こういう討伐方法もある。

 ベルテンスとの会談が終わり、一行が向かったのは宿だ。

 先に足を運んだ群島が思い出されるが、この辺りはリゾート地としての一面もあり、宿の数は都市の規模に反比例して多い。

 豪奢さに関しても、他の大都市に劣らぬ質を誇っていたのだ。



 さて、用意していた宿に足を運んでから、しばしの時間が過ぎて夕刻。

 窓の外に広がる茜色の空と、その色に染まった海原にうっとりしてしまいそうになる風情を感じながらも、アイン、そしてオリビアとカティマの三人がラジードの件について考えていた。



「まー、王族に恨みをぶつけたい気持ちはわからないでもニャいニャ」



 カティマが腕を組み、渋い顔をして言った。



「嘆願することは民草が等しく持っている権利なのニャ。その手段が暴力的であることの問題は説くまでもニャいとして。かといって、どうせ殴るならアインじゃニャくてお父様だけどニャ」


「……そのほうが大ごとじゃないかなって」


「アイン、貴方を殴ることも今となっては同じことですよ?」



 そうだった。次期国王となれば似たようなものである。

 オリビアの言葉にアインが苦笑いを浮かべた。



「この中で一番の年長者として言うと、アインが謝罪することも譲歩することもあってはならないことなのニャ。既に嫁いだ私が言うのもあれだけどニャ~」



 すべては王族としての振る舞いとして。

 もちろん、民に寄り添うことは大切であるという前置きはあるものの、今回のような事情があれば、その限りではないということだ。



「とはいえ、なのニャ」



 ふと、カティマがニヤリと笑う。



「お姉さまに何かお考えがあるのですね」


「んむ! お父様に伺いを立ててからにニャるけど、現状、別の方法を選ぶしかないからニャ。……たとえラジードの息子が戻らニャくても、漁師であるあの男のためにも、やれる限りはしてもいいと思うわけニャ」



 口にしていることは綺麗ごとだし、カティマが言うように過去は変わらない。

 だとしても、無視をして王都に帰ろうという気持ちになれるわけがなかった。



「謝罪するわけでもなく、譲歩するわけでもない。だけど出来ること……」



 考え出したアインが答えにたどり着くまで、そう長い時間は必要なかった。



「そうか! 昼間、シュゼイド子爵が言ってたことだ!」


「私も分かりました。リヴァイアサンが居ることもありますし、都合が良いとお姉さまは仰っているのですね」


「大正解ニャ。だからお父様の許可が必要になるわけだニャ」


「明日の夜には帰る予定だったし、何日間かの延長を頼まないとね」


「だニャー……最近のお父様を思えば、許可してもらえそうな気がするけどニャ」


「ん、どういうこと?」


「お父様はアインのことを信じてるからニャ」



 カティマは「ついでに――――」と言葉をつづけた。

 更に海の方を指さして、溜息をついたのである。





 翌朝、本来であればシュゼイドでの公務を行う予定だったのが、すてにその予定は変更されていた。

 港に収まらぬリヴァイアサンは沖に停泊しているが、離れていても惚れ惚れとしてしまう体躯にはシュゼイドの民が呆気に取られていた。



 そんな中、桟橋に集まった大勢の者たち。

 騎士による壁が設けられたその奥には、アインやディル、マルコに加えて近衛騎士が準備をしており、そこへシュゼイド子爵が慌てて足を運んだところであった。



「はぁ……はぁ……お、王太子殿下ッ! 連絡を受けて参ったのですが、本気なのですか!?」



 そう言った彼の手には、アインが朝方届けた書状が握られていた。



「書状によれば本日は夜まで魔物の討伐を行うとのことですが……ッ!」


「ああ、そのつもりだ。……予定していた公務を取りやめたことは悪いと思ってる。けど、こっちの方がシュゼイドのためになると思ったんだ」


「とんでもない! 感謝するばかりでございます! ですが小生が知る限りでは、リヴァイアサンを動かすには相応の費用が掛かったはず……ッ!」


「ははっ……そんなのは気にしないでいいよ」



 アインはそう言いながら、ディルたちと装備の確認をする。

 万が一の備えも自身の目で見て、騎士たちの様子を逐一確認していたのだ。



「もしや、ラジードの件で――――」


「シュゼイド子爵」



 ベルテンスがそのつづきを口にするより先に、アインがキッと強い口調で止めた。



「昨日聞いた話は私も心が痛かった。体制側と漁師たちの間に存在する問題を解決するためにも、まずは魔物の討伐をして状況の改善に取り掛かりたい」


「……王太子殿下」


「討伐した魔物もこの町の収益として扱って構わない。当面は漁を控えたとしても問題のない収入になるはずだ。――――だよね、カティマさん」



 声を掛けられ、木箱の陰からカティマが姿を見せる。

 彼女は手元にあった紙の束を見ながら、十分な成果が見込めると口にする。



「ウォーレンにも急いで試算させたのニャ。想定される数の魔物を討伐して、その素材などによる収支を考えても問題なし。シュゼイドの安全確保の一面もあれば文句ないってわけニャ。あ、ちなみにお父――――陛下もお認め下さったから、滞在期間も三日延長、、、、になったのニャ。だからあと少し世話になるのニャ」


「もろもろ構いませんし、小生にとってもこの町にとってもありがたい話でございます。しかし何というか……いえ、これ以上は無粋なのでしょうね」



 ベルテンスは咳払いをして居住まいを正すと、深々と頭を下げた。



(少しでも報いたい)



 ラジードにも、そして海龍騒動で命を落とした彼の息子にも。

 一個人を特別扱いしないための表向きの理由はあるが、やれることはしたい。

 一方でベルテンスもそれを悟り、これ以上は口にしなかった。



「魔物さえ減ってしまえば、海産資源の復活もそう時間はかからないからにゃ」



 これが、カティマの口にしていたついでの理由だ。

 ついでと言うには大きな理由だが、どちらにもいい影響があるのなら悪くない。



「重ねて感謝致します。小生らに出来る事があれば、何なりとお申し付けください」


「今日は海に出ちゃ駄目って厳命してくれたらそれでいいのニャ」



 理由は言うまでもないが、ベルテンスは知らない。

 そして漁師も、シュゼイドに住む者たちだって知らないはずだ。

 海龍艦リヴァイアサンの力と言うのは、現国王シルヴァードの船であるホワイトキングに遥かに勝り、ただ進むだけで魔物を屠るほどの力なのだ。



 故にどんなに距離があろうとも、海に出ることは愚策であることは言うまでもない。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 沖に出る前、アインは一度葛藤した。

 果たして自分たちの都合だけで魔物の討伐をしていいものか、と。餌が足りなくて近海に来てしまったのなら、その命を奪うことは如何なものかと思わないわけでもなかった。



 けれどカティマ曰く「この辺りの魔物はどうやっても人を襲うようなのばかり」とのことで、だったらと討伐を心に決めたのだ。



「アイン様、アイン様」


「ん、どうしたのさ、クリス」


「あっという間に取り囲まれちゃいましたね」


「だね。びっくりな早さだったよ」



 シュゼイドの沖、アインが足を運んだ群島はまた違った方角の海。

 今、クリスが口にしたように、もうすでに周囲を魔物に取り囲まれている。双子が大好きなクラーケンだって、巨大な魚に似た魔物だって大勢いた。



 襲い掛かってこないのは、まだリヴァイアサンを警戒しているからだろうか。

 大胆なのは、双子が近くに居ないからとも考えられる。

 何にせよ警戒心が薄いというか……天敵といえるほどの生物が居なかったかもしれないが、群がりっぷりには驚かされた。



「カティマさんが言ってた話が良く分かったよ」


「あははっ……ですね。警戒するより先に襲い掛かるタイミングを狙ってますし、逃げなかった魔物はそのまま討伐した方がよさそうです」


「何も気にしないで討伐するなら、それこそ砲撃でいいんだけど……どうしたもんか」



 素材は残れば残せただけ良い。すべてがシュゼイドの収益になるからだ。

 問題は相対する魔物が海中にいることだけで、それこそ轢き回すわけにもいかない。



「私が潜りましょうか?」



 と、マルコが言う。



「潜るって、海に?」


「ええ。古き時代の話ではありますが、団長とご一緒して海で狩りをした経験がございます。魔物の強さはむしろ当時の方が強いので、特に困ることはないかと」


「…………へぇ」


「アイン様、楽しそうって思ったりしてませんよね?」


「……………………いや?」



 何拍ぐらい悩んだのか、自分でもわからない。

 むっ、と目を細めたクリスがアインの腕をつかみ取る。



「これはなんだろ?」


「飛びこまれないように捕まえておこうかなって思いました」


「それはいい。クリス様にはそのようにアイン様をお止めいただいておきましょう」



 じっと見上げられる彼女の目はうっとりしそうなほど美しい。

 何となく眺めていると、逆にクリスの方が照れてしまう。

 彼女は頬を赤らめて視線をそらし、でも腕は離さないで俯いてしまった。



 ――――すると。

 鈍い音がリヴァイアサンの後方から鳴り響いた。



「どうやら襲い掛かって来たようです。こちら側の海の魔物は随分と怖いもの知らずのようだ」



 しかし揺れるなんてことはない。

 あくまでも動じず構えているのがこの船だ。

 が、次の瞬間には少しだけ揺れてしまう。何故なら、先ほどの襲撃をきっかけに、周囲の魔物が一斉に襲い掛かってきたからである。



「好都合か」



 呟いたアインの声が潮風に混じり、聞こえなかったマルコがシャツの袖をまくった。



「行って参ります」


「ちょっと待って、俺も戦えるようにするから」


「おや、何をなさるのですか?」


「俺が海に潜らずにやれることって言うと限られるからさ、たとえば――――」



 アインはクリスに掴まれていない腕を掲げ、握り拳を空に向けた。

 力が籠められ、震えだした拳。

 すぐに空間も揺れはじめ、やがてリヴァイアサンだって大きく揺れた。



 やがて海面が隆起。散見されたのは海上に押し寄せられた魔物の情けない姿。



 揺れの正体が姿を現したのは間もなくだ。

 リヴァイアサンの周囲を取り囲んだ数多くの木の根が複雑に絡み合って、巻き込まれた海の魔物が釣り上げられていく。



「クリス、潜ったりしないからちょっとここに居て」



 彼女に優しく告げて、そっと腕を話して前に歩く。



「こうすれば、早い」



 木の根を通じて魔石から魔力が吸われていく。

 アインの身体に染み渡る、海鮮の濃い味と香りの数々。

 美食に浸り、目を伏せて愉しむ。

 あっという間にこと切れた魔物たちは木の根からずれ落ちて、海面にその身体を横たわらせた。



「――――あっ」



 そして、この時になってアインが気が付いたのである。



「やってしまった…………」


「あっ、魔石を吸っちゃったんですね」



 魔石も大切な収入源なのに。

 それを忘れて吸ってしまった事実に思わず膝をついてしまう。



「誤差でありましょう」



 そこでマルコが彼を気遣うために口を開いた。

 でも、あながち気遣いというだけの意味ではなく、本当に誤差であると思っていた。



「この分では魔物はまだまだおりますし、初回の魔石ぐらい気にしなくともよろしいかと」



 するとそこへ、先ほどの様子を見たディルが足を運ぶ。

 金色の鬣を潮風に靡かせる姿は雄々しくて、威風堂々とした立ち姿。



「アイン様、魔物を回収次第さらに沖へ進む予定です」


「あれ、怒らないの?」


「急にあんなことをした件についてなら怒りません。アイン様にしてはご自重なさっていると思いますので、許容範囲です」


「…………そう?」


「ただ、もしも海に潜ってらっしゃたら怒りました」


「まさか、そんなことするすはずが」「むっ! アイン様?」「……ほら、隣にクリスも居るんだしさ」



 じとっとした瞳を向けられたアインはさすがに弱ってしまう。

 気が付くとさっきのようにクリスが腕を掴んでいるし、さすがにもう試そうなんて思うこともなかった。



「ですが先ほどの討伐により、妻が想定していた数の半分を討伐出来ました」



 ディルがカティマを妻と言うのは珍しいが、これも慣れだろう。



「だったら徹底的にやるよ。その方が収益も増えるはずだし、安全面も保証できる。……確か、カティマさんはこの辺りの魔物だったらいくら討伐しても問題ないって言ってたからさ」


「私もその話は聞いておりました。何でも、この辺りの魔物の数が多い方が生態系への悪影響が大きいという話ですし、海産物を増やすには数をこなす方がよろしいのではないかと……」



 海中の天敵という存在は生態系の維持に重要な役割を持つ。

 だとしても、問題のない存在たちだという話だ。

 仮に肉食の魚などを借り過ぎてしまえば話は別らしいが……専門外のアインには、詳細な理解をすることが難しい。



「数十分ほどで回収が完了しますので、それまで休憩していてくださいませ」


「ん……りょーかい」


「それと、クリス様とマルコ殿はアイン様が潜らないように、見張りをお願い致します」



 ディルはそう言って立ち去って行く。

 後姿はここ最近、以前にも増して威厳が漂っているような気がしてならない。



「信用されているようで何よりだよ」


「ふふっ。されてるといっても、潜る可能性の方ですよ?」


「知ってる。だから言い直さないでおいて」



 これも身から出た錆というのだろうか。

 空を見上げたアインは「綺麗だなー」と口にして、手ごろな木箱に腰を下ろす。



「何か飲み物でも用意してきますね!」



 クリスがそう言って去っていき、代わりにマルコがアインの傍に控える。

 二人は魔物が回収されていく様子を眺めていた。

 といっても船内に持ち込むわけではなく、船尾付近に鎖でつなげるだけの簡単なものだ。何か、餌にもなりそうな気がする。



 そうしていたところで、アインがふと、遠くの海を見た。



「…………」


「お気づきになられましたか」


「ああ、何かある」



 水平線の彼方、まだ視界には映らない海の方。

 何かあると気が付いたのは、濃厚な魔力の気配である。

 アインは気が付くと同時に近くの海に一本の木の根を這わせ、そこに毒素分解EXを作用させた。すると不思議なことに、確かに何かを解毒したのだ。



「毒素がある海域がどうのって話だったっけ」



 口元に手を当て、考え込んだアイン。

 彼はすぐに心に決めた。



「あっちの方角が例の海域なんだと思う。マルコ、進行方向に注意するようにって、ディルにも伝えてきてほしい」


「はっ!」



 深海の秘宝とやらは気になるが、それでも行く気にはなれなかった。

 感じた魔力は、そう簡単に手を出していい存在のものとは思えない。

 …………アインはそれからクリスが戻って来るまで、一人でその海域へと目を向けていたのである。

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