ようやく落ち着いて。

 リルが消滅、、してすぐ、「行こう」と口にしたアインはギドとリオルドの二人にそっと目配せを送った。

 すぐさま歩きはじめてしまった彼の背を、二人は慌てて追う。

 少し離れたところでは、マルコが二人の感情を慮りながら歩いていた。



「殿下ッ!」



 先ほどの光景に驚きを覚えて止まなかったものの、それでもギドはアインに声を掛けた。



「リ、リルはどうなったのですか!? なぜ急に消えて――――ッ」



 すると、ギドはそう言ったアインの横顔を見て息を呑んだ。

 王都で顔を合わせた王太子と、本当に同じ人物なのかと思うほど。

 アインが顔に浮かべ、纏ったオーラに孕ませていたのは圧倒的な圧だった。けれどアインは、ギドがその圧で委縮してい舞ったことに気が付き、切なそうに苦笑する。



「ごめん、少し気が立ってたみたい」



 彼は簡素な謝罪を述べてつづける。



「……リルは死んだんだと思う」



 もはや味方とは言えない存在だったが、それでもギドは唖然とした。

 彼は激昂したリル同様、その両手を強く握り爪を食い込ませる。



 ただ、アインにはこのくらいしか言えない。

 リルは粒子と化して消えてしまったけど、それがどんな魔法で、どんな効果を以てこの場から消えたのかすら定かではないからだ。

 もしかすると、どこかで生きているのかもしれないが――――。



(いや、それはないか)



 先ほど、リルの魔力と気配は完全に掻き消えた。

 それはアインが魔石を吸うときの感覚に似て、最初からなかったかのように、忽然と消し去られてしまっていた。

 だからアインには、リルが生きているとは思えなかった。



 そもそも、あの少女を生かしておくことへの利点が思いつかない。

 頭脳明晰且つ、先見の明があったベイオルフですら捨てた男が、リルにその価値を見出すだろうか? あの少女には、それほどの価値があっただろうか。



「……殿下」



 考えごとに耽りかけていたアインの耳に、リオルドの声が届く。



「ああ、どうかした?」



 アインは平静を装った声を返すも、彼自身、気が付かない間にその声音はとげとげしかった。



「どうして女王のことを知ってたのか、とか、気になることはたくさんあるんだが……」


「ごめんね。この前、二人の話を聞いたからだよ。――――それに、君から色々と気になる話を聞けたから、さっきの結論に至るのは十分だった」


「お、俺か色々とだって!?」


「リオルド!? お前、いつのまに殿下とお会いになられていたのだッ!?」


「会ってねぇ! 会ってねぇとも! 殿下! いつ俺と話をしたってんですかい……!?」



 彼らの疑問にアインは勿体ぶることはなかった。

 どうせそうしたところで対して意味はないし、何か重要な過ちになるわけでもない。

 ともあれ、いまは鉄の国のために尽くすべき時だから、そうした話は手短にした方が良い。いつからかこの地下空間が揺れを催していたから、特に。



「こないだまで居た将軍が俺だからだよ。魔道具で正体を隠してたんだ」



 あっさりとした返事に、リオルドとギドの二人はまた唖然としてしまう。

 だが、アインは口を閉じなかった。



「俺たちとしても、鉄の国の動きが自殺行為過ぎて違和感があった。だからそれを確かめることが、俺たちのためになると思ってて」


「わからない……王都に出向いた私だからこそわかるのですが、イシュタリカにとって、我ら鉄の国にそれほどの価値はないでしょう。言ってしまえば、私とリオルドの粗末な策すらも、そちらの考え次第ですべて無駄となったのですぞ」


「――――かもしれないね」



 圧倒的な国力の差がそれを可能とする。

 しかし、イシュタリカには力技で解決する気が最初からなかった。



「けど俺は、あの男を追ってこの国に来た。それだけだよ」



 それ以上の説明は避けたが、イシュタリカが――――アインがこうして出向いたことはすべて、黄金航路が元相談役にある。

 イシュタリカは、その銀髪の男の情報が何としても欲しかった。

 すべてはこれに尽きて、今日までの遠回りで面倒な手間は必要経費だった。



「アイン様」



 と、マルコ。



「皆様ご存じのように、揺れが大きくなっております。……鉄王槌の周囲をご覧ください。アレが周辺の魔力を吸い寄せ、空間を揺らしているのです」


「わかってる。だからマルコには、念のために鉄王槌のそばに向かってもらう」


「私を? アイン様はどうなさるのですか?」


「俺は民の命を守る。鉄王槌そのものは壊れてしまってもいいし、何なら暴走しても構わない」



 その言葉を聞き、リオルドとギドが絶望しかけた。

 情けなく、そして都合のいい話ではあるが、このアインと言う男は必ず手を貸してくれると思っていたから、いまの言葉が心を強く揺さぶったのだ。

 しかし二人は、つづく言葉によりそれが過ちであったと理解させられる。



「――――そのために俺がいる。もし暴走しても、一人も犠牲者は出さない」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 アインには気になることがあった。

 泳がされたリルが鉄の国に戻っていたなら、同じく女王もどこかにいるはず。そして、そのどこかが鉄王槌であることも察しがついていた。



 それでもアインは、民の命を優先した。

 当然、女王の安否や彼女が逃げ出さないか懸念しなかったわけではない。そのためにマルコを向かわせ、彼の判断で物事を推し進めて構わないと彼に言った。

 それに加え、鉄王槌に万が一があっても、その瞬間に力を振るうことに油断はない。



 ……そんな彼の決意と強さをよく知っていたマルコは、アインと別れて城にたどり着いた。

 ここも騒動の中心と言ってもいい状況にあり、アインの予想通り女王が居たたようだ。



「お、お前は……」



 一人のドワーフがマルコの来訪に驚き、慌てた。

 地下につづく道をふさぐように立ちはだかっていたドワーフたちは、マルコがその奥に進むことを拒もうとしていたのだが、



「そこをどけ。私たちもいる」


「ああ。お前たちも外に出て、民の避難を手伝ってこい」



 彼らにとって絶対的な存在である、衛兵長と副衛兵長の二人が言ったことで場は収まる。

 こんなときに何をしている。そう言わんばかりに向けられた二人の声に、道をふさいでいたドワーフたちはすぐに外へ向かった。



「すまない」


「いえ、ギド殿が謝ることではないでしょう。彼らも女王を守るため、このような状況にもかかわらず残っていたのですから」



 故に彼らも、立派な忠臣です。

 マルコにそう言われたギドは「すまない」といま一度謝罪して、マルコを連れて鉄王槌へ向かうため地下への階段に足を進めた。



 ……それから間もなくだ。

 城が、地下空間が、これまでにない強烈な揺れに襲われた。

 されど落ち着いて窓の外に目を向けたマルコの目にはは、人工的な空があるはずの高さに光る、極彩色のオーロラが映る。

 その光景は今に至るまで何度も見ていたが、光も勢いもすべてが増していた。



「これほどとは、驚きました」



 彼の呟きの真意……。

 視界に映した光景のすべてが、止めどなく押し寄せる魔力の本流である。

 マルコの感嘆を生み出すほどに、とてつもない濃度だった。



 それでも、憂いはない。

 他でもない主君がいるのだから、何一つ思うことはなかった。




 ――――やがて、三人が向かった先にある管の道。

 長い長い道を駆け抜けたその先にて、鉄王槌が中心の傍にある操作盤の前で。



「女王ッ!」



 その先に居た少女の姿を見て、ギドが。



「やっぱり帰っておられたのか……ッ!」



 そして、リオルドが更に脚を急がせた。

 二人は操作盤の前に立ち、大粒の涙を流して止まない女王の傍に駆け寄った。

 だが女王は、二人に目を向けようとしない。

 一心不乱に手を動かし、操作盤を動かそうと懸命に嗚咽を漏らす。



「駄目……なのです。もうこれ以上、私の言うことを聞いてくれないのです……っ」



 その操作盤こそ、代々の国王が受け継ぎし鉄王槌の力である。

 もちろん女王だって、幼い頃にこの場に足を運び、所定の流れを踏んで自身の登録に勤しんだことがあった。



 操作盤は一見すれば石板が如くそれで、光る文字が浮かぶもの。

 女王が幼い頃に足を運んだ当時、古くからのしきたりにより彼女は一人でそれを操作し、石板が瞬くのを確認していた。



 ……だが、それだけだった。



 女王はそれで鉄王槌を受け継いだと思っていた。

 この場にやってきたギドはそう考えて、女王にどのような言葉を送るべきか歯を食いしばった。

 しかし、その意に反して女王が呟くのだ。



「っ……やっぱり、私はただのドワーフだったのですね……っ?」



 一心不乱に操作盤を触りながら、唐突に。

 その呟きを聞いたギドとリオルドはハッとした。二人は女王が自身の出自を知らないはずだと考えていたから、それはもう大きく驚いたのだ。

 リルが土壇場になって何か言ったのかと思ったが、その様子もなかった。



 力なく手を伸ばしたギドが嗄れた声で言う。



「女王、あなたは……」


「ずっとずっと昔から、考えていたのです……っ! お父様は教えてくださらなかったけど……この鉄王槌は、私の言うことを聞いてる気がしなかったから……だから……っ」



 昔から想像していた、彼女の言葉からそれが伝わる。

 なおも指先を動かしつづけ、懸命に鉄王槌を管理しようとする女王は、決してギドとリオルドに振り向こうとしない。

 様子を見ていたマルコも、表情こそ変えなかったが心を傷めていた。



 ――――こうしている間にも、鉄王槌の中心へつながった管のすべてが青白く瞬く。



 溜まりに溜まった魔力がその意を示さんと、周辺の大地のことも揺らしていた。

 もう、このままでは鉄王槌は完全なる暴走を迎えてしまう。

 剣に手を伸ばしたマルコが、いつでもこの辺りに居る皆を守れるよう構えた――――そのときだ。天高く鎮座した巨大な漆黒の立方体に、深々と光る亀裂が奔ったのである。



 本当に終わり。

 鉄の国はアインに救われるだろうが、もう住めなくなることは必定。

 そう思われたところで。



 ガ、ガガガガッ――――



 辺りを複雑に蔓延った管の一本から、違和感のある音が響いた。

 マルコをはじめ、皆が覚悟をしたときである。



『ぐ、ぐぉぉ……おらああああああああッ!』



 管に穴が開き、そこからガタイのいいドワーフが落下してきたのだ。

 すると、マルコは思わず目を点にした。これまで一心不乱に操作盤を触っていた女王もまた、思わず手を止めて目を向けた。



 ガタンッ! 勢いよく落下したドワーフはマルコの傍に。

 そのドワーフは強く打った尻を労わるように触れたのちに立ち上がると、「待たせたな」と妙に力強い笑みを浮かべて言ったのだ。



「お? マルコの旦那じゃねぇか。何してんだこんなとこで」


「それはこちらの台詞ですよ。ムートン殿。どうして管に穴をあけて落下してきたのです? あの内部には濃密な魔力が満ちていたと思いますが……」


「良く知ってるな! だからその魔力をどうにかして中和できねーかと思って、色々と細工してきたってわけよ!」



 言われてみれば、穴が開いた管からその魔力が溢れ出る様子はない。

 いったい何をしたのか……技術に富んでいたはずの女王やギドたちは言葉を失い、立ち上がったムートンから目を放せなかった。

 そのムートンが額の汗をぬぐい、腰に携えていた工具を手に取ったのだからどうしたものか、と。



「ところで旦那、俺のお願いを聞いてくれる余裕はあるか?」


「私はご存じの通り、アイン様の騎士にございます。ですが、ムートン殿がそのアイン様のために何かなさると仰るなら、我が命を掛けましょう」



 ムートンはニッと笑うと、「俺が言う順番で管を壊してくれ」と言う。

 曰く、既に下準備はできていると。



「けど時間稼ぎにしかならねぇ。鉄王槌の暴走自体はそれじゃ止まらねぇんだ」



 だが管を破壊すれば、魔力の供給を止められる。もう暴走は止められないが、これからはじまる暴走による威力は弱まるはずだ、とムートンは断言した。



「頼めるか?」


「承知致しました。どうやらアイン様のためになるようですね」



 すると、マルコは忽然と姿を消した。彼は瞬く間にこの場を離れ、ムートンから聞いた情報をもとに辺りの管を破壊に向かったのだ。

 それを見て、聞いていた女王がムートンを見る。

 ムートンは先ほどから変わらぬ表情のまま……一切の悲観を感じさせないその顔で、女王が居る操作盤に近づいていく。



「嬢ちゃん、そこを退きな」


「……ダメ、なのです。これは王族しか命令できないのです」



 だから悲観していた。

 女王はいま一度涙で頬を濡らし、顎にまで伝った雫が滴る。

 ムートンはそれを見て仕方なく笑い、すれ違いざま、女王の横を通る際に彼女の頭をぽん、ぽんとやや乱暴に撫でた。



「諦めなかったんだろ? だから駄目だと思ってもここに来た」


「っ……けど、ダメだったのですっ! だからもう、皆逃げて――――ッ」「馬鹿言うんじゃねえよ。ここまで来て諦めるんじゃねえ」「――――でもっ!」



 まだ小さな身体で懸命に立ち、肩を震わせながらムートンの近づく。

 さっきまで自分が触っていた操作盤を動かすムートンの隣に立った女王は、そこで遂に膝から崩れ落ち、両手で頬を覆った。



「誰よりも諦めないで、いつも命を賭けて来た方がいる。だってのに、俺らみてぇな奴らが諦めたってんじゃ――――どんな顔して、あの方に会えって言うんだよッ!」



 ムートンは鉄王槌の操作盤に触れた経験がない。

 これは普段、厳重な警備と何重もの防衛体制に囲まれているためだ。



 イシュタリカの研究員たちもその姿を見ることが叶わなかった代物だ。というのも、これをあらわにすることは、鉄王槌に対して働きかけることと言っても過言ではないから。

 つまり、鎮めたい鉄王槌を刺激することが避けたい状況下では、触れるべきではなかったもの。



 しかしムートンがその石板が如く体躯に触れると、光る文字がいくつも浮かびはじめた。

 ギドとリオルドが驚きの声を漏らしたところで女王が顔を上げた。



「なん……で……なのですか……?」


「ム、ムートン殿と言ったな! なぜそれを操作できるのだ!?」


「ああ! 俺もギドも試したのに、うんともすんとも言わなかったんだぞ!?」



 驚きの声に耳を傾けていたムートンだけど、彼は答えない。

 まさか本当に、嘘だろ? 予想にあった自分の血筋に驚きを隠せないままに、彼は必死に平静を装いながら操作盤を触るだけ。

 だが、彼は不意に頬を掻く。



「わり。なんて書いてあるんだ、これ」



 操作盤に浮かんだ文字はドワーフが使うどの文字にも該当しなかった。

 でもそれは、ギドたちにも分らない文字だ。

 代わりに女王が、頬をパンッ! と強く叩いて読み上げる。



「っ……これが出力、つづけて魔力の入れ替え、とあるのです!」


「嬢ちゃん、読めるのか!」


「は――――はいなのですっ! これは王家にのみ伝わる文字なのです!」


「そりゃ都合が良いぜ。なら嬢ちゃん、そのまま読み上げてくれ!」



 それからの操作に難しいことは一つもない。

 ムートンは女王が読み上げる文字に従い、一つ一つの操作を丁寧にこなした。

 だが、そうしている間にも鉄王槌の亀裂は広がっていく。



「次はどこだ!?」


「こっちなのです! 鉄王槌の熱を――――それと、指令系統を新たにして――――専用の権限を以て次に――――っ」



 ムートンの指先が忙しなく動き、同じく女王が読み上げる。

 刻一刻と近づく鉄王槌の暴走を前に、二人は焦りを感じないように作業をつづけ、亀裂が広まりつづける鉄王槌の本体を見ないようにした。



 光る亀裂は、漆黒の立方体を取り囲みつづける。

 もう少し……あと数十センチも広がれば、周を囲む亀裂が繋がってしまう。

 揺れはそれに応じて大きく、城の上を囲む極彩色のオーロラは嵐に見舞われた雲が如く勢いによって渦を成す。



 やがて、その渦は天を穿つ極彩色の光線を模った。

 一際大きな揺れが鉄の国を襲い、舞い落ちる土砂により城が少しずつ崩壊していく。



「……このッ!」



 ムートンが更に手を急がせた。

 仕事を頼んだマルコがそれをこなしていることは、あたりの管が時折崩れ去る様子から見て取れる。



 だけど、暴走までの時間が短すぎた。

 天高く伸びた光芒が取り囲む漆黒の立方体は不意に崩壊への速度を上げ、もう少しまで迫っていた亀裂が瞬くにまに近づいていく。

 周を囲む亀裂はもはや、あと十数センチまで狭まっていた。



 だが、



「――――いい加減、止まりやがれぇぇええええッ!」



 操作盤に映し出された最後の文字。

 ムートンにその文字を読み取ることはできなかったが、『はい/いいえ』の二つと思しきそれを、彼は女王に言われるままに拳で押下した。

 これまで忙しなく操作されていた操作盤に、鉄の国における王家の紋章が浮かび上がる。



 浮かび上がった王家の紋章が眩い光を放って、鉄王槌の目の前へ。

 あと数ミリまで迫っていた亀裂はそれにより収まり、いつしか地上まで穿っていた光線をかき消してしまったのである。



「……止まった、のですか?」



 ぺたり、と座ってしまった女王。

 彼女は腰から下の力が抜け、乾いた笑みが頬に浮かんだ。

 気が付けば、枯れたと思っていた涙が頬を伝う。

 さっきまで怖いくらい揺れていたそれも気が付けば感じられず、本当に鉄王槌の暴走は止まったんだ――――そう心が落ち着いた。



 頬を伝う涙は、すぐに止めどなく溢れ出た。

 まるで運命のいたずらとも言える日々を過ごしてて来た彼女は、ここにきて言いようのない感情に大きな声を上げて泣きはじめた。



「な、どうにかな――――」



 白い歯を見せて笑ったムートンが親指を立てた。

 しかし、彼がつづけて空を見上げたときだ。



 カタ、カタタタ――――



 そんな不気味な音が鉄王槌の亀裂から聞こえてきたと思いきや、鉄王槌が哀れにも砕け散った。

 漆黒の欠片が辺りに舞う中、その中心に凝縮されていた魔力の結晶が、一つの光玉となり空高く舞い上がっていく。

 目を見開いたムートンと、安心していた女王が一瞬で絶望した顔。

 それに、彼らの傍にいたギドとリオルドが眉を潜め、同時に女王を庇うように近づいた。



「こりゃぁ……時間が足りなかったか」



 地上から届く陽光の筋の奥で、地上で膨張した鋼色の魔力。

 強烈な轟音と波動を放ちながら、それは重力に従い落ちてくる。瞬く間に、引き寄せるが如く地下にある城へ向かって。

 地上へ通じていた穴は更に抉り広げられ、まったく勢いを弱めることなく落下する。

 城の近づくにつれ、鋼色の魔力は膨張をつづけた。



 ……まさに、槌。

 鉄王槌の名に恥じぬ、強烈な破壊の権化となって。

 それが、ムートンを笑わせた。



「すげぇ代物じゃねぇか。こんだけ手を講じて弱まったってのに、まだあんな力があるのかよ」



 城に届くと同時に、間違いなく大陸を抉る暴力を放つであろう。

 それが遥か昔、魔王大戦より過去に生まれていたとあれば、それこそ、当時の大陸を統べていたとしても不思議ではない。



 だがいまの暴走は、本来の力と比べて遥かに弱い。ムートンが手を講じたことで、そこまで弱まっていたのだ。

 問題は、それでもこの国を一瞬で滅ぼす力を秘めていること。

 が、ムートンはやはり悲観していなかった。



 彼は鉄王槌の傍、鉄の国を見渡せる遥か高き場所に立ちながら申し訳なさそうに。

 迫りくる暴力の塊を見上げ、それを支えるがため大地から生えた幾本もの木の根を見た。



「わりぃ、殿下」



 謝罪の声を口にすれば、いつからか傍に立っていたアインが言う。



「ムートンさんのおかげで、時間を稼げたよ。民の避難は済んだし、暴走の威力が弱まったおかげで余裕がある」


「……ああ、そう言ってもらえると助かるぜ」



 ギドは、リオルドは、女王は。

 三人は二人が落ち着いていることに唖然とした。

 あんな力が舞い降りれば、ひとたまりもないと言うのに。どうしてその二人は、一切恐怖していないのだろうか、と。




「だからここからは、俺の仕事だ」




 暴走した魔力が遂に木の根に触れた。

 木の根はそのすべてを支え、びくともしない。

 だが、猶もすべてを滅さんと膨張をつづける鋼色の魔力が悲鳴を上げる。金切声を想起させる音に皆が耳をふさぐ中、アインは天に向けて手を掲げた。



 開かれていく指先、五本の指が広がる。

 地上から注がれる陽光を浴びるまま、その手の先に鉄王槌の力を臨みながらも――――




「眠れ、鉄王槌」




 アインが手のひらを閉じた刹那、鋼の力は木の根を通じて吸い尽くされた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 すべての事柄を公開せざるをえなかった。

 このひと月からふた月の間に、イシュタリカに何があったのかを。鉄の国と言う存在が大陸西方にあって、彼らとイシュタリカの間に何が起こったのかを、当然ながら民に隠すことはできなかった。

 公にされた情報は瞬く間に大陸全土へ広がり、民に、そして貴族にも多くの感情を植え付けた。



 ――――だが、以外にも強い敵対感情を持つ者は少なかった。



 イシュタリカにおける絶対的な存在、初代国王の優しき言葉は広く皆の心に知れ渡っている。

 相手がドワーフと言うことも影響していたのだろう。ドワーフは魔王大戦時からイシュタリカの民であり、冒険者の町バルトにおいては欠かせない存在だ。

 そのため、民の間には怒りの感情を抱くより先に、困惑の方が広がっていたのである。



 一方で貴族たちの間には、鉄の国の権力者全員に責任を取らせるべき……そう口にする者もいた。

 王都の、そして城が持つことになった課題は、此度の一件をどう終結させるかに尽きたのだ。



「というわけですので、結論が出ました」



 そう言ったのは、ウォーレンだ。

 鉄王槌の暴走から十数日後、彼はいまだ現場の処理に残っていたアインの下を飛行船で訪れ、アインが乗る飛行船へとやってきた。

 まだ、夜が明けて間もない早朝のことだった。



「私の部下が女王と度々議論を重ね、特にギド殿やリオルド殿とも折衝を重ねた結果がこちらです」



 ウォーレンは椅子に座るアインへ一通の封筒を手渡した。

 表にはシルヴァード・フォン・イシュタリカと直筆の署名があり、これが国王により、王太子へ向けられた手紙であることが分かる。



 それを受け取ってすぐ、アインは蝋封を指先で外す。

 封筒を開けて、中に収められていた羊皮紙を取り出した。



「――――鉄の国はなくなるんだね」


「ええ……そうせざるを得ませんので」



 ただ、慈悲がないわけではない。

 女王はもちろん、ギドとリオルドの処刑もなされない。

 シルヴァードは直筆で、本来であれば刑戮を成して然るべきであると書き添えているが、それを成さない理由が今回はいくつもあった。



 まず、銀髪の男の存在だ。

 少しでも手掛かりが欲しい状況下で、実際に会ったことのある彼らを処刑することを避けたいと言うのが、正直なところである。

 当たり前だが、厳しい管理下に置かれることにはなる。

 けれど、十分な慈悲は認められるはずだ。



 もう一つの理由は、イシュタリカに住まうドワーフたちから反感を買う可能性にある。

 袂を分かっていたドワーフと言えど、一目見ればその違いがわからないくらいには同種族だ。それに対して相手が悪いと言っても、厳しく処刑することに疑問を抱く貴族も居たのだ。



 とはいえ、鉄の国が持つ貴重な技術目当ての意見を述べる者は居なかったそうだ。



「ところでこの、ムートンさんがお爺様と会うって話は?」


「ええ。ムートン殿が鉄の国の王族だったことが明らかになりましたので、あくまでも儀礼的にいくつかのことを尋ねるだけにございます。しかしながら、ムートン殿の血統については貴族にも公開できませんが」



 それについてはムートンが望んだのだとか。

 また、



「鉄の国に王家の血を継ぐ者がおらず、彼らにとってその血が重要視されることを鑑みます。つまり、ムートン殿は事実上、彼らの王と言っても過言ではありません」


「でも、ムートンさんにその気はない」


「そうです。女王をはじめ、ギド殿とリオルド殿の二人は大層驚かれておりましたが、ムートン殿は特に気にせず、都合がよかったな、と笑っておりました」



 彼の血統を知るギドやリオルドたちは、その情報も厳しく管理されるらしい。

 と言っても、アインたちを除けば、いま挙がった三人くらいなものだが。



「で、三人の身柄はどうなるの?」


「ムートン殿に預けようかと」


「へ? そ、そんな軽くていいの?」


「実は都合が良いのですよ。ムートン殿の下であれば、我らとしても監視がしやすいのです。それに女王を含むあのお三方は、ムートン殿の血統に敬意を抱いているのがわかりますから」



 ウォーレンは軽く言っているが、彼が言うなら間違いはない。

 リリをはじめとした隠密部隊が動くだろうし……ウォーレンのことだ。他にも隙のない策を張り巡らせているに違いない。アインはウォーレンがまだ「僕」という一人称だったころを思い出して、それならばと頷いた。



「ギドとリオルド殿は工房の警備兵になるそうです」



 もっとも、ウォーレンの部下が見張っているなら不要と言えば不要なのだが。



「そしてエオーラ殿、、、、、におかれましては、ムートン殿に弟子入りするのだとか」


「……誰?」


「これは失礼。女王の名ですよ」


「ああ……そういや、女王の名前って聞いたことなかったや」


「何でも、鉄の国の王族は王の座に付くとともに名を捨てるそうで。女王ことエオーラ殿は生まれながらにそれが決まっていたので、彼女自身その名を聞いたことがなかったようです」


「ん? それじゃ、どうしてウォーレンさんがその名前を知ってるのさ」


「彼女の実の父から聞いたからでございますよ」



 それから、とん……とアインは静かになった。

 彼女の実の父。女王の実の父。元国王ではない、本当に父。

 頭の中がぐるぐるして、たっぷりと十数秒が過ぎた。



「――――え? 女王の父親がわかったってこと?」



 ウォーレンは好々爺然とした顔で「ええ」と頷く。



「ギド殿にございます。元国王は自身が子を儲けられなかったことで、部下であるギド殿の子を奪ったそうです」



 子が出来なかった原因は元国王の体質にあり、彼が娶った王妃にはなかった。

 だがそんなことはギドには関係ない。けれどギドは、妻と子両方を人質に取るような言葉を言われ、仕方なく頷いたのだとか。

 その数年後に妻が先立ったらしく、ギドにとっては最悪の人生がはじまっていたと言ってもいい。



「話を聞いたララルア様は涙して、陛下もまた沈痛な御顔を浮かべておりました」


「……だろうね」



 では、最初からエオーラだけを鉄の国から逃がすことはどうだったのだろうか。

 アインは考えてすぐ、無理だっただろうなと思った。

 そもそも女王は自分が王族だと思っていたし、ギドから唐突に自分の子だと言われて信じられるはずもない。それに彼女は責任感が強かったから、逃がそうとしても難しい話だ。

 何も知らない地上に出ることは、地下しか知らなかった者にとって危険でしかないだろうから。



「しかしながら、国というのは騙されたから、その一言で罪を帳消しにできる規模では到底ございません。鉄の国には、可能な限り責任をとっていただく他ないのです」



 それが、国そのものを取りつぶすこと。

 技術を持つ者たちも日ごろの暮らしは密かに監視されるだろうし、祖国に戻ることはもはや叶わなくなったと言ってもいい。



 けどそれを、鉄の国のドワーフの多くが歓迎した。

 基本的に彼らは飢えていたため、イシュタリカに恭順するのに文句はない。

 中には満足な食事に泣きながら感謝していた者もいたほどで、ここから叛意を見せることも想像しにくかったのだ。



 故に技術の供与をはじめ、何ら文句らしい文句が無かったという。

 強いて言えば、気の強い戦士たちが不満を漏らしていたことくらいだ。



「それで、エオーラはギドが本当の父親だって話を聞いてるの?」


「いえ。ギド殿は話せないと仰っておりました。エオーラ殿からしてみれば、自分は娘を捨てた父親でしかないから……と」


「でもそれは――――ッ」


「そうですね。我らから見れば違います」



 けれど、口出しして良い問題ではない。

 一方でギドは、勇気を持てるようになったら告げるかもしれない、とだけ口にしたそう。

 エオーラと言う名前については、しばらくの間はイシュタリカが決めた名にしておいてほしい、と言ったそうだ。



「……わかった。じゃあ俺も何も言わないよ」



 アインはそう言うと、うんと背筋を伸ばした。

 これでようやく少しだけ落ち着ける。そう思うと、ここ最近の肩ひじ張っていた思いが少しだけ消えたような気がした。



 そろそろ王都にだって帰れるはず。

 具合の悪いクローネにも早く逢いたい……その気持ちが頭を満たしはじめる。



「ところでさ、お爺様が決めたことを甘いって思う人もいそうだよね」



 実際、鉄の国の要人は処刑されないからだ。

 イシュタリカの管理下に置かれる旨だけが民に知らされ、実際はムートンのところに居ることはごく一握りの貴族しか知らされないこととなる。

 それが甘いか甘くないかで言うと、銀髪の男の件があっても甘いという者がいてもおかしくない。



 だけどウォーレンは、アインの顔を見て仕方なそうに笑っていた。



「過去の話です。『未知を恐れた者を処刑することはできない』――――そう言って、敵対していた狼男ワーウルフたちをイシュタリカの民に迎え入れた王が存在します。その際、狼男の族長とその一族は誰も処刑されなかったのですよ」


「あ、なら特に問題ないのかな」



 しかし、意外と自分や祖父に似て甘い王が居たものだ。

 くすっと笑ったアインは少し救われた気がして、胸を撫で下ろす。



「ちなみにそれって、いまから何代前の王だったの?」



 すると、問いかけられたウォーレンは待っていましたと言わんばかりに頬を緩めた。

 それはもう楽しそうに、ニヤニヤしていたのだ。



「――――私の記憶が確かなら、初代陛下の御世におけるお話だったかと」



 ……なるほど。聞かなきゃよかった。

 アインはウォーレンからそっと視線をそらし、窓の外を見ながら頬杖を突く。



「それ、失敗した?」


「私が徹底して情報管理に勤しみ、シルビア様が叛意を持つが居ないことを厳しく調べ上げたので、特には」


「…………」


「現代ですと、更に人材が十分に成熟しておりますな。魔道具もそうですので、あまり気にすることはないでしょう。……おや? アイン様、若干バツの悪そうなお顔をされておりますが」


「生まれつきだよ」


「ふむ。左様でございますか」



 ウォーレンは平然とした声で言いながら、緩んだ頬が締まりを取り戻さない。



「よいのではないかと愚行致します。過去に狼男を受け入れたことで、現代においてはロラン殿のような逸材が生まれました。未来を鑑み、人材の育成に努めることは重要なことですよ」


「……じゃあ、いっか」


「はい。それにこうしたことは、王がすべてなさることではございません。我ら文官が力を合わせ、多少の甘さを咀嚼して未来につなげるのですよ」



 もっともらしいことを言われ、アインはやはり、ばつの悪そうな顔で笑ってしまう。

 ウォーレンに目を向ければ、彼は以前として楽しそうに笑っていた。



「処刑は明確なけじめを付けられますが、失われた命は取り戻せません。可能な限り処刑を回避して道を探ることも、王として立派な勤めでございましょう」


「ありがと。ようは多少の甘さが仕方ない時もあるってことかな」


「仰る通りです。ですので、あまり気に病みませんように。王都にお帰りになった後は、しばらくお休みくださいませ」



 それにはアインも「いいの?」と問いを返す。



「勿論です。陛下もアイン様の働きをお褒めになられておいででしたよ。鉄の国の民に犠牲者が出なかったことで、今後のことを思えば、これ以上ない活躍だったと仰っておりました」



 後のことは王都に帰ってから。

 労いの言葉を受けて、アインは本当に肩の荷が下りた気がした。



(みんなどうしてるかな)



 家族みんなのことを考えていると、やはり体調の悪いクローネの姿が瞼の裏に思い返される。

 そういえば、シルビアは別に心配要らないと言っていた。

 それがどういう意味なのか、王都に帰ったらその理由がわかるように――――アインはそう願ってやまなかった。


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