彼が遺したモノ。
昨日はあの後、家族や近しい者だけで集まって賑やかな夜を過ごした。
めんどうな仕事も明日だけは皆が休みだとシルヴァードが決めていたし、何の心配もなく、夜が明ける直前まで楽しんだのだ。
アインが自室に戻り、入浴を終えてからベッドに入った頃には朝陽が上りかけていた。
ああ、こんな時間に眠るのは久しぶりだ。
ベッドに入って間もなく、彼はすぐに目を閉じる。柔らかなベッドで夢の世界に旅立ったのは、それから間もなくのことだ。
特筆すべきことはない夢な気がした。
何時だって見れるような大した内容のない夢で、本当に特筆すべき点がない。
「…………」
時刻は昼になる手前ぐらいか。
身体をよじり、アインの意識が覚醒しようとしていた。
彼にしては珍しく、寝相で寝具が捲れている。
「――――いくつに――――のよ」
小さく、呆れた様子の声がした。
しかし城内で。しかも自室のベッドで休んでいたアインがその程度で起きることはない。これが戦時中であればどこでも警戒していただろうし、誰かが隣で寝ていたら起きたかもしれない。
けど今は一人とあってか、その様子は見られない。
捲れていた寝具がそっと戻された今でも、決して変わらなかった。
アインが目を覚ましたのはそれから数十分後。
何となくではあるが、寝ていた際に誰かの気配がした気はする。とは言え、他に何かが分かるわけではないのだが。
「あー……寝た」
何だかんだ普段より長い時間寝ていたこともあり、寝起きの気分が最高に良い。
気持ちよさそうに背筋を伸ばすと、カーテンを開けて和やかな日光に身体を当てた。
――――チリン。
ベッドすぐ横に置いてあるベルを鳴らしてからリビングに向かい、水差しからグラスに飲み物を注いで一気に飲み干す。
給仕がやってくるのを待つこと数十秒。
現れたのは、ディルの件でまだ忙しいはずのマーサだ。
「えっ」
「と申しますと……どうかなさいましたか?」
「グレイシャー家の方も忙しいだろうし、マーサさんも仕事を休んでるもんだと……」
「私がするべき事は終わっておりますよ」
「いやいやいや、だとしてもディルの事はまだ」
「既に今日まで多くの休日を頂いております。それに二人は王都を離れるわけでもありませんし……」
言われてみればそうなのだが、もう少しゆっくりしてもいいんじゃないのか。
そう考えたアインだが、マーサの人となりを思い心にとどめた。
「みんなはどうしてるかな」
「皆さま、まだお休みされているようですね」
「ちなみに二人は?」
「カティマ様は朝早くに城を出られました。陛下たちにも何も告げていなかったようです。もしかすると、昨夜のうちに何かお話されていたのかもしれませんが」
「だと思うよ。でも、そっか……カティマさんが本当に城を出てるのか……」
「明日からまた登城されるそうですが」
「ああそうだった、だから寂しさがないんだ」
今日までアインはカティマの部屋に足を運んだことが数回しかない。むしろ地下にある研究室に行くほうが多かったぐらいだ。これもあってか、地下に彼女が来ると思えば大した寂しさがない。
「何にせよ、ディルには次期大公としての振る舞いを心がけて頂きます」
「大丈夫だって、ディルならね」
さて、話も聞けたことだ。
今日は何をしようかとアインが考え出す。
「あのさ、俺が寝てる間に誰か部屋に来た?」
「……いえ、私はそのようなことは聞いておりませんが」
「じゃあマーサさんでもないんだ。なら夢かな」
と、寝ていた時にした声のことを流すと。
「下の詰め所に行ってくるよ」
「おや、何か御用時がおありですか?」
「昨日の夜、何かあったみたいたしね。冒険者と騎士が城に入ってくるのが見えたんだ」
「――――ご覧になっておいででしたか」
「やっぱり何かあったんだ」
「どうやらその様です。私もまだ詳しくは聞いておりませんが、本日の午後より、マジョリカ殿がその件について何か報告をすると聞いておりました。今も下にマジョリカ殿がいらっしゃるようですよ」
マジョリカさんが? アインは眉をひそめたが都合がいいい。
「直接聞いてみたほうがいいかな」
この言葉に頷いたマーサ。
アインは「行ってくるよ」と言って部屋を出た。一方、部屋に残ったマーサはついでと言わんばかりに、寝室にベッドを整えに向かう。
「あら?」
寝具の端、密かに残されていた髪の毛に彼女は目を細める。
髪の毛の色は……。
「オリビア様、かしら」
寝ている間に誰か来たのかというアインの問いの答えだ。
なるほど、あのお方なら……と頷ける。きっと内緒で足を運んで、寝ていたアインに優しく声でもかけたのだろう。
――――と、考えていたのだが。
「でも少しだけ……鮮やかかも」
手に取った髪の毛の色が、オリビアのそれより少し色鮮やかだった。
若干赤い気がしたけどさして問題ではない。
色が均一でなくて少だけ違っただけということもある。
マーサは一人でそう納得すると、ベッドメイクに戻った。
◇ ◇ ◇ ◇
城の下にマジョリカがいると聞いて足を運ぶと、マジョリカは庭園の一角にある椅子に座っていた。暖かな日光を浴びて、手に持った本を読んでいたのだ。
「あーらららら、殿下じゃないのぉ!」
「こんにちは」
「ええ、こんにちは。昨日もお城は賑わっていたそうねぇ」
「確かに結構賑わってたかも。それで――――」
前置きはこの辺にして、アインはマジョリカの隣に腰を下ろした。
「何があったの?」
「そのことだと思ったわ。……とりあえず、これを見てちょうだい」
するとマジョリカが、懐から一本のペンを取り出す。
全体が水晶か何かの宝石で作られた、見るからに高価な逸品だ。純金のペン先が光を反射して、存在感を放っている。
これは? アインが疑問に思っていると。
「先日、冒険者たちが神隠しのダンジョンから発掘してきたものよ」
「ッ――――冒険者が中に?」
「驚くことじゃないわ。昔からそういう冒険者も居たって、前に教えたことがあったじゃない。以前、殿下がセレスの件を収めてから少し経つし、無謀なのか勇敢なのか分からない冒険者なら、今なら足を踏み入れる者がいてもおかしくないわよ」
確かにそうだが、あの内部で現れる魔物を思えば危険だろう。
ただその危険さは皆が知るものではないし、挑戦者が居ても仕方ないのだが。
「冒険者たちは無事だったってことか」
「見たこともない魔物に襲われたーとか言ってたけど、入ったのが一級の冒険者たちだったからか、一人の犠牲者も出さずに帰ったそうね」
「…………ならいいけど、そのペンは?」
「私の店に持ってこられたのよね。あんまりしないんだけど、私はたまに鑑定の仕事ももしてたから」
そういうと、マジョリカは一枚の鑑定書を取り出す。
「今回に限っては本来なら鑑定書が必要ないんだけど、陛下にもお伝えするために書いてきたの」
取り出された鑑定書はアインに手渡され、彼が目を通して間もなくだ。
アインは思わず目を見開いて、マジョリカが持っていたペンを見てから、もう一度鑑定書に目を向けた。
「第一王子が使っていたペンって……」
「それ、ライル様のペンよ。以前何度も見ていたから間違えるはずがないわ」
今になって神隠しのダンジョンから見つかってしまったのだ。
少なくとも国王シルヴァードに秘密には出来ないし、マジョリカも秘密にする気はないだろう。事情が事情なだけあって言いづらそうな表情を浮かべているが、わざわざ鑑定書まで用意したのを見れば気の入れようが分かる。
「多分だけど、本当にあの方とセレスは神隠しのダンジョンに潜ったのよ。内部は以前と違って上に続いてたみたい。だから場所が前と同じかは分からないけど」
と言ったマジョリカが鑑定書を指さした。
「冒険者たち曰く二十階層ですって」
「まだ上につづいてたのかな」
「みたいね。戦力と備蓄の問題で捜索を断念して帰ってきたみたいだけど……まぁ、おかげで本来の意味で神隠しがされる場所ではないって、陛下にも説明できるかも」
「……なるほど」
もしも人が消えることはないと断定出来たら――――シルヴァードはどうするだろう。
(私費を投じて依頼を出すかもしれない)
こうした仕事に秀でた冒険者なら、国王の依頼とあれば喜んで引き受けるはず。
確実な報酬が望めるし、その額は計り知れない。
アインはライルのペンを空に掲げると、光にかざしてその美しさに息をのんだのだった。
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