生物としての格。

「一体、何が起こって……――まさか、イシュタリカの援軍ですと……?」



 しばらくの間、エドは巻き付いた木の根と格闘を繰り広げた

 すると、いつの間にか、多くのイシュタリカの騎士……それも、本国に残っていたはずの多くの近衛騎士達が戦場になだれ込む。



「――ねぇ、殿下。いつの間にあんな派手なの覚えたのかしら?」


「いや……根を出して守ろうって思ったら、勝手にあんな風になったというか……」


「あらやだ。勝手になったで済まされることじゃないでしょうに。でも、ブラックフオルンの霧は最高だったわね。なにせ、一気にあいつらの隙をつけたもの」



 ロイドの耳に届くのは、愛しのイシュタリカ……海を渡った大陸イシュタルに居るはずの人の声だ。



「も、もしや――」



 強烈な痛みを発する左目を抑えながら、ロイドが気合で顔をあげる。

 すると、突然ロイドの身体が二本の腕に支えられた。



「ッ父上!ご無事で……ご無事ですか!」


「ディ、ディル……?お前、どうしてここに――ッ」


「説明は後です!バーラ殿も同行してますので、まずはこの場を離れましょう!」



 愛する祖国――イシュタリカで待っていたはずの息子の声に、ロイドの内心は号泣したくなるような感情に襲われた。

 ロイドはされるがまま、ディルに肩を抱かれて体を起こす。



「マジョリカさん……ディルと一緒に行ってほしい。こっちは俺に任せて、後はロイドさんを頼むね」


「……あらあら。元帥閣下が敗れた相手だっていうのに、殿下一人にはできないわ」


「大丈夫。忘れないでコレ・・つけてるからさ、一回は死ねる余裕があるって感じなんだ」



 殿下――アインが笑みを浮かべて答えると、耳につけた一つの宝石を人差し指で揺らす。



「ほら。大地の紅玉、ちゃんと付けてるからさ。……多少の無理は利くよ」


「……すぐに戻ってくるわ。数分持ちこたえてね、殿下」


「ん。りょーかい」



 ロイドからすれば、自分を完全に無視した形の会話。

 黙って聞いていたロイドだったが、アインがここにいるという事態に、つい声をあげてしまった。



「で、殿下ッ!ど……どうしていらしたのですッ!」



 王太子がやってきていい場所じゃない。

 騎士の指揮はうなぎ上りだろうが、万が一を思えば、ロイドは少しも賛成できない事態だ。



「瘴気に関して色々とあったんだ。悪いけど、説明は後でするよ」



 瘴気と言われ、ロイドはついさっきまで蔓延っていた獣たちに目を向ける。

 すると、不思議な事に今では勢いを失い、ただの小動物のようにしか動いていない。



「あの良く分からない動物たちも、ある程度は無力化した。もう騎士達で十分立て直せるから、それも心配はいらない。だから――」



 アインはロイドに向けていた視線をずらすと、いら立ちを表情に浮かべたエドに目を向けた。



「だから、あいつの相手は俺がする。――ディル、マジョリカ!王太子の命令だ、ロイドを急いでバーラの許へ連れていけ!」


「……はっ!」


「えぇ、了解しました」



 アインを残すことに不満そうなのに変わりない。

 しかし、事前に相談をしていたのだろう。ディルにしては珍しく、アインの許から素直に離れる。

 ロイドがまだ文句を言いたそうにしていたが、二人は強引にロイドを連れ去った。



「やってくれましたね」


「それはどうも。久しぶりですね、エドさん」



 二人にとっては、エウロでの会談以来の再会だ。

 アインはあくまでも自分のペースで言葉を投げかける。



「えぇ、お久しぶりです。前回お会いした時と比べ、随分と大きくなりましたね」


「ありがと。実は色々あったんだ、お陰でこんなに大きくなれたよ」


「……益々、あの・・憎らしい男の顔にそっくりになった。まぁ、この際、その事は置いときますが」



 ――なにをいってるんだ?



 エドの呟きに疑問符を抱くが、アインは静かにエドの言葉に耳を傾ける。



「さっきのアレは、貴方が?」



 不愉快そうに、エドがアインの出した根に目を向けた。



「あぁ、俺が出しました」


「そうですか。貴方がアレを。――そうですかそうですか……――ッ!」



 自問自答するように、エドが口元に手を当てる。

 すると、突然槍を手に取ると、アインの首目掛けて突きを繰り出した。



「……避けましたか」



 咄嗟の判断でアインが下がって避けると、エドは心底驚いた様子でアインの顔を見る。



「えぇっと、駄目でしたか?」


「おっと……いえいえ。決して駄目ということはございません。ただ……驚いただけですよ。正直、これで死んでくれるかな……と期待していたので」


「あー、なるほど。それは少し申し訳なかったです。――それじゃ、これはお返しです」



 アインは困ったように笑った。例えるならば、何処にでもいる好青年のように笑みを浮かべたのだった。

 ……だが、次の瞬間には、明確な殺意を込めた一撃をエドに放つ。



「っ――!?」



 エドが瞬きをした刹那。

 アインの剣……マルコの身体を使ってできた剣が、エドの頬を皮一枚切り裂いた。



「ありがとうございます。今の動きで、俺の強さでも貴方に通用することが分かりました」



 エドに攻撃が通った事で、アインの心に安堵の感情をもたらす。

 アインの声に同調するかのように、マルコの剣が赤黒く脈動する様子を見せた。



「ま……まさか、その武器は……リビングアーマーの素材を……?マルコ――あの男を……?」



 頬から流れる血を手で触りながら、エドが半開きの口で声を漏らす。

 アインの一撃を警戒して数歩距離をとると、忙しない表情でアインを見つめる。

 エドの顔には、何かを懇願するかのような――そんな切なさが感じられた。



「はい。――……いや、そうだ。この剣は、お前たちが弄んだマルコさんの分身だ」


「な、なんで。どうして……どうしてッ!」



 呼吸を荒くすると、槍を片手に駄々っ子のように地団駄を繰り返す。



「あ……あの鎧を手にしておきながらぁああッ!」



 これまでで一番の踏み込みで、エドがアインの懐に入り込む。



「あの首無しのように私を貶すのはやめろぉおおッ!」


「っ……や、やっぱり重い……!」



 アインを狙うというよりは、エドの槍はアインの剣を狙っているように思える。

 苛立ちを剣にぶつけるかのように、エドは何度も何度も槍を突き立てる。



「その顔でッ!あの鎧の剣を持ちッ!同じように私を貶すッ!あぁ気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いッ!」


「――お前、何が言いたいんだッ!」



 エドの一撃は重くて速い。

 しかし、アインは体中に漲る力を駆使して、エドの槍を何度も受け止める。

 魔王化してからは、命を賭けての戦いはこれが始めてだ。



 アイン本人も、妙に強くなった自分の身体に驚きを感じてしまう。

 エドが向ける感情に覚えはないが、アインはエドの隙を窺い続けた。



「気に入らないですね」



 すると、突然ピタッと動きを止めると、呆れる程落ち着いた声で語り掛けてくる。



「貴方がみせる剣技、私はこちらも気に入らないのです。貴方自身の指で……目でも抉り取って野垂れ死んでくれないでしょうか」


「……馬鹿な事を言ってる自覚はあるか?」


「えぇ、言ってみただけです」



 ――情緒不安定?そんな一言じゃ片付けられない。



 エドが幾度と見せた変貌に、アインはエドという男の人物像が分からなくなる。

 物騒な事を口にするエドの表情は、出店で子供に氷菓子を手渡す老人のような、そんな人の良さそうな笑みを浮かべるばかりだ。



「なんとしても殺したくなりました。続きをしてもよろしいですね?」


「――あぁ。俺もそのつもりだ」



 頷いたアインは、ついにデュラハンの鎧を見に纏う。

 しかし、力は満ち足りているというのに、籠手の部分しか出現させることは出来なかった。



「ははは……どうしてです。どうして、貴方がその忌まわしい鎧を身に纏えるのですか。不思議ですねぇ」



 エドは首を深い角度で傾げると、鬱憤を晴らすかのように、自分の髪の毛を数本ずつ抜き始める。



「お母様からも止めろと言われていたのですが、どうにも抜毛癖が収まらなくてですね。心因的な負担を感じてしまうと、つい、こうして自分の髪の毛を抜いてしまうのですよ」


「……」


「こう、爪先で髪の毛をすーっと梳くとですね、時折枝分かれしたような毛を感じるのです。それを感じると、私は愛しい女性とまぐわう時のような高揚感を味わえるのです」



 唐突に始まった自分語りに、アインは黙ってエドの様子を窺う。



「達したときの快楽とは比べられませんが、刹那的な悦楽としては違いがありませんから」


「……へぇ」


「はぁ……。今のような態度も気に入らないのですよ。人を見下したような、上から目線の声色が苛立ちを募らせますから」



 狭量でありながら、独特の価値観と言える。

 エドの語る内容はアインの興味を強く惹くが、肝心の内容は聞いてもあまり意味が無いように感じられた。



 すると、最後は大きくため息をつくと、身体をくの字に反らして、しなやかな動きでアイン目掛けて槍を押し出す。



「今まで以上に殺すつもりでいきますね」



 アインは剣でそれを防ぐと、エドの顔を見て次のように答える。



「俺もそうするよ。言っとくけど、俺は負けるつもりなんて一切ないんだ」



 こう答えると、背中から現れる四本の黒い触手――幻想の手が姿を見せた。

 昔のアインとカティマが暗黒ストロー・・・・・・と名付けた時と同様に、特製の爪が装備されていた。



「あはぁ……おかしいなぁ。懐かしいものが出てきましたねぇ」


「じゃあ、ついでにこれの威力も味わえよ――赤狐」



 四本の幻想の手が意思を持ったかのように動き回る。

 エドの足、胴、頭、そして槍目掛けて、すべてが例外なくエドを倒すために蠢いた。



「っ……やり、ますねぇ」


「余裕そうにしてるけど、これで終わるつもりは無い……ッ!」



 そう。アインが持つ剣だ。

 ムートンが作ったこの剣は、並ぶモノが無いほどの切れ味を誇る、アインにとって一番の攻撃手段。

 エドが体勢を崩したのを見て、アインが一歩を踏み込むと、首を切断するつもりで剣を振る。



「チッ……忌々しいッ!」


「――やっぱり速いか」



 コンマ数秒も遅れれば首が落とされていた。

 鋭いアインの一撃が、エドの首筋……から逸れて、鎖骨の辺りに切り傷を作る。

 エドの素早い動作を見て、アインはやれやれと言わんばかりに首を振る。



「……何やら不穏な触手だ。何を隠してるんです?私から見れば、その薄汚い剣よりも、この触手の方が恐ろしいですね」


「さぁね。実際に食らってみれば分かるんじゃない?」


「はははっ……遠慮致します――よッ!」



 エドの反撃がアインの肩に向けて襲い掛かる。

 デュラハンの手甲で防ぐことができたが、普通の鎧では貫通していただろう。

 あまりにも鋭い一撃に、アインが身体を反らす。



「申し訳ない。これが戦闘巧者のやり方というモノなんですよ……」



 その瞬間、エドが槍をアインに投げつけると、生じた隙に乗じて更に深く懐に入り込む。

 ズボンから短いナイフを取り出すと、それをアインの胸元に突き立て――たのだが、エドはそのまま動きを止めてしまった。



「教えてくれてありがとう。お陰で、そうやって懐に入り込む技術も学べたよ」



 大根役者のようにアインが語ると、エドはアインの耳元に目を向けた。

 そして、耳元にある宝石に気が付くと、慌てた様子で表情を青白く染める。



「大地の紅玉……?」


「――あぁ、そうだ。むしろ、これを警戒しなかったのがおかしいけどね」



 アインが不敵に笑う。

 すると、エドは背後に迫る気配に気が付いた。



 隙が生じたことは事実だが、アインは隙が生じることを前提に動いていた。

 肉を切らせて骨を断つ――エドが完全に・・・踏み込んだ時、エドは幻想の手から逃れられなくなるだろう。



「この――ッ……糞がッ!」



 器用に体を動かすと、エドは必死になってアインの近くから離れようとした。

 だが、その内の一本からは逃げられず……。



「避けなければッ……」


「いや。避けさせるつもりはない」



 一本の幻想の手が、エドの太ももに深く突き刺さった。

 すると、飲み物を飲み込む音が聞こえそうなほど、幻想の手は強く鼓動する様子を見せる。



「こ、こいつ……私の力を吸ってッ――!?」



 嫌な予感が的中したエド。

 慌ててナイフを使って幻想の手を切りつけると、数秒の後にようやく解放された。



「はぁ……ッ。はぁ……ッ!」


「――酷い味だ。腐った魚の方がよっぽどマシだよ。こんなので腹が膨れたのがイライラする」



 死に物狂いで距離を稼いだエドは、急激に年老いたかのような、やつれ果てた・・・・・・顔でアインを睨みつける。



「さっきまでの威勢はどこにやった、赤狐」


「はぁ……はぁっ……お前みたいな生き物は、私は初めて見ますよ……ッ!」



 じりじりと距離を稼ぐエドを見て、アインはゆっくりと慎重に一歩一歩前に進む。



「元帥よりも強い王太子なんて、それこそ聞いた事がありませんがねッ!」


「――そっか。まぁ、こっちは悪い気分じゃないよ……今はね」



 土を踏みしめる音だけが響く。

 周囲では未だに二つの勢力がぶつかり合っていたが、アインとエドの立つ場所は、それらとは別世界のように隔絶されている。

 急激に強くなった実感に、アインは夢心地のような非現実感を感じることもあるが、エドを相手に出来た立ち回りは素直に喜んでいた。



「負けるつもりなんて無い。そう言っただろ?だって――」



 ――だって、魔王だからね。



 最後は内心でこう呟いた。

 アインにとっては、マルコを切っ掛けにはじまった魔王化。

 これを思えば、何があろうとも負けるつもりは無かった。



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