいので、起きになさらず』と答えた。
時計の針を見たところ、エレナが来てから一時間ほどの時間が過ぎていた。
昼食まで、もう少し頑張らないと。
クローネと交わした約束のためにも遅刻は許されない。アインはそれまで以上に気合を入れて、残る公務を片付けにかかった。
◇ ◇ ◇ ◇
約束通りの散歩も、城の敷地内で。
庭園でも特に人目に付かない、王族とそれに近しい者しか足を運べない中庭の一角で、春の陽気に包まれながらの散歩だった。
アインはクローネを連れて静かな時間を過ごしていた。
そこへ二人の美玉が訪れる。クリスとオリビアの二人だった。
彼女たちも偶然、外で午後を過ごしていたようだ。
偶然にも揃った四人は、芝生に腰を下ろし歓談に花を咲かせた。
内容は何てことのない日常の話からはじまって、次にクローネの体調の話や、今後のアインの話などが交わされる。
後にその話題は、ダークエルフの里の件に広がっていった。
「数年以内に死んじゃう森って聞くと、エルフとしては思うところはあります」
クリスが沈痛な声音で言った。
彼女自身、いま話題にあがっているダークエルフが鉄の国と過去縁があったであろう事実は聞いていたけど、森が寿命を迎えたというアーシェの言葉には、一人のエルフとして考えずにはいられないことがある。
「アイン様もご覧になったと思いますが、私が生まれた里には神樹はありません。けど、神樹のことは長から聞いたことがあります。きっと、ダークエルフたちはすごく不安だったんだと思います」
「だと思う。鉄の国の騒動から間もないから色々勘ぐっちゃうけど、それとは別に、彼らが助けを求めてたことも嘘じゃないはずだし――――母上は何か、お爺様から聞いていますか?」
「はい。ちょっとだけですけど……森が死ぬ範囲を、最小限に食い止めようとしてるみたいです」
そのために研究員を派遣しつつ、多くの調査が行われている。
それ自体は理解できるのだが、アインはオリビアが口にした言葉に疑問を抱いた。
「森が死ぬ範囲を最小限にって、どういうことです?」
「それは神樹の力が影響しているんですよ。神樹は魔物でこそありませんが、長い年月をかけて魔力を蓄えています。死んでしまうと、その根を通じて腐敗した魔力が大地に流れ出てしまうんです」
「あっ、私も長から聞いたことがあります! それにより、森を富ましていたはずの力が今度は森を殺す力になってしまう……って」
「クリスが言った通りね。――――だからアイン、大陸のためを思えば、その範囲が広がらないように手を尽くさないと駄目ってことになってしまうです」
「なるほど……というかお母様、詳しいですね」
「ふふっ、私も元ドライアドですから」
先祖返りのドライアドとして生を受けたオリビアは、そうした自然に関する知識を蓄えていた。
アインもまたいまの話を勉強になったと思いながら空を見上げ、「うーん……」と呟く。
「どうしたの?」
隣に座るクローネがころん、と首を寝かせながら尋ねた。
「俺がその魔力を吸えば解決なのかなって思ってさ」
しかし、それをするにしても気が進まない自分が居た。
いまはクローネを何よりも優先したい。だが森に死んだ神樹の影響を広げないためには、じっとしていることもイシュタリカへの不義に当たる。
迷いながら言ったアインへ、クローネは「気にしないで」と言いながら微笑む。
どうやら彼女はアインの考えをすべて看破しているようだ。
「アインらしい優しい考えだと思う。ですがオリビア様、いまアインが言ったことで解決できるんでしょうか?」
「少し難しいかもしれません。それをするにしても時間を掛けないと森に負担があるんです」
何でも、神樹の影響を受けている森から、神樹の魔力をすぐに消し去ってしまうことも問題なのだとか。
これまでその力に依存して成長を遂げた森にいきなりの変化を促すことも、また生物的に大きな負担になってしまうと言う。
つまるところ、アインが唐突に出向いて魔力を吸いつくすのも最善と言える手ではない。
(じゃあ、俺が行ってすぐに解決できるって問題ってわけでもないか)
アインには世界樹の魔王として考えることがあって、森を救いイシュタリカのためになるならという思いが当然のようにある。
だが、即座に彼が出来ることがない。
研究員たちがその叡智を生かした方が良いのなら、今度こそアインは王都に居た方が良い。
それこそ、クローネが懐妊して間もない今は殊更だった。
「ところで」
ふと、アインが抱いた疑問。
「クリス。神樹が死ぬのって、今回がはじめての例じゃないよね?」
「そのはずですよ。私も長から同じような話を聞いたことがありますから……」
「そのときってどうしてたの? 今でこそ研究者たちの叡智を生かしてその影響が広がらないようにしてるけど、昔はどうやってそれを防いでたんだろ」
「……昔は、燃やすしかなかったんです」
エルフのクリスにとってその言葉はとても重く、鎮痛。
また、元はドライアドだったオリビアも重苦しさを漂わせ、その二人と同じくドリアードになったクローネもそうだ。
アインだって、世界樹の魔王として考えさせられる。
(長い間世話になった森を燃やす、か)
エルフやダークエルフがそれを成すときの気持ちは察するに難くない。
アインも想像するだけで胸がわしづかみにされる思いだった。向かった研究員によって、その影響が最小限に収まることを祈るばかりである。
すると――――
『世界樹様』
『ああ、我らが世界樹様』
フオルンの声だった。ミスリス渓谷を離れこの地にやってきたフオルンたちが、四人の声を聞いて彼らに語り掛けてきた。
「うん? どうしたの?」
『人々は多くを勘違いなさっておいでなのです』
『そう。勘違いでございます』
「えっと……勘違いって言うのは?」
フオルンたちの声はすぐ傍からではなく、空間そのものに響き渡るように。
それも当然だ。何故ならフオルンが根を張るのはこの中庭でも、別の場所にある。フオルンは風にその声を乗せ、四人の元へその声を届けていた。
『きっと、世界樹様も直に神樹を見ればご理解くださるはず』
『そのはずです。神樹は死なず。限りなく死に近い状況に陥るだけということを』
「……ごめん。もうちょっと詳しく」
アインのみならず、彼の傍にいるクローネもクリスも、オリビアも強い興味を引かれていた。
『神樹は枯れても死にません。若返るため、また新たな地で根を張るために種子へ還るだけなのです』
『振りまかれる死の魔力は、その森と共に種子へ変えるためなのです』
言葉通りに受け取るなら、神樹もその周りの森も一つの存在として生まれ変わる。
その際、ともに生まれ変わるために広がった魔力により森が息絶える。一つの生命としてそれは正しいのかもしれないが、影響を受けるダークエルフを思えば素直に「そうか」とは頷けなかった。
『長く生き過ぎて老いた神樹とその力は、魔物の餌となります』
『清らかなる森を富ませる力が、何者も襲う力強い魔物を生むこともあるのです』
だが、ある種の自浄作用と思えばすべてを否定することはできなかった。
フオルンの話を聞いて理解した真実に、ここにいる四人は複雑な感情に苛まれた。
『なので、長は言っておりました』
『はい。仕事嫌いの長ですが、間違いは言いません』
『神樹も森と共に種子へ還ることは良しとしておりません。ならば、誰かが力を貸せばよいのだと』
「それができる方法があるってこと?」
『――――あります』
まさかという感覚だった。
ここで急に、唐突にその情報が得られるとは思わなかった。
アインをはじめとした四人は顔を見合わせ、次の話を聞くようアインにすべてを委ねる。三人の美姫に支えられるようにして、アインがつづく言葉を口にする。
「教えて欲しい。俺たちにできることがあるなら頑張りたいんだ」
すると、フオルンの声がつづく。
『そもそも、神樹に寿命はないのです。枯れるのが早いか遅いかの違いは、生育に必要な力が欠けているかだけなのです』
「森の土が痩せきてる、ってことか」
『はい。森で死ぬ生物や魔物が減り、土に還る栄養が減る。あるいは切り開かれることで生態系の影響が生じる。そもそもの土が痩せすぎたこともそうかもしれません』
でも――――とアインが疑問を呈する。
「イシュタリカの研究者たちがそれを試してこなかったとは思えない。土を改善したり、周辺の環境を鑑みることはあったはずだ」
『ですが、足りないのです。定命の者が手を尽くそうと届かなかった――――そうなのでしょう』
『必要な力を得られなかったのでしょう。それこそ、自然を知り尽くした世界樹様のようなお力でなければ、神樹ほどの存在は活力を取り戻せません』
「……俺が自然を知り尽くしてるかはさておき、俺ならできる可能性があるってこと? ついでに、今ならまだ間に合う可能性もあるって理解でいい?」
『はい』
『問題ありません』
アインは更につづきを促した。
先ほど口にしたように、できることがあればいくらでも頑張りたかった。
「じゃあ、俺は何をすればいい?」
再び尋ねてから、数十秒。
春風に靡く庭木が揺らぐ音が過ぎ去ってから、フオルンたちは木々のさざめきがとんと止んだところで風に声を乗せた。
『殿下の力が宿った実りを与えてみるのはいかがでしょう』
『あれはよいものです。土も果実も、我らを天へ導く極上の光にございます』
「ごめん。もうちょっと具体的に」
アインはそう言ったけど、傍にいる三人はすぐに理解した。
「たとえばアイン様が生み出したリプルの実……でしょうか?」
クリスが言えば、
「後は、アインが前に耕してみてた土かしら?」
クローネが言って、
「アインが生んだ木々の葉を土にかけてあげるだけで、土が元気になるらしいですよ」
最後にオリビアがアインの知らない情報を口にして、彼を「え!?」と驚かせた。
三人が口にした言葉は正解だ。フオルンも『そうです』と言い、同意の声を風に乗せて届けた。アインはと言えばまた驚きつつ、
「お、おお……そうなんだ……」
他人事のように呟いて、三人を笑わせた。
「ってことは、俺の力で肥料とか作ればいいってことなのかな?」
『試してみる価値は大いにありましょう』
『はい。もしよければ、我らを実験に使っていただいても問題ありません。望むところでございます』
フオルンのそれはむしろ嬉々としているようですらあった。
アインだってそれはわかっていたし、偶に見せつけられるフオルンの茶目っ気には、またもアインの傍にいる三人も笑っていた。
「肥料作りの知識がある人を城に呼ばないと」
城でも出来ることがあるのなら、アインがしないはずもなく。
決意に満ちた呟きを空に向けて発した彼は、すぐにウォーレンに相談しなければと思った。
しかし、その必要はない。
――――そう。
この王城にはイストの研究者ですら敬意の念を抱く研究者がいる。
「まーた私の出番ってわけなのニャ……? やれやれ、モテすぎて困っちゃうのニャ」
いつから話を聞いていたのか、辺りを囲む生垣の影から現れたカティマの姿。
以前までと違ったゆったりとした白衣に身を包んだ彼女は一人でここにやってきて、アインに近づいて仁王立ち。
「散歩してたら声がしたから来てみたのニャ」
「ディルは?」
「近くで待ってもらってるのニャ」
アインの傍に三人が居たから遠慮したのだろう。
しかし、これはこれで都合がいい。
「先に言っとくと、カティマさんに無理をさせる気はないよ」
「分かってるのニャ。私も子供がいる身ニャから、前みたいな無理をする気はないからニャ」
「――――すっごい。カティマさんの口からそんな言葉を聞けるなんて」
「ニャ、ニャニャニャッ!? 私だってそのくらい気を付けるニャ! 馬鹿にしてるのかニャ!?」
「冗談だよ。でも本当に心強いや。……個人的には、どうして肥料に関しても覚えがあるんだろうって気になってるけど」
「昔、アインに食べさせたらどうなるのかって研究してた時期があるのニャ」
アインは一瞬で頬に青筋を浮かべかけたが、必死になって堪えた。
クローネは仕方なそうに、クリスはカティマらしいと、そしてオリビアは怒りかけたアインの横顔も魅力的に思いながら嫣然と笑んでいた。
「明日までに色々と準備しておくのニャ」
「……ありがと。さっきの言葉は聞かなかったことにしとく」
一応、丸く収まった。
この分だとカティマは他にも隠し事がありそうだ。いつか暴いてやろうと思いながら、アインはとりあえずカティマが子を生むまで優しくあろうと心に決める。
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