琥珀宮
翌朝、アインは宿の中を歩いていた。
連れていたのはディルだけ。
朝早くから軽めの朝食をと思い、せっかくだからと最上階にあるレストランを目指している。
昨晩のディルは初心に帰って警戒するべきと話をしたが、宿の中なら――――と、こうして二人だけでここにいた。
レストランには外部の人が足を運ぶことが出来ず、万全の警備体制である。
これも問題なしと考えた理由の一つだ。
二人が真っ赤な絨毯の上を歩いてたところへ。
背後から、アインが聞いたことのある声が届く。
「ん――――君は確か」
振り向いてみるとそこに居たのは先日知り合った黄金航路の関係者。彼は今日も真っ白なシャツを着て、爽やかな笑みを湛えた銀髪の男。
「やぁ、昨日ぶりだね」
声を掛けた男の前にディルが立とうとしたが、アインがそれを手で制する。
それを見た男は一瞬だけ驚いた。
「いいのかい?」
問いかけながらも、気遣うようにディルのことを流し目で。しかしアインが気にするなと言わんばかりの首を横に振ったところで、ふっと穏やかな表情を浮かべた。
同時に、期待通りだった様子で満足げだ。
「ええ、初対面ではありませんし」
「くくっ……なんだいそれは。初対面かどうかがそれほど重要なのかな」
切れ長の目を細めて笑う。
一方、ディルは「またか」と声に出さずに思って、警戒心を解かないままアインの隣に控えた。
何時如何なる時であろうと剣を抜けるよう。
微塵も油断をしていなかった。
「また会うことが出来たね」
「そうみたいですね、ところで貴方はどうしてこの宿に?」
「簡単なことさ。私はこの宿の一室を提供してもらってるんだ」
「それは……」
合点がいかず言葉に詰まった。
それを察して男が言う。
「言葉が足りなかったな。ようは報酬のようなものでね、家がない私のために宿の一室をまるまる提供してくれているんだ」
と、言われてもさっぱりだった。
言葉通りに受け取れば就業した者への家賃の建て替えのような感覚だろうが、黄金航路の、それも盟主ベイオルフの隣に座るような男が宿暮らし?
若干、腑に落ちない。
「キミと僕の間にはかみ合っていない理由があるんだ。何のことかわかるかい?」
見透かすような言葉には、控えていたディルも驚かされた。
長年の付き合いである彼ならアインの考えを察することは容易ながら、相手は恐らく、アインが昨晩あったという男である。
その男が、こうも簡単にアインの考えを察するのかと。
益々の警戒心を抱いたところへと、今度は男がディルを見てくすっと微笑みかける。
するとつづけて、時計を見た。
「残念だけどこのぐらいにしておこうか」
再会と変わらない唐突な別れがまた。
昨晩とよく似た様相を醸し出す。
男はアインとディルに背を向けて歩き出した。
「三日後にまた」
小さな声でアインが言うも。
「悪いけど私はそのパーティに参加しないんだ。私はベイオルフの相談役みたいなものだし、別に黄金航路の一員になったつもりもないよ」
背を向けて、歩くままに答えていく。
「私はベイオルフの行く末が見たいだけだよ。彼が見せてくれる営みの輝きには惹かれるからね」
明確に黄金航路との関係を示唆しながら。
一定の距離があると言い切った。
しかしてアインは彼の背を見送って、思い出したようにディルを見る。
「あの人、昨日の夜もあんな感じだったよ」
「腹の見えぬ男でした。言葉の通りに受け取る気にはなれません。奴は黄金航路の参謀、あるいはそれに準ずる役割を担っているのでしょう」
「何せ相談役だもんね」
「それが本当かすら危ういところですが、重要人物に他なりません」
軽く言葉を交わしつつ、二人は最上階のレストランへの道に戻る。
――――この日の朝食の味はいつもより薄く感じた。
◇ ◇ ◇ ◇
三日経ち、バードランドに足を踏み入れる者は更に増す。各国、各地の権力者に加え。大陸中の豪商もまた余すことなくやって来たと言っても過言ではない。
ロックダム国家元首選定の儀まであと少し。
祭り騒ぎの中でも闘技大会の組み合わせも消化され。
徐々に名のある戦士や冒険者が登場してきた。
今日は他にも大きな催し事があり、夕刻を過ぎても町中はより一層、 躍然たる空気に包み込まれていく。
大闘技場の傍を進む馬車の中。観衆へ勝者を告げる声を聞きながら、アインは大闘技場の奥にそびえ立つ建物へと目を向けた。
『勝利を収めたのはやはりこの男――――ッ!』
やはり、とは誰のことか。
戦っていた者はそれほど有名な人物なのかと気にしつつ。
「それにしても」
そびえ立つ建物を眺めながらこう口にする。
同じ馬車に乗り込んだのはクローネ、そしてクリスのふたりだけ。二人はアインの手前の席に並んで腰を下ろしている。
外には馬に乗ったディルとマルコ、そして黒騎士や近衛騎士に至るイシュタリカでも一握りの戦力が馬に乗って警護に当たっていた。
「黄金航路は羽振りがいいんだね」
こう言ってアインは二人を見た。
――――彼女らの服装はいつもと違うドレス姿だ。
クローネのドレスは蒼一色。
はじめてあった日、その美しさに見惚れたブルーファイアローズによく似た蒼だ。細身のドレスのスリットから覗く白磁の肌とのコントラストが眩しい。
開いた胸元から覗く
だが貞淑さは決して失わず、しかし仄かに漂う艶めかしさは足を組み返す仕草だけで嫣然と。
鼻梁の下で存在を主張する色艶のよい唇が、ドレスに負けじとアインの目を引いた。
一方、クリスも今日は騎士服ではなくドレスに身を包む。
騎士として参加すると思っていた彼女だが、実際はイシュタリカに居るウォーレンの指示により騎士としての参加はしていない。
彼女の肢体を包むドレスは情熱的な深紅。
シルエットはオフショルダーでタイト。
細長い脚が見事なまでの婀娜っぽさを掲げ、身体の凹凸が主張されて濃艶。
金糸の髪がよく映えた。
二人の出で立ちは隠し切れない華と器量を漂わせ、またどこの令嬢にも真似できない気品も内包していた。
馬車に収めるには勿体ない絢爛。
だが事実、見せたい相手は対面に座った彼ただ一人だろう。
「彼らは行動する頃合いがよかったのよ」
と、アインが自分を気にしてくれているのを知りながら。
クローネはそれが嬉しくて、上機嫌に口を開く。
「土地を買収するときのことか」
「ええ。ハイム戦争の後でも商人たちはそれなりの資産があったけど、どうしても地価が下がってしまうのは避けられなかったの。そこで黄金航路が勝負に出た――――ってお爺様が言ってたわ」
大闘技場を含め、この辺りの土地はバードランドにある組合の所有物であったらしく。
それらは復興の最中に黄金航路が多大な資金を使って買い取り、この町の象徴ともいえる大闘技場も手中に収めたのだと。
今では更に巨大な建築物まで造り上げ、見事にも存在を主張している。
「あれが琥珀宮ですって」
「あ、私も知ってます。彼らの本拠地であるあの建物を城に見立てて名付けられたらしいですね」
クリスが思い出したように言うと、シルクのような金色の髪がそっと揺れた。
揺れに倣い、甘い香りがふっと漂う。
「へぇー……全く知らなかった」
「もう、資料は渡してたじゃない」
「ごめん、ティグルと色々相談してたから見落としてたみたい」
ばつの悪そうな顔を浮かべてからそびえ立つ建物を、琥珀宮をもう一度見直した。
外観は決して琥珀色とは言えない。壁は象牙色というのが近いだろうか。入り口には束ね柱を用いた大きな門を設けて、進んだ先の建物は数十階建てはありそうな大きな塔だ。
最近よく見た豪奢さは少しだけ鳴りを潜め、純粋に尊大さを漂わせた目を引く建築物である。
門の内側、塔の手前は花々が美しい庭園が用意されているのが分かる。
アインらが琥珀宮に向かっているのは、その庭園で開かれるパーティに参加するためだ。
――――進む先には既に多くの馬車があった。
門の傍で並ぶように停まっている。
「すっごい人だかりですね。人が多すぎて私たちが入れなかったらどうしましょう」
「クリスさんったら、大丈夫ですよ」
「そうそう。仮に入れなかったとしても俺に名案があるから」
「名案ですか?」
「パーティに参加できなかったら会場の外で遊んでから国に帰るんだ。そうすると幸せな人生を送れるっていう案なんだけど」
突っ込んでいいのか分からない冗談に女性二人は思わず苦笑いを浮かべて、素直には笑えない。
「…………大丈夫だってば。あんなのに広いんだしさ」
アインはぷいっとそっぽを向き、広い琥珀宮を眺める。
微妙に収まるの悪い展開の後でそんなアインの可愛らしさを見て、二人は遂に微笑んだのだった。
――――ふと。
馬車の窓の外に馬上のマルコが現れ、目配せをした。
アインが窓を開けると彼は軽く頭を下げる。
「ご歓談の最中に失礼致します。そろそろお支度を」
頷いて返したアインは対面に座った二人を見た。
彼女らは持ってきていたストールで肩を覆って露出を控え、すぐにでも外に出られるようにと身支度を整える。
アインと言えば特にすることはない。
最初からジャケットを羽織っていたし、持ち物だって特になかった。
「私、ほんとに剣を持ってこなくて良かったんですか?」
クリスが不安そうに言った。
「今のドレスに剣を携えるのもそれはそれで凛々しいと思うけど、今日はなしの方向で、ってお願いしてた通りだよ」
「でも、アイン様を守るのは――――」
「クリスさん、それ以上は無粋になりますよ」
「え?」
アインはクローネの援護を受けて口角を上げた。
今日のクリスは立場が違うのだ。
(ウォーレンさんの意図はまぁ……置いといて)
恐らくはクリスの立場を徐々に騎士から
何にせよ、アインから「今日は守られる側だよ」と告げられたクリスが頬を赤らめたのは、それから間もなくのことだ。
「アイン様」
もう一度、マルコに外から声を掛けられる。
どうやら受付が終わったようで、馬車のまま建物の敷地内へ進むそう。
頷いて返すと馬車が再度、発車した。
◇◇◇◇◇
次回の更新は水曜日か木曜日となります。
なるべく週2回の更新を書籍発売までは続けていけたらと思いますので、引き続きのアクセスをどうぞよろしくお願い致します。
今日もアクセスいただきありがとうございました。
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