祝福。
やがて、アインが王都に戻った。
シルヴァードやウォーレンは休むように言ったが、アインは鉄の国の現地で動きつづけた身だ。そのため彼は、皆の言葉に感謝しつつも仕事をつづけた。
――――と言っても、心の中では常にクローネのことばかり考えている。
いまだ体調が優れない彼女は、アインと共に王都へ戻ったシルビアが常に傍に居て、万全な体制によりその体調が管理されている。
だが、それでもまだどんな病に陥っているのか不明なまま……。
アインにとっても、心の休まらない時間だった。
彼が王都に帰って二日目の夜だ。
「……未来の王妃様の体調はどうニャ?」
執務室で仕事を終えたアインの下をカティマが訪ね、いつになく神妙な表情を浮かべて言った。
カティマ自身、ディルの子を身ごもって間もないにもかかわらずの優しさ。それに対し、アインは心配を抑えきれず消沈した声で言う。
「変わらず……かな」
言わずもがな、すべてはクローネのことだった。
クローネは春に差し掛かるその前から体調が優れない日がつづいている。最初は隠して公務に励んでいたのだが、唐突に倒れてしまい城内が慌ただしさに包まれた日があった。
その日から、クローネの体調は改善する様子が見られていない。
重苦しく返事を返したアインに対し、カティマも嘆息を吐く。
「私も今日から城に泊まることにしたのニャ」
「え?」
「もしも手伝えることがあったら、ってことニャ。すぐに駆け付けられるしニャ」
アインは当然、「それは駄目だ」と言ってカティマを諫めた。
それでもカティマは気にするなという旨の言葉を口にして、いまの発言がディルと相談の上であると言った。
またそれにつづいて、いずれにせよ城に泊まり込む予定があったのだ……と。
「お父様が私を気にしてくださってるのニャ。しばらくの間、以前みたく城で過ごしたほうがいいだろう……ってニャ~」
カティマの夫であるディルも、それには心から感謝した。
二人が住まう新居は万全の警備体制にあるものの、イシュタリカにおいて王城に勝る安全性を誇る場所はない。
あるとすればバハムートくらいなもので、日頃の生活を考えれば王城のほかになかった。
また、城に居れば医療にかかわる者も大勢いる。何よりもバーラの存在だ。
これらの事情を鑑みた結果、カティマは今日の夜から城で暮らす………とのこと。
「なるほどね。知らなかったや」
「実はアインが王都を離れてるときに決まった話なのニャ」
「道理で。……でも、カティマさんの優しさは嬉しいけど、無理はしないでよ」
「ニャハハッ! 相変わらず優しい甥っ子ニャ」
カティマはわざと茶化し、返事を濁した。
――――仕事が一段落したアインはクローネの部屋を訪ねた。
彼女はアインが傍にいると、ずっと身体が楽になると言っている。
これは、気持ちの問題ではない。彼女を診察したシルビアをはじめ、治療魔法の使い手であるバーラは一様に、アインが傍に居た方がクローネの体調がいいと太鼓判を押していた。
理由は分からない。
だが、勇気づけられたことで身体が落ち着いたのかもしれない……という話である。
「ごめんなさい……ずっと心配かけちゃってるわよね」
「大丈夫。俺がクローネに会いたいだけだからさ」
「も、もう……アインったら」
ベッドの上で身体を起こしたクローネが微かな声を発する。
その彼女は額に汗を浮かべ、身体を支える力も頼りない。
見ていると、心が痛んでくるくらい体調が悪いことが分かるのだ。
(どうしたんだよ……本当に……)
情けない話だが、こんなときこそセラにも頼りたい。
だけど今はどこに居るかもわからない。
心の中で呼びかけても、昔のように返事をしてくれることだってなかった。
「アイン?」
「あ、い、いや……なんでもないよ!」
アインはクローネの顔を見て、その顔色の悪さに気が付きながらも笑みを繕った。
あまり、心配した顔を向けすぎても彼女の心を傷めつけてしまうからだ。
(――――誰にもわからなかったら、無理をしてでも神隠しのダンジョン跡にいかないと)
次期国王として忙しない日々を送っていながら、これは絶対に譲れない。
もしもセラが居たら、彼女に助けを乞うことができるかも、と。
「ふふっ、暖かい」
アインがクローネの手を握ると、彼女はその暖かさに頬を緩めた。
しかし、アインにしてみればクローネの方が体温が高い。
常に重度の風邪に近い高熱に苛まれている彼女は、焼けそうなくらい熱かった。
でも、アインと手を握っていると少し落ち着きだす。
それは根付きの関係によるものかも……とオリビアが口にしたことがある。それはドライアドの根付きと違って暴食の世界樹のそれだが、無関係ではないだろうとの判断だった。
「あの、さ」
「うん? どうしたの?」
「俺、明日からこの部屋で仕事するよ」
常にクローネの傍に居て、可能な限り彼女と肌を重ねる。
そうすることえ、彼女の身体をむしばむ辛さを少しでも和らげたい。
「駄目って言われても来るから、そのつもりでよろしく」
「……でも」
「でも、じゃない。傍に居ないと、俺も仕事ができなくなっちゃうんだ」
この言い方はズルいだろうか?
しかし、言い方は気にして居られない。
クローネの身体の方が大事なのだ。
「で、でも……クリスさんだって寂しく……」
「わかってる。けど、これはクリスも提案してくれた話なんだ」
クリスだってクローネが心配でたまらないのだ。
自分が何も協力できないことには心を傷め、仕事の合間に何か症例はないか、治療法はないのかと情報を探ってくれている。
「そうしてたら、少しずつ良くなるかもしれないしさ」
すると、クローネは力なく頷いた。
アインがもう何を言っても聞かないということに加え、彼女自身、心細さと辛さが過去に経験したことのないもので、可能であれば常にアインと一緒に居たいと考えていたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
アインは翌日もクローネの下を訪ねた。
まだ辛そうな彼女と朝食を共にして、アインが傍にいた方が楽――――というクローネの傍で仕事に励んだのだ。
やがて、昼食を終えた頃だった。
部屋の扉がノックされた。立ち上がったアインが向かって扉を開けると、部屋の外にはシルビアとカイン、それにマーサが立っていた。
カインは数日前、アインより先に王都へ来ていた。
彼は彼でアーシェと共に森の調査に出向いていたのだが、その調査が終わったため、一足先に城で待っていたのだ。
その三人を代表して、マーサが口を開く。
「アイン様。診察のお時間にございます」
「というわけだ。アイン、とりあえず俺と一緒に外で待つぞ」
「え、ええ……了解しました」
頷いたアインは一度クローネの下に戻り、シルビアたちが来てくれたことを告げた。
そして、クローネをぎゅっと抱きしめてから部屋の外に行く。
部屋の中へは、アインと入れ替わりでシルビアとマーサが入って行った。
「じっとしていられるか?」
廊下の壁を背に立っていたカインが尋ねてくる。
「えっと、それは?」
「診察が終わるまで静かにしていられるか、という話だ。無理なら身体を動かすしかない。無論、俺が付き合ってやるが」
「……いえ、それなら大丈夫です」
アインは沈痛な声色で言い、カインの隣に行って自分も壁に背を預ける。
その彼の頭へとカインは手を伸ばし、少し乱暴にポン、ポンと撫でた。
「なら、信じて待て」
「……信じてますよ」
「俺にはそう見えない。今のアインは自分は信じていると思い込もうとして、心を落ち着かせようと必死でいるだけだ」
言い放たれた言葉にアインは異を唱えようとした。
しかし、その言葉が喉元で止まる。
「ま、俺はシルビアが病に伏せたときは暴れたけどな。山脈をいくつか崩すまで身体を動かしたもんだぞ」
カインがニッと不敵に笑い、アインをきょとんとさせた。
いまのは、彼なりにアインを勇気づけたのだろう。
このことを悟ったアインは「……人のこと、言えないじゃないですか」と不満げに呟き、頬を掻く。
「けど……どうしようもないんです。前は母上がくださった薬でどうにかなってたのに、いまは効かない時間が多くなってるんです。明らかに悪化してるとしか思えません」
実際、クローネは辛そうにしている時間が増えたし、その辛さも増していることが見て取れる。あれほど我慢強く、そして体調が悪いときはアインに隠そうとする彼女が、いまでは少しも隠せていないことがその証拠だろう。
そのためアインは、こうしているだけでも気が気じゃない。
やはり無理にでもセラを訪ねた方が良いのだろうか? いまにも外に飛び出してしまいそうな足を必死に抑えていると――――
そのとき、だった。
「ッ……し、失礼致しますッ!」
さっき部屋に入ったばかりのマーサが慌てて部屋を出てくると、彼女はアインに短く謝罪するにとどめ、大急ぎで立ち去ってしまった。
それには、アインの頬から生気が失われる。
まさか、予想以上に悪い状況だったのだろうか?
状態がわかったのは幸いだが、それ以上に、クローネが心配でたまらなかった。
そのアインは、何も考えられず壁から背を話す。
クローネの部屋へと、一歩、二歩、そして散歩と近づいた。
すると、部屋の扉が今一度開かれた。
今度はシルビアがでてきて。
「やっとはっきりしたわ。そうだろうと思ってたけど……ようやく、鮮明な反応を確認できたところよ」
確信めいた声で言い、カインのことも手招いた。
「は、母う――――」
「アイン。その呼び方は止めておけ」
「ご、ごめんなさい! シルビア様ッ! クローネはッ!?」
いつになく冷静さを欠いていたアインは、シルビアのローブを掴んで詰め寄りそうなくらい切羽詰まっている。
その姿を見たカインが一度アインの肩を叩き、彼自身の口でシルビアにつづきを促した。
「つづけてくれ」
「ええ。いままではっきりしなかったのは、クローネさんの体質のせいね。ドライアドでもないドリアードとして前例がなくて、私も調べるのに時間が掛かっちゃったわ。きっと、今までクローネさんを見た人が何も分からなかったのも、そのせいね」
言い終えたシルビアの頬には喜色が浮かんでいた。
「アイン君。前にも言った通り、クローネさんは急激な魔力欠乏症に至ったせいで、身体の調子が優れなくなっているの」
「……それは、どうすれば治るんですか?」
「治す手段はないわ。彼女の身体が自分から落ち着くのを待つしかないの」
平然と言い放ったシルビアの前で、アインの顔と頭の中が真っ白になった。
このとき、彼の脳裏を黄金航路の事件が掠める。人工魔力関連で苦しんだ者たちのことを思い出して、クローネが辿る先を想像してしまったのだ。
その一方で、カインは何やら思いついた様子だった。
「つまり、異人種としての身体が――――特に魔石の力が高まっているのか?」
「ええ。そもそもの身体の変化もあって参っちゃってるみたい。恐らく、今がクローネさんにとって一番辛い時間でしょうね」
「しかしわからん。俺の予想が確かなら、王都に居る治療師にもわかるだろうに」
「無理よ。さっきも言ったけど、ただでさえクローネさんは特殊な種族なの。暴食の世界樹の眷属としての性質があるでしょ? ピクシーと同じで分かりにくかったのよ」
訳知り顔で話をした二人。
やがてシルビアは穏やかで包容力に富んだ、優しい顔でアインを見る。
「アイン君。よく聞きなさい」
彼女はアインを真っすぐ見つめて言う。
「お部屋に入って、クローネさんから話を聞きなさい。これは私が言うべきことじゃないから、彼女から直接聞くこと。いい?」
「……母上」
「さぁ、いってらっしゃい」
アインはそれから、心の中をぐるぐるさせたままクローネの下へ向かった。
やがて、扉が閉じられた後で。
カインが窓の外を見ながら、深く深く息を吐いてから言う。
「……しばらく、この地に残るとしよう」
「そうね……前は傍に居られなかったんだもの」
次の瞬間、二人は抱擁を交わして喜んだ。
それから間もなく、クローネの部屋から歓喜の声が届いたのである。
◇ ◇ ◇ ◇
この日、その歓喜は城中に広がった。
クローネとアインの下を訪ねたシルヴァードをはじめとした家族たちが、急ぎ呼ばれてきたグラーフたちが……皆が、その吉報を耳にした。
アインはきっと、何年経ってもこの日のことを忘れない。
『――――あのね、その……』
彼がクローネの下へ戻り、はにかみながら口を開いた彼女の顔を。
そして……
『私のお腹に……子供がいたみたいなの』
幸せに満ち溢れた声でつづけられた言葉を聞き、彼女を強く抱きしめたことを――――。
――――――――――――
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