最終章―楽園の覇者―

変わったものと、変わらぬ者。

 ◇◇◇◇◇


 陛下、私は愛する子のためならばどんなことでも我慢できるのです。休暇を費やすことも、愛する妻に抱き着くことだって許せましょう。

 しかしながら騎士として、陛下の隣に立つことだけは譲れません。

 こればかりは第二王妃殿下と、マルコ殿と私にだけ許された誉なのです。



 え…………撫でようと思っただけ、ですか?



 い、いえ……存じ上げておりました!

 ただその、今のうちに我が子へと、はっきり伝えようと思っただけでございます!




           『私の日記』より、ある日のパーティから抜粋。

            著――――カティマ・グレイシャー



 ◇◇◇◇◇




 翌朝、冒険者の町バルト発――――王都着の水列車が到着した。これは王家専用のそれではなく、あくまでも貴族向けの車両があるだけの水列車だ。

 人々が降りていくのをアインは眺めて、人気ひとけが減るのを待った。

 車両の中から窓の外を見ていると、ウォーレンが語り掛けてくる。



「昨晩、シルビア様は何と?」


「父――――カインさんが今は時間が欲しい、って。だからシルビアさんとはゆっくり話せなかったし、アーシェさんもカインさんに駄目だって言われてたみたい」


「ふむ、そのご判断は正しいように思えますな」


「かもしれない。……何はともあれ、王都に帰ってきたわけだ」



 昏睡してからしばらくの日が経っていることもあり、王都はすでにカティマとディルの婚儀の最中だ。王都の賑わいはアインが知るこれまでと比べて、どの日よりも賑わっているようだ。



「アイン様がお戻りになる件は、陛下にだけお伝えしてあります」


「どうしてお爺様だけに?」


「陛下が私にそう命じられたからです。城内はカティマ様の婚儀で多忙を極めており、騎士団は勿論のこと、給仕たちも余裕がございません。なので、あまり騒ぎ立てないようにしてくれと」


「お爺様らしいや。俺がそう言うだろうって分かってたんだろうね――――ちなみに俺の不在について、貴族や民は何て?」


「想像がつくであろう懸念は発生しておりますな」


「例えば俺がカティマさんと不仲だとか、王太子は祝福する気がないとか?」



 ウォーレンは小さく頷いた。

 心配そうに髭をさすり、困ったように小首を傾げていた。



「多くを伝えることは憚られますが、そうしたネタを好む層はいつの時代も存在します。貴族の多くはアイン様たちのご関係を民よりも熟知しておりますので、さして問題ではございません。ですがやはり、平民には動揺があるようで」


「だろうね。それで、俺が不在の理由はどう伝えてるの?」


「下手に理由は用意せず、嘘をつかずに療養中であると報を出しておりますな」


「…………まぁ、色々詮索されるよりいいか」


「仰る通りでして、仮にアイン様がどこかへご公務で王都を開けるとしても、どこかへ遠征に出かけられてるとしても……王都に騎士団がおり、ロイド殿は勿論のこと、クリス殿もいる。こうなれば、アイン様だけが居ないことが不自然ですので」


「ああ、言われてみれば確かに。でもウォーレンさんがバルトにいた件は?」


「実は王都とバルトを常に往復しておりました。故に、婚儀の予定のすべてではありませんが、出席しておりましたので」



 アインは感謝の心と謝罪の念を抱き、ウォーレンへ静かに頭を下げた。



 さて、あまり車両内でゆっくりもしていられない。

 急いで城に向かおうと思ったアインだが。



「お召し物と御髪を整えなければなりません」



 と、ウォーレンが言う。



「正装を含む支度をこの車両内で行いましょう」


「いやいやいや、給仕が居なきゃそんなの――――」


「数人は必要でしょうな」



 けれど今は給仕が居ない。

 それにさっき、ウォーレンが連絡していないと口にしていた。この状況で、数人の給仕を呼びつけるのは憚られるが。



「ですが数人分の働きができる給仕がおります」


「もしかしてマーサさんとか?」



 しかしそれも気が引ける。

 一人息子のディルの婚儀なのに、足を運ばせるのは心が痛い。



「残念ですが、マーサ殿でも少し荷が重い」


「……じゃあ誰が」


「そんな給仕は一人しかおりませんよ。おお、噂をしていたら到着したようで」



 不意に車両の扉が開かれた。

 中に足を運んだのは二人の女性で、一人は大きなカバンを持ったリリだ。

 そしてもう一人は、アインが納得する給仕で。



「婆や――――ッ!?」



 古くにはラビオラの給仕を務め、今は王妃ララルアの専属給仕を務める給仕長。

 あのマーサですら敵わない口にする、名実ともに城一番の給仕だ。



「はい、私でございます。……リリ、鞄をありがとう」


「いえいえー!」



 リリはいつものように朗らかに笑うと、鞄を椅子においてアインを見た。



「お帰りなさい、アイン様。またお元気になった姿を見られて嬉しいです……けど、あれ? なんか雰囲気が違いません?」


「色んなことがあったんだよ。内緒だけどね」


「ありゃりゃ……内緒なのは残念ですけど、また一段と凛々しくなられましたね」



 彼女はそう言うと、深く頭を下げて車両を出ていく。

 するとベリアは鞄を開けて、アインの正装を取り出した。両手で大きく広げると、彼女は懐かしそうに目を細めて、ウォーレンと目配せを交わす。



 あっという間に正装へ着替えたアインは、つづけて髪を整えてもらう。

 櫛で丁寧に梳かされていく。

 目を閉じたくなるほど心地よくて、心が洗われるようだ。車両の外の賑わいも聞こえなくなり、ここにいる三人だけの空間が出来上がっていた。



(なんだろ)



 少し懐かしく思えてくる。

 なんとなくだが、既視感が脳裏をよぎる。



「数百年前の話ですが」



 唐突にウォーレンが口を開いた。



「ホワイトナイト城の一室に、とある四人が集まっていたのです。今ここで座っているアイン様のように髪を整えられる者がいて、整える者が居た。そして私のように見守る者が居て、もう一人、その様子を楽しそうに眺める少女が居たのです――――確かあれは戦士の婚儀の日だったような……ベリア?」


「ええ、そうでしたね」


「今はその四人目が居ないことが少し寂しいですが、仕方ないですな」



 短い話の後、すぐにアインの身支度が終わった。

 本当にあっという間の時間だ。

 普通であれば数人の給仕掛かりでの作業が、ベリアの手に掛かれば気が付くと終わっている。彼女は決して身動きが速いわけではないが、無駄のなさと迷いのなさがその一因だろうか。



 立ちあがったアインがうんと背筋を伸ばした。



「ご立派なお姿でございます」



 ベリアが瞳を潤ませて言った。

 すると、車両の扉が急に開かれて、リリが慌てて足を踏み入れる。



「……閣下ぁ……バレちゃってました……」


「む? バレたとは?」


「もう来ちゃってるので、私にはどうしようもできません……」



 力なく口にしたリリの後ろから、自慢のサファイアブルーの髪を揺らして現れた女性。

 彼女の到来を受けてリリは引き下がり、すぐに車両を出てしまった。



「どうして私に隠していらしたのですか……まったく」



 と。

 現れた女性が笑みを浮かべながらも、有無を言わさぬ態度でこう言った。



「ウォーレン様、理由は後で詳しくお聞かせくださいね」


「ふむ……どうしてこのことが分かったのですか?」


「陛下のご様子が気になったので、もしかしてって思ってリリさんの様子を探ってたからです。案の定だったようですね。馬車で追ってきて正解でした」



 この女性のことをアインが見間違えるはずもない。クローネだ。

 先日までいた世界で見たラビオラと瓜二つで、同一人物にしか見えない容姿をしている。少し違うのは、身体つきがラビオラに比べて凹凸に富んでいることぐらいだ。

 アインは不躾な視線は向けず、クローネの顔を見て喜んだ。



「ただいま、クローネ」


「……たくさんたくさん心配したわ」


「分かってるよ、だから本当にごめん」



 今日まで何があったのかを伝える気はない。あの事を知るべき人物は少なくていいし、アインという存在の事を思えば、わざわざ口にする必要はない……と思った。

 もしかしたら、いずれ語る機会が来るかもしれない。

 けど、それは今ではない。



「せっかくですから、お二人で城まで戻られるとよろしいでしょう」



 ウォーレンがそう言い、二人の背を手で押した。

 彼の近くに居るベリアも反対する様子はなく、穏やかな、美しい微笑を浮かべて二人を見送る。



「ウォ、ウォーレン様っ!?」


「私たちもすぐに参ります。お二人は一足先に向かってくださいませ」



 するとウォーレンは二人を車両から追い出すように見送った。

 それから「ふぅ」と息を吐いて、椅子に座る。

 ほぼ同時に温かい茶が用意されて、彼の手前に置かれた。



「……キミはいつもそうだな」


「ええ、私はいつも同じなんです」



 紅茶を口に含むと、当然のように味も同じだ。



「本を読む事が有意義だった。いつしか夜空を見上げることに価値を見出して、仲間と共に夜空を見上げることが幸せでたまらなかった記憶がある。それは本を読む事よりだ」


「ええ、存じ上げておりますよ」


「だが今は、この車窓に広がる風景がもっと美しく見える」



 窓の外には駅のホームを走る二人の姿がある。

 互いに互いを気遣いながら手を繋ぎ、城に向けて駆けていく眩い姿だ。

 コトッ、と。

 返事も聞かずに、茶のお代わりが淹れられる。



「やっぱり――――」



 ウォーレンが「やっぱりキミは変わらないな」と言う。

 つづけてベリアは「ええ、貴方と同じなんですよ」と間を置かずに言葉を返したのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「みんなは!?」



 階段を駆け下りる中、アインが隣を走るクローネに尋ねた。



「海沿いの広場よ! 何をしてるかというと……ううん、細かい説明はやめましょう! ようはお披露目みたいな催し事の真っ最中のはずなの!」


「りょーかい! それで、婚儀の本番はどうだった!?」


「見られなかったことを一生後悔したほうがいいかもしれないわ!」


「ははっ! 実はもう一生分の後悔はしてるんだよね」



 悔いは残るがもうどうしようもないのだ。だからこれからのことを考えたい。今からでも参加できる催し事には参加したいし、二人の事を祝いたい。

 駆け下りたアインとクローネは、ついに駅の外に出た。

 よく使う専用の昇降口で、周りに平民の姿はない。近くにあるのは、オーガスト商会保有の大きな馬車が一台だけだ。



「――――ア、アイン?」


「なに?」


「どうして馬車に乗らないで手綱を?」


「そんなの決まってる……っと」



 大きな馬車に劣らぬ巨躯を見せつける馬に乗ると、アインは馬上から手を差し伸べた。



「さぁ」


「惚れ直してしまいそうな仕草だけど、さぁ――――って?」


「乗って、馬車で行くよりこっちのほうが早いから」


「お、王都の中を駆けるっていうの!?」


「悪いけどやめないよ。一秒でも長く二人の事を祝福したいんだ。これ以上、ゆっくりしていたくない」


「もう…………分かったわ。仕方ないから一緒に怒られてあげる」



 するとクローネはアインの手を取り、彼の手を借りて馬上に向かう。彼女はあっという間にアインの手前に座らされて、すっぽりと彼の身体の間にはまった。



「お礼は今度、今と同じ体勢で一緒に遠出をしてくれたらいいわ」


「それでよければ何なりと。よし、行くよ!」



 手綱が引かれて馬が嘶く。

 ホワイトローズ駅から突如現れた巨躯の白馬が、多くの民に驚かれながら駆け出した。

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