頭を冷やしに……冷やせなかった。

 アインが今の感情を言葉にするのは、恐らく、生まれ変わって以来、何よりも難しく感じているはずだ。

 先程の言葉に肯定の意を答えたベリアを見て、アインはパズルが出来上がった時の達成感に加えて、どこに矛先を向ければいいのか分からない、困惑に近い不愉快さを感じていた。



「……そっか」



 簡素な返事だったが、今のアインにはこれが精いっぱい。

 ベリアは、アインが口にした言葉の意味を理解して首を縦に振った。

 ということは、旧魔王領の墓地にマルクたちが埋葬されているという事を知っているという事だ。



 これを知るには、アインがマルコの剣をつかって調査した時のように調べる必要がある。

 それに、例の呪われた部屋という箇所を通る必要もあり、それは簡単に出来る事じゃない。



「――最後に聞くよ。ベリアさんは、この魔石の持ち主だった人に仕えていたんだね?」



 回りくどい聞き方だった。

 お前は赤狐か、と聞けばそれでよかったのかもしれないが、アインにはそれを口にする勇気を持つことができなかった。

 こめかみに浮かんだ汗を感じ、魔石を握った手には緊張のせいか手汗も掻いている。

 何もかもを聞かなかったことにして眠りたい。ある種の逃げに近い気持ちの中、アインは深い呼吸を繰り返す。



「……はい。私はラビオラ様にお仕えしておりました」



 宰相ウォーレン。そして、給仕長ベリア。

 この二人が、長の語っていた赤狐という事が、今この時に確定してしまう。

 するとアインは、ベリアの返事を聞いて項垂れるように椅子に座る。



「どうして……」



 ――だったら、どうして今まで教えてくれなかったんだ。



 魔王アーシェについての事。

 そして、赤狐という存在が暗躍していたという事。

 ……他にも、まだまだ多くの事を考えてしまう。



「どうして、クリスの事も知っていたはずなのに……っ。なのに、どうして、海龍の時にクリスを行かせたんだ……!」



 二人がラビオラが居た時から仕えていた赤狐というのなら、クリスの姓……ヴェルンシュタインについての理解があるはず。

 では、ウォーレンはどうして、クリスが海龍討伐に向かうことを止めなかったのだろうか。

 ヴェルンシュタインの事情を知っているアインにとって、これを裏切りに感じてしまうのも無理はなかった。

 もしもアインが行かなければ、確実にクリスは命を落としていた。すると、現王家よりも血の濃いクリスを失うことになる。



 隠された家系なのだから、それを重視する必要はないかもしれない。

 しかし、事情を知っているのならば、他にやりようがあったのではないか……と、アインは混乱させられた。



「で、殿下っ――その、ウォーレンと私は……!」


「――その、なんだ?」



 たった一言、怒りと表現するには違う感情。

 もしかすると殺意も入り混じっていたかもしれないが、落ち着きを失ったのは確かだ。

 アインが冷たくも迫力のある瞳でベリアを見ると、ベリアは怖気ることなくアインに答える。



「わ、私とウォーレンは……一度たりとて、イシュタリカを裏切ったことなどありませんッ!」


「なにを言ってるんだ。今まで黙っていた事……それのどこに裏切りが無いと言える!」



 ふと、アインは急に飢えの延長線にあるような苛立ちを感じた。

 すると、部屋が暖かいのも苛々する。身体が若干疲れてるのも苛々する。ベリアが言い訳するのにも苛々する。

 言ってしまえば、すべてに苛立ちを感じてしまった。



 ……剣を抜いてしまおうか。自制が効かず、アインが手を伸ばしかけた時の事だ。

 里でラビオラの魔石を受け取った時のように、ラビオラの魔石から暖かい何かが流れ込む。



「……諫められた?」



 胎内にあって、母の鼓動を聞くかのような錯覚を覚える。

 全神経がラビオラの魔石に集中し、筆舌にし難い飢えといら立ちが収まっていくのを感じた。

 経験した事の無いような感覚だったが、例えるならば、先日会談の日クローネを抱きしめた時と似た感覚だ。



 ――コン、コン。



 突然、部屋の扉がノックされる。

 さっきまでの緊張感が霧のように消え去ると、アインは急に全身から力が抜けたのを感じた。



「……はい」



 アインがノックに答えると、すぐに扉が開く。

 寒い冬に外に出る時のように、部屋の中の空気が一変する。



「――おぉ。アイン、もう来ていたのだな」


「お、お爺様っ……」



 やってきたのは、少し前に別れたばかりのシルヴァード。

 オズに向けての手紙を認めていたはずだが、アインがいるウォーレンの部屋を訪ねて来た。



「オズへの手紙を用意し終えたのでな。ウォーレンの様子を見に来たのだが……。ふむ――」



 シルヴァードは人の機微に鋭い。

 とりわけ、孫のアインに関しては良く気が付くと言えた。



「ベリアのそんな顔を見るのは、余も初めてだ。……それに、アインの今のような顔も、もしかすると初めて見るかもしれぬ」


「へ、陛下……」



 慌ててベリアが頭を下げる。が、部屋の空気が刺々しいのは変わらない。



「事情を聴かずに判断するは愚策だ。だが、少なくとも、怪我人の前で事を荒げるべきではない」



 シルヴァードがそう口にすると、頭を下げたままのベリアを一瞥してアインの隣に向かった。



「余には聞く権利があろう。アイン……何があったのか教えてもらえるな?」



 空いたドアの外側から、ロイドが心配そうな瞳で中を伺っていた。

 中に入るべきかと考えていた様子だったが、最後は静かに扉を閉じる。



「はぁ……。といっても、私も説明をしてもらう前だったんですがね」


「む?アインが説明を求めた……?ベリアにか?」


「はい。ですが、私は少し疲れたというか、気が抜けてしまいました。……申し訳ないのですが、一度頭を冷やしてきたく思います」



 本心を言えば、すぐにでも全てを問いただしたかった。

 だが、今の自分は冷静じゃないと理解していたアインは、一旦、間を置く決意をする。



「一体どうしたのだアイン。バーラの所で顔を合わせた時と違い、今にも倒れそうな表情をしているぞ……」


「――……剣に手を伸ばしかけた事。それを後悔しているだけです」



 ぼそっと呟くように語った言葉は、幸いにもシルヴァードの耳には届かなかった。

 すると、アインはそれを口にすると、外に出ようと扉に進む。



「ベリアさん」


「っは、はい……殿下」



 扉の手前に立ったアインは、振り向くことなくベリアに声を掛けた。



「少し、お爺様に説明しておいてください。俺は後で聞きますから」



 どう警戒するべきか、そして見張りはどうするべきか。

 ウォーレンとベリアの二人に対して、なんて対応するのが正解なのかが分からない。

 少なくとも、部屋を出たらロイドに中に入るように伝えるつもりだった。



 ――ラビオラ様が止めたのなら、俺は剣を抜くべきじゃなかったんだろうな。



 アインが席を外す決断をしたのは、先ほどのラビオラの魔石の反応が影響している。

 優しく止められたように感じたアインは、手を出すべきじゃないと考えた。

 魔石の意思を信じるという、なんとも非現実的な要素が含まれるが、デュラハンやエルダーリッチの件があるのだから、それを全否定することはアインにはできない。



 その結果として、自分は頭を冷やすことにして、シルヴァードを巻き込むことにしたのだった。

 話の内容を考えれば、エルフの長との約束を違える部分もあるかもしれないが、これはどうしようもないとしか思えない。



「――アイン」



 すると、ドアに手を掛けたアインをシルヴァードが呼ぶ。



「今晩……謁見の間の小部屋にて待つ。よいな?――ベリアも共にだ」


「……はい。では、夕食の後……休憩してから参ります」



 よいな、と聞いてきたが、実質は来いと言われてるに等しい。

 ベリアの話を聞くためにも、アインは素直に頷いた。



「それと、頭を冷やすのなら、カティマの研究室にでも行くといい。なんでも、マーサによると、部屋が散らかってしまってカティマが大慌てだそうだ」



 さらっと長女の情報を売ったシルヴァード。

 だが、カティマの許を訊ねるのは悪くない選択だ。意外と、こういうときの彼女は頼りがいがある。

 良い情報を得たと考え、アインがシルヴァードに礼を言う。



「ありがとうございます。それじゃ、カティマさんの部屋にいってみます」



 こうして、今度こそドアを開くアイン。

 部屋の中の様子を見ることなく、静かな足取りで退室した。



「――ロイドさん」


「え、えぇ。どうされましたかな」



 ロイドも感じるアインの異様な気配。

 その声色に驚きながらも、アインの言葉に返事をした。



「中に入っていい。万が一があれば、剣を振って構わない――……はぁ。念のため、近衛騎士にも声を掛けておこうかな」


「……アイン様?それは一体――」



 淡々とそう伝えて、最後はひっそりと呟いたアインは廊下を進む。

 ロイドの疑問に答えることなく、ただ真っすぐにカティマの研究室を目指す。



「……わからぬ。だが、いかなる時も陛下の許を離れるなという意味なのだろうか」



 ウォーレンが怪我をする原因となったのは、自分がシルヴァードの言葉に甘えたせいだ。

 ロイドはそう考えると、頬を強く叩いてからウォーレンの部屋へと入っていった。




 *




 頭を冷やすつもりでウォーレンの部屋を出たアイン。

 早速、シルヴァードが言ったように、カティマの研究室目指した足を進めた。

 なるべく人が少なめの廊下を通るなど……なんとなく、城の人と顔を合わせないようにとこっそり歩く。



 途中、近衛騎士に声を掛け、ウォーレンの部屋を警備(・・)するよう伝え、アインは複雑な感情を抱きつつカティマの研究室にやってきたのだった。



「――うわぁ。……うわぁ」



 マーサが口にする程なのだ。

 それはきっと、相当な散らかり様だと予想していた。

 だが、アインの予想なんてものはあっさりと裏切られる。



「ん?誰だニャ!この忙しい時に……って、なーんだ。アインかニャ」



 まるで戦場だ。

 そう考えさせる研究室の様子は、散らかってるの一言では済まされない。

 壁に置かれた巨大な本棚も、例外なく前方に倒れて本をばらまく。

 いくつかの研究用の魔道具からは、刺激的(・・・)な色をした煙が漏れていた。



 見る者は必ず考えるだろう。

 何があった、と。



「……え、ちょ、なにこれ?誰と戦ったの?」



 思わず尋ねると、その散らかりの中から顔を見せたカティマが答える。

 一つ問題があるとすれば、彼女の自信に満ちた表情がイラッとさせてくることだけだ。



「ふ……。世界に蔓延る謎と……かニャ」


「は?」


「――……今日のアインは刺々しいニャァ」



 ベリアとの会話の影響が残っていたアインだ。それも仕方ないだろう。



「それで、どうしてここに来たのニャ?」


「い、いや。なんか部屋が凄いことになってるって聞いたから、煽りに来た」


「……ほんっと、なんて甥っ子かニャ」



 やれやれ、そう言わんばかりの態度で崩れた物の中から体を見せると、腰回りの埃をハンカチで拭く。

 するとカティマは、かろうじて姿が見えた机へと、床の障害物をよけて歩いていく。



「ま、ちょうどよかったニャ。ほいニャ」



 机にたどり着くと、一つの封筒を手に取るカティマ。

 腕を振りかぶるとそれをアインに投げつけた。



 くしゃ、と音を立ててアインの手に納まる。



「えっと……いきなりなに、コレ?」


「イシュタリカ至上、並ぶ者が居ない天才ケットシー様が調べ上げた資料だニャ。というか、それが分かったから部屋が荒れたのニャ。ついさっきのことだニャ」


「え!?そ、そんな知り合いいたのなら先に教えてよ……」


「――私に決まってるのニャアアアアアッ!」



 素でそう尋ねたアインは、あぁ、なるほどと納得した。



「それで、何の資料?」


「ふんっ!いいから見るニャ!」


「んー……。まぁ、いいけど」



 いつものカティマなら、これ以上ない程うざい顔をして教えるはずだ。

 しかし、今回はそんなことはなく、気怠そうに中身を見ろと促す。



「検体Aについての検証結果。検体Bについての検証結果……なにこれ」



 といっても、カティマは何も答えないため、アインが自分の目で調べるしかない。

 アインにも分からない単語……つまり、研究者が使うような単語だらけで、内容の理解が追い付かない。

 それでもアインは分かる範囲で読んでいく。



「――……結果、検体Aは吸血種の一種と断定。また、Bについては爬虫類系の種族と予想される」



 言ってしまえば、専門用語だらけでよくわからなかった。

 検査結果なのだろうが、いくつかの数字が並べられても、アインが理解できるはずがない。

 そのため、アインは内容を飛ばして最後の結論に目を通す。



「ねぇ、カティマさん。この検体AとBってなんのこと?」


「エウロから持ち込まれた生物。それに宿ってた魔石の事だニャ」


「……え?ちょっと待って。それって――」



 アインが察し始めると、カティマが大きくため息をついて近寄る。

 すると語られるのは、カティマがどうして口にして説明しなかったのかという理由だ。



「……どうやって魔石を集めたのか。それが疑問だったニャ。少なくとも、普通は魔石を持ってない動物に埋め込むってことは、それをどこかから用意する必要があるからニャ。主砲が必要になるほどの敵の数……となれば、魔石も相当の量だニャ。冒険者を使ったのか、くず魔石を購入したのか……色々と考えたんニャけど」



 心底胸糞悪そうに、そして、憎しみを込めた声色で語る。



「でも、それが異人種の物を使ってたとなれば話は別だニャ。……私たちが知る中で、異人種が大量に命を失ったことなんて、一度しかないからニャ」



 分かっただろ?そう言わんばかりの瞳でカティマがアインを見る。

 すると、アインは静かに頷いた。



「――とんだ下種野郎だニャ。……例のくそ女狐は、魔王騒動の時の犠牲者の魔石を使ったのニャ」



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