そろそろ、悪い子になりたかったの。
ハイムに渡った調査団は、バッツとレオナードを中心に、そして、現地で合流したティグルを加えての調査を終える。
不思議な遺跡の下見を終えた彼らは、往路と同じ道を通っての帰路についた。
イシュタリカにおいては長距離の移動は水列車を使うのが基本。
しかし、ハイムに水列車はないため、丸一日かけての馬の旅となったのは明白。
普段はすることのない旅に、彼ら三人は多くの疲労を募らせたものの、友人同士での任務と言うのは、存外気楽なものなのだ……ということを学んだ。
港町ラウンドハートに戻ってから二日後。
こまごまとした仕事や折衝を終え、バッツとレオナードが帰国の途に就くことになった。
「――あ? 例の第二夫人がロックダムに居たって?」
「らしい……という話だ。とはいえ、近頃の検閲は厳しくてな。海を渡るのは不可能だと思うが」
「……何が何だか分からねぇけどよ。イシュタリカにきたらお前、あの女の首をはねたい連中は山ほどいるぞ?」
ティグルと語り合うバッツの表情は複雑で、何をしようとしてるのか、さっぱりなことだらけだ。
二人は顔を見合わせながらも、どうしたもんかと表情を硬くする。
「アインの連れとして、お前自身が首をはねたいとは言わないのか?」
ふっ、と軽やかに笑ったティグル。
彼も相応の容姿の良さがあるがゆえに、そうした小さな仕草だろうとも絵になった。
アインとは違った王族らしさをバッツも感じるところだ。
しかし、
「言えるか馬鹿野郎、もうあの話は終わってんだ。アインが吹っ切れてるってのに、俺たちが馬鹿みたいに気にしてどうするんだよ」
「……まぁ、私としては色々と複雑な心境だ。とりあえず、調査自体は継続する。何かあったらウォーレン様に伝えるさ」
元はと言えば、ティグルもアインとは敵同士だった。
今では味方として、友人として、そして部下としての関係性もあるのだが、完全に過去を吹っ切れてはいない。
居心地悪そうに
「あぁ、そうしてくれ」
早朝の港町ラウンドハートを、秋の冷たげな潮風が吹く。
ラグナと違う海の色は、ここがイシュタリカではないということを明らかにする。
地平線の彼方に浮かび上がってきた朝日を浴び、二人は少しの名残惜しさを感じていた。
「お前――次はいつこっちに来るんだ?」
「二週間後には行くことになっている。ウォーレン様と打ち合わせの予定が分刻みで入ってるからな」
今回の件についてだろう。
二週間も間が空くのはウォーレンにしては珍しいが、今回は入念な支度を行うからこそだ。
「私はそれまでに芸術家に大工など、多くの者たちとの折衝がある」
「そりゃ、難儀なこった」
「バッツこそ、シュトロムに戻ったら、例の調査の任務に就くのだろう?」
「はは、羨ましいだろ?」
「……残念ながら、肉体労働は向いていないんでな」
「ったく、張り合いがねぇな……おい」
だが、軽快につづけるやり取りも、そろそろ終わりを迎える頃だ。
頃合いを見計らい、レオナードが二人に近寄り、声を掛ける。
「船に搬入を終えたぞ。そろそろイシュタリカに帰るが……どうしたんだ二人とも、朝方の海辺で黄昏れて? 古臭い英雄譚でも呼んだのか?」
「そう言うな、レオナード。私たちは古臭い英雄譚なんかより、王太子による喜劇か英雄譚か分からない物語の途中に居るのだぞ」
確かにその通りだった。
そう言ってバッツが大笑いをすると、レオナードは、半ば頷きながらも苦笑いで対応する。
すると、ついに朝日が一際強く三人を照らす。
「あー……しっかし眠ぃな。下見終わったってのに、なんで俺まで書類仕事させられたんだよ」
ふわぁ――と大きく欠伸をして、多少に不満を漏らしたバッツ。
彼はそのまま振り返り、近くの桟橋に向けて足を進める。
「じゃあな、暴走第三王子」
「お、お前……! そう言うあだ名はやめろと何度も……!」
唐突な不名誉なあだ名に慌て、歩き出したバッツの背に文句を言いつける。
「時間が合えば、イシュタリカで飯でも食いに行こうぜ――それじゃ、俺とレオナードはそろそろ帰るわ」
「はぁ……ったく、素直にそう言えばいいものを」
照れくさいのか、彼は背をみせたまま手を振った。
レオナードがため息交じりに呟くと、ゆっくりと彼の後を追う。
「ティグル。今回は世話になった」
「いや、いつも世話になってるのはこちらだからな。道中、気を付けて帰るといい」
アインにとっての初めての出張仕事は、エウロへの名代だった。
そして、今となっては、バッツとレオナードまでもがそうした出張仕事をこなす。
学園時代とは違って大人に近づいた彼らは、こうして、少しずつ国の仕事に関わるようになっていったのだ。
――イシュタリカの船が、ボゥー……と、鈍い汽笛の音を鳴らして出航した。
二人を乗せた船は、イシュタリカ王都キングスランドを目指しての帰路につく。
マグナでない理由は遠いから。
そして、シュトロムに向かわない理由も、ウォーレンへ報告するのに時間が掛かるから。
二人は王都に付き次第、ウォーレンへと報告をしにいくことになっている。
つづけて龍信仰の調査に向けての打ち合わせをマルコとして、それ以降の日程の調整が入ることだろう。
学園を卒業してそう長い時間が経っていない二人には、まだまだ厳しい任務がつづく。
英雄と名高い親友の存在が、二人の強みとなっているのは言うまでもなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
さて、ところ変わってシュトロムにあるアインの屋敷。
バッツとレオナード、そしてティグルの三人が任務に就いていた頃、こちらではアインも多くの仕事に追われていた。
アイン印の苺の件もそうだが、やはり龍信仰の調査や、それに関するこれからの日程の調整。
はたまた、屋敷の防衛やシルビアたちへの伺いを立てるための支度など、細々とした仕事が山ほどあった。
港町ラウンドハートを、バッツたちが出発した少し前。
昨夜、遅くまで仕事をしていた……いや、日が昇りはじめる頃まで仕事をしていたアインは、ようやく、床に就けるまでになったのだ。
「――やっと終わった」
つい先ほど挙げた仕事は、決して緊急時だろうともどれもおろそかにすることはできない。
何故かと言えば、一つのことしかできないのであれば、王になるには向いていないからに他ならない。
だからこそ、こんなときであろうとも、特産についての話題も進めるしかなかった。
しかしそうなれば、するべきことは山のように増えていく。
結局、アインは寝る間を惜しんで仕事に励む他ならない。
「ふぁ……っ。ご、ごめんなさい……! つい……」
背筋を伸ばしたクローネが、たまらず欠伸を漏らした。
「別にいいよ。俺だって疲れちゃってるしね」
自室ではない執務室で仕事をしていたアインとクローネ。
それももう終わりだ。
ようやく、二人は久しぶりにベッドに向かうことができるだろう。
「寝る前に少し、お話していきましょう?」
彼女の提案はちょうどよかった。
アインは立ち上がり、エスコートするように彼女の手を取る。
「クローネの部屋にする?」
「ううん。アインの部屋がいいの。ダメ?」
「俺が病気にかかった時以外ならいつでもどうぞ」
「あら、アインでも病気にかかるのかしら?」
毒素分解EXの強みがあるからこその指摘だ。
顔を合わせて笑い、自然と二人は腕を組んだ。
「病気の時は駄目っていったけど、クローネに看病されてみたい気もするから、やっぱりお願いしてもいい?」
軽快に冗談を言い合い執務室を出る。
屋敷の中で腕を組む必要はあるか? と聞かれれば、答えはなかなか難しいところだ。
だが、二人はそれで気分よく振舞えるのだから、これ以上ない精神安定剤と言えるはず。
朝方の静かな廊下を二人で歩き、程近くにあるアインの私室に向かう。
しんとした廊下がそうさせたのか、二人は何も口にせず、ただ触れ合った腕の感触を楽しむ。
二人にとってはそれだけでよかった。
おおよそ、常人とかけ離れた恋愛事情を乗り越えてきた二人は、いくらでも沈黙を楽しめるいい関係にある。
とん、ととん。
偶に不規則に重なり合う足音さえ、極上の合奏に値した。
やがて二人はアインの私室に到着すると、扉を開けて中に入る。
自然と目指す先はソファではなく寝室。
ぽふ、と音を立ててアインが倒れ込むと、クローネは微笑ましさを感じて小さく笑う。
「――お茶でも淹れてくる?」
「執務室で飲んだし、俺はいいかな。クローネは?」
「えぇ、実は私もそうなの」
特に喉も渇いていなかった。
おもむろに、瑠璃色に明るくなる窓の外を一瞥し、クローネはアインの隣に腰かけた。
「寝る前にもう一度お風呂に入ろうかしら――アインも一緒に入る?」
ふふ、と小悪魔じみた笑みを向けてみた。
戸惑ってくれるであろうアインを見て、癒されようと考えたのだ。
……だが、近頃のアインは強い。
慣れて、成長し、逆に戸惑わせるだけの力は持っている。
彼は一瞬呆気にとられたものの、次の瞬間にはベッドから体を起こした。
「よっし、お湯を貯めないとね」
決して嫌らしい笑みではない。
むしろ優しく、クローネが大好きな彼の笑みだ。
とはいえ、仕返しをされたことに、今度はクローネが戸惑ってしまい、
「――あ、あの……本気で言ってるの、かしら?」
「シャワーの方がいいってこと?」
「そ……そうじゃなくて、一緒にお風呂っていうことよ……!」
すると、アインは内心で思う。
(これ、本気っていったら一緒に入ってくれるのかな?)
下心無しにしても、そうしたスキンシップは悪くない気はしている。
だが、万が一、下心に脳内を支配されても許してほしい。
相手はクローネだ。
幼い頃からの美しさは磨きがかかり、体つきも女性らしく、胸元も豊かに成長している。
逆に思う。むしろ、下心を一切抱かなかったとき、自分は男として価値があるのかと。
開き直ってみせたところで、アインは数秒かけて考える。
1、さらに押してみる。
2、冗談だよと流す。
3、無言で抱き上げてみる。
果たしてどれが正解だろうか? まさに、神にでも尋ねたい話なのだが、こんなことを尋ねでもしたら怒られそうだ。
「……な、何か言ってよ……アイン……」
「あ、ごめん。ちょっと考えてた」
力ない声で顔を赤く染めた彼女に対し、アインはさらっとした態度で答える。
この一年で進んだことと言えば、気兼ねなく口づけできるようになったし、腕を組んだり、抱きしめたりするにも自然なほどだ。
だが、言ってしまえばそれで終わりなことで、それ以上はまだない。
ここでよぎるのは、まだ正式の婚約が発表されていないという事実。
言葉にしているわけじゃないが、二人がこれを気にして一歩進めなかったのは否定できなかった。
「……」
すると、アインはまだ黙りこくって彼女をみる。
艶やかなライトブルーの髪に、くすみ一つない滑らかな肌。
顔立ちはいわずもがな、薄く赤に染まった首筋も煽情を掻き立てる。
恥ずかしそうに身じろぐと、彼女の身体つきが強調されるのだ。
白いシャツに、タイトなスカート。
仕事を終え、いつのまにかボタンも1つ多めにはずしているせいか、自然と胸元に目が引きつけられる。
以前はそうした視線も楽しみ喜んでいた彼女も、この状況のせいだろうか?
恥ずかし気に両腕を胸元で組んだのだ。
(……それ逆効果なんじゃ)
というのも、更に胸元が強調されてしまうからだ。
腰をくねらせれば、下半身も新たに強調され、アインが反撃を受けたかのような錯覚を受ける。
危険だ。危険だ。危険だ。危険だ。
これ以上目を向けているのはまずい。
おもむろに目線を彼女から外し、そっぽを向いた。
……すると、
「――ね、ねぇ。アイン……本気、なの?」
隣に座った彼女が、アインに身体を密着させた。
アインのシャツの胸元を掴み、身体を押し付けながら上目遣いで彼を見つめる。
吐息すら届く距離で、薄手の服装では互いの体温が分かりやすい。
瑞々しい唇が誘蛾灯のように注目させ、彼女特有の甘い香りが脳を溶かす。
クローネ同様、アインもいつの間にか理性に欠けが生じだした。
やがて、アインは手を伸ばし、彼女の頬に手のひらを添えた。
「……色々迷ってることはあるよ」
しかしここに来ての男気のなさ。
これはどうしたものか。
やはり、婚約に関してのところで躓いているのか、あるいは単純に意気地なしだったのか。
だが、クローネもその悩みは理解できる。
理解できるからこそ、ここまで新たな進展は無かったのだから。
……とはいえ、お互いの気持ちに止めをかけられる要素は、すでに何処かへ消え去っている。
クローネはアインの手に自分の手を重ね、鼻先がこすれそうなほど近づいた。
「ふふっ、私もそうなの。迷っちゃって、ダメかな、まだ我慢――って自分を止めてた」
「あはは……だよね、ごめん。俺の立場が無駄に高くなっちゃったからさ」
「うん。わかってる。でも……好きだからしょうがないと思う」
もはや薄氷を履むが如く、薄っすらとした精神的な壁しかない。
後ろから、とん、と赤子の力で押されでもすれば、二人の壁はあっさりと崩壊するはずだ。
これが早くにやってきたのはクローネで、彼女も必死の覚悟をみせる。
「ッ――ク、クローネ?」
振り払うのは簡単な、力ないのしかかり。
クローネがそのままアインを押し、ベッドに仰向けに倒したのだ。
彼女はそのまま覆いかぶさり、真っ赤に染まった顔を隠すようにアインの首元に顔を近づける。
「みんなには内緒なの。だから――」
やがて、そのままアインの耳元に口を近づけ、
「悪い子になろうとしてるクローネは、嫌い……かしら?」
一緒に、悪い子になってくれませんか?
と、アインの耳たぶに口づけをした。
彼女の誘いは甘美で愛おしく、アインの脳は溶かしきられてしまった。
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