ロイドの大変な一日。

「――あぁ。私はロイド。どうやら、お主は私たちの探していた男らしいな」


「それはそれは。光栄でございます」



 すでに仕留める寸前だったローガスから視線をそらし、ロイドがエドに目線を向ける。



「ふむ……随分と小奇麗な格好だ。執事のように見えれば、まるで文官のようにも見える。――戦場には似合わない姿だ」



 柔らかな白い布でできたシャツのボタンを一番上まで留めると、下には黒いスーツ地のパンツを着こなす。

 初老の彼にはよく似合う落ち着いた格好だが、戦場においては浮くのも当然のこと。



「それは光栄だ――そういう貴方も、まるで役者のように見えますよ?役柄は……やはり悪役でしょうか?」



 人の良さそうな笑みを浮かべるエド。

 しかしロイドは、その目をどうにも好きになれなかった。



「善悪なんぞ、立場によって変わる曖昧なもの。色恋に溺れた人間よりも質が悪い」


「おや、意外と知性がありそうな言葉ですね。そういうのは、私も嫌いではありませんよ」


「――それは何よりだ。ところで、そこを退いてはくれないのか?止めを刺せないではないか」



 面倒なことになった。ロイドが内心で少しの焦りを見せる。

 エドが自分の一撃を軽々とはじいた事が、ロイドに大きな驚きを感じさせた。



「脚本は守らねばならない。私はそう申し上げましたが――ローガス殿、退いてください。ここは私が」


「あ、あぁ……すまない。恩に着る、エド殿!」



 悔しそうな表情を浮かべるものの、ローガスは素直に兵士と共に馬に乗って退いていく。

 周囲の戦況も、イシュタリカの圧倒的優勢の様子で、ロイドはほっと一息ついた。

 となれば、問題は例の瘴気だが、先に目の前のエドを相手にしなければならない……。



「三文芝居に付き合うつもりはない。悪いが、その舞台に立ったつもりは無いのでな」


「何か勘違いをしてらっしゃいますね。貴方はイシュタリカの民だ。――ならば、産まれた時から舞台に立ったも同じこと。そうでしょう?」


「はは。獣に何かを演じる知恵があるとは思え――ッ!?」



 煽った刹那、ロイドの頬の横を何かが通り過ぎた。

 戦場で昂っていたこともあり、ロイドはその一瞬で顔を横に避けることができたが、皮一枚が切り裂かれてしまう。



「獣に隙を突かれた気分は如何ですか?」


「……意外と悪くない。抑えが効かないあたり、やはり獣なのだろう……なぁッ!」



 エドという赤狐は掴めない男だ。

 例えるならば、ウォーレンのような掴みどころのなさをロイドは感じる。

 槍相手に対しての間合い。相手の好き勝手にされないように、ロイドが一歩を踏み出した。



「いい踏み込みだ。まるで獣のように鋭い」


「――……あぁ、そうだろう?貴様の真似をしてみたのだが、褒めてもらえて嬉しく思う」


「はははッ……。でしたら、まだまだ合格点はあげられませんね」



 小振りの一撃をエドに放つ。

 と言っても、ロイドが放てばそれだけでも威力は馬鹿にならないのだが、エドは呼吸をするように剣をさばく。



「私はですね――昔から何度もローガス殿と武を競ってきたのです。その経験から言えば、貴方はローガス殿とは比べ物にならない騎士だ」


「ふっ……奴に勝てても、そう嬉しくないものだがなッ!」


「まぁ、そう仰らないでください。褒めてるんですから……ねぇ?」



 ロイドにとって、こんな経験は久しくしていない。

 一つ一つの攻撃がいとも容易くいなされ・・・・、その隙に攻撃をすることなく、ただじっと様子を窺い続けられる。

 屈辱以外のなにものでもなかったが、力量差を感じさせる戦いに違いはない。



「……あまり考えたくないな」


「はい?何をでしょう?」



 一度距離を取ったロイドが、エドに語り掛ける。



「貴様は面倒な男だ。貴様のような男が何人もいるとは考えたくない……それだけだ」


「あぁ!それならばご心配なく。同族はまだ数人いますが、あまり使い道のない塵(・)ばかりですので。言ってしまえば、あなた方のほうが優秀な人材を連れてるかと」


「……ほう?」


「そんな疑心暗鬼にならずとも、信じていただけないでしょうか?――では、言い方をかえましょう。赤狐の中で、最も戦闘力に秀でた戦士はこの私です」



 ロイドは拍子抜けだった。エドが強いのは事実だが、まさか、こうして正直に情報をくれるとは思わなかったからだ。



「なにせ、私は黒騎士(・・・)においても総隊長の地位にいた男です。私よりも強かった赤狐など……存在しませんから」


「黒騎士……?あぁ、例の旧魔王領における騎士団の事か」



 思い出すのはマルコの事。

 アインから聞いた、彼の立場を口にする。



「なるほどな。では貴様より強かった戦士は二人だけだったと……そういうことか」



 これを呟いた瞬間、エドがピタッと体の動きを止める。

 槍の先が動揺した様子で上下すると、顔に被せた作り笑いに磨きがかかった。



「――貴方は、一体誰の事をいってるのですか?」



 笑みを浮かべながらも、ギョロッとした……爬虫類のような目つきでロイドを見る。



「私はあった事が無いが、アイン様――我らが王太子殿下があった事がある男の事だ。彼の名はマルコ……黒騎士の副団長だったと聞いた」



 彼の放つ気配は凄まじかった。

 ロイドですら、最初から勝負を諦めてしまう程の……そんな未知の強さを感じさせたのだから。



 ――すると、その言葉を聞いたエドが憎しみを込めた瞳でロイドを見つめた。



「あの――あの鎧野郎が、首無し野郎が……こ、この私よりも上……と?」



 散々な言いようだが、ロイドはそれをマルコの事を指すと理解する。



「あ、あぁ。なにせ彼は副団長……つまり、団長でない貴様にとって、その二人は更に強いということだろう」


「……」



 言いたいことが定まらない様子でエドが口を開け閉めする。



「落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け」



 続けて、突如エドが左手の親指を齧りだす。

 決して爪先を口に含んだのではなく、親指を直接口に含んで歯を立てた。



「私はエド……。母の寵愛を受けた、最高の戦士……!」



 何度も何度も指先を噛むと、自然と血が滲み出す。

 相応の痛みが走るだろうと思われるが、エドは気にすることなく指を齧った。



「何か、因縁でもあったのか……?」



 ロイドが不思議そうにつぶやく。

 先程まで落ち着いてたはずのエド――今では不安定な精神を落ち着かせようと必死な姿を見せた。



「――あぁ、簡単なことですね」



 ふと、エドが突然落ち着きを見せた。

 何かに納得した様子のエドは、一瞬で姿をくらますと、次の瞬間にはロイドの斜め後ろに姿を現す。



「よっ……と」



 エドの出現に気が付いたロイドは、槍の挙動に目を向けて警戒するが、エドが放つ攻撃は槍を用いたものではなく……。



「かっ――はぁ……!」



 只の蹴りだ。だが、勢いよくロイドの横っ腹に食い込んだエドの蹴りは、ロイドの内臓を強く揺らす。



「うっ、おえぇッ……――」



 強烈な嘔吐感に促され、ロイドが口から吐しゃ物を流す。



「こうしてしまえばいいんですよね。こうすれば、嫌な気分も一緒に洗い流せますから」



 横っ腹を抑えるロイドへと、エドが続けて蹴りを加える。

 何度も、何度も、何度もそれを続けた。



 ……すると、いくらタフなロイドと言えども、全身を走る痛みによって膝をつかされた。



「今の私が演じているのは、母に忠実な……強い息子です。そんな私に対して、先ほどのような事を言うなんて侮辱でしかありません。いいですか?演者に対しての言葉というのは、日常生活と違って多少の気遣いも必要です。――あ、気遣いといっても、あまりにもわざとらしい……表現が拙いですが、いわゆる大根役者のようになるなということです。……聞いてますか?」


「ぐっ……き、貴様は……そうした事になると、えらく饒舌なのだな」



 得意げに語ると、エドは鼻歌を口づさむ始末。

 ロイドが苦しそうにしているのを見て、満足そうに頷いた。



「人というのはですね。自分が好きなものに関しては饒舌になるものです。時折、それを語ることを恥と思い隠す者もおりますが、むしろそれ自体が恥じるべき考え……そうは思いませんか?」



 エドが肩の上で槍を担ぐと、ロイドに尋ねた。



「――では、貴様はそれに値しない。人の考えなのであれば、貴様は関係ないだろう」


「さて、それはどうでしょう。――近頃はこうした言葉を耳にしませんが、昔はこんな呼び方があったのです」



 槍を地面に突き刺すと、エドは両手を翼のように広げて口を開く。



「魔人(・・)。人では勝てない存在……その中でも、人のような姿をしている存在を昔は魔人と呼んでいました。でしたら、私たちも人のようなものですから」



 初耳の言葉に、ロイドが鼻でエドを笑う。



「魔物のような人ということだな。獣の貴様らにはちょうどいい呼び方だ」


「……ほんと、貴方は良い悪役に向いている。とてもいい演者でしたよ」



 減らず口を叩を叩き続ける。それがエドにとってのロイドの印象だった。

 呆れたようにため息を吐くと、ロイドに向けて槍を構える。

 これで最後だ。こうした気持ちをエドが心に抱く。



 ――すると、その時だった。



「舞台の、最中に、失礼、致します」



 やけにかすれた声で、一人のローブを着た男がエドのそばにやってきたのだ。

 腰を深い角度で曲げながらも、杖を手に持たない独特の立ち姿に、ロイドが気味の悪い何かを感じる。



「はぁ――なんです?」


「レイフォ、ン、様が、お疲れ・・・、の様子で、です」


「豚……いえ、レイフォン様がお疲れですと?」


「は、い」



 不要な発言をしたことを咳払いで誤魔化すと、心配した様子でローブの男に答える。



「お母様との約束です。それに、そうなってしまえば脚本にも問題が――えぇ、わかりました。潮時ですね」



 エドは一人で納得すると、諦めた様子で槍を納める。

 槍を納めたエドは、ローブの男が連れて来た馬に乗ると、ロイドから距離を取って進む。



「残念ですが、貴方よりも優先すべきことができました。ですので、今日の所は幕を下ろすことに致しましょう」


「ま、待てッ!貴様ら、一体何が目的で――」



 ロイドが赤狐の目的についてを尋ねるが、エドはそれに答えることなく別の言葉を口にした。



「あぁ、それと、一つだけ助言です。いくら舞台の上とはいえ、あの鉄屑についての話は今後無しにしましょう。どうせ、もう関わることのない存在ですから」



 鉄屑……。エドは、マルコの事は口にするなとロイドに言い聞かせる。

 すると、バードランドを抜けて撤退を続けるローガスの方角に目を向けた。



「ローガス殿も、もう十分な距離を稼げたみたいだ。……さて、では私もレイフォン様をお連れしてハイムに戻らねばなりません」


「だから――待てと言って……ぬぅっ!」



 無理に体を起こすロイド。

 すると、エドに蹴られたところが強く痛みを発する。

 もしかすると骨が折れてるかもしれない。そう自覚すると、握力も弱まるのを自覚してしまった。



「私も仕事が出来ましたし、貴方ももう十分でしょう。こうした見逃すというものも、舞台では一つのスパイスです。多少強くなってから来てくれるなら、より一層の盛り上がりを期待できますよ」



 ふふふ。笑いながら馬を走らせたエドが、レイフォンが乗っているという馬車に向かった。



「ロ……ロイド様ッ!ご、ご無事ですか……!?」


「あ、あぁ。何とか生き残ったようだ」



 エドが去ると、近衛騎士が数人ロイドに近寄る。



「戦況はどうなった……?」


「――あのよくわからない生物たちが、急に動きを止めたんです。ですので、我らはあまり多くの損害を受けることなく勝利したといえるかと」


「動きを止めた……?いったい、どういう事だ?」



 納得できないロイドが尋ねると、別の近衛騎士が答える。



「それがですね。馬車から漏れる瘴気が止まったんですよ。そうなると、なぜかあの生物たちも急激に動きが鈍くなって……最終的には動かなくなったんで、弩砲で攻撃したって感じですね」


「でも、おかしいんですよね。あの馬車だけは、頑丈っていうか……ビクともしなかったんです」



 ローガス。そしてエドと戦っている間に、不思議な事がいくつも起きたものだ……。ロイドが疲れた様子で項垂れると、数秒経ってから勢いよく立ち上がる。



「ようわからん。だが、相手がハイムに退いていったのであれば、この場は我らの勝利なのだな?」


「はっ!」


「その通りかと!」


「犠牲はありますが……大勝と言える結果ですね」



 近衛騎士達の返事に気を良くしたロイド。

 エドとの邂逅で得た衝撃は、身体だけでなく精神的にも大きかった。

 だが、こうして生き残って勝利をおさめられたことを、今この瞬間は喜ぶことにする。



「――っとと」


「だ、大丈夫ですかロイド様!」



 体勢を崩したロイドを、近衛騎士の一人が支えた。



「あぁ……すまん。少し、消耗し過ぎたようだ」


「もうすでに、バードランドには我らの騎士が向かっております。我らは少しゆっくりと向かいましょう」



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