置いてけぼりをくらったソレと。
怪しまれぬように、平然と。
近くの公園に遊びに行くかのように。
出発の支度を終えたアインは魔王城を出で、さっき、彼女がいた方角を目指した。
廃墟と化した城下町にはかつての栄華も今はない。
それでも、目を閉じると思いだせる。
あの世界で見て、経験した旧王都の賑わいを。
あの日、あのとき。
毎日のように闊歩した城下町を進むアインはやがて、窓から見えた彼女を視界に写し入れた。
(…………そういうことか)
向かった先で見たのは、古びた廃墟の前で膝を折ったシャノンの姿だ。
その先には、一纏めにされた花が捧げられている。
きっと、この周囲に生えている花々だが、花屋で買う花束と比べても遜色はなく、嫌気も無い。
鮮やかさは抑え目で、清廉さを漂わせていた。
一目見て、死者のための花々であると分かる。
「一緒に行こうと思ったけど、今日はやめとく」
と、膝を折ったままのシャノンが振り向かずに言った。
「こんなことに意味はないのも知ってるわ。私の自己満足なことも分かってる」
「――――俺は無意味とは思わない」
「いいえ、無意味なの。鎮魂なんて、所詮は生きている者の独りよがりよ。特に私なんかがしたら、笑えない道化みたいなものね」
アインはここで下手に同調する必要も、慰めるような言葉もいらないと悟った。それは膝を折り祈りを捧げるシャノンだって求めていない。
先ほどの言葉は冷たかったが、それでも彼女は止めなかった。
自らの口で無意味と断じたのに、止めようとする気配は皆無なのだ。
道化と断ぜられるとしても、無意味であると考えていながらも、こうせずにはいられなかった。
……ふと、視界の端に見えた花束にアインが気が付く。
それも見える限りの家々の前に置かれていた。
あの数だと、たかが数時間の話ではない。
間違いなく一晩以上。
証明するように、シャノンはアインが来てからも祈りを止めず、何分にもわたって膝を付いている。
やはり、今は一人にしてあげたほうがいい。
「何かあったらすぐに呼んで」
「はいはい。ここに居て何かあるわけないでしょ」
「でも、ってこと」
「分かったわよ。大声で呼んであげるから安心して」
それはよかった。
今は一人でこの時を過ごしたいと思っていたシャノンに背を向け、アインは廃墟を離れていく。
心のうちで彼女が誰にも見つからないように、と願いながら。
――――でも。
「ほんと、お人好しで抜けてるんだから」
シャノンはひとしきり祈りを捧げてから立ち上がり、まだ見えたアインの背を見て儚げに笑む。
「バレてないわけ、ないじゃない」
自分はアインのスキルにより召喚されている身。彼の身体の中で生きている存在だ。
そして、同じ境遇にある者が他にもいる。
今朝、彼と共に朝食をとったシルビアがそれに該当する。
逆に知られてない方が不思議なぐらい。
でも、何も言ってこない理由は想像できる。
「…………みんなみんな、お人好しなんだから」
孤独の呪いが通じにくかった理由だって、今ならよく理解できる。
切っ掛けはシャノンへの同情によるものだったのだろうが――――。
彼女は深く考えるつもりもない。
足を進め、次の家へ向かっていく。
……無意味と断じた、贖罪のことだけを考えながら。
◇ ◇ ◇ ◇
さて、城下町を離れたアインはシルビアから聞いた瘴気窟の入り口に立っていた。
魔王城を出て約三十分。考えていたより近くにあったことに驚き、次いで、はじめての場所に心が躍りはじめる。
「なんてこった」
軽めながら旅支度。
人の気配が一切しない森の中、岩の間に出来た入り口の前。
「まるで冒険者みたいじゃないか……っ!」
昔、港町ラウンドハートを発ってお披露目に向かう最中、オリビアに冒険者とは何かという話をされ、それに憧れたことがあった。
それからは、そこいらの冒険者より濃厚な冒険をした自覚もある。
しかし、こうして一人、人里離れた場所で活動するのはワクワクしてしょうがない。
アインはその軽い足取りのまま、瘴気窟の中に足を踏み入れた。
入り口の地面は青紫に染まっていて毒々しかった。
確か、はじめて瘴気窟を見たときもこんな色をしていた気がする。あれは学生時代、遠足に行った際にバッツから教えられたときのことだと思う。
…………妙に思い出ばっかりだな。
自嘲したアインは薄暗い瘴気窟の中で、持って来ていた魔道具の灯りを付けた。
片手に持って歩くと、僅かに湿った岩肌を大きな虫の大群が逃げていく。
「うわぁ」
正直、気持ち悪い。
最初は下った道の先で、思いのほか巨大な空間に出たアインは思わず本音を口の端から漏らし、想像していたよりも広大な瘴気窟を眺めた。
「キキッ――――」
「カ、カカカッ!」
あれは多分、普通の虫じゃなくて魔物なのだろう。
中には子供ぐらいの大きさをした個体も。
けれど、襲い掛かってくる様子はなく威嚇してくるばかり。人より敏感にアインの強さを悟り、恐怖しているようにも見える。
何もしないよ、とアインが口にしながら苦笑した。彼は歩きながら瘴気を毒素分解する姿が異様であることに、いつものことと思い気が付けていない。
更に言うのであれば、威嚇してくる魔物たちが普通ではないことも。
冒険者の聖地と謳われる都市、バルト。
イシュタリカにおける三大都市の一つであるバルトがある領地は、大陸でも特に精強な魔物が多い地域として有名である。
加えて、この辺りはその中でも群を抜いていた。
――――アインを威嚇する魔物も、例外ではない。
たとえば視界の端に居た、全長十数メートルに及ぶムカデに似た魔物。
甲殻は通常の金属では歯が立たぬほど堅牢なほどで、口の両端から覗かせた牙に噛みつかれると、一流の冒険者も死を覚悟するぐらい。
他にも、頭上の岩肌へ逆さまに身体を預けた羽のある魔物。
翼を広げると先ほどのムカデに似た魔物より更に大きくなり、その翼で獲物を包み込み、全身の体液という体液を吸い尽くす魔物だ。
……実は一晩で町中の人々を吸い殺したという逸話もある。
だが、その凶悪な魔物がまったく襲い掛かる様子がない。
逆にアインの一挙手一投足を眺め、彼の姿が見えなくなることを本能で祈っていた。
いつもは我が物顔で瘴気窟で暮らしている絶対強者だったのに。
この日ばかりは、矮小な存在に思われるよう湛えんばかりの怖れを覚えた。
「結構、大人しい魔物しかいないんだなー……」
魔王城でシルビアもアインなら平気と言っていた。
これはアインが口にしたように、大人しい魔物がいるからというわけではない。
当然、彼だから大丈夫という意味だ。
……当のアインはそれを知らず、逆に呑気な言葉を言い足を進める。
進んだ先、徐々に上り坂に差し掛かったところで。
何かを食んでいた蜘蛛に似た魔物が、まさに文字通り蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
残されていたのは、先ほどのムカデに似た魔物の死体。
アインはそこで、鈍く光る宝石を見つけて方向転身をする。
「魔石か」
堅牢な口角も食い散らかされており、身体の中に隠されていた魔石が露出していた。
手を伸ばし、興味本位で吸収してみる。
「…………」
しぶく、頬を歪ませて。
「青臭い」
後悔の呟きを。
そりゃ、虫の姿をした魔物の魔石なんだ。
味に期待なんてできるわけがない。
もう少し考えてから吸収するべきだったと考えながら、穏やかな魔物ばかりと錯覚したままに彼の足は出口へと向かって行く。
――――出入り口の光が見えて来たのは、魔物の姿が少なくなった頃だ。
ちょっとした散歩気分というには陰気だった気がしなくもないが、案外楽しんだと思う。
所要時間は一時間に満たない。
普通であれば、こんなに早く踏破なんて無理な場所だ。
アインを襲う魔物が皆無だったことが一因だが、彼は最後までそれに気が付くことなく、半ば散歩気分で踏破したことになる。
やがて、外に出たことによる眩しさに目元を覆う。
少しして目が慣れたとき。
アインを迎えたのは、多くの場所に足を運んだ経験がある彼にとっても、また、はじめての光景であった。
見たことのない捻じれながら伸びた木々。
数多の色に煌めく身体を惜しげもなく晒した小魚たちが泳ぐ、透明感あふれるせせらぎ。その水中を彩る水草は、夜空に煌めく星々を思わせる光を放っていた。
木漏れ日は碧色交じりの葉に影響され、オーロラのよう。
秘境――――。
この言葉が、自然に脳裏を掠めていた。
「…………ん!?」
そこで、目にしたのだ。
一際大きな木の根元で揺らぐ、一匹。
――――妖精蟲と呼ばれる、希少な魔物の姿を。
「驚いたな……あっさり見つかる予定じゃなかったのに」
居ないかもしれない、そう聞いて試しに足を運んだのに。
まさか、こうも早くお目に掛かれるとは思わなかった。
実際に生きている妖精蟲を前にしたアインは、予期せぬ出会いによる興奮に頬を喜色に染め上げる。
順調すぎて怖いぐらいだった。
さて、何もしていない妖精蟲には悪いが、どうしても素材が欲しい。
周囲に息絶えた妖精蟲が居ないかと思って探していると……不意に……。
『…………』
妖精蟲がアインに気が付き、宙に浮いたまま身体を硬直させた。
傘の部分が呼吸するように揺らぐが、その色が徐々に変わっていく。
「あの」
『…………』
「ち、違うんだ。別に君を討伐しに来たわけじゃなくて……素材が落ちてたら、こっそり拝借しようと……」
妖精蟲が深紅に、鮮血のように赤く染まりだす。
比例してアインの頬が引き攣った。
『ロロロ』
聞きなれない鳴き声が耳に届く。
「だからその、落ち着いてほしいわけなんだけど……」
『ロ、ロロロロ』
傘が揺らぐごとに大きくなりはじめた。クラゲに似た足も伸びて、周囲にバチッ、バチッと危険な音が響きだす。
アインの頬も、実際にひり付いた。
『ロォ――――ロォォォォォオオオオオオオオオオオオオ』
妖精蟲がまさかの咆哮。
身体はあっという間に膨らんで、数秒と立たずに小さな町を包み込めそうな巨躯が森の上を占領する。
『虫と付くが魔物だぞ。危険を察知したときや、ごく稀に訪れる繁殖期にはでかくなる』
カインが言っていたことを思い出し、危険を察知したと理解したアイン。
戦わないといけないのかと考え剣を抜いたのだが……。
彼はそれから間もなく、呆気にとられた様子で空を見上げた。
「え」
本当にまさかだった。
大きく膨らんだ妖精蟲が飛び去って行く光景を見たアインは大口を開け、全身から力が抜けていくのを感じた。
「ええー…………」
力なく伸ばされた腕はどこか間抜け。感情を言葉にすることに戸惑い、ただじっと妖精蟲を見送ることしかできなかった。
せめて飛び去って行く方角だけでも覚えておこう。
息を吐いたアインは木漏れ日の中に垣間見える妖精蟲を見送り、見えなくなったところで地べたに腰を下ろした。
妖精蟲が居た大きな木を眺め、せせらぎの水を飲もうとしたのだが。
…………あれは。
大きな木の根元にある、半透明の丸い玉を。そして、その中で小さな妖精蟲が動いている姿を。
偶然にもその姿を見つけたアインが慌ただしく腰を上げて小走りに近づくと、玉の中に居る小さな妖精蟲は何本もの足で玉を叩きはじめ、ヒビを入れる。
もしかすると、これは……。
「卵なのか」
さっきの巨大な妖精蟲は、単にアインへの脅威だけで大きくなっただけではなさそうだ。
ごく稀に訪れる繁殖期も合わさったのだろう。
と、一人納得したアインは卵と思しき丸い玉を見つめ、傍らに腰を下ろして静かにその様子を見守った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます