シュトロムでの方針。

「――放っておいてあげたら?」



 午前中の訓練を終え、アインは汗を流してからクローネの下を尋ねていた。

 場所はクローネの執務室で、彼女は今日も多くの書類仕事をこなしていたのだ。



「い、いや、でもさ? カティマさんだよ?」


「アイン? それは第一王女のカティマ様といってるのかしら? それとも、あのカティマ様……という意味かしら?」



 クローネは尋ねた。アインはどういう意図で心配そうにしているのかを。

 すると、アインは答えるのだ。



「……どっちも、かな」


「……ふぅん。そうなの?」



 書いていた書類を終え、クローネが顔を上げてアインをみた。

 二人の間には物理的な距離がある。なぜなら、アインはソファに座り、クローネは机に居たからだ。



「アインはどういう返事がほしいの? 今はどうするべきかを聞きたい? それとも、今後に向けての意見でもほしいのかしら?」


「そのどちらもっていうのは欲張りかな?」


「ううん。アインが欲張りなのは昔から分かってるもの」



 ふぅ、とため息をついたクローネ。

 机の下では悩まし気に足を組み替えると、アインの目線がそこに向いた。

 当たり前のようにクローネは目線に気が付くのだが、届いた目線に気を良くしたのか、上機嫌に語りだす。



「今も今後も、ひとまずは二人に任せるのがいいと思うの」


「ディルかカティマさんが何かを言うまではってこと?」


「えぇ。そういうこと。他人の恋路に口を挟むのは良くないでしょ?」



 貴族や王族の立場からすれば、素直に頷けない言葉だった。

 しかし、アインとクローネの二人は自由恋愛でここまできたとあってか、アインは悩んだ末に頷いてみせる。



「だから私は、放っておいてあげたら? って言ったのよ。それに、放っておいても別に問題にはならないでしょ?」


「カティマさんは一応、第一王女だけど……」


「それを言ったら、ディル団長のグレイシャー家は公爵家――それに、王太子専属騎士団の団長を務める秀才なの。身分に問題があるかしら?」


「……問題無いかもしれないね」


「むしろ、私とアインの方が身分差に問題があるぐらいなのよ? だから大した障害じゃないわ」



 確かにそうだ。アインは同意した。

 クローネはもともと大公家の人間だが、イシュタリカではそう大きな意味を成さない。

 そのため、彼女の場合は、自らの質を示すかたちで周囲の人間を納得させてきたのだから。



「言うまでもないけど、ディル団長の人となりは文句が無いもの。さぁ、何か問題があるかしら?」



 そしてアインは観念したのだ。クローネの助言通り、ひとまずは何も口を出さないことにした。



「そうはいっても、陛下に報告しないわけにもいかないから……私に任せてくれる?」


「ごめん。お願いしたい」


「ふふ……承知致しましたわ。王太子殿下」



 と言って、クローネは手帳にメモを書く。

 何を記入したのかは分からないが、クローネならすべてを任せられるだろう。



「アインの相談事はこれでお仕舞い?」


「あぁ。なんとなくだけど、心がすっとした気がするよ」


「良かったわ。なら、次は私の相談事に乗ってもらおうかしら」



 こっちに来て。と口パクでアインを呼んだクローネ。

 アインはすぐさま立ち上がって、彼女の机へと近づいた。



「俺に相談事?」


「そうなの。これに目を通してくれる?」


「――税収使途案、並びに請願に関する区画立案?」



 小難しそうな主題に対し、中身もそれなりに細かい文字で埋め尽くされている。

 クローネの字で丁寧に資料が作られたようで、読みやすさはいつもどおりだ。



「思ってたよりも税収が多いんだ」



 イストやマグナなど、他の大型都市に比べればまだ少ない。

 だが、新興都市のシュトロムと思えば、その額には夢を感じることができた。

 アインは目を丸くしながらも感嘆する。



「冒険者と商人が落とす税は、どこの都市でも税収のほとんどを占めているの。シュトロムはその両者の活動が賑やかだものね」


「なるほどね。あれ? 俺たちが来るまでは誰が税の振り分けをしてたの?」


「以前の責任者はフォルス公爵ね」



 レオナードのお父さんか。さすがだな、とアインは頷く。



「なら、相談事って言うのは……俺にこの税収の使い道をってこと?」


「アインはシュトロムの領主さまだもの、ね?」



 相談事だと彼女は言ったが、その内容は、どちらかといえばアインの悩みになる。

 シュトロムの今後を決めるのはアインなのだから。



「いきなり責任重大だね、それは」



 フォルス公爵は実直な男と聞く。自分に厳しく、他人にも厳しい貴族の鑑だ。

 そんな彼の後を継ぐのは重圧だが、ここで挫けては王になるなんて以ての外である。



(っていっても、イシュタリカはすでに高度な文明と文化があるからな……)



 内心では、こんな悩み事があった。

 例えばここがハイムであれば。アインにもするべきことは今以上にあった。

 出来上がってしまっている上質なものを、後から手を加えて更に上質にするというのは難しい。



「――あのさ、シュトロムって、強みはなんなんだろう」



 呟くようにクローネに尋ねる。



「きっと……可能性(・・・)じゃないかしら」


「それはつまり、人間で言うところの赤子みたいな感じ?」



 クローネが首を縦に振ったのをみて、アインは目を閉じる。

 小さいながらも、少し手がかりを得た気がした。



(港に特化すればマグナの価値を奪う。でも、研究開発に重点を置けばイストの価値が……)



 もちろん、数年程度で歴史ある都市に勝ることは不可能だ。

 だが、将来的なことを考えれば、ただの模倣というのも素直に頷けない。

 ……アインは唸りながらも考えをつづける。



(逆に……イシュタリカにない大きな都市はなんだろう)



 冒険者が主となる都市も難しい。なぜならば、バルトという都市があるからだ。

 そもそも、バルトは魔王城というものが近くにあるからこそ、あそこまでの成長を遂げたともいえる。

 王都に数時間の距離にあるシュトロムでは、冒険者の町として栄えるのは到底無理な話だ。



「――あ、そういえば」



 しかし、ふと、アインは昨年の戦争を思い出した。

 ロックダムに上陸し、大陸を縦断して正反対側にあるハイムを目指したのだ。

 その時にあった事が頭をよぎり、ある地域のことが頭に浮かんだ。



「これなら、グラーフさんに意見を求めればいけるかもしれない――」


「ア、アイン? どうしてお爺様……?」


「ごめん、クローネ! グラーフさんにシュトロムに来てもらうことはできる? 駄目なら、俺が王都に戻って話を聞きたいんだけど――!」



 アインがクローネに詰め寄った。

 数センチほどの距離にあるアインの顔に、クローネはまばたきを繰り返して動きを止める。

 その後、少し経ってから正気を取り戻すと、



「ッ……少し待ってね? 今調べるから」



 頬を赤らめ、咳払いをして手帳を開く。

 手元にも落ち着きがなく、ページをめくる指が慌ただしい。



「あの、クローネ? そんなに急がなくても大丈夫だけど……」


「ア……アインのせいでしょ!? なによ、貴方だけそんなに冷静で……ずるいじゃない!」



 きょとんとした表情のアインに唇を尖らせて文句を言うと、手帳に目線を戻して照れくささを隠す。

 何年たっても、アインから行動されるのは照れくささが抜けなかった。



「ほら! お爺様は今月なら余裕があるみたいだけど!」


「あ、ありがと」



 アインに手帳を手渡すと、机の上に両肘をついた。

 手のひらで顔を覆い、火照った頬を冷やす。



「これなら大丈夫そうだね。グラーフさんをこの屋敷に呼んでもらうことは出来る?」


「……できるわよ?」


「じゃあ、二週間ぐらいお願いするよ。俺個人の名前で二週間も拘束するのはまずいから、イシュタリカ名義でお願いね」



 随分と長期間だ。

 何を尋ねるのかと不思議に思い、クローネが顔を隠したままアインに尋ねる。



「どうしてお爺様なの? というか、アインは何を思いついたの?」


「少し知恵を借りたくなったんだよ。貿易の覇者の知恵をね」



 貿易の覇者――ハイムにて陸運の全てを担っていた、グラーフ・アウグストの異名だ。

 クローネも久しく聞いていない異名を耳にし、ようやく顔をアインに向けた。



「それと、あっちの大陸の資料ってある?」


「そりゃ……あるけど」



 一向にアインは答えない。それでもクローネは、アインの言葉に従って答える。

 行動力を発揮しているときの彼は、どうにも力強い男らしさに満ちており、素直に従うことが嬉しく感じてしまうのだ。

 クローネは立ち上がり、本棚の一角から目的の本を数冊取り出す。



「はい。でも、何に使うの?」


「調べごとだよ。すこし歴史を学んでおこうかと思って」


「ふぅん……それで、何を思いついたのかしら?」


「もう少し整理出来たら教えるから、少し待ってもらえると助かる」



 ため息交じりにクローネが頷く。

 すると、アインは礼を言って執務室を出ようと足を進めたのだが、



「あら、アイン? どこに行くの?」


「俺にも仕事ができたから、自分の執務室に行こうかと思ったんだけど」


「駄目よ」


「……え?」


「だから、駄目よ」



 何が駄目なのかが分からない。

 アインは振り返ってクローネをみるが、クローネは楽しそうに微笑んでいる。



「その資料は私の私費で購入した本なの」


「あ、あぁ……うん」


「だからね、私が王太子補佐として貸してあげる必要はないの」



 理にかなっている。しかし、どうしてこんなことを言いだしたのかが不思議だ。



「でも、アインはその本が読みたいのよね?」


「すごく読みたいんだ。どうすれば貸してくれるの?」



 その問いは、クローネが望んだものだった。

 彼女は口を開かず、ただ指を使ってアインに伝える。



「えぇっと」



 アインは戸惑った。クローネがしたのは、机にある椅子を指し示しただけだからだ。

 訳も分からず戸惑っていると、



「その本を読みたいのなら、こっちに戻って来てくれる?」


「……?」



 アインは戻った。すると、彼女はアインの背を押して席に座らせて、



「――私ね、午後からはお休みなの」


「そうなんだ。でも、それがどうしてこの本と……って、クローネ?」



 ふわっ、と髪を広げてクローネが腰かけた。

 そこはアインの膝の上。柔らかな感触がアインの両太ももに広がる。

 相変わらずの華やかな香りがアインの鼻腔をくすぐった。



「どうしてもその本が読みたいのなら、ここで読んでいけばいいじゃない。別に、アインの執務室である必要なんてないでしょ?」


「……はは。そういうことか」



 目的を答えないアインへの仕返し。

 また、アインに甘えたいという想いによる結果だ。

 思えば最近は、クローネと二人の時間を過ごしていた記憶がない。

 シュトロムにやって来てから、それなりに忙しい時間に追われていたからだ。



「でもさ、何冊もあるから、今日一日じゃ終わらないと思うよ?」


「そう? なら、明日も来ればいいじゃない」



 飄々とした声でクローネが答える。



「夜になっても終わらなかったら?」


「そうなったら、私のお部屋でお泊りしましょうね」


(……ふむ)



 悪くない選択肢だった。むしろ、敢えて作業速度を遅らせたくなる誘惑だ。

 しかし、シュトロムのことを考えるとあってか、残念だが、その誘惑は諦めざるを得ない。

 アインは口惜しさをにじませてしまう。



「今、それもいいかなって思ったでしょ?」


「……仕事は大事かなって思ったところだよ」


「ふふ……そうね。別に口実なんて無くても、いつでもお泊りなんてできるもの」



 その通りです。クローネの背後でアインが深く頷いた。

 すると、さっきまでの不満を忘れたようで、クローネが俯きながら笑い声を堪える。



「さてと。どこから調べたいのかしら?」


「えっと――それはね……」




 ◇ ◇ ◇




「王太子殿下。グラーフ・オーガスト、ただいま参りました」



 数日後。王都からグラーフがシュトロムにやってきた。

 アインの願い通り、約二週間の日程を抑えたのだ。

 やってきたのはアインの執務室。そこで、アインとクローネの二人が待っていた。



「グラーフさん。お久しぶりです」


「いや、こちらこそお久しぶりでございます。……ところで、なにやら儂に尋ねたいことがあるとか」


「実はそうなんです。これを尋ねるなら、グラーフさんが最適かと思ったので」



 アインがこう答えると、クローネがグラーフに分厚い封筒を手渡した。



「どうぞ、お爺様」


「うむ。この資料は本日の議題のだな?」


「その通りですよ、お爺様」



 孫娘の答えを聞いたグラーフは、封筒の留め具を外す。

 中身を取り出すと、表題となる紙に目を通しだす。

 そして、その次の瞬間だ。グラーフの目つきが、真剣そのものに変わった。



「――拝見しても?」



 グラーフがアインを見て尋ねる。その目つきには、頼もしさを覚えてしまう。



「勿論です。ご意見を賜れればと思います」



 アインが手をあげて促した。

 すると、グラーフは真剣な面持ちで紙をめくって内容に目を通す。

 一枚めくり、また一枚……十数分もの間それはつづいた。



「……なるほど。このために儂を呼んだわけですな」


「はい。大方の事情はご理解いただけたようで、何よりです」



 すべてに目を通すには時間が足りない。

 しかし、数枚を確認し終えたところで、グラーフは顔を上げてアインをみた。



「事情は分かりました。では、王太子殿下の言葉で、この趣旨を尋ねたくございます」


「わかりました。この計画の趣旨は……」



 おもむろに立ち上がったアインは、身振りを混ぜてグラーフに語り掛ける。



「港町マグナ。この町にはちょっとした問題がありました。それは、拡大する港の問題です」



 人口増大が続くイシュタリカ。つまり、漁師の需要もどんどん増え続ける。

 すると、今ある港の規模では狭くなりはじめ、新たな港の建設が急がれるところだった。



「ですが、それは簡単にはいきません。今ある区画を整理していかなければならないからです」


「……でしょうな。町を拡大するのはそう簡単は参りませんから」


「仰る通りです。……そして、魔法都市イスト。この都市も、研究のために小さな問題を抱えていました」



 アインは語る。

 魔法都市イストの問題――それは、港町マグナとの距離が遠すぎることだ。

 この二都市には直通便が繋がっておらず、交通の便も良いとは言えない。

 すると、研究に必要となるものが手に入りにくい情況もあるのだ。



 わざわざ遠いマグナまで、研究のための素材を購入に来ていたオズという研究者が居た。

 彼のように、手間暇をかける研究者は決して少なくない。



「その点、シュトロムは直通便が整備される計画があります。ですので俺は、シュトロムの今後の方針を考えてみたんです」


「それがこの資料……というわけですな」


「はい。数日間かけて、クローネと一緒に完成させました」



 こう答えると、アインはもう一度咳払いをした。

 そして、次のように答えたのだ。



バードランド・・・・・・。ご存知ですよね?」


「当然です。儂らはバードランドを経由してエウロに向かい、イシュタリカに渡りましたからな。そうでなくとも、儂はバードランドとは幾度となくやり取りを重ねておりましたので」


「……ですが、バードランドのような都市は、イシュタリカでは実現できません。商人が猛威を振るう都市というのは、この国ではできないからです」



 グラーフの顔つきが変わった。

 呆気にとられたかと思えば、皺を深く刻んで笑ってみせた。



「だから、俺が目指すのは……バードランド以上の商業都市です。多くの主要都市の中心となり、これからのイシュタリカ発展に欠かせない大きな町を作りたいんです」



 そう。これこそが、貿易の覇者と呼ばれたグラーフを呼んだ理由だ。

 一言聞くだけでもなんとも夢のある話だ。今の言葉を聞き、グラーフは高笑いをしてアインを拍手で称えたのだった。

 バードランドは、大陸における保養所のような一面もあった。

 それがイシュタリカの力でどう表現されていくのだろうか、グラーフはそれを楽しみに感じていた。





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