金剛木と、知られざる歴史と。
渓谷の端の空が朝焼けしはじめる。
目を覚ましたアインが身支度を整えて部屋を出ると、ちょうど良くディルと鉢合わせた。
「おはようございます。ご準備はよろしいですか?」
「おはよ。俺はもう大丈夫だけど、ディルは?」
「私も大丈夫です。では、早速参りましょう」
アインはカティマも共に行く可能性を考えていた。
だが、どうやらまだ眠っているらしい。
そもそもディルは、その隙を狙って部屋を出てきたそうだ。
「それにしても、よろしかったのですか?」
「ん? なにがさ」
「アイン様がご自身で足を運ばれなくとも、私は勿論、誰か使いを送って品物を受け取ってもよかったのではないかと」
「うーん……俺が頼んだ側だしね」
そうでなければ誰かに頼むこともあったろう。
……当然、状況に寄りけりだが。
いずれにせよアインは仕事を頼んだ側の者として、自ら顔を出して礼を言い、頼んでいた品物を拝受する姿勢でいた。
しかしディルも感謝を忘れたわけではない。
アインはフットワークが軽すぎるが、それでも次期国王だ。時折、立場を忘れて共に騒ぎ立てる者はいるものの、間違いなく次期国王なのだ。
そのため、彼の立場では進言しないわけにはいかなかった。
「それに、折角の旅行だしね」
今日も変わらぬアインの朗笑を、渡り廊下に差し込む朝日が照らした。
◇ ◇ ◇ ◇
アインは先日、シャノンに案内された道を迷うことなく進んだ。
仮に迷ったところで、フオルンたちが案内してくれるだろう。
――――我らの神よ。
――――ようこそ。
――――長はあちらです。
先日とほぼ変わらぬ歓迎を受けたアインは苦笑いを浮かべ、隣を歩くディルも一度は驚いたものの、そういうものか、とすぐに気持ち新たに森を進んだ。
やがて森を抜けた先に湖が見えてきた。
フオルンの長老が根を張る、あの場所が。
同時に、泉の手前に置かれた何かも。
(あれかな)
その何かにアインが近づいていく。
あったのは、巨大な葉をかぶせ、蔓で縛られたひと固まりの木材だった。隙間から覗くその色合いは、磨かれた水晶に似た輝きを放っている。
おおよそ、炭と呼ばれるものにはみえなかった。
「もう三百年は働きたくないわい」
アインが到着したところで長老が嘆息を漏らす。
「それが金剛木じゃ」
「ありがとう。おかげで助かったよ」
「気にせんでいい。儂も儂で面白い経験ができた。素材が良すぎるせいで、今までできたことのない金剛木ができたからの」
「ん? そんなに普段と違う結果だったってこと?」
「別物も別物じゃて。じゃから、使うときは十分用心するんじゃぞ。儂にもその金剛木でどれほどの火力がでるか想像つかんのじゃ」
それは――――すごそうだ。
間違いなく、ムートンの期待に応えられる炭が手に入ったようだ。
(後は工房を燃やさないように注意してもらうくらいか)
あのムートンだし、素人のアインが心配することはないかもしれない。
だが、あのムートンだ。弟子のエメメと騒ぎ立てるに留まらず、物凄い炎を前にして、その炎で鍛冶をする気になるかもしれない。
いずれにせよ逸品であることは申し添えておこう。
そう決めたアインの隣で、ディルが金剛木を軽々と担ぎ上げた。
「平気?」
「勿論です。お任せください」
ディルはそう言ってアインの傍を離れる。
先に帰ってしまうわけじゃない。
アインがまだ長老と話をしようとしていたから、先に金剛木を森の方へ運んでおくことにしたのだ。
「ところでお主、近くの森で騒いでおったじゃろ」
「知ってたのか」
「同胞たちが話しておったわ。聞けばここより少し離れた平原でドワーフと戦ったとな?」
「いや……正直俺もよくわかってないけど、ドワーフじゃなくて、ドワーフの遺産ってところらしい」
「おお、そういえば昔、近くにドワーフの砦があったのう」
興味を引く言葉を聞き、アインがじっと耳をひそめた。
「奴らの技術は大したもんじゃった。内乱で散り散りになるまでは、それはもう栄華を誇っておったんじゃぞ」
「えっと、内乱というのは……」
「なんじゃ、知らんのか?」
「ああ。俺も昨日知った話になるけど、ドワーフの技術はほとんど現代に残っていないんだ。彼らの歴史も、残されていないことの方が多いらしい」
「――――仕方ないことやもしれんのう。ただでさえこの大陸は色々なことがあった」
「よければ少し教えてくれないか?」
「うむ。それくらいなら構わんぞ」
まさかの快諾にアインが目を見開く。
金剛木を運び終え、こちらに戻ってくるディルの背後からも驚きの声が聞こえてくる。
『長老がご自分から?』
『すごいことです。まさに世界樹様の御威光によるもの』
『この機を逃してならないのでは?』
『そうです。是非ともこの機に普段から働いてもらうよう、我らも進言しなければなりません』
口々に言われる長老への声に、その長老はというと居心地が悪そうに枝々を揺らす。
普段であれば耳が癒される葉が擦れ合う音が、この時だけは地団太にも聞こえた。
「やまかましいわい! 儂はもうしばらく働かんからな! 絶対じゃぞ!」
一頻りフオルンたちが声を上げたのちに、彼らの長老が威勢のいい声で咆えた。
「……おかしいのう。皆、苗の頃はそれはもう素直で可愛かったんじゃが」
「いけとしいけるものは成長するから、仕方ないな」
「じゃのう……やれやれ。世は無情。すべからく長寿の者は疎まれるものよ」
長老もここで満足したようで、一度咳払いを交える。
アインは遂に話が聞けると思い心躍らせた。
隣に戻ったディルだって、自分が知らない歴史を知れると思い興味津々である。
「ドワーフたちの国は、ダークエルフたちの国と共栄しておった」
また、新しい話だ。ここでダークエルフの単語がでるなんて、アインとディルのどちらも想像していなかった。
「しかし国と言っても規模は小さい。当時の認識では大きく、王国を名乗れるだけの規模を誇ったんじゃが、今で言うとそうさな……小都市程度の規模でしかなかろうて」
ダークエルフの国があった場所はここより更に西方で、アインが以前で向いた辺境都市クリフォトにほど近く。
辺境都市クリフォトと言えば、バッツの父であるクリム男爵が司令官として赴任している都市で、更に情報を付け加えるなら、黒龍騒動の際に寄った地域の傍だという。
一方でドワーフの国だが、今アインが居る森から徒歩で十数日ほど奥に進めば、該当する地域にたどり着くのだとか。
「それ以前にも隆盛を誇った種族の国はいくつもあったぞ。しかし過去にも今にも、国を富ませつづけられたのはイシュタリカだけじゃ。――――それほど、かの英雄王の偉業が桁外れじゃったということじゃな」
「――――そう、か」
「話を戻そう。ドワーフの国が内乱により滅びたという話じゃが、時を同じくしてダークエルフの国も滅んだのじゃ」
曰く、それには互いの種族の王が関係しているそうだ。
「ダークエルフの女王は狡猾じゃった。その狡猾さは職人気質なドワーフ国王の心を奪い、両者の力関係に破綻が生じはじめる。……すると、ダークエルフの女王に現を抜かすドワーフ国王に対し、愛想を尽くしたドワーフが数多く現れた」
まさに傾国、の一言である。
異性にうつつを抜かし、国を傾かせるなど言語道断であろう。
語る長老の声にもその感情が垣間見えた。
「ドワーフ国王に異を唱えた者の中には、新たな王を選定すべきと声を上げる者がいた」
「それで内乱になってしまったのか」
「そうじゃ。そうは言っても、大した死者は出なかったと聞いておる。ドワーフ国王に異を唱えた者たちは間もなく国を出たからの」
アインの胸が早くつづきを! と早鐘をうって急かす。
「国を出たドワーフを率いていたのは、ドワーフ国王の弟だと聞いておる。その者が率いるドワーフたちはイシュタリカの民となり、現代のバルトを支えておるのじゃ」
「――――それで、残されたドワーフの国はどうして滅んだんだ?」
「ダークエルフに技術を奪われて間もなく衰退したからじゃ。残されたのは内向的なドワーフばかりで、他の種族とかかわることが少なかったからのう。食料や素材に至るすべてが枯渇し、とうとう国としての体裁は保てなくなったそうじゃ。そのため最期は、奴ら自慢の建築物の多くが廃墟と化したのだとか」
滅びるまでどれほどの時間を要したのだろう。
下手をすると二代、それとも一代という速さで滅びたのかも入れない。
だが、聞いていれば滅びても仕方なかったように思える。
アインとディルは顔を見合わせ、その感情を共有した。
「ここまで言えば、ダークエルフの国が隆盛を誇ったように思えよう?」
「ああ」
「じゃが、奴らは奴らで愚かじゃった。……ドワーフから奪った技術で気が大きくなったんじゃろうな。建国間もないイシュタリカに手を出し、剣王一人にほぼすべての戦士が命を奪われたんじゃ」
(……父上が?)
「生き残った戦士たちは降伏した。国に残ったダークエルフの中にも降伏する者が現れ、とうとう国に残るダークエルフは百を割り、国としての体裁が保てなくなったというわけじゃ」
ダークエルフが攻撃を仕掛けたというのは、マルクが生まれる以前のことに違いない。
そうでなくば、アインは身を以て体感させられているはずなのだ。
造られた世界での出来事は正史を逸脱していたが、それにしては予兆らしい予兆が無かったから、更に詳しく聞きたければカインを訪ねるべきだろう。
「すべて愚かな国の話じゃ。儂はお主の臣民ではないが、この大陸に根を張る存在として、過去の愚王のような振る舞いをしないことを祈っておる」
『――――まともです』
『ええ。我らが長がまともです』
『まるで我らが苗木だった頃に見た、偉大な長のようです』
「……まったく。儂はいつも偉大じゃろうが」
仕方なそうに言う長老の声は決して不満そうではなかった。
幼い子供をあやす父のようで、暖かさと包容力を孕んでいたのだ。
「長老。金剛木以外にも貴重な話をしてくれて感謝する」
「構わん。じゃが、お主からも奴に言っといてくれ。これであの日の約束は果たした、とな」
「……奴とは? アイン様?」
アインは答えず、小首を傾げたディルに苦笑いを返した。
「また話を聞かせてもらうかもしれない。王都の歴史家が是非、というかもしれないからな」
「む、その時は――――」
「分かってる。長老が望むお礼をするよ。あまりほしいものはないかもしれないが、可能な限り要望に沿うから、相談だけでもさせてくれたら助かる」
「……じゃったら、何人かお主の城に連れて行ってやってくれ。すぐでなくともよいぞ」
「俺の城に? もしかして、フオルンを?」
長老が枝を揺らし、湖に波紋を生み出す。
そうだ、と答えているようだ。
「何人かお主の傍に行きたいそうなんじゃ」
そう言われてもどうしよう。
フオルンは木だ。
根を張る木だから、そう簡単に遠くへ運ぶことはできないのだが……。
「儂らは魔物に変わりない。故に多少ならば移動することも融通が利くから、同胞たちを頼みたい。さすれば先ほどの話をさらに詳細に語り、歴史家が本に出来るよう協力しよう」
長老は繰り返す。
「フオルンがおれば周囲の大地が富む。王都にも実りを与えられると思うぞ」
既に答えが決まりかかっていたアインは、その後付けを聞いて頷いた。
きっとシルヴァードも許してくれる。
フオルンは悪意を持たぬ魔物として知られているし、長老が語った側面もある。
王都に根付いてくれたら、皆が喜ぶことは間違いなかった。
「長老。俺はこれからも長老といい関係で居たいんだ」
「はっはっはっ! 結構結構! いい返事を聞けて何よりじゃわい!」
その後で別れの言葉を口にしたアイン。
彼は、とっつき辛く、働くのが嫌だと言っていた長老への認識を改めた。
(そういや、同胞のためなら働くんだっけか)
言い換えれば父性にあふれていると言ったところか。
「アイン様。良き方向に事が進んだようですね」
「うん。長老のおかげでね」
此度の旅行――――兼、視察は大成功だったと言えよう。
残る日程はあと僅か。
当然、最後まで余すことなく楽しみたいものだ。
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