あの日のつづきを。

 ハイムにつづく海原は穏やかだった。

 不気味なほど穏やかで、聞こえてくるのは船にぶつかる波の音に加え、エルとアルの二頭が泳ぐ音のみだ。

 ……そして、とうとうクローネを乗せた船が港町ラウンドハートへと到着する。



「――変わり果てているけれど、覚えているものね」



 幼い頃に何度か足を運んだことしかないが、その全景は思い出に残っていた。

 イシュタリカとの戦争でほとんどが崩壊してしまっているが、雰囲気は変わっていなかった。



 しかしどうやって船から降りるべきか。タラップはすでになく、飛び降りるには高すぎる。

 と、その時だ。



「キュッ」



 エルが首を差し出し、クローネに合図を送る。



「……つれて行ってくれるの?」



 すると、エルが上機嫌に口をパクパクして答える。

 クローネはありがとう、と呟いてエルの頭に足を乗せると、慎重な動きで船から降りた。



「ありがとう。エル。……アルも、助けてくれてありがとう」


「ギャゥ……!」



 近寄ってきた双子の頭を撫でると、クローネは王都の方角をみた。見たこともない巨大な樹があり、それがアインだと一瞬で分かる。



「さてと、どうやって行けば……。大変だけど、やっぱり歩かなきゃだめかしら」


「――あら。クローネさんったら、一人でここまできちゃったの?」


「……シルビア様?」



 すると、いつの間にかシルビアがすぐ傍に立っていた。彼女はしょうがない子ね、と表情に浮かべると、クローネの隣を歩いて双子に近づく。



「この子たちが例の双子?」


「そうです。姉のエルと、弟のアル……海龍の双子なんです」


「あら、そうなのね――さぁ、いらっしゃい。使わなかった魔石をあげますよ」


「ッキュ!?」


「ギャウ……ギャウッ!」



 王都で人と共に育ってきた双子は、警戒心を抱かずにシルビアから魔石を受け取る。

 受け取るというよりも、投げて渡されたものを飲み込んだ。



「ん……? あぁ、この子達、脱皮したばかりなのね」


「脱皮、ですか?」



 双子の透き通る鱗を見て、シルビアが呟いた。



「えぇ。だって、鱗が透明でしょう?」


「――双子の鱗が透き通ってるのは、昔からですよ?」



 ぽかん、とした表情のクローネを見て、シルビアは口元を手で押さえて笑う。空いたもう一方の手でクローネの手を取ると、楽しそうに進みだした。



「あ、あの――シルビア様?」



 急な動きに戸惑うクローネ。だが、シルビアは依然として微笑みながら話しかける。



「カインってね、元々は小さなスケルトンの子供だったのよ」


「今はあんなに凛々しいのに、ですか?」


「えぇ。ちょこちょこ付いてきて、すごい可愛らしかったわ。その後は少しずつ大きくなって、進化して……何百年も過ぎて、ようやくデュラハンになったの」


「……何百年」



 自分たち人間からすればおかしな時間間隔だ。強くなるのも当然だ、とクローネは納得した。



「この子達も同じことよ。きっと、進化するために成長してるのね」


「海龍が進化……。やんちゃになりすぎないか、ちょっとだけ心配ですね」


「平気よ。飼い主の方がずっとずっと強いもの。……さぁ、馬に乗って王都に行きましょうか」



 シルビアはわざわざ迎えに来たのだろう。クローネを促すと、二人で一頭の馬に乗り、ハイム王都へと馬を走らせていった。




 ◇ ◇ ◇




「いくら私たちがいるとはいえ、ハイム兵が残ってる……とは心配しなかったの?」


「……耳が痛い話です」


「まったくもう。どうするの? 捕まったら、すぐに裸に剥かれて……されることは決まっているでしょう?」



 考えるだけでもおぞましい。軽率だったのは否定できないが、それ以上に、アインの近くに行きたいという願いが勝ったのだ。



「もしかしたら……そうなりそうだったら、アイン君がまた暴走して助けてくれたかもしれないけど」


「な、なかなか笑えない話になっちゃいましたね」


「ふふ――さぁ、ついたわよ」



 港町ラウンドハートからしばらく馬を走らせ、とうとうハイム王都――その城門にたどり着く。



「ったく、海蛇の気配がするから……とシルビアがいっていたが、まさか本当に単身乗り込むとはな」


「……カイン様。昨日は、本当にアインのことを」


「構わん。俺としても若干の責任は感じているからな」



 城門そばに落ちた岩に背を預けていたカイン。二人がやってきたことに気が付くと、座ったまま声を掛けてくる。

 そのひざ元を見れば、よだれを垂らして寝ている嫉妬の夢魔――魔王アーシェの姿があった。



「くー……かー……」



 その光景をみれば、アーシェが平和主義者だったというのも素直に頷けてしまう。

 クローネは一瞬呆気にとられると、気持ちを切り替えてカインをみる。



「王都の中は静かなもんだ。危険らしい危険といえば、アインが目覚めた時ぐらいだが……今のままなら問題ない」


「だ、そうよ。一人案内をつけるから、その案内と一緒に王都にいってみなさい?」


「案内、ですか?」


「えぇ。大丈夫。彼の忠義に勝る騎士は居ないわ」



 馬から降りる二人。すると、シルビアは懐から大切にしまっていたものを取り出した。

 何を取り出したのか……クローネからしてみれば、淡く蒼い宝石にしか思えない。



「クローネさんに差し上げます。お守り代わりに持っていってね」


「――あの、これって何ですか? 宝石のように思えますけど……」


「もちろん、秘密よ」


「……わかりました。では、お守り代わりに頂いていきます」



 ニコニコと答えるシルビアだったが、教えてくれる気がなさそうなのをみて、クローネが諦める。

 近くではカインが額に手を当てて苦悩しているが、きっと彼も過去の苦労を思い出しているのだろう。



「ところで、案内をしてくださる方というのは?」


「城門の中にいるわ。勝手知ったる王都だとは思うけど、ご令嬢が一人で歩くのも品がないから」



 この冗談めいたやりとりにより、クローネはようやく笑みを浮かべることができた。

 ここまで連れて来たこと、アインを止めてくれたことに感謝すると、クローネは頭を下げてから王都に足を踏み入れる。



「でも、案内って……いったい誰のことなのかしら。適当なハイム兵を操って? ……ううん。さすがに、そんなことはしないと思うけど」



 かといって、他の誰かと考えるのも難しい。

 結局、少しの間歩いても誰のことか分からず、クローネは不思議そうに首を傾げながらアウグスト邸を目指した。



「……まさか、ここに戻ってくるなんて思わなかったわね」



 戦争の余波に加え、アインの暴走が壮絶な光景を作り上げた。

 幼い頃は立派だと思っていたハイム城。イシュタリカの文化を知ってその意識は消え去ったが、そのハイム城も跡形もなく崩れ去っている。

 今や、ハイム王都を支配しているのはアインなのだから。



「――お待ちしておりました。クローネ様」


「ッ……だ、だれ……ですか……ッ!?」


「おっと。これは、驚かせてしまい大変申し訳ありません。私はマルコ……アイン様に仕える老騎士にございます」


「アインに仕える……騎士……?」



 マルコの姿は明らかに魔物だ。少なくとも、クローネが知るなかでは魔物の騎士を部下にしていた記憶はない。

 だが、その名前には聞き覚えがあった。



「もしかして、マルコ様も、アインに召喚された方……なんですか?」


「えぇ。その通りでございます」



 ならば安心だ。少なくとも、シルビアが太鼓判を押す騎士なのだから、クローネがそれ以上を疑ってかかるのは正しくない。

 ほっと一息つくと、クローネはカーテシーを行いマルコに答える。



「初めまして。マルコ様。私はクローネ・オーガストと申します。この度は、私のような女の案内を――」


「……いえ。そう卑下なさらないでください。それに、私のことはマルコで結構ですよ。クローネ様」


「とんでもございません。そんな無礼は私には……」


「私はアイン様に仕える身なのです。であれば、クローネ様からは呼び捨てられるのが道理。……さぁ、参りましょう」



 旧イシュタリカ王家組というのは、なかなか頑固な者が多いのかもしれない。

 先日のシルビアとのやり取りを思い返すと、クローネは諦めた表情でマルコの後ろを歩いた。




 ◇ ◇ ◇




 しかし、マルコの要望はその後もつづいた。次に口調を変えてくれと言われ、クローネは困惑しながらも口調を変えた。

 変えてみたのだが、それも違う……といわれ、慣れた部下に話しかけるような口調にしてみたところ、マルコは満足そうに頷いたのだ。



「クローネ様。もしよければ、少しばかり私の昔話でもいかがですか?」


「……えぇ。聞きたいわ」


「私がアーシェ様の居城にて任務にあたっていたのは、ついさっきお話ししましたので……次は、その以前にあった事をお話ししましょう」


「それって、旧魔王領が……いえ、旧王都が健在だったころのことかしら?」



 彼の気持ちを慮り、旧王都と言い直す。マルコはそれを聞き上機嫌になると、声色を明るく語りつづける。



「実はこのマルコ。お仕えする人が決まっていたのですよ」


「――え? マルコはアーシェ様にお仕えしていたんじゃないの?」


「確かに、広義的な意味ではアーシェ様に仕え、イシュタリカに仕えておりました。ですが、主君となる方は別に居りましたから」



 ディルの事を考えれば分かりやすかった。ディルはイシュタリカに仕え、シルヴァードの臣下でもある。だが、紛らわしいが、絶対的な主君はアインとなる。

 立場を考えればシルヴァードが頂点なのだが、ようは、心の問題なども含めてということだ。



「私のマルコという名前も、その主君と出会うまではなかったものです。あのお方に憧れ、私は自ら名を付けたのですから」


「……それで、その主君はどうなったの?」


「私がとある騒動により王都を離れられなくなり、お供をする夢はかないませんでした。その後……愛する女性の御膝の上で息を引き取ったと」



 マルコにとっても無念だったのだろう。その想いが痛いほどクローネに伝わる。



「ですが、そのお方は最後には、私にとって大切な言葉を残してくださったのです」


「大切な言葉?」


「えぇ。あのお方は息を引き取る前に、こう言い残されたのです。『もしも生まれ変われるのなら、奴らに勝てる魔王になりたい』、と。私はその言葉を信じ、何百年もの間、任務と共に魔王城にて待ち続けておりました」


「魔王を待つのなら、魔王城……ってこと?」


「はは……その通りでございます。獣のせいで記憶は薄れましたが、心の底に執念として残すことができましたから」



 その後、マルコの無念はどうなったのだろうか。それ以上を聞くのは躊躇われ、クローネは神妙な面持ちで深く頷く。



「私の案内はここまでとなります。見える全てがアイン様であり、中ではきっとアイン様のご意思が戦われているはず」



 すると、アウグスト邸のすぐ傍で立ち止まる。すでにアウグスト邸はアインに飲み込まれ、残されたものは小さな庭園ほどだった。

 これには寂しさを募らせてしまうが、クローネはアインの傍に来られたことに満足する。



「ありがとう。マルコ。……どうすればいいのか分からないけど、アインに話しかけてみるわね」


「えぇ。そうして差し上げてください。私は離れてお待ちしておりますので、何かあればお呼びください」


「……分かった。ありがとう」



 二人はこの言葉を切っ掛けに分かれると、クローネは足取り悪い道を進み、アインの根元に近づいた。

 何度も足をくじきそうになったが、寸でのところでそれに耐える。



「――でも、どこから声かけてあげればいいかしら」



 この太い根に手を触れて?それとも、幹に身体を預けながら?あるいは、樹の上に登って?……残念だが、どれもぱっとしない。

 クローネは周囲を歩きながらどうしたもんかと考え込む。だが、今日の彼女は他人の助けに恵まれている日なのだ。



「すごい、すごい!」


「わぁ……珍しい生き物がいる! 珍しいよ! すごい!」


「……はい?」



 突然舞い降りた光る玉……よく見れば、中には小さな人型がいるのがわかる。

 エルフの里で起こった出来事を同じように繰り返すと、クローネは肩に乗った二つの玉に困惑した。



「何処の何方か知らないけれど、人をいきなり珍しい生き物って、失礼じゃないかしら?」


「えー? でも、珍しいよ?」


「……だから、何が珍しいのよ」



 さすがのクローネも多少苛立ってしまう。それを表情に少しずつみせると、二つの玉はキャッキャと笑いながら羽ばたくと、



「私はお姉ちゃんなの!」


「……お姉ちゃん?」


「うん! 私、この子のお姉ちゃん!」


「それでね、それでね! 私はお姉ちゃんの妹なの!」



 そりゃ、姉が居て下が女性なら妹だろう。

 何を言ってるんだと呆れた表情を浮かべたクローネは頭を抱えた。



「ねぇ、どうしてー? どうして、身体の外に魔石持ってるのー?」


「えいっ! 出しちゃえ出しちゃえー!」


「あっ――ちょ、ちょっと……やめなさいッ!」



 二つの光る玉がクローネにじゃれつく。

 すると、お姉ちゃんと名乗ったほうがクローネの服に入り込むと、シルビアから受け取ったものを手に姿をみせた。



「それはシルビア様からもらった……!」


「ねぇ! なんで? なんで魔石を身体の外に出しても生きてるの?」


「珍しい生き物だー!」


「……そりゃ、私は人間だから」



 だが、この返事は気に入らなかったのだろう。

 二つの光は空中で地団駄を踏み、



「嘘つき嫌い! これ、あなたの魔石・・・・・・だもん!」


「珍しい生き物嘘つき! 世界樹さまと同じで嘘つきーッ!」


「は……え……? そ、そんなわけないでしょ? 私は人間なのよ?」


「珍しい生き物! ピクシーなのに人間! それで嘘つき!」



 なにやら意味深なことを言ってるのは分かるが、彼女たちは思いついたことをただ口にしているだけだ。

 クローネが疲れた表情を浮かべると、世界樹さま……と彼女たちが口にしたことを思い出し、はっとした顔つきで話しかける。



「ねぇ、二人とも? アイン……じゃなくて、世界樹さまが何処にいるのかわかる?」



 といっても、見える全てが世界樹なのだろうが、クローネはあくまでもアインのつもりで口にした。

 だが、二人を頼ったのは正解だったようで、



「わかるよー! 嘘つきの世界樹さま、あっちで寝てるの!」


「こっちだよ、こっちこっち!」


「……言ってみるものね」



 自由に飛び去っていった光を追って、クローネは足取り軽く前に進んだ。

 少しの間、木の根やツタを避けて進んだクローネは、二人の案内によって目的の場所へと到着する。

 そこは幹と根の境目にほど近く、大きめの空間が広がっていた。



「――ここ! 世界樹さま、いまお休みしてるの!」


「起こしたら駄目なんだよ! しー! ってしなきゃダメなの!」


「……分かってるわ。ありがとう、二人とも」



 二人がいったい誰なのか。それも気になってしょうがないが、妖精のような何かだろう……クローネはこう考える事にした。

 そして、目の前に広がる光景に、彼女は女神のように微笑みかけた。



「素敵なお席ね、アイン」



 アインとクローネが初めて会ったその日……オリビアと三人で行った夜の茶会。

 その日と同じテラス席は、暴食の世界樹の幹と密接していた。椅子と幹が同化してしまっているが、その席にはアインが腰かける。

 太い木の根やツタに覆われたここは、昼の木漏れ日が差し込み悪くない光景だ。足元に転がる何個ものスタークリスタルを確認すると、クローネはアインの隣の席に腰かけたのだった。



「――さぁ、お茶会の続きを始めましょう?」



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