色々と動き出したところで。

 

 何度かパイプを伝って下に降りたアインがある部屋に忍び込み、注射器を持った研究員が魔道具に細工をしているのを見つけたのは、ヴァファールと呼ばせた生物の下を離れてから数分後のことだった。

 巨大な水槽にも見えるカプセルの中では、オーロラのように光る液体が充満していた。

 カプセルから伸びた管が注射器に繋がっており、それを魔導に流し込んでいたのだ。



 ――――これでどうとでもなる。



 決定的な証拠を目の当たりにさえずれば、あとのことはどうとでも処理できるはず。いざとなれば、あのウォーレンが居ればこそ向かうところは敵なし、という感覚すらある。



 もう帰ってもいい。

 帰路につこうと思ったところで耳に届いた研究員の声。



「日の出頃に投与された双子の検体はどうだ?」


「既に処理寸前だそうです。やはり濃度が問題のようでして、純粋な治療のみの利用であれば既定の容量を少しでも超えてしまうと魔石が拒否反応を起こし、数時間、あるいは丸一日で生体反応を失います」


「課題だな。体重、種族……細かな条件に見合う精製魔力は難しい。まだまだ先は長い」



 いくらか予想は出来ていたが、耳にすると気分が悪くなる。同時に、本当にここで帰ってしまっていいのかという気分に苛まれた。

 身分、そしてただでさえ今も無理をして侵入しているのは分かる。

 だというのに、心の中では「助けたい」の言葉だけが存在を主張していた。



 ――――。



 目を伏せ息をひそめて思案する。

 こうしていると、即決即断しない自分にも腹が立ってきた。ようは助けを求めている者が居るのに、立場などを鑑みて自分は外に出ようとしている事実が気に入らない。

 アインの身体はアインだけのものではなく、イシュタリカに捧げられるべき存在である。



 だから。

 だから迷っていたはずなのだが――――。



「検体ってのは異人種かな」



 気が付くと身体が動いていたのだ。

 いつの間にか部屋の中に降り立って、研究員の間に立っていた。

 分からない。無意識のうちだったと思う。……だが、心のうちに微塵も後悔の念が宿らないことには不思議と嬉しさがこみあげた。



「お、お前は――――ッ」


「俺の質問以外には何も答えなくていいよ」



 二人の研究員は首筋を汗が伝う。

 侵入者は剣を抜かず、他に魔法を使っている様子もない。

 だというのに、隣にいるだけで胸が大きく不快な鼓動を繰り返し、全身に冷や汗が浮かんだ。

 すぐ傍に居る侵入者の顔を見るなんて、もっての外の畏怖に包まれる。



「い……異人種だ」


「場所は?」


「ば、場所だって……?」


「どこにいるのか知りたい」


「主任……駄目です、答えた方が……ッ!」


「くっ――――! 最下層だッ! 最下層に被検体を括り付けたベッドが並んでいるッ! これでいいだろ!?」


「助かるよ。その賢明さで、虫唾の奔る研究もこれっきりにしてくれると嬉しいかな」



 コツン、彼が歩いたことで生じた足音。

 冷たくて、耳を刺す。

 決して大きな音ではないのに耳に残って離れない。

 いつしか耳の奥で反響を繰り返し、はっ……はっ……と呼吸が乱れ、視界が揺れた。



 そしてもう一歩。



 粛然たる音が鼓膜に届いたその刹那。

 死なずとも、感じたことのない恐怖の前に。

 いつしか目の前が真っ暗闇に包まれた。




 ◇ ◇ ◇ ◇ 




 同じ頃、所変わって大闘技場の貴賓席。

 少し時間はかかったが、必要な作業を終えて報告に来ていたリリはマルコへ必要な事柄を告げ、あっという間に立ち去ってしまった。

 その姿はこれからの仕事のために急いでいるように見えたが。

 それでいて、逃げるように去って行ったようにも見える。



 聞き終えがマルコが貴賓席の傍に戻って、近寄ってきたディルに話しかけられる。



「マルコ殿、リリ殿は一体? それにアイン様は……」


「どうやら――――」



 まず、今のアインが何をしているのかを告げて。

 つづけて自分たちへの伝言を聞いた。



「悪い癖が出たようですね」


「ええ、そして治らない癖でございます。道理で下の方からアイン様が苛立っている様子が届いていたのでしょう。合点がいきました」


「私には分かりませんが……」


「召喚されているこのマルコだから分かることですので、お気になさらず」



 二人は慣れたもんで、決してアインを追うべきだという議論は行われない。

 この場において、自分たちに課せられた使命はアインにとって、自分を守ることよりも重要視していることだからだ。

 それはクローネとクリスの傍に居て、彼女たちを守ること。

 仮にマルコが危険性を察知していたならば別だが、彼もそんな仕草は見せない。



「下から気になる気配は致しますが、アイン様ならば問題ないでしょう。むしろここで、お二方に危害が加わってしまう方が可能性としては高い。ですから我々は、必要があればアイン様への援護をすると致しましょう」



 護衛対象であるクローネとクリスのことだ。

 アインの伝言にも、二人の傍を離れるなという内容が含まれていた。

 むしろ、それを主とした伝言だったくらいである。



 それとは別に、ディルはマルコが口にした最後の言葉が気になってしまう。



「我々に出来ることがあるでしょうか」


「ありますとも。たとえばそうですね――――もしもセイ殿、あるいはベイオルフ殿が――――」



 密かに耳打ちをする様に告げていると。

 ――――ワアァァッ!

 不意を突くように聞こえた熱狂。

 会場の中央、武舞台に立った男たちの剣戟に酔いしれる観客の興奮の声だ。



 黄金航路に所属するセイというダークエルフ。

 彼の戦いっぷりは寡聞にして存じないディルとマルコだったが、彼の強さは目を見張るものがあった。

 洗練された剣技。そして敏捷性も純粋なエルフに劣らず相手を翻弄するに足りるもの。

 ときに魔法を放つこともあり。

 対戦相手はなんとか堪えていたが、圧倒的劣勢である。



「お二人とも、殿下はどうしたのかしら?」



 近寄って声を掛けたマジョリカ。



「マルコ殿曰く、リリ殿からの急用にて影と折衝をなさっておいでだそうです」


「あらそうだったのね。……個人的にはその仕事はどういう意味で急用なのかが気になるわ」


「と、言うのは?」


「殿下がご自身で呼び込んだ仕事なのか否かってことよ」



 ディルは一瞬だけ黙りこくってしまう。

 ほんの一瞬、たとえば「あ」と言葉を発するような微かな時間だったが、マジョリカは「前者かしらね」とだけ言って会場を見た。

 藪蛇はせずと言わんばかりに、武舞台で戦うセイを見て口を開く。



「あの子、噂ではハイムの元・大将軍に匹敵する実力者だそうよ」


「…………ローガスに?」



 怪訝な声色に少しの興味を孕ませたディル。



「ま、あくまでも噂よ、噂。実際に目の当たりにした私と護衛官殿なら分かるでしょ?」



 確かにセイは強いのだが、ローガスと比較すると……。

 ――――少し劣る気がする。

 心の内で考えたディルはそれでも、セイの強さは疑っていない。

 少なくとも自分たちの近衛騎士では相手にならないだろうし、敵に居たら目を離してはならない存在に違いない。



 ただ、ローガスはこの大陸において最強の名を冠していたハイムの大将軍。彼の方が強くて当たり前なのだが、あのセイという男の人気もあっての噂と推測も出来た。



『やはりこの男ォッ! 勝者はセイ――――黄金航路の貴公子だぁッ!』



 遂に優勝者が。

 久方ぶりに開かれたこの大闘技大会の覇者が決まった。

 武舞台の端には吹き飛ばされた対戦者。

 中央に立つセイは額に浮かんだ汗を拭い、注がれる熱気あふれた歓声へ応える。

 彼のもとへ運営の者が向かい、拡声機能がある魔道具が向けられた。



『前評判通りの勝利でしたが――――』



 今だ熱気は収まらず、声を掛けられたセイの返事へ注目が集まった。

 特に女性。セイの端麗な容姿に目を奪われた淑女たちの歓声は特に多く、セイが何かを言うたびに更なる歓声が送られた。

 やがて。



『覇者の座についたからにはベイオルフ殿からの褒美も期待できましょう。セイ殿が何を望むのかと、多くの観客もそれを気にしております』



 それを耳にしてすぐにセイはある一方に顔を向けた。

 決してベイオルフの方へではない。するとディルたちと別の貴賓席に座るベイオルフは目を見開き、しかしすぐにセイの願いを察して唇を綻ばせる。

 時を同じくして、ディルは武舞台に立つセイと視線が重なった。



『私は戦いたい騎士がいる。……金色の鬣を翻す、かの白銀の国の将軍だ』



 すると、会場の至る箇所から貴賓席に視線が向けられた。

 視線の先に居るのはディル、イシュタリカが誇る新たな将軍。

 明確な挑戦状が堂々と届けられた。



 加えて届いたのは声だ。

 いくらイシュタリカの将軍と言えど、セイが勝つのではないかという予想。それに加えて、イシュタリカの貴賓であり、彼らは勝負を避けられる名分がいくらでも存在すると。

 ディルはつい数分前までは避ける気でいた。

 戦う必要はないし、アインに無断ですることではないからだ。



 しかし、実のところ今は違う。

 マルコが先ほど口にした助言というのがあって。



「クローネ様」



 と、彼はクローネの前に跪いた。



「私が剣を振るうことに許可を頂けませんか」



 彼はどうして心変わりをしたのかとクローネは考えた。

 幾度思うことがあるか、この場で戦うことのメリットは限りなく少ない。勝利したところで得られるものは僅かで、負けた時は僅かどころではない。

 ディル程の男がそれを理解しない? 何てあり得なかった。



 だったら――――。



どうして、、、、か帰ってこない、、、、、、、王太子殿下のため、ということかしら」



 言葉を返されてもディルは何も言わず、跪いたままクローネを見上げていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 最下層は大きく分けて三つの区画に分けられていた。一つは倉庫、そしてもう一つが炉と思わしき設備が並ぶ区画で、最後の一つが異人種が収容されている区画だ。

 近くには本来の移動手段と思われる大型昇降機もある。

 中央に螺旋階段が鎮座して、降り立つと三叉路となっている。



 空調ダクトを進み、アインが足を踏み入れたのは研究員が口にしていた部屋。

 白い壁と床。

 青白い光が冷酷に光る部屋の中に、確かにベッドが並んでいた。



 金網から見下ろすアインの視界に映ったのは、そのベッドに括り付けられた多くの異人種の姿だ。種族に決まりはなく、多くの異人種が不当に収容されていた。

 ベッドはいくつかの部屋に分けられて、一部屋に6人分ほどのベッドが並ぶ。

 アインはある一室、ベッドに括り付けられていない異人種を見つけて様子を見た。



(あれは)



 その異人種はハーピーの女性で、彼女はベッドに腰を下ろして二人の子を抱いていたのだ。

 研究員が言っていた言葉が脳裏をよぎる。

 処理寸前の双子、と彼は口にしていたはずだ。



 扉は重厚な造りで外の様子は分からないようだ。

 それならなるべく音を立てなければ……と。



「その子たちを俺に見せてほしい」



 金網を取り外して部屋に飛び降りると、ハーピーの前で膝をついて彼女を見上げる。不意に訪れたアインを見て彼女は目を見開き、涙の痕とはれぼったく真っ赤にそまった瞼のままに。



「わ、私の子を……?」


「いいから早く、まだ何とかなるかもしれない」



 彼女はアインを見て大声を発して驚くことはなく、以外にも落ち着いていた。



(…………大丈夫、この子はまだ生きていられる)



 翼に抱きかかえた双子を見て。魔石の方で感じた違和感の正体へと意識を向ける。

 顔色は真っ青で今にも命の灯が消えてしまいそうだったが。

 アインが手をかざせば、すぐに深く呼吸をした。やがて穏やかに核を鼓動させ、少しずつ血色が戻り、体温すら温かみを増していく。



「投与された魔力は消した。安静にしてたら大丈夫なはずだよ」


「ッ――――」


「後はこの部屋でもう少し待っていて。他に確認しておきたい事が終わったら、貴女たちを必ず外へ連れて行く」



 そう言うと、アインはダクトへ戻ることに決める。他の部屋の様子も確認しておきたい。見逃しが無いように、自分が来たからには犠牲者を出さないために。

 すると、驚いていたハーピーが座ったまま深々と頭を下げてから口にする。



「奥に……暴れる異人を収容している部屋がございます」



 アインは情報提供と知り耳を傾けた。



「私も一度連れていかれたことがございます。あの部屋はまるで牢屋のような造りで、左右から吊るされた鎖に両腕が拘束され……身動きが取れないよう拘束されるのです。ベッドに寝かされた者と違い、優先的に実験に使われることになっておりました」


「では、どうして貴女は無事なんだ」


「私は幸いにも適応できる身体だったからです。……適応できなければ、ここにはおりません。おかげでベッドにも括り付けられず、彼らなりの慈悲が与えられました」


「教えてくれてありがとう。初対面なのに信用してくれて助かった」



 実はそれには理由があり。

 彼女が自嘲しながら。



「殿下のことをどうして疑えましょう」


「……え?」



 別にアインが王太子だと知られたと言っても違和感はない。

 ただ、彼女からは確かな敬意が感じられた。



「今となってはイシュタリカの民ではありませんが、私は昨年より王都に暮らしておりました」



 それを聞いたアインは彼女のことを見上げた。



「この子たちのために王都を離れたって?」


「はい。ですがこの子たちの治療に掛かる費用を捻出できなかったのです。……諦めきれずにバードランドに来たところ、自由民となれば、実験的な治療へ参加が出来ると言われ……馬鹿なことをしてしまいました。結果的に、この子たちを怖い目に併せてしまったのです」


「……そういうことか」



 自由民になればイシュタリカとは何の関係もない。黄金航路も馬鹿ではなく、イシュタリカと事を構えることを嫌ってそうした手段をとらせたのだろう。

 そうなれば確かにイシュタリカと関係はないが。



「ウォーレンさんに聞いて、貴女たちの家がどうなっているのか確かめる。もう売れていたとしても、別の家を用意できるように取り計らう」



 アインはそう言って立ち上がった。



「ッ――――殿下! 私はもう……ッ!」


「俺たち王家の責任でもある。対応が遅れたのは事実だから、もしもイシュタリカに帰って来てくれるなら、また王都で暮らせることを約束する」


「…………私は、私はどんな顔をして祖国に帰ればよいのでしょう。偉大なる初代陛下がつくられたあの国へ、私のような者を帰しては殿下に罰が下るやもしれません」


「や、それはないと思うよ」



 最後はつい、自然体であっさりと答えてしまった。

 軽く咳払いをして笑みを繕う。



「後のことは王太子の俺が約束する。だからもう少しだけ待っていてほしい」



 涙を流し、頷くことしか出来なくなったハーピーの前を去る。軽く飛び跳ねてダクトへ戻り、聞いたばかりの情報を頼りに奥へ奥へと進んでいく。

 何とも言えぬ感情が心を占領した。

 イシュタリカの民であったと聞いた時から、ここにきて一番の苛立ちだ。

 それは自分に、そして黄金航路へも。



 絶対に異人全員を助けてこの施設を出ると再確認し。

 数分後、聞いていた通りの部屋を見つけたアイン。



 確かに部屋の雰囲気が違う。

 まさに牢屋であり、これまでの部屋と違って壁と床は石や土、つまりはこの地下空間を作るために掘ったあと、そのままにしていたような粗末な空間だ。



 ――――鉄の檻がいくつも並び、中には吊るされた異人種の姿。この光景を目の当たりにしたアインはすぐに、どう動くべきかを思案した。



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