宵闇の気配
マダムの屋敷まではのどかな風景を眺めながら。魔物や野党が出ることもなく、時折、見知らぬ旅人や商人と会釈を交わした程度だった。
ハイム戦争以前に比べ、この辺りの治安は格段に良くなっているという。
手腕は認めるべきであろう。
周囲の治安の良さは黄金航路の影響であるのだから。
「ほらほら御覧なさいな、そんなんで市場を奪われてどうすんのよ。私だったら――――で、どうせあんたは――――を疎かにするから――――」
そして、すぐ隣で繰り広げられている授業は刺激的だ。
アインは言い負かされたグラーフの苦笑いを横目で見てから、辺りを見渡す。
屋敷はこじんまりとした一軒家で、大きめの民家に見えなくもない。それでも今いる庭園はアインが唸るほどよく整備されいて、とこどころに見受けられる調度品も品が良い。
用意された茶も、マーサの茶に慣れたアインが素直に感嘆するほどであった。
「儂も成長しているのです。どうですかな、マダム、この辺りを攻められてしまえば……」
「それが潮時だって何度教えたと思ってるのかしらねぇ、この子は。よくもまぁー偉そうに勝ち誇ったもんだけど、私はその時点で該当する分野を捨てればいいだけよ。って考えると、あらあらまぁまぁ! 都合よくこっちの分野に資金を回すと……あらぁ? 成長した人材もそのまま使えて便利よねぇ」
「ぐっ……」
「市場を一度でも奪われた時点で負けてるのよ。それが今後も成長を見込めるときか、普遍的な需要がないのならさっさと切り捨てなさいな」
所詮は仮定の話であり、机上の空論と言ってもいい。
だが、二人が繰り広げた想像上の商戦はアインが理解しきれぬ領域にあって、あのグラーフが素直に負けを認めてしまうくらい現実味があった。
彼は悔しそうに頬を歪めて、腕を組んで空を見上げてしまう。
そんな彼を見るマダムの表情はまるで母のよう。母性的だ。
嘲るように上から目線に発言していたが、その中に信頼関係が垣間見えたのだ、以外にも暖かな人となりであることが見え隠れする。
「――――不思議だ」
と、思わず漏れたアインの独り言。
「王太子殿下は何が気になったのかしら」
「っと……すみません、何でもないんです」
何でもなくはない。疑問に思わずにはいられなかった。
(ベイオルフに商会を奪われた……これって本当なのかな)
大前提として、グラーフが今のベイオルフに劣っているのなら話は別だ。
だがそう簡単には思えず、つまりグラーフに勝る商才の持ち主であるマダムが商会を追い出された事実に疑問が生じる。
彼女ほどの人物が本当に負けたのか、と。
しかし軽々とは口にできない。
あまりにも不躾だし、気を悪くさせてしまうだろうからだ。
だが。
「嘘ね」
マダムが追及した。
「これは助言だから好きに取ってくれていいわ。嘘を吐くときは必要以上に相手に注視しないことね。どこまでも自然体で、時と場合によっては目を反らしてグラスに手を掛けるぐらいでいいのよ」
近しい者であればすぐにわかるアインの嘘。
彼の声色がいつもと比べ、相手をいたわるような優しさを内包していた。これだけであれば相手を気にしてと思わないこともないが、マダムはそれにこそ違和感を覚えて嘘を指摘した。
「年齢と飴のレシピ以外なら答えてあげるから言ってご覧なさいな」
「ですが」
「ここまできたら私もある程度予想できてるのよ。聞いていた以上に優しい人なのね、王太子殿下は」
ここまで看破されているのなら――――と、アインが尋ねる気持ちを固めて言う。
「ベイオルフに追い出されるようにして商会を出たというのは、本当なんですか?」
それにはグラーフも今まで以上に耳を傾ける。
彼の双眸が真剣さにより磨かれ、生唾を飲み込んだ。
「本当よ。私だってへまをやらかすことぐらいあるわ」
生きていれば間違いを犯すことはいくらでもあると言い、肩をすくめてから茶の入ったカップを口元に運んだ。
信ずるべきは言葉ではあるが。
アインは先ほどマダムが口にした言葉を思い返した。
(なるほど、マダムが嘘を吐く癖がこれなのか)
グラスではなくカップだが、自然体な声色で答え口元にカップを運ぶ。
……彼女は自然体すぎたのだ。
「気を付けた方が良いわ、足元をすくわれないようにね」
「俺たちがってことですか」
「ええそう。王太子殿下のご友人のほら……有名な研究者が居たじゃない、名前は……」
「ロラン……?」
「それよそれ、その子も
「えッ!?」
「一度は彼の研究所に手紙を送って、返事すら来なかったからって彼の家に直接手紙と贈り物をしたそうよ。もう一年以上前の話ね」
初耳だ。
しかし確信を持てるのは、恐らくウォーレンはこの話を知っているということ。もしかしたらシルヴァードもそうだが、確実に適切な対応がなされているはずだ。
その証拠にマダムが言う。
「二度目の連絡で返事は来たそうだけど、簡潔にお断りされたそうよ。贈り物に手を付けた痕跡なしに、送った時のまま送り返されたんですって」
「それは良かった」
「なんでかしらねー、王太子殿下、それともイシュタリカへの情かしら? 後はイシュタリカでしかできない研究があるとか……」
アインは何も繕わず、答えず。
笑みを浮かべているばかり。
「すべてってとこかしら」
これがきっと正しくて、誰であろうと彼を勧誘なんてできやしないのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃。
所変わってイシュタリカ。
王都近郊、魔法都市イストへ向かう途中に位置した王家直轄領である山脈奥深くにて。
周囲からみればごくありふれた山脈の中心。けれど、道を通り近づけば話は変わる。その中心部は既に魔道具により深々と掘り起こされ、地下深くまで通ずる大穴があった。
昨今は整地に掛かる手間は数年前と比べても更に容易。というのは炉の強化や新素材の開発など、数多の技術革新によるものである。
山脈の周辺は厳しい防衛体制で部外者は一切立ち入れず。
その大穴に造られた研究、建造施設は、イシュタリカでも知る者が限られる重要施設であった。
最下層、立体的に並べられた建造物の前に立つ、一人の
彼は上を見上げ、宙に浮いたパーツの様子に満足した表情で頷いた。
「…………へっくしっ」
彼は珍しく
そういえば、最近は働きっぱなしだし体調を崩したのかもしれない。休みにいい頃合いとなったのは今さっきだ。
何にせよ、彼はその理由であるパーツを眺めながら口を開く。
「黒龍の素材さまさまだよ、ほんと」
そのパーツに掛かった費用は計り知れない。研究を交えていることもあり予算が振り分けられているものの、素材そのものの価値も、そして作成するまでに必要とした素材の価格により、すでに天文学的数字に到達していた。
――――あれは炉だ。
王都にそびえ立つホワイトナイト城を更に超える予定の巨大戦艦を支える炉で、戦艦全体に力を送り込む心臓である。
外見は巨大な宝石のよう。
巨大な漆黒の
すでに充填された魔力の量は人知を超越していると言っても過言ではなく。
あの塊一つあるだけで、王族専用艦を数百年は補充なしで動かせるだけの代物である。
「ロラン――――いいや、主任と呼んだ方が良かったか」
「ル、ルーク教授ッ! だから教授にそう呼ばれるのは忌避感が……そうだ、ボクを主任というのなら、ボクだって教授を所長って呼びますからね!」
「そう言うな。私も所長と呼ばれるのには慣れていないんだ」
「だったら今まで通りでいいんじゃないですか……?」
「一理ある。さすが主任を任されるだけあるではないか」
もう言及の必要はないほど、この二人は学園時代からの縁もあり相性が良かった。学生時代は冷たい、あるいは放任主義と思われることの多かったルークだが、彼はいわゆる、卒業手前になればわかる良き教師であった。
彼が学園を去り、研究にのみ注力するようになってからも変わってない。
今も助言を与えるよき存在で、ロランからすればもう一人の父のような一面がある。
「しかし」
ルークが頭上を見上げて。
「遂に完成したな、君の集大成が」
「いえ、あれは皆の集大成です。ボクだけでは完成に至ることができませんでした」
「納得しかねる。あれはロランあっての成果に他ならん」
するとロランが何かを言うより先に。
ルークの手がロランの肩に伸びた。
「やったな。遂に黒龍艦バハムートの第一歩を踏み出せたぞ」
――――黒龍艦バハムート。
ロランが考案し、シルヴァードとの対談により建造の許可が下りた巨大戦艦だ。戦艦と言っても縦長、塔のように縦に伸びた全体像が想定されており、一見すれば戦艦には見えない。
想像図を見た者の多くが「あれは空を飛ぶ城だ」と言うほどである。
炉の出力は現在の海上最高戦力『リヴァイアサン』を凌駕する。たとえ数千のワイバーンが襲い掛かろうとも一瞬で葬れる戦力が搭載されるだろう。
すると――――。
冒険者の町バルトに舞うダイヤモンドダストに似た光が炉から発せられる。間もなく、炉が鼓動を停止した。
その光景を見た二人の周囲、見守っていた数多の研究員と作業員が歓声を上げた。
――――成功だ! 成功したんだ!
――――我々は新たな時代の到来を目の当たりにしている! これほどの喜びはない!
――――やったぜ……俺たちドワーフの力も捨てたもんじゃねえな。
数多くの人種が肩を組み、携わった分野に関係なく喜びの声を上げたのだ。
「教授」
「ああ」
二人もまた握手を交わして喜びを共有する。
皆が光を見て喜んだ理由は想定していた動作をしたからだ。
ロランはほっと安堵の吐息を漏らして、声高らかに。
「ボクはこの時を持って宣言する。『機神』は……バハムートの心臓は遂に完成した」
ベイオルフの予感は正しかった。
このロランという男こそ、間違いなく自分が引き入れるべき最高峰の研究者であったのは疑いようがない事実である。
が、それは不可能だ。
ロランの心にあるのはイシュタリカへの想い。そして誰よりも先に自分を認め、自分を凄いと言ってくれた
「さぁ! もうひと踏ん張りだよ!」
これは第一歩、これから本番であると気合を入れる。
そんな彼が皆から「休め」と言う言葉と共に笑われたのは、この後すぐのことだった。
◇ ◇ ◇ ◇
マダムの屋敷を出たのは日が傾きだした頃だ。
見送りに来たマダムが「そういえば」と、何かを思い出したよう。
彼女は馬に乗ったアインたちに近づいてきて言う。
「兵器転用が可能な素材の輸出は止めた方がいいわよ。黄金航路の馬鹿息子が何か考えてるみたい」
「……もう少し詳しく教えてください」
「戦力の拡充ってとこね。各地で中古だろうと見境なしに船を買い漁ってるそうよ。自慢の技術力で船を強化して戦艦として改築してるみたい。大陸の東方に大きな港まで拵えて、周囲の目には見えないように隠してるって」
「隠されてるのに、どうしてわかったんですか?」
「私が凄いからに決まってるじゃないの」
もはや何も言うまい。それ自体は間違っていないのだ。
黄金航路の目的は分からないが、これまでも戦力を増やしていた彼らと思えば違和感はない。と考えつつも、戦力を秘匿するのは少し気になった。
たとえそれが戦略のうちであろうともだ。
同時に、バードランドを出る前に見つけた魔道具のことも脳裏をよぎる。
「情報感謝します。またお会いする機会があったら、今度は俺にもてなしの場を譲ってください」
「大いに期待しておくわ」
「ではマダム、儂もまた参ります」
「はいはい、またいらっしゃいな。どれ、お土産に飴でもあげようかしらね」
飴を受け取ったところで馬を進めると、マダムは姿が見えるまで見送ってくれた。空を侵食しつつある茜色を臨み、ゆったりと、蹄の音を聞きながらこの場を後にする。
――――それから。
馬に乗るアインが不審なことに気が付いたのは。
夜の帳が降りだしてすぐのことだった。
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