善悪。

「俺も、こんなとこに来たくなんてなかったよ」



 ラルフ本人に理解があるのかは知らない。

 魔王アーシェのように操り――都合のいいように使われているのかもしれないが、アインにそれを知る由もない。



「人を探しているんだ。一人目・・・は今見つけたんだけど、二人目は手がかりもない」



 すると、アインはラルフに向けて更に足を進める。

 この謁見の間は、アインがやってきた大きな扉以外にも、左右に小さな扉が1つずつ設けられている。

 おそらく控室か何かなのだろうが、伏兵を警戒しながら前に進んだ。



「――アノン、っていう女を知らないか?」



 そして尋ねた。

 静寂に包まれる謁見の間で、アインはラルフを真っすぐに見て尋ねた。

 後ろからはマジョリカや近衛騎士の生唾を飲み込む音が聞こえ、彼らの緊張度合いも察することができる。



「……貴様がその名を――」



 憤慨したラルフ。怒り狂った様子でアインに近づこうとしたその瞬間。

 玉座の物陰から一人の少女が姿を現す。



「陛下。私は気にしませんわ。……だから、そう怒らずともよいのですよ?」


「む……だが、奴は礼儀も弁えずそなたの名を」


「いいのです。さぁ、陛下。もう一度玉座に」



 貴族令嬢というくせに珍しい恰好のアノン。

 イシュタリカに居るクローネのように、きっちりとした格好に身を包む。

 上着にジャケットを羽織り、下にはスーツ地のスカートを身に纏う。



 そんなアノンが姿をみせると、ラルフの肩に手を置いて彼を諫める。



「あぁ……そなたがそう申すのであれば、致し方あるまいな」



 すると、ラルフはあっさりと頷いて玉座に座する。

 アインたちはこの光景をみて、ラルフも手遅れだという事を察する。



「なぁ。赤狐って呼んだ方がいいのか?」


「……いいえ。今の私には、アノンという名前がありますもの」


「なるほど――じゃあ、赤狐。エドは我々に倒されたみたいだが、切り札はもうないんじゃないのか?」



 アノンと名乗られておきながらも、アインは嘲るように赤狐と呼ぶ。

 一方で、赤狐と呼ばれたことで、アノンは一瞬だけ頬を引きつらせる。



「残念ですけど、倒されたのはそちらですわ」


「……それは嘘だ。ロイドは生きている」


「言い方を変えましょうか。一人を殺し、二人を重症にしてきた――と、エドは言ってました」


「一人を殺した……?」


「えぇ。なんでも、エルフの美しい女性だったとか。殺すのは勿体無いと思いますが、致し方ありませんね」



 アインが狼狽する。彼女の語った言葉が心を抉り、クリスが死んだという情報に視界が揺れた。

 激しく不規則に脈動する身体を両手で抑え、少しずつ呼吸が荒れていった。

 精神的な隙が生まれるが、強い瞳でアノンを見る。



「――信じない。早く決着をつけて、クリスを迎えに行く」


「……いいえ。不可能です」


「不可能なんてあるもんか。さっさとお前を殺して、因縁を終わらせれば……」


「そういえば、一つお聞かせ願えますか?」



 アノンが食い気味に尋ねる。



「バードランドでは、どのようにレイフォン・・・・・を処理したのです?」


「処理……?」



 第一王子を呼び捨てにしたというのに、ラルフはアノンの隣で機嫌が良さそうだ。

 ラルフはアノンの手に頬ずりをしようと顔を近づけるが、彼女はそっとラルフをあしらう。



「あの瘴気なら、いくらイシュタリカといえど一溜まりもない……という予定だったのに、あの子……エドが、鬼気迫る顔で帰ってきたんですもの。少し怪我もしていましたから、貴方たちに囲まれたので、急いで逃げて来たのかと思いますけど」



 語るアノンの様子は心底不思議そうだった。

 つまり、レイフォンも一種の切り札だったのだろう。

 ……彼女の話を聞き、アインは心の中で納得する。確かに、アインが来なければ、レイフォンの放つ瘴気は切り札の一言に尽きるだろう。



「弟の婚約者だというのに、俺の生まれ持った異能を聞いた事もないのか?」


「いえ。存じ上げております。ですが、瘴気は毒ではありませんし……それこそ、魔石に込められた魔力のような……」


「魔石だろうが瘴気だろうが……俺の毒素分解には関係ない」


「――たとえ魔石だろうとも、ですか」



 少し目を見開き、アノンが驚いた表情を浮かべる。

 特に、魔石という言葉に興味を抱いたらしく、小さく魔石と繰り返し呟いた。

 すると、アインも一つの疑問を彼女に尋ねる。



「俺からも尋ねたい。エドはバードランドから帰ってきてから、レイフォンが死んだ……以外の事は何も報告しなかったのか?」


「他にも聞きましたわ。貴方が古い・・力を使っていた……と」



 デュラハンの幻想の手のことだろう。



「ですが意味が分かりません。どうして貴方が彼の力を使えるのでしょうか」


「まぁ、教える義理は全くないな」


「あら……つれない方」



 ひとしきり語り合うと、アインがとうとう剣を抜く。

 アインの生命力を吸うかのように、数度に渡って筋が怪しく煌いた。



「それで、どうしてそのエドがここに居ないんだ?」


「……さっきはいいお仕事が出来なかったようですから、王都に蔓延る貴方の部下を倒しに行かせましたの」



 アノンは語った。

 心の底から面倒くさそうに、それでいて、エドのことをどうでも良さそうに口にした。



 ――すると不思議に感じるのはアインだ。



「意味が分からない。その古い力とやらを使える俺が来るのに、どうしてエドを城下町に行かせたんだ」



 まさか、魔王アーシェを操った能力を?と、アインが警戒してアノンを見つめる。

 だが、アノンは微笑みながら答えるのだ。



「何を考えてるのか分かります。でも、残念ですけどそうじゃないんですよ」


「……何が言いたい」



 この二人以外は置いてけぼりだった。

 ラルフはアノンを愛おしそうに眺めるばかりで、アインの後ろに控えるマジョリカや近衛騎士たちも、ラルフから漏れ出す瘴気をみて警戒を続けるばかりだ。



「決まってます。貴方を倒すべき方がいるでしょう?」



 すると、アインが通ったのとは別の扉がゆっくりと開く。

 やってきた男は憎しみを込めてアインを一瞥すると、アノンの隣に足を運ぶ。



「エドが相手をするべきではないのです。この方こそが……貴方を倒す聖剣となることでしょうから」



 アノンは近づいてきた男の頬にそっと口づけをすると、数歩下がって場所を譲る。

 やってきた男はアインに倣って剣を抜くと、冷たい瞳でアインを見た。



 しかし、気になるのは男の姿だった。

 アノンに口づけをされるや否や、身体中をまばゆい白い光に覆われる。



「我らがハイムを弄び、挙句の果てには……先刻、偉大なる父上の命を奪った親殺しよ。よくここまで足を運べたものだな」


「……グリント」



 やってきた男――グリントがアインを親殺しと呼ぶ。

 チクリと痛む心を抑え、アインがグリントの名を呼んだ。



「我が聖なる力が蛮族を討つ。そして、父上の仇を――お前を殺す」



 パァアッ――とグリントの全身が輝いた。

 手にしていた剣が光を纏い、ラルフから漏れ出す瘴気が吸い取られるように消え去っていく。



「グリント様……どうかご無理はなさらずに」


「……悪いがアノン。それは約束できない」


「ッ――グリント様?そ、それはどうしてですか……!」



 アノンは何かが気にかかったのだろう。グリントの答えを聞くと、少しばかり慌てた様子で彼の名を口にする。

 すると、アインへと声は届かなかったが、グリントはアノンを抱きしめると、耳元で囁いて彼女を諫めた。



「……あれ、グリントは操られてるとかじゃないのか?」



 ふと、アインも同じく疑問を抱いた。

 というのも、グリントがアノンの言葉に拒否したことが、赤狐……アノンの所業を踏まえれば、どこかおかしく思えてならない。



「いや。そんなことを気にしている場合じゃないか――悪いけど、先にそこの獣の首を貰う」



 もはや手加減は不要だ。

 クリスの状況も気になってしょうがないアインは、背中から6本の幻想の手を繰り出す。

 剣を握る手に力を籠めると、数歩進んで幻想の手をグリントの伸ばした。



「……親殺しでは飽き足らず、本当の化け物に成り下がったかッ!」



 グリントは光を纏う剣を構える。

 襲い掛かる六本の幻想の手、それに向けて六度の剣戟を加えた。



「ッ……お前、どうして……!?」



 アインは驚愕させられる。

 なぜならば、グリントが振った剣は、六本の幻想の手を消し去ったのだ。

 まるで光の粒子と化すかのように、幻想の手は瞬く間に姿を消す。



 一方で、グリントは憎しみを込めていながらも、どこか誇らしそうに口を開く。



「ハハっ……ハハハッ!兄上……アイン……いや、貴様では到底たどり着けないッ!たとえイシュタリカであろうとも存在せず、ハイムの長い歴史でも……数える程しかいない勇者の証だッ!」



 日陰が欠けるかのように、グリントを中心として眩いオーラがアインへと届く。

 強烈な日焼けと錯覚させる痛みがアインの皮膚に伝わった。



「痛ッ……」


「で、殿下……大丈夫?」


「これぐらいなら大丈夫……だけど、あれ、みんなは何ともないの?」


「えぇ……私たちは特になにも。別にちょっと眩しかっただけかしら……そうよね?」



 マジョリカが振り返り、近衛騎士に語り掛ける。



「はっ。殿下のお陰で、我々には特に痛みはございませんが……」



 グリントが発するオーラはマジョリカ達にも届いている。

 当然ながら、アインはそれを浄化できているわけでもないため、通常であれば彼らも同じく痛みを発するはずなのだが……。



「――そっか。ならよかった」



 だが、マジョリカや近衛騎士の言葉でアインは察した。



「……俺だからってことか」



 魔王という存在に進化したアインにとって、グリントの放つオーラは天敵のようなものなのだろう。



「本当に悪役みたいだな」



 親殺しという言葉に加え、たったいまの現象を考えて自らを嘲笑した。

 すると、気を取り直してグリントに語り掛ける。



「グリント。お前が自分を勇者と称するのはどうしてだ?」


「決まっているさッ!この俺が……アノンの祝福によって、天騎士まで昇華したってことなんだよッ!」


「……祝福、ね」



 道理で、と納得した。

 恐らくその天騎士とやらの力が、魔王の力を浄化でもさせているんだろう、と。

 つまり、オーラだけではなく、グリントそのものが、アインにとっての天敵となりえるということだ。



 ……グリントがみせる迫力は、決してエドにすら勝っていない。

 しかしながら、彼のみせた能力というものは、アインにこれまで無いほどの緊張感を抱かせるのだった。



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