英雄譚

 そもそも無理があった。

 今になってあれほどの治癒魔法の使い手と出会えたことだけでも幸運過ぎたし、色々と不審というか、アインにとってすれば気になることがあり過ぎる。



「俺の騎士に命じて調べました。法務局の記録をはじめに、辺境都市クリフォト近くの村の出生記録まで漁って貰ったんです」


「お主、中々に面倒な仕事を命じたのう」


「裏付けが欲しかったので」


「となると、儂は最初からバレておったと」


「むしろ隠す気がないように見えましたけどね」



 まぁの、セラは肩をすくめた。



「頼みたいことがあったのじゃ。故にお主の力を借りたかった」


「聞いたときは驚きました」


「儂もたまには困ることもあるのじゃ。それで、頼み事とやらの中身は知っておったか?」



 彼女がここに現れたことから多少の察しはつく。

 頼み事とやらに関連しているのはヴェルグクであろう。ただ、彼女がヴェルグクを相手にして困るような実力者には思えなかった。

 だからアインは別の切り口から言う。



「理由はどうあれ、この部屋に来たかった――――とかでしょうか」


「おお! さすがじゃな! うむ、儂はこの部屋に来たかったのじゃ。奴がこの部屋へつづく鍵を持っているのは分かっておったんじゃがな―……」


「正解したのは嬉しいですけど、どうして自分でヴェルグクの相手をしなかったのかが分かりません」


「そんなの、儂があ奴を殺せなかったからに決まっておろうに」


「……説明になってないです」


「儂だってヴェルグクと幾度となく戦った。何千、何万回と魔石を砕き勝利を収めた。じゃがこのダンジョンの性質ゆえか、奴は自身の魔力を失わぬ限り再生を繰り返す、文字通りの不死を誇っておった。ここまで言えばお主を頼った意味が分かるであろう」



 そのためアインの力、吸収を頼った。

 ヴェルグクの魔力を吸い尽くせば再生しないと踏んでいたからだ。



「とは言え、毒素分解EXで神族の魔力を解毒しきれないことは予想できんかった」


「診察してもらったとき、魔石が拒否反応をって貴女が言ってたのは……」


「毒素分解EXで扱える上限を超えたせいじゃ。故にお主の魔石が悲鳴を上げ、身体中を蝕んでしまった」



 正直なところ、アインはそれをあまり気にしていない。

 しっかりと勝利したし、こうして生還できている。後はその被害が自分だけだったと思えば、セラに怒りを向ける気になれなかった。

 それにしてもだ。



「別にいいですよ。でもあんな強い存在が二十層にいるなんて、上の階層の敵はどれだけ強いんですか?」


「上? ヴェルグク以上の敵や魔物はおらんぞ?」


「…………へ?」


「以前から思っておったが、お主たちは勘違いしておるのだ。天高くそびえたく最上層こそが最終到達地点じゃと? 逆じゃ、逆!」


「あっ、もしかして」


「少し考えれば分かるじゃろうて。このダンジョンは地下深くに眠っていたのじゃぞ」



 つまり最上層は逆に入り口だった場所で、アインが今いる場所こそ最終到達地点である。

 でもそうなると気になることがある。



「じゃあ俺たちが十層としていた場所の魔物は!?」


「どこかしらから勝手に沸いて勝手に住み着いたんじゃろうて。じゃから虫だったのであろう」


「あ、あぁ……なるほど……そういう……」



 考えてみれば、このダンジョンはセラによって攻略済みなのだ。

 アインが知る事情を逸脱していようと何ら不思議ではなく、それ以上尋ねる気持ちを失してしまう。

 少し拍子抜けした様子でため息をついてしまう。

 それから、アインは立てかけられた石板を指でなぞりながら口を開いた。



「実はヴェルグクの力も手に入りました」



 言い終えてからステータスカードを取り出してみると、スキルの欄に一つ増えている。

 『絶対攻撃』と、見慣れない文字が並んでいた。



「アレは攻撃に成功したという可能性だけを強引に引き寄せるモノじゃ。ただお主も察しているであろうが、負担が大きい。しかし必中なのじゃ」


「だと思ってました。ヴェルグクが終盤しか使ってこなかったですし」



 アインは冷静に聞いているようで、一瞬だけ頬を引き攣らせていた。

 成功したという可能性だけを引き寄せると聞いて、不運であればどうなっていだろう、と若干の寒気を催してしまっていた。



「必中は必殺ではない。あ奴が負担と効果を天秤にかけた際、まだ使う時ではないと判断したのじゃろう」



 だからアインが弱ったところで使ったのだと。

 さて、と。セラは息をついて居住まいを正した。



「儂が長きにわたり探していたのは、その石板じゃ」


「――――なるほど」



 予想は出来ていた。こんなに意味深に置かれていたからだ。



「この石板にはどんな意味が?」


時の秘術、、、、があると儂は踏んでおる……数多くの序列者も生み出せなかった秘術がの。儂はそれでやり直したいことがあるのだ」



 するとセラは困ったように笑い、目じりを下げた。

 顔を俯き気味に。若干寂しげに左右の掌をこすり合わせて指を遊ばせた。見た目相応の少女らしい仕草には、哀惜の念に苛まれているような切なさすら漂わせている。



「儂のことはよい」



 だが、すぐに顔を上げていつもの様子で言う。



「その石板を儂に渡すのじゃ。……当たり前じゃが、儂の頼み事を聞いてくれたことへの礼は」


「ちゃんと頼まれた事でもないですけど。あの二人のことを教えてください」


 セラが言い終わる前にアインが食い気味に言った。

 彼の脳裏にはシルヴァードの悲しそうな表情が浮かんでいた。



「それを選んだか」



 少し呆気にとられた様子でセラが言った。

 アインは微かに眉をひそめるも、他に聞くことはあるかと自問した。当然、あるにはある。たとえばあの不思議な世界で過去のイシュタリカで過ごしたときのことや、自分が――――マルクが交わしたという約束のこともある。



 だが、これらすべては自分のためだ。



 元はと言えばシルヴァードのためにこの地に来たのだ。

 自己犠牲と言えば聞こえがいいだろうか?

 立場と板挟みになり私情を隠していた祖父を思えば、自分の興味なんて二の次だった。



「もう一度聞きます。ライル様とセレスさんの二人について教えてください」



 その声を聞いて応える気になったセラを見て、アインは自然と胸を撫で下ろした。



「俺が見た二人は本物で、まだ生きているんですか?」


「本物ではない。あくまでも儂が奴らの姿と記憶を借りて作り出した幻想に過ぎん――――が、本物は生きておると思うぞ。儂はあの二人と契約した後に、二人が欲した自由のために私が使っていた船を譲り、当面の食料と金、その他数年は生活に困らぬ物を渡したからの」



 答えは聞けたが、疑問点が多すぎた。



「どうして自由のために船を……いえ、二人は何処に……ッ!」


「遥か遠く、この国の戦艦では何年かけてもたどり着けぬ彼方へと」


「セラさんが前に居た場所にですか」



 するとセラは答えに詰まった。言い辛そうな様子はない。単に正確な言葉選びに難儀しているようだ。



「確かに儂はイシュタル諸島を目指したとき、かの中立都市を拠点にしておった。とはいえ世界はお主が思っているより更に広い。星の数に星の数を掛けたより更に広く、すべての世界は繋がっている。たとえ壁があろうが、それを渡れる力があれば問題はない」



 小難しい話とこれまでの価値観では理解しきれない話である。

 今はその心理を談義する気はない。重要なのは、ライルとセレスの二人が遥か遠くへ行っていて、生きているであろうという話だ。



「少し安心しました」



 ただ、矛盾がある。

 遥か遠くにいるという二人が、どうしてこのイシュタリカに居たのだろう。



「二人は貴女と何を約束したんですか。……俺が関わっていることは予想が付きますが」


「お主を呼び戻すためじゃ」


「……俺を?」


「うむ。お主をこの地に呼び戻すためにはあの二人を――――そして、オリビアという少女が必要だったからの」



 聞きたい。もう、何としてでもその話を聞いておきたい。

 だというのに、アインは頑なに尋ねようとしなかった。シルヴァードのことを最優先にしたいという念に加えて、尋ねたところで返ってくる答えが分かり切っていたからだ。



「もっとも、あの二人は城に帰るつもりだったんじゃがな」


「――――え?」


「やはり過ちであったと、ダンジョンに入ってから強く後悔していたんじゃ。だから帰ろうと、そう思った矢先に儂と出会い、儂と契約を交わしたのじゃ」


「それには驚かされましたけど……でも、結局は自由を求めて旅立ちましたし、その後悔に意味はないと思いますが」


「いいやある。あの王子が旅立つことを決めたのは、供をしていたエルフのためじゃからな」



 ふと、その言葉にアインが目を白黒させた。



「死す直前のお主マルクと同じ症状じゃった」


「…………」


「勇者という特殊な力に身体が負けておったのじゃ。生きているだけで魔石を酷使し、身体が老いれば瞬く間に命の灯が消えてしまう。ただでさえマルクに劣る身体に勇者の力があれば、そう長くは生きられん」



 たとえエルフだとしてもな、とセラは言った。

 今の話は初耳だ。恐らく、クリスも知らないし聞いたことがないだろう。

 ライルという男にだけ伝えていたのか、はたまた。



(ライル様はセレスさんの様子に気が付いていたのかな)



 天才と謳われていた彼ならば、と考えさせられた。



「しかし治療する術は有る」


「セラさんが居たっていう場所なら、ですか」


「左様」



 イシュタリカを捨てきれなかった第一王子が、一人のエルフのために国を捨てた。

 そこにあるのは理性ではなく、エルフに対しての愛情であろうか。この事実を聞かされてしまうと、これまで無責任だと断じていたライルに対し、同じく愛する者がいる者として同情した。



「このダンジョンの上層に行けば、あの二人が拠点にしていた階層があったと思うぞ」


「ッ――――何か服とか手紙とかは!? お爺様たちに何か残してなかったですか!?」


「悪いが知らん。当時のまま生活の跡が残っているとは思うが」



 二人は生きているとアインが言っても、シルヴァードには半信半疑だろう。

 ほんの気休め程度にしかならないことは自明の理。

 ならば何か二人に関する物でも手に入れたいと思った。しかし、時間が足りなすぎる。更に上層にはヴェルグク以上の敵は居ないとしても、ただ歩くだけで数日では終わらない距離と分かる。



 だというのに、アインが帰るのは明後日だ。



 もう延長は出来ないし、シルヴァードにそれを願い出るのも憚られる。

 では、出来る事と言えばただ一つだ。



「セラさん」



 彼女を頼るほかないのだ。



「お願いします。俺に力を貸してください」



 やはりと言うべきか、セラは仕方なそうに苦笑していた。

 だが素直で、色よい返事は期待できない。彼女は決して悪い女ではないが、何でもかんでも、頼まれたからといって簡単に助けてくれるほどお人よしでもない。



 契約には対価を。

 問題はセラがそれを受け入れるかどうかだ。



「俺はもうここに来ることが出来なくなります。きっと冒険者も、もしかしたらお爺様がご存命の間には入ることが出来ないかもしれない。でも俺は、絶対にお爺様にライル様たちのことを報告したいんです」


「…………二人が居た階層は遠く、拠点としていた場所も探さねばならんぞ」



 ゆえに時間はいくらあっても足りず、アインだけでは確実に痕跡を見つけられないが。



「だが、儂なら力になれる。儂にとっても決して少なくない魔力を用いればな。以後、しばらくの間は何もせず怠惰に暮らしたくなると思うが」


「お願い……できませんか」


「他ならんお主からの頼みだ。聞いてやりたいのは山々じゃが……」



 彼女は石板を垣間見た。



「儂にも成すべきことがあるのじゃ。そのためには、あまり力を使いたくない」


「そう、ですよね」



 もう諦めるしかないのかと、アインが顔を伏せた。

 きゅっと唇を噛んで眉間に皺を寄せた。握り拳を作るとすぐに震え、シルヴァードの想いに応えられないことに心を痛めていた。

 だが、セラはため息交じりに言う。



「どうしてもと言うのなら、お主が剣を取り儂に勝つしかない」



 力づくで言うことを聞かせてみろと彼女は言ったのだ。

 元より、ライルたちの事を聞く件については、そうなるだろうと覚悟していたことではある。

 アインはハッと顔を上げて、優し気に笑ったセラと視線を交わした。



 するとアインは期待を込めて「分かりました」と言いかけた。

 その刹那、セラは「じゃが」と言葉をさえぎって言う。



「もうお主が頑張らずともよいだろう」



 と。

 彼女は溢れんばかりの慈愛に満ちた声色で、アインを諫めるように言ったのだ。



「お主は大戦を乗り越え、ハイム戦争を乗り越えた。赤狐という敵を打ち倒し、暴食の世界樹との戦いに勝利した。お主という存在の物語は大きな区切りを迎えておったのだ」


「セラさん……急に何を」


「すべて上手くいくことはない。お主の祖父もそれを良く分かっていよう。だからお主が戦ってまで儂の助力を得ることはない。――――そうさな」



 不意にアインと距離を詰めたセラは、彼の目の前に立った。



ラビオラと共に植えた桜色の宝石を妃へ渡した。そこでお主の英雄譚は幕を下ろしていたはずじゃ」


「だからセラさん、急に何をッ!」


「お主の英雄譚という本を閉じた時、描かれていた物語を読んでいた者はそれで満足するはずじゃった。ああ、彼はこの後いつか国王になり、美しい妃たちと共に幸せで静かな時を過ごすんだろう……と、読んでいた者は想いを馳せ、物語を終えられたはずじゃ。当然お主もまた、それですべて事も無しといったところであろうが」



 暗に、諦めろと。

 自分に勝つことは出来ないと、セラはそう言っていたのだ。

 万に一つどころか、億であろうと勝機はない。たとえ神殺しに至ったアインであろうとそれは変わらず、自分との勝負に勝つなんてもっての外と告げていた。



 アインだってこの会話の意味は分かっていた。

 納得できるかどうかが別なだけだ。



「いいえ」



 だから、彼女の気遣いを受け取らない。



「仮に英雄譚というのなら、まだ終わっていない」


「む?」


「まだ王位に就いてすらいないのに終わりだなんて、片腹痛いですよ」


「じゃから、そういう話ではなくてじゃな!」


「他の誰かが望んだ終わり方なんて、俺は少しも望んでいない。俺は確かにハイム戦争を終わらせて、俺自身に宿っていた魔王の意思にだって勝ちました。シュトロムという地の統治を任され、龍信仰の連中との闘いを終わらせて、黒龍とだって戦った」



 そして勝ってきた。

 いずれも命を懸けた戦いだ。



「だいたい、黒龍は俺の意志じゃなくてセラさんのせいじゃないですか」


「むっ……確かにそうじゃったな……それは悪いと思うが……」


「でも、理由はどうだっていいんです」



 求めることはただ一つだけなのだ。

 意味のない戦いはしたくなかったが、今となっては、彼女の助力を得るために力を振るう必要がある。



「セラという竜人と戦うことが、英雄譚に描かれる最後の戦いかもしれませんから」



 アインにとって、命を掛けた戦いのすべてが自分のためではなかった。

 自分を慕う多くの者たちのためで、イシュタリカのためだった。今回もシルヴァードという大切な祖父のためだ。



「生意気を言いよるのう」



 吐き捨てるようでありながら、楽しそうにセラは言った。

 彼女はそれから石板を持ち上げて胸元に抱いた。



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