ハイム王都攻略戦[6]

「なにを言いたいのです……?」



 とても冷たく、無機質な声色でエドが答えた。

 リリはその声を聞いても臆することなく目線を向けると、得意げな表情で語り続ける。



「別に。いろいろ考えただけですよ。ただ……本当に自分から三番手に甘んじたのかなーと思いまして」



 自尊心を揺さぶり、エドの不安定な精神を突く。

 鬼が出るか蛇が出るか――エド自身へと不気味さを感じながらも、リリはあくまでも態度を崩さない。



「……なーんて、実はどっちもでもいいんですけどねー」


「――はい?」


「いや、はいじゃないですけど。別に興味ありませんよ?ただ言ってみただけなんで、気にしないでください。……あ、でも、図星だったのならごめんなさい」



 謝る気はさらさらない。

 一目でわかるリリの様子に、エドも少しのあいだ毒気を抜かれた。

 見る者によっては幼稚な煽りに感じられるかもしれない。

 だが、エドの精神を揺さぶるのには、必要十分な単語が含まれすぎている。



 笑みを浮かべながらも、エドは顔に青筋を浮かべた。



「お嬢さん、ご存知ですか?下世話な煽りとは、それを口にした本人の器も知れるというモノです」


「あ、別にどう思われてもいいかなーって。だいたい、隠密として育った私にそれいってもなーって感じです。まぁ今は隠密行動できてないんですけど」


「――そうですか。随分とくだらない生き方をしてきたようで」


「あははー、知ってます?隠密ってのも一つの忠義なんです。くだらない生き方をしてきた貴方には――分からないでしょうけどね?」



 リリのオウム返しに、エドは呆気にとられながらも口元に手を当てる。



「……なるほど、一番面倒だったのは貴女でしたか」



 エドは理解した。

 それは、敵対する三人の中で、一番面倒な相手というやつだった。

 リリという女は隠密と口にするくせに、開けたところでも高い実力を見せ、咄嗟の判断も絶妙だ。



 加えて、頭の回転すら一級品。



 敵でありながらも、エドは内心ではリリを高く評価する。

 しかしながら、彼女がエドの自尊心を深く抉り続けるのも事実だった。



「そこの貴方……たしか、ロイド殿と仰いましたね」



 すると、エドはロイドに向かて声をあげる。



「あぁ。私で間違いない」


「先日(・・)はご説明を無しに失礼致しました」



 一転して晴れやかな表情をしていた。

 事情を知らない者から見れば、それはただの好々爺。

 しかし、エドの正体を知っている三人からしてみれば、不気味の一言に尽きる。



「……む?」


「瘴気(・・)の件でございます」



 瘴気という言葉に、一同が身体をこわばらせる。

 万が一にでもエドが瘴気を発するようなことがあれば、場合によっては逃げる事しかできなくなるからだ。



「あぁ――ご心配なく!私が瘴気を漏らすことはございませんよ――あんなことをしてしまっては、私が私でなくなって・・・・・・・・・しまいますから」


「貴様が、貴様でなくなる……?」



 不穏な言葉を聞き、ロイドがぼそっと呟いた。



「――口がすべりました。何はともあれ、あれも一つの形という事です」


「おい、待て!貴様さっきから一体何を――」



 懐に手を入れると、エドは小さく黒い石を取り出した。

 劇の名場面のように口づけをすると、大事そうに手のひらで包み込む。



「赤狐という種族は、異人種に近いのです。つまり、そこのエルフさんのように核があり、近くに魔石を宿しております」



 エドが不敵に笑い、仰々しい仕草で演説をはじめる。



「魔物と異人種の境目……それはとてもとても難しい。単純に言ってしまえば、こうして人と意思疎通をできれば――というのが重要な因子なのかもしれませんが、その解釈は一先ず棚上げいたしましょう」


「……だから、貴様はさっきから何を」


「例えばですよ。人工的に魔石のエネルギーを抽出し、そのエネルギーを核に流し込む。すると、どうなると思いますか?」



 すると、はっとした様子でクリスが顔をあげる。

 魔石のエネルギーを核に流し込む。その言葉には覚えがあったのだ。



 そう。まさにイストで手にした古い研究成果の事で、走馬灯のように当時の出来事を思い出す。



「――ロイド様!急いでエドをッ!」


「お……おうッ!」



 クリスがエドに向けて走り出す。

 目的はエドの手にある黒い石、それを砕くためにクリスがレイピアを構えた。

 唐突なクリスの動作に驚きながらも、ロイドとリリは連動してエドに襲い掛かる。



「……とてもとても、強くなれるんですよ」



 錠剤を飲み込むかの如く、エドが黒い石をぐいっと口に含む。

 喉仏が上下し、喉を通っていくのが披露される。



「っ――まだ、いける……!」



 クリスが必死に腕を伸ばし、レイピアの先をエドの首元に突き立てる。

 効果が出る前に殺し切る。そのつもりでエドに襲い掛かったが――



「いいえ。残念ですが手遅れです」



 先日のように、片手でロイドの剣を受け止めると、もう一方の腕でリリの投擲された短剣を握りしめる。

 また、クリスのレイピアは、寸でのところで首を曲げて避けられるのだった。



 すると突然、三人の身体に水中のような浮遊感が生じると、突然、突風に煽られたかのように弾き飛ばされる。



「貴様、一体何をッ……!」



 吹き飛ばされただけのため、受け身をとることは容易だった。

 体勢を整えたロイドがエドを睨みつける。



 エドを中心に発生した衝撃の正体――ロイドだけでなく、クリスやリリにも想像がつかなかった。

 ただ一つ分かったのは、エドの身体に力が満ちているということだった。

 それも、アインに吸収される以前よりもだ。



「良くある話でしょう?主人公が力に目覚め、悪しき敵を打ち倒す」



 嬉しそうに両手を広げ、天を仰ぎ見るエド。



「今の私は、まさにその状況にあるのですよ!」



 エドの顔つきは若くなり、腕に浮かぶ筋肉も瑞々しい。

 声にも張りが生まれ、一言でいえば生まれ変わった――という印象だった。



 すると、紅く煌くオーラを纏いながら、力強い瞳で三人を見つめる。



「これで私も、魔王アーシェと同じ高みに上れたと言えましょう」



 意気揚々と語るエドは、自慢の槍を担ぎながら、喜ばしい気持ちを隠すことなくあらわにした。

 槍を回して空気を切る音が響き、エドを見つめる三人は口を半開きで様子を窺う。



 だが、始めの正気を取り戻したのはロイドだ。

 エドが語った言葉に気が付くと、慌てた様子で真意を訊ねる。



「魔王アーシェと同格――だと?」



 そんなの考えたくもない。

 これが皆の総意で、さすがのリリも頬を引きつらせる。



 周囲で続く両軍のぶつかり合い――その騒音が全く耳に届かず、不思議とエドの声だけが届き続けた。



「内部的な要因を用いることなく、外部からの影響で強化する……いや、魔王化・・・させる。それが今お見せした光景ですから」



 クリスは予想が的中したことで、眉間にしわを寄せたまま俯いた。

 この展開は最悪だ。エドの言葉が真実ならば、たとえ三人でかかったとしても……と。

 ……だが、ここで頼もしい言葉が届く。



「クリス様ー?ほら、顔上げてくださいってば」



 いつの間にかすぐ隣に来ていたリリがクリスの肩をたたく。



「大丈夫ですよ。まだ勝負は終わってません」


「……リリさん」



 身長差のある二人だったが、下から見上げるかたちのリリの方が、どことなくクリスよりも大人びて見えた。

 リリはクリスに向けて慈悲深く微笑みかけると、『よしっ!』と口にして、もう一度エドに目を向けた。



「なんか、若返りましたか?」


「――身体中が活性化をはじめ、肉体的にも進化したのです。ですから、若返りとは違いますね」


「なるほど、そうでしたか」



 神妙な面持ちで頷いたリリは、ロイドに向けてそっと目配せをする。

 ロイドが困ったように頷くのを見て、リリは続けて自由に振舞うことを決めた。



「すぅ――はぁ……」



 だが、魔王と同等と言われれば、リリといえども緊張しないのは難しい。

 考えが顔に出ないように気を使いながらも、目立たないように一度だけ深呼吸をした。



「おーじさん?自信は取り戻せましたか?」


「……ふぅ。今度は何を……言いたいのですか?」


「あははは。分かり切った事ですよ」



 緊張した足取りでリリが一歩を踏み出す。

 現在のエドの間合いが分からない中、このような行動は自殺行為に等しかった。

 だが、リリは決心したのだ。



 ――冷静な状況で戦われるのが、一番危険だ。



 ……と。

 だからこそ、彼女は引き続きエドに語り掛ける。

 多くの危険を伴うと知りながらも、勝利への糸口を探るため、リリはエドを揺らし続けた。



「私、知ってます。おじさんのような人を、祖国でも何度か見たことありますから」



 祖国――イシュタリカのことを口にするリリ。

 すぐ傍で聞いていたロイドとクリスの二人ですら、リリが何を口にするのか分からない。

 エドはそれが特に顕著で、内心では、巨大なびっくり箱を前にした子供のような気分に浸っていた。



「興味がありますね。一体どこでご覧になったのですか?」



 続けてエドが一歩を踏み出す。

 ゆったりとした動きだというのに、一挙一動に迫力が満ち溢れ、支配者のような振る舞いを見せる。



「――瓜二つですよ?まるで、お金持ちのご夫人みたいです」


「はっ……ははは……はっはっはっはっは!これはいい!興味がわきました!どうして、この私をそのご婦人たちと重ねたのですか?」


「それはですねー」



 リリは答えながらも、胸元から新たな短剣を取り出した。

 一体どれほどの武器を隠し持っているのか――そんな疑問がエドの頭に浮かんだ。

 だが、エドの疑問を察することなく、リリはエドに語り掛けた。



「高級なお化粧品を買って、それを分厚く塗りたくって満足してる――そんな成金のご夫人に、よく似ているって意味ですよッ!」



 リリは揶揄した。

 薄っすらと笑みを浮かべながら、エドをじっと見つめながら。

 自らの実力ではなく、物に頼って強気になったエドを……心の底から嘲笑した。



 構えた短剣をエドに向けて投擲すると、これを切っ掛けに戦いが再開する。

 さっきまでと違うのは、エドが強化されたということと、そのエド自身の精神状況が最悪ということだった。



「貴女は救えませんね。四肢を切り裂いた後、疲れたハイム兵にでもくれてやりましょう」



 すると、エドはさっきまでとは比べ物にならない速さでリリに近づく。

 リリは驚きながらも、針状の投擲物を放り投げてエドとから距離をとる。



「それは勘弁願いたいですねーッ……気持ち悪くて、鳥肌が止まりませんから!」


「リリ!そのまま下がれ、私が前衛に――」


「退きなさい。貴方は後回しです」



 空を切り裂く音とともにエドが槍で薙ぎ払う。



「ぬっ……ぁ……なんという力だッ……!」



 力強い槍の一撃を大剣で防ぐロイド。

 そのまま競り合いに持ち込みたかったが、槍の直撃が重く、両腕に多少の痺れを感じた。

 紅いオーラを纏うエドは、そのままロイドに目も向けずにリリを目指した。



「私も疾さには自信があるんですよッ……!」



 続けてエドに立ち向かうクリス――ロイドとは反対側に回り込むと、レイピアを数カ所に突き立てる。



「チッ……貴方は本当に面倒くさいですね……!すばしっこくて、イライラしますよ!」


「私の武器ですからねッ!きっと、私は貴方と相性がいいんです!」



 クリスとエドは戦い方の好みが似ていた。

 力や速度など、そのほとんどがエドの圧勝だったが、エドの邪魔をすることができるだけの疾さがあった。

 イシュタリカ騎士団で成長していたのは、クリスも同じことなのだ。



 主君であるアインが強くなるにつれて、クリスも少しずつ成長していたのだろう。



「ありがとうございますクリス様ッ。ほら、おじさん!私も続けますよ!」



 クリスの妨害によって距離をとったリリ。

 すると、再度遠距離からの攻撃を敢行する。

 首元、足元、手首……多くの箇所目掛けて投擲すると、その隙にロイドの腕も復活を遂げる。



「すまない。数秒ほど硬直した――ッ!」



 大剣を構えてエドに振り下ろす。

 エドは三カ所からの攻撃に気が付くと、ひたすら面倒くさそうな表情を浮かべる。



「何と言えばいいんでしょうかねぇ。努力は認めるんですが……ただ小うるさいだけのようです」



 次の瞬間……エドがみせたのは単純な攻撃だ。

 技とも言えない、ただの力技――強く握った槍を、ただ強く振り回すだけ。

 ただ、それだけの攻撃だった。



「なっ……に……ッ!」


「きゃ……っ!?」


「こ……ここまで衝撃が届くんですか…っ?」



 エドの近くにいた二人は槍の一撃を身体に受け、あっさりと吹き飛ばされてしまう。

 一方で、距離のあったリリは、自分の場所まで届いた衝撃波に膝をついた。



「まさに物語の主人公の気分です。覚醒した私には、こうするべき役目があったのですね……聞いてますか?」



 自らの力に恍惚とすると、倒れた三人に向けて意見を求める。



「それにしても、この紅は美しい。私やお母様にはよく似合う色だと思いませんか?」



 手を伸ばし、手のひらを空けたり閉じたりを繰り返す。

 身体と連動するように紅色が漂い続け、エドはこの光景に浮かれて声を漏らし続けた。



「魔王エド――いい響きですね。やはり、私こそがお母様の隣に立つべき者なのです。あの人間はさっさと排除して、お母様と私だけの楽園を――」



 三人の誰もが答えないのは、身体に走る痛みに加え、荒れた息を整えているからだ。

 しかし、エドは答えが届かない事を気にすることはなく、ただ一人で語り続けた。



「楽園をつくる?……いやしかし、あの人間に現(うつつ)を抜かすお母様は……私のお母様、なのか……?」



 ロイドたちが黙って聞いていた――そのときだ。

 ふと、エドの様子が混乱しはじめる。



「まさか、いつの間にか偽物に代わって?――いや、ありえない。あれほどの美しさと香りは、間違いなくお母様だ。ん?ならば、どうして私ではなくあの塵を愛している?私と身体を重ねず、あの塵に身体を許す?」


「――あ、あいつは一体どうしたのだ?」



 一人芝居を続けるエドを見て、ロイドがクリスに向けて呟いた。



「……わかりません。でも、わざと演技しているような感じではありませんが……それに、さっきまでの不安定さとも違う印象です」


「わ、私も同意ですねー……」



 クリスが答えるうちに、額に多くの汗を浮かべたリリが足を運ぶ。

 身体が石になったかと錯覚させるほど、重苦しい足取りのリリ。

 その姿を見て、ロイドはそっと肩を貸した。



「大丈夫か?」


「……ごめんなさい。さっきの衝撃の時に、いい感じの石が飛んできちゃって……あ、ここですね……いたたた……」



 リリが指示したところは膝小僧。

 装備していた防具が小さく凹んでおり、飛んだ石に強打されたのが分かった。



 苦笑いを浮かべてリリが大丈夫ですと答えると、三人が揃って、自問自答を続けるエドを見た。



「――もしかして、魔王アーシェと同じ道を辿っているのでは?」



 十数秒に渡ってエドを観察した一同。

 そんな中、クリスがぽつりと呟くのだった。



「魔王アーシェと同じ……?」


「その、クリス様、もう少し説明を……」


「あ、えっと……ですね」



 二人がクリスの言葉に食いついた。

 すると、クリスはエドを警戒しながら説明を続ける。



「仮にあれが本当に魔王化の一種であるならば。エドは少し暴走気味なのかもしれません」


「……そうか、正気を失っているということか」



 合点がいった様子でロイドが答える。

 しかし、リリは何やら納得できない様子で声を漏らした。



「ですけど、それならおかしいと思います。だって本当に魔王化してるなら……私たちじゃ束になっても勝てないはずじゃ……」


「えっと……そうなんですよね……」



 クリスの仮説には穴があった。

 確かに、エドが本当に魔王化しているのであれば、いくらこの三人とはいえ相手にならないはずだった。

 それが暴走した魔王であれば、尚更のことだ。



「急激な進化――そのせいかもしれんぞ」


「ロイド様?急激な進化……とは?」



 ロイドが確信めいた瞳で二人に語り掛ける。

 目を見開いたクリスは、慌てて続きを促した。



「本当に魔王化という目的があるのならば……今の奴は成長途中という事だ――身体も、そして精神もな。ふん……面倒な事だ。それに、我らに残された時間も決して長くはなさそうだぞ」



 果たしてそれが付け入る隙となるのか。

 それとも、絶望への序章となってしまうのか――その答えは、誰にも思いつかなかった。



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