黒い霧。

「すまん。――ここまででいい」



 肩を貸した近衛騎士にロイドが声を掛ける。



「はっ!」


「助かった。感謝する」



 バードランドの町。

 ロイドは消耗した体を支えてもらいながら、遅れて町中に足を運んだ。



「……廃れているな」


「えぇ。やはり、略奪などの影響が……」


「何があったのか、それを聞かねばな。――おい、そこの」



 ロイドが先に町中に到着していた騎士に声を掛ける。

 騎士は急ぎ足でロイドの近くに寄った。



「はっ。お呼びでしょうか?」


「いくらかの聞き込みは済んでいるのか?」


「あ、はい。その件でしたら――確か……」



 すると、騎士が辺りを見渡す。誰かを探すように顔を左右に振ると、捜し人が見つかった様子で声をあげる。



「町長殿!こちらへ!」



 髭のはやした一人の老人。

 身なりは明らかに上等でありながらも、決して下品ではない赤いマントに身を包む。

 彼はゆったりとした足取りで、ロイドたちが待つ場所へと足を進める。



「おぉ……なんと雄々しい姿だ」


「元帥閣下。こちらが、バードランドの町長の一人で、名を――」


「そこから先は私にお任せください。私はガーヴィと申しまして、古くからの商会を切り盛りしております。そのお陰が、老いてからはここバードランドの町長の一人を任されている、しがない老いた商人でございます」


「む?町長の一人?」



 自己紹介の返事をする前に、ロイドが疑問を口にする。



「ここバードランドでは、力ある商人が都市の運営(・・)にあたります。そのため、区分けされた町を町長という形で治めておりまして……町長は全員で八名おりました」


「なるほど。そうした仕組みだったのだな。――私の名はロイド。イシュタリカの元帥だ」


「お噂はかねがね。我々はイシュタリカとも交易を続けておりますので、ロイド様の事は我ら商人の耳にも届いておりますよ」



 そうだろうな。とロイドが納得する。

 実際、ハイム以外の国とは大小の差はありながらも、交易は続いていたのだ。

 町長がイシュタリカに理解がある事を知って、多くの説明の必要がないことに喜んだ。



「……ところで、八名おりましたというのは、どういう意味だ?」



 ロイドはガーヴィが口にしたのが過去形だったことの意味を尋ねた。



「――他の七人は命を落としております。ハイムが攻め込んで来た際に、頑なに協力を拒み続けたものですから」


「協力……とは?」


「大陸を統一するために、ハイムの傘下に入れ……というものです。大商人といえば、自尊心や不羈独立(ふきどくりつ)の念が強く、権力に従うことに拒否感を抱くものですから」


「それはまた、随分と好き勝手にやっていたようだな」



 ガーヴィの言葉を聞き、ロイドだけでなく近衛騎士達も不愉快そうに表情を変える。



「挙句の果てに、多くの冒険者も拘束されました。――ハイムに害を成さないようにと、無理やり拘束されてしまったのです」


「……なるほどな。道理で廃れていると思ったぞ」


「その後、冒険者たちが何処に連れていかれたのかは分かりません……」



 バードランドという国は、大陸の富が集まる都市と聞いていた。

 だというのに、今では人通りが少ないどころか、バードランド自慢の建物すらいくつも破壊されている始末だ。



 石畳が荒れ果て、通りに出店なんてものは一つも無い。

 残るのはハイムの兵士たちが置いていった装備ばかりだった。



「幸いにも、食料の備蓄は数年分の用意がございます。ですので、飢える事はございませんが……」


「恐怖から抜け出すことは出来なかった、か」



 ロイドの言葉に、ガーヴィが深く頷いた。

 彼の表情は険しく、目元には隈が浮かび、ここ最近の疲れが一目でわかる。



 ふと、生ぬるい風がバードランドを漂い、イシュタリカの騎士達にもついさっきの戦いの疲れがどっと押し寄せる。



「では、今のバードランドに残っている者達は……ハイムに対して従属する姿勢なのだな?」


「――いえ。どちらかといえば、気の弱い者や折れることを選んだ者達でございます。我らバードランドは、今日この日まで中立をの立場を変えたことはございません」


「ふむ……」


「ハイムだけでなく、エウロやロックダム……大陸の全てが戦争状態にあった時代。終戦の調印を行った場所が、このバードランドという地域です。――その時から、我らバードランドは常に中立の立場におりましたから」



 ガーヴィが必死に想いを口にする。

 眼にはうっすらと涙を浮かべ、ハイムの蛮行に逆らえなかった悔しさをにじませた。



「ふぅ――わかった。ガーヴィ殿の想いと、ハイムが何をしたのかの大凡を理解した。……我らイシュタリカとしては、バードランドを手中に治める気が無ければ、何かを要求するつもりもない。そのかわりに、数日間の間、拠点として駐留させてもらいたいのだが、構わないか?」


「ハイムの軍勢を追い払ってくださった方達へと、立ち去れなんていえるはずがございません。もはや廃れた町ですが、まずはお身体を休めてくださいませ」



 ガーヴィが受けれ居てくれたことに安堵するロイド。

 万が一、イシュタリカを受け入れたくないと言われても、無理やりにでも居座るつもりだったが、拒否されなかったのと比べれば何百倍もマシだった。



「金は払う。騎士を休ませるために、宿を借りる事はできるか?」


「えぇ、もちろんです。……むしろ、代金は支払わずとも……」


「それは出来ない。支払わねば、バードランドの中立を破る事となろう。我らとしても、支払いを渋るつもりもないのでな」



 こうして、事情を知る有力な人物と知り合えたことに加えて、ロイドを含むイシュタリカの騎士達は、身体を癒すための場所を確保したのだった。




 *




 バードランドに入って丸二日間。

 イシュタリカの軍勢は身体に溜まった疲れを交代で癒した。



 ――そろそろ、ハイム本国の様子を探らねばならない。



 ロイドがそう決心し、ロックダムに送った伝令が戻るのを今か今かと待ち望んでいた時。

 奴らはこの地に足を運んできたのだった。



「ロイド様!弩砲の準備が完了!弓兵のための高台も仕上がっております!」


「……あぁ。ならば、真正面から受け止められるな」



 バードランドには外壁が無い。

 しかし、巨大な建造物……例えば、宿などは多く存在している。

 建物の合間にできた空間を埋めるように弩砲を並べると、それは簡易的な一つの壁に昇華する。



 防御性能は心もとなかったが、それの有無は天と地の差だ



「しかし、丸二日でできる行軍ではないだろうに……」



 ロイドは額に大粒の汗を浮かべると、ハイムの兵士たちの様子を気にかけた。

 気にかけたといっても、どんな改造(・・)が仕掛けられたのだろうか、というものに過ぎないのだが。

 この丸二日でハイムに戻り、バードランドにとんぼ返りしたのであれば、休憩する時間なんて無いに等しい。



「――それに、あの男が来ると厄介だが……どうしたもんか」



 エドは強かった。

 ロイドが好き勝手攻撃されてしまうほど、エドという男は技量だけでなく強い膂力を持つ。

 先日の一対一の戦いを思い出し、ロイドは自嘲するように苦笑いを浮かべる。



「海上戦ならば、どんなに楽だったことか。――さて、どの程度の兵力を連れて来たのだろうな」



 緊張、迷い、決意……多くの感情が入り混じる中、ロイドは足元の感覚が朧げになる。

 足の指の根本に力を加えると、地面の土を握りしめるように前に進んだ。



 イシュタリカの騎士達が慌ただしく動き回る中、急ごしらえに作られた高台に向かう。

 足元には石材を――上部には崩れた宿屋から買い取った木材を使い、堅牢な造りの高台を作り上げた。



「敵の兵力はどんなものだ?」



 急な階段を上り、ロイドが高台にやってくる。

 すると、いつもはすぐに届くはずの返事が誰の口からも聞こえない。

 高台には五名程度の騎士が居たため、返事をしないことにロイドが訝しそうにもう一度訪ねる。



「――おい。ハイムの兵力はどんなものかと聞いたのだが」



 若干、言葉を強く口にすると、手ごろな騎士の肩に手を置いた。



「っ――ロ、ロイド様!」


「あぁ、私だ。まったく……どうしてお前たちは返事をしないのだ」



 呆れた様子で騎士の顔を見ると、騎士は真っ青な顔色をしている。

 何があった。ロイドが慌てた様子で口を開こうとすると……。



「ロイド様。どうぞ、ハイムの軍勢をご覧ください」



 別の騎士がロイドに語り掛けた。

 状況を答えずに、ご覧くださいとは一体何のつもりだ――胸がスッキリとしない様子で視線を向ける。



「……あぁ、なるほど。そういうことか」



 理解した。

 強制的に理解させられてしまった。



「はっ……なんともはや、馬鹿みたいな兵力ではないか」



 引き攣る頬を人差し指で掻くと、一筋の汗が地面に滴り落ちる。



「一瞬、黒い雲でもやってきたのかと思ったがな。――まさか、あれが全て・・敵勢力とはな。恐れ入った」



 地平線に広がる黒いナニカ。

 よく目を凝らしてみれば、それは全て、エウロで出現した小型の生物たちだった。

 距離を開けてハイム兵の集団も見えるが、その数は比較するのが出来ないほどの数。



 数万、数十万、とにかくその数は把握できないが、町一つを飲み込むのには、十分すぎる数の生物たちが居る。

 加えて、状況を察するに、レイフォンが瘴気を撒いてくる可能性は大いにある。



「ロイド様。退くべきではないでしょうか。バードランドでも、数時間は持ちこたえられますが……それ以上となれば、数に押されます」



 様子を確認したロイドに、騎士の一人が声を掛けた。



「我らの想定以上の数がおります。また、奴らの行動があまりにも早すぎました。一度ロックダムまで退き、立て直してから進軍……同時に、港町ラウンドハートへと戦艦を用いて攻め込むべきかと」



 予想外の事が続きすぎたことに、騎士がロイドを慰めるように口を開く。



「恐れながら、これは我々の騎士が不足している他ありません。同数……いえ、敵の半数でも用意できれば、圧倒する戦いを繰り広げられましょう。ですが、これではあまりにも単純な数量差が……」



「……あぁ。私もそう思う」


「――でしたらっ!」



 ロイドは騎士の言葉に素直に頷くが、退くと発言することは無かった。

 騎士は強い口調で意思を口にし、ロイドを説得しようと試みる。



「恐らく、奴らは不眠不休で我らを襲いに来るだろう。対照的に、我々はそんな行動ができるはずもない。――いや、ロックダムまでなら踏破することも可能だろうが、撤退する速度が徐々に遅くなるのは避けられまい。そうなれば、全滅の危機に瀕するのは必至」



 ロイドの言葉を聞くと、騎士もその真意を理解した。

 ハイムの軍勢は丸二日でここまで戻ってきたのだ。

 その前にもイシュタリカと戦っていたことを思えば、不眠不休に近い状態で戦えるとの証明となる。



「案ずるな。バードランドにつく前に、私がロックダムへと伝令を送っている。状況を鑑みて、援軍……あるいは装備を送ってくれるに違いないからな」


「そ――それは本当ですか!?」


「あぁ、こんなことを嘘ついても仕方あるまい」



 高台に居た騎士たちが驚き、そして喜んだ。

 ロイドも強い緊張状態にあったが、それを信じて待つほかない。



「今日には到着してもいい頃だ。……奴らの攻撃を真正面から受け止めるぞッ!なんとしても耐えきるのだッ!」


『はっ!』




 *




 戦況は苛烈を極めた。



 建物と建物の間に弩砲を配置。壁のように配置をしたが、弩砲だけでは壁にするには物足りない。

 そのため、騎士がいくつもの部隊に分けられると、大盾を持って壁を作る。

 後ろには槍隊を配置し、押し寄せるネズミやウサギ……エウロで出現したのと同じ生物を受け止めると、槍隊が止めを刺すという動作を繰り返した。



「おい!駄目だ――こっちも人が足りてない!」


「っ……本当に、どんだけ来るんだよッ!」



 徐々にイシュタリカの騎士達にも犠牲者が現れる。

 数で押すという単純な攻撃だが、例の生物たちはただひたすら騎士に襲い掛かった。



 小回りが利くというものあってか、少しでも隙間が出来れば侵入を繰り返した。



「駄目だ。こいつも・・・・もう死んでる……。誰か!急いで何か壁になる物を持ってこい!」



 騎士が命を失う。すると、必然的に騎士達の間に隙間が生じる。

 それを突いて敵は攻撃を仕掛け続け、弩砲や弓兵の努力があろうとも、イシュタリカの騎士達を徐々にバードランド内に押し戻す。



「――嫌な奴らだ。兵士を使わず、この獣共をけしかけて様子見を続けるとは……ッ!」



 そう。ハイムは兵士を進めることなく、魔石が埋め込まれた生物のみで攻撃を仕掛け続けていた。

 ロイドが忌まわしい物を見るようにハイムの軍勢を見つめる。



「……あの馬車さえ崩せればっ!」



 今日もやってきた馬車には、恐らくレイフォンが乗っているのだろう。

 姿は見せないが、レイフォンの乗った馬車から瘴気が漏れ出し続けるのは先日と変わらない。



「全隊、数歩下がれ!少しでも隙間を埋めろ!」



 無理をするようだが、今からでもロックダムに退くべきだろうか――ロイドは苦悩する。

 だが、相手との距離を見ればそれは無意味なのは分かっている。もはや、ここで受け止めるしか道は無いのだ。



「こんな時、ウォーレン殿が居れば心強いというに……!」



 苦しそうに口に出すと、ロイドも弓を取って一匹だけでも……と、獣に向かって矢を放つ。

 すると、それとほぼ同時に、角笛の音がハイムの軍勢の方角から響き渡った。



「一体何の音だ――む。あの男め、今頃になってやってくるか……ッ!」



 遂にハイムの兵士たちが前に進みだした。

 最前線には、馬に乗ったエドの姿があったのだ。瘴気を漏らし続ける豪華な馬車は、遥か後方からゆっくりとゆっくりと前に進む。



「先日のような事にはならぬように……だが……――くっ!」



 エドとの戦いで、自分は何が出来たかと思い出す。

 槍を使う以前の問題で、ロイドはエドの蹴りに倒されたのだ。

 そして、騎士として……元帥として、屈辱の極みである見逃し・・・で止めを免れた。



 情けない話だが、ロイドは勝ち目を見つけられない戦い……そればかりを考えてしまったのだ。



「……私は元帥。イシュタリカにおける最強の騎士だ。その私が、たかが獣に恐れをなしてどうするッ!」


「ロ、ロイド様ッ!」


「奴の相手は私がする!ほかの兵や獣共はこれまで通りに対処せよ!」



 近衛騎士の言葉に、ロイドがこう返事を返す。

 はぁ!と声を掛けて馬を走らせると、近くにやってきていたエドの目の前まで進む。



「――エドッ!」


「ははっ!数日ぶりですね……!」


「今度こそ、その首を――」



 大剣を取り出し、エドに向けて構える。

 だが、一方のエドは笑みを浮かべたまま次のように答えるのだった。



「……あぁ、今日はそういうの結構です。さっさと終わらせろとお母様が仰ってますので、残念ですが――」


「なッ……ど、どこからッ!」



 突然、ロイドの馬の足がナニカに噛みつかれる。

 それは地面から湧き出たネズミで、ロイドは突然の事で大きく体勢を崩し、落馬させられてしまう。



「――残念ですが。手っ取り早く終わらせてもらいます。お母様が望む脚本ですので、悪しからず……」


「くっ……させるわけには――いかんッ!」



 エドが馬上から槍を突き刺すように振り下ろす。

 ロイドの眉間目掛けて一直線の槍は、ロイドの咄嗟の動きで間一髪を乗り越える。



 ……だが、その代償はあまりにも大きすぎた。



「ぁ……ぐあああああああッ!?」



 左目が抉れ、槍が数センチ程突き刺さった。

 ロイドは翻るように後ろに転がると、左目を労わるように手を当てる。



「こ、この……獣が……ッ!」


「よく逃げられましたね。今のは、本気で頭を突き刺すつもりで槍を下ろしたのですが……まぁ、いいでしょう。もう一度です」



 ――駄目だ。左目の影響で、右目も視界がおぼつかない……!



 痛みをこらえて立ち上がったロイドだったが、もはやエドの相手は少しも出来そうにない。

 もう駄目か。そう覚悟を決め、大剣をただ力に任せて振り回すことを決めた――その刹那の出来事だった。



「っ!?な、なんだ……なんですかこの木の根はッ!」



 エドが槍を持ち上げ、ロイドに突き立てようとしたその時。エドの身体が、突如現れた木の根に縛り付けられる。

 それはエドだけでなく、バードランドを囲い込むかのように、巨大で太い木の根が広がっていった。



「か、固い……?た、ただの根ではないな……誰がこのような事をしたのですッ!」



 先程までの落ち着きを失い、エドが体中に力を籠める。

 軋むような音とともに、少しずつ木の根が身体から剥がれていくが、まだ体の自由は効かない。

 だが、慌てた様子のエドに追い打ちをかけるように、辺りに黒い霧が漂い始めた。



「――ブ、ブラックフオルン……?」



 ロイドにも覚えがある。

 この霧は、人をだまして捕食する魔物。ブラックフオルンの持つスキルだ。

 それがどうしてこんな地域バードランドで発生したのかは分からないが、この霧はハイム兵の視界を奪った。



「何が起こっているのですっ……?この展開は物語としては美しい。――ですが!お母様はこんなものを望んでいないッ!」



 自らの考えと、自分にとって絶対的な人物の言葉に挟まれ、エドが頭痛を抱くほどに苦悩する。

 すると、ロイドとエドの二人は心の中で考えた。……偶然にも、二人は同じ時間に同じことを考えたのだ。



 ――そう。



 この状況は、まるで魔王でもやってきたかのような光景だ……と。



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