今度は自分が。

「――――じゃがな」



 懐に手を差し込んだセラが取り出したのは、手のひらに乗る小さな魔石だった。

 王都の貴族街にある宝飾品を取り扱う格式高い店。たとえばそれらの店に並んでいてもおかしくない見目麗しいカットと、アインが本能的に「あれはすごい」と感じるほどの気配が漂う。



 セラはそれを、なんてことのない安物を扱うようにアインへ放り投げて渡したのである。



「っとと……急に何ですか」



 理解が追い付かなかったアインだが。

 ふっ、と。

 気が付くとセラの姿が視界から消えていて、背後からその気配がした。

 殺気とまではいかないが、剣を突き付けられたような緊張感。いつもならすぐに振り向けたであろう速度だったし、今はヴェルグクの力を吸ったこともありいつも以上に自信があった。



 しかしだった。

 アインは我ながら思うように身体が動かなくて、背中に突き付けられた鎌の感触に辟易とした。



「この程度の速さにすら対応できんお主が、この儂と戦うことがうんぬんとよく言えたもんじゃ。分かるであろう? まだ身体は癒えきってないということが」


「そりゃ……自覚してますけど」


「故にそれをお主に渡す。儂の頼みを聞いてくれたことへの礼としてな」


「この魔石を、ですか?」


「それは魔道具じゃ。イシュタル諸島の技術ではまだ作ることが出来ない高価な魔道具での、今のお主の身体によく効くことじゃろうよ」



 だからそれを使って身体を癒せと。



「先ほどの言を口にするのなら、身体を治してからにすることじゃな」



 すると、セラは踵を返した。

 少女がゆっくりと歩いているようにしか見えない後姿には、一切の隙が見当たらない。

 アインは首筋を伝う冷たい汗に気が付く。思いのほか緊張していたことに苦笑いを浮かべて、小さくため息を漏らしてしまう。



「ま、どうしてもというのならじゃがな」


「今の俺が冗談を言ってるように見えますか?」


「見えてはおらんが無謀とは思うたぞ。故に――――」



 トンッ、セラのつま先が音を上げて足が止まった。



「心変わりせずにいられたのなら、明日の夜にここへ来るとよい」



 これはチャンスだ。最後に得られた唯一のチャンスだ。

 目を見開いてハッとしたアインは強く握り拳を作る。

 後は何も言わずに立ち去るセラを見送り、少し経ってから部屋を出た。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 外に出たとき、ディルは「おや?」と自信の目を疑った。

 彼は時が止まっていたことを知らず、何かあったような気がした現象も気のせいだと思い、アインに強く尋ねるようなことはしなかったのだ。

 勿論、時が止まるという非現実的なことを思うこともなく、だ。



 飛空船に戻ってから少し経つ。

 夕食時、船内の大広間に皆が集まって、それはもう賑やかな時間が流れていた。



「ニャァァアアアアアアアァン!?」



 勢いよく席を立ち、机をドンッ! と肉球で叩いたカティマが勢いよく口を開いた。



「これ美味しいのニャッ!?」



 何やら騒々しく言ったが、内容はこれだ。

 この地の周辺で採れた食材が口にあったのか、妙に感情的で芝居じみて大袈裟にすら見える。



「カ、カティマ様ー……座りましょうよー……」


「止めるんじゃないニャッ! クリスはこれが美味しいと思わないのかニャッ!?」


「美味しいとは思います! けど、それとこれは話しが別ですからね!」


「はぁー……その考えがいかんのニャ。良いことをした子は褒める、当然の事なのニャ。どうしてこれを大人になってからしたら駄目なのニャ? 美味しかったから食材を褒めて料理人を称賛する。至極当然な振る舞いだと思うけどニャ?」



 ところで、例によってクリスは特に口が上手いわけではない。

 彼女はカティマの言葉に「うっ」と詰まる。

 だが、彼女も一応は近衛騎士団長。

 すぐに冷静さを取り戻して、自分なりに適切な言葉を口にする。



「こほん――――カティマ様は元王族ですし、今は大公家の次期当主夫人です。大声で料理人を称えなくとも、近くに呼べば呼んで言えばいいんですよ」



 我ながらばっちりな返答と思ったのだが。



「じゃあ逆に聞くけどニャ」



 少しも迷わずカティマが言う。

 クククッと、少し悪そうに笑って言うのだ。



「アインに褒められるとき、少し大げさに「さすが!」って褒められるのと、落ち着いた声で「さすが」と言われるの。どっちが嬉しいかニャ?」


「ぐっ…………!」


「ま、そういうことだニャ」



 それを聞いてクリスはまた詰まってしまった。

 どちらか一方を選ぶなら明らかに前者だ。しかし、後者が嬉しくないというわけではない。

 なんなら前者なら、しっぽがあれば勢いよく振り回せるぐらいの喜びがあるという話だ。



 さて、近くの席でその様子を見ていた皆が確信した。

 もはやクリスの敗北であると。

 勝ち誇った顔を見せる駄猫と対称的に、悔しそうに唇を尖らせたクリスが笑いを誘って止まなかった。

 少し呆れ気味に頭を抱えてディルを見て、アインは若干の申し訳なさを募らせる。



「いいんですか?」



 隣に腰を下ろしたシルヴァードに尋ねたのだが。



「……悪くない味だ。アインもそう思わんか?」



 彼は明確に応えようとせず、孫の方を向いて目を細める。

 あ、これは触れたくないと思ってるやつだ。

 察したアインは「思います」とだけ短く返して辺りを見渡す。



「クローネさん、王都に帰ったら一緒に行きたいところがあるんです。良かったら一緒に行ってくれますか?」


「ええ、オリビア様のお誘いなら何処へでも喜んで」



 二人の美女のやり取りに和やかさを感じると。



「これは……もしやマーサ殿、例の評判だというお品では?」


「さすがマルコ様ですね。実はつい前日、幸運にも仕入れることが出来たものでして……」


「素晴らしいお品です。さすがドワーフが作る器というものは――――」



 ただの使用人……と言うにはまた違う二人だ。

 方や背丈は低くともイシュタリカが誇る一等給仕の誇らしげな声と、感嘆した声で称える燕尾服のデーモンの落ち着きに気品を感じた。



 今日は少しだけ、城でのいつもと比べて賑やかに思う。

 ただ、あくまでもほんの少しだけだ。

 目を覚ましたアインを気遣うようにあえてということはなく、言うなれば偶然である。

 自然で、暖かさのある日常だ。



 アインは自然と口角を上げ、隣に座るシルヴァードも機嫌がよさそう。



「良いものだな、家族というものは」



 特にアインは幼い日のこともあり、強く頷いた。

 スプーンを片手に料理を口に運びながら、暖かな空間ごと楽しむ。

 だからこそだ、シルヴァードは前置きした。



「お主が倒れたと聞いて、余は考えてはならんことを考えた」



 するとアインを見て言うのだ。



「余は国王だ。だというのにイシュタリカのことを忘れ、アインのことのみを考えた。何があったのか、しっかりと目を覚ますだろうか、余のせいだ、余が許可を出したからだ――――とな」


「…………申し訳ありません」


「よい。今は叱責しているわけではないのだ」



 ははっ、今は安心した様子で笑うシルヴァード。



「親が親ならば、子もまた同じということをよく知った」


「子もまた同じとは?」


「ライルのことだ。皮肉なことに、余はあの馬鹿息子と同じことを思ったと言ってもよい。国を捨て、余は家族をとったのだ」


「お、お爺様は……! いえ! それにライル様だって……ッ!」


「はっはっは! 何を慌てておる! そう気にせずともよいぞ」



 アインはぐっと口を閉じた。

 今日、セラから聞いたばかりの話を伝えるべきだと思ったのだが、伝えてどうすると。

 どうやって知った、誰から聞いたと尋ねられたところで、セラの事を伝えるのに異論はないが、シルヴァードが信じるかどうかは別問題なのだ。



 これはアインとシルヴァードの信頼関係の問題ではない。

 単に現状では眉唾程度で、信憑性に欠ける話ということが理由である。だから伝えたところで大して意味はなく、逆にシルヴァードにいらぬ気遣いをさせてしまうかもしれない。



(すみません、お爺様)



 知っているのに教えない不義をお許しください。

 アインは心の内で心の痛みに堪えたのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 夜、寝る前にアインは机の前でうんと背筋を伸ばした。

 机に置いてあるのは近頃、毎日のように書いている本だ。最近は覚え書きをしながら幼い日の事を思い出し、少しずつ書いている最中だった。



「よしっ、と」



 今日はこのぐらいにして休むことにしよう。

 机の片隅に置いていた例の魔道具を一瞥して、そっと手に取る。



「…………」



 使い方は聞いていないが、意識すれば作用するものと思っていた。

 作用するとアインの身体を癒す、ただそれだけの単純な話だ。

 今頃になって緊張感を催してきたのは相手が相手だからか。それとも、心の中では勝てないと思っていて勝負を避けようとしているからだろうか。



 いいや、違う。

 実は高揚感が共存していた。



 これは祖父の願いを叶えるための一手を得られたことに対しての喜びであり、自分が強者と戦えることによる喜びではない。

 目を閉じて、自分のための戦いではないと再確認して想像した。

 セラという竜人を前にして、自分はどう振舞うべきかと幾千、幾万におよぶ振る舞いを考えた。けどどうやっても最善の一手が思い浮かばず、何度繰り返してもため息が漏れるばかりだ。



 今日まで戦ってきた強敵を思い出してみるが、そのどれとも違う実力者。

 一切の勝ち筋が見つからないことが、少しだけ怖く思ってしまう。



「――――あれ?」



 ふと、外を歩く人の気配に気が付いた。

 甲板に向かっているようだ。

 するとアインはおもむろに外套を羽織うと、魔道具をポケットに入れて席を立つ。

 去った気配を追って進んだのだ。



 時刻はもう深夜で、船内にいる人のほとんどが寝てしまっている。

 とは言え等間隔に立つ見張りの近衛騎士は居るのだが。



「殿下」



 と、騎士がアインに声を掛けた。



「どうしたの?」


「……それが」



 騎士は言いづらそうに甲板につづく階段を見た。

 すると、アインは向かって行った気配に察しがついて、どうしたんだろうと思い騎士に尋ねる。



「一人で甲板に?」


「はい。我らが供をすると言ったのですが……」


「断られたんだ」


「ええ……穏やかでしたが、我らに有無を言わさぬ覇気が漂っておりました」



 心配になったアインは騎士に礼をして足を進めた。

 静かに歩いて気配の主に気づかれぬよう、細心の注意を払って甲板に足を運んだのだ。



 夜風が涼しすぎて、若干寒い。

 髪の毛がふわっと揺れて、草花の香りが鼻孔をくすぐる。

 満天の夜空がやってきたアインを迎えた。



(あれは――――)



 甲板の端に立つ、一人の男に気が付いた。

 彼のはいつも通りの威風堂々とした立ち姿ながら、ずっと共に居たアインは複雑な感情を感じ取る。

 何か寂しげで、悔しげ。

 悔悟の念に駆られた様子の彼は、力なく神隠しのダンジョンを見上げていた。



「…………この、愚か者の馬鹿息子め」



 彼の、シルヴァードの声は少し震えていた。

 これまで国王として振舞いながら、やはり一人の父。肉親である長男が消えた場に足を運び、感傷的ならないはずがなかった。



 無情にも声はすぐに風に溶け、アイン以外の誰にも届かない。

 やがてシルヴァードの膝は弱々しく床につき、彼は手すりに額をこすりつけて。



「何故だ……ッ! どうして……何故ッ…………なんでお前はどうしての元から消えてしまったのだ…………ッ! ――――ライルッ!」



 ふと、アインは胸に手を当て強く握りしめた。

 嗚咽交じりの声に心まで締め付けられ、自分まで涙を流しそうになってしまったのを必死に耐えた。

 はじめて聞いたシルヴァードによる一人称。

 言葉にできない。この感情をどう表現すればいい? 



 祖父国王があれほどの弱みを見せたことは、これまで一度も無かった。



(これまでと同じなんだ)



 絶対に負けてはならない。何も変わらないのだ。

 今までの戦いと同じく、絶対に絶対に勝たなければならないのだ。ついさっき、何度考えても勝てる気がしなかったセラが相手であろうとも、自分は何が何でも勝たなければならないのだ。



(お爺様が俺を救ってくれたように、俺がお爺様を救う番なんだ)



 アインは持っていた魔道具を取り出すと――――。

 強く、迷いなく握りしめた。



 身体中に湧き上がる活力はいつもと違う。

 何か強化された感じはしないし、ヴェルグクの魔石を吸った今、本来の力と言ったところか。

 活力を取り戻したからではない……と思う。

 けれど、今なら勝ち筋が思いつくような気がしていた。

 猛る心に強い意思を持てた。



 それから、アインは静かに甲板から船内に戻る。



「陛下は……」


「大丈夫、でも甲板にはいかないように、だけどなるべく近くで護衛を……って、ごめん。かなり面倒なことを言ってる自覚はあるんだけど……」



 けど、でも。

 言い訳じみた返事に自嘲した。



「いいえ、承知致しました」



 近衛騎士は穏やかな表情で頷いた。

 彼もまた、シルヴァードとこの地の因果を理解しているのだろう。

 二人はそのまま別れ、アインは自室に戻る。



 扉を開けて中に入ると、ベッドに向かう。

 窓の外から差し込む星明りに照らされながら、来たるべき戦いに想いを馳せた。

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