十二章 ―古い血統―

刺激が強かった。

 アインはシルヴァードに言われ、カティマと二人で考えた事を、ウォーレンとクローネの二人に語った。

 


 ……イシュタリカの人間が、赤狐を強く警戒していたのは当然の事。

 そしてその中には、エウロで出現した例の生物たちの事も含まれている。

 なにせ、個体によってその影響力が違うということや、先日の事件では、主砲を用いて殲滅する必要があるほど、多くの数が押し寄せたからだ。

 万が一その生物がイシュタリカに持ち込まれでもすれば、一匹一匹を討伐するのは苦難を極める。



 ――つまり、アインがクリスの故郷を目指すという事……それに反対意見が生じることは無かった。



 という訳で、それをシルヴァードとクローネに相談した日の夜。

 事後報告となってしまうが、アインは城に設けられたクリスの部屋に足を運んだのだった。



「クリス―?」



 ドアをノックすると、中にいるであろうクリスに声を掛ける。

 彼女が部屋に戻っていることは、既にマーサから聞いていたので問題無い。



「……あれ?」



 数十秒ほど待ってみたが、中から返事が聞こえてこない。

 かといって、勝手にドアを開けるのも許されない。



「――クリス?いないの?」



 二回目は、少し強めにドアをノックする。

 これで返事が無ければ出直そう。きっと、訓練で疲れて休んでいるのかもしれない。……そう思った瞬間のことだ。



「っア、アイン様!?」



 ドアを隔てているため、声が大きく響き渡ることは無かったが、中からは慌てた様子のクリスの声が漏れる。

 やっぱり寝ていたのだろうか?そう考えると、出直すべきかと思いアインが振り返る。



「あー……えっと、ごめん。休んでたみたいだから、出直すよ」


「だっ、大丈夫ですから!その……アイン様さえ気にならなければ、入っていただいても構いません……」



 ――もしかして、寝起きの顔が恥ずかしいとか?



 別にクリスのような女性ならば、そんなことは気にしなくても問題ないだろう。

 と思ってみても、女性ならば気になるのが当然かと自己完結する。

 アインは少しの間考えてから、クリスの部屋に入ることに決めたのだ。



「じゃあ、お言葉に甘えて」



 急に尋ねたことは申し訳ないが、出来るだけ早く伝えたかった。

 そのため、今回ばかりはクリスの言葉に甘えることにしたのだった。

 ……寝起きの顔をしていたとしても、自然に目をそらすようにでもしたらいいか。



 ――って、部屋に入るまでは考えていました。



「ごめんね。急に部屋にまで押し寄ちゃ……って……」


「い、いえいえいえっ!む、むしろ私の方がこんな変な姿でお迎えしちゃって……その、本当にごめんなさい……」


「……ごめん。やっぱり出るからっ!」



 クリスの姿を見るや否や、踵を返して部屋から出ようとする。

 すると、クリスはそのアインの袖をつかむと、大きな声でそれを制止した。



「ま……待ってください!私なら大丈夫ですから、ですから……その、あまり直視ないでいただければ、それで結構ですから……!」



 そうは言ってもどうしたもんか。

 さすがに、この状況のクリスと二人きりと言うのも悪い気がしてならない。

 ……部屋に立ち込めるのは花のオイルを使った石鹸の香りに、湯気による若干の湿り気。そして、濡れた彼女の髪からは、石鹸とは違ったシャンプーの香りが漂う。



 つまり、こういうことだ。

 クリスは部屋備え付けの浴室で疲れを癒したばかりで、アインは風呂上りにやってきてしまったということ。

 更にいえば、紐で縛られているとはいえ、彼女のバスローブ姿・・・・・・はアインの目に毒でしかない。



 近頃は毒素分解なんて縁が無いように感じていたというのに、これはなんだ?

 こんな時こそ、例の生まれつきの能力が働くべきではないのか。

 ……なんて考えても、それが発動するはずもない。



「アイン様にこんなこと言うのは失礼ですが……。直視されなければ、恥ずかしさはなんとかできますから……っ!」



 相手が相手なら、嫁に貰って責任をとる案件だ。

 少しの間苦悩したアインだったが、結局は再度クリスの言葉に甘える。

 地面を見ながら窓際に急ぎ足で向かうと、外の風景に目を凝らす。



「何度も言ってるけど、ごめん。少し大事な用事だから、今日は甘えさせてもらうよ」



 うん。窓の外に広がる王都は、今日も荘厳且つ美しい。

 アインがイシュタリカに来てからも成長を遂げているのだから、これからの未来が楽しみで仕方ない。



「大事な用事、ですか?」



 キョトンとした様子でアインに尋ねる。

 ……さっき急いでアインを止めた際に、止め紐が緩んでいた様子だ。

 クリスはそれに気が付くと、頬を軽く赤らめて、アインにバレないように結び直す。



「――……だ、大丈夫だった……よね?」



 ぼそっと呟くと、紐が解けてしまわなかったことに一息つく。



「うん。実は、エウロで出現したネズミとかの調査が捗ってなくて、別の方法を取ることにしたんだ」



 その呟きはアインに届かなかったようで、アインは窓の外を見ながら言葉を口にする。



「クリスが翻訳したエルフの本があったでしょ?あの時みたいに、エルフに頼ってみようかなって事になってさ」


「……えーっと、それってもしかして、アイン様がエルフの里を尋ねる?……ということなんでしょうか?」


「正解。――ってわけだから、クリスの故郷を尋ねたいって話なんだけど」



 頼めるかな?

 と、遠慮がちに言葉にすると、クリスはウキウキした様子で答える。



「本当ですかっ!?ほ……本当にアイン様と一緒に行けるだなんてっ」



 まだアインが行くとは口にしてないのだが、クリスはそう考えたのだろう。

 実際間違いではないので訂正はしないののだが、これが間違いだった時、彼女はどれほど悲しんだかと思えば、アイン自身が行くことでよかったと強く実感する。



「あ……でも、それだとウォーレン様たちがお許しにならないんじゃ」



 忙しない様子に表情をコロコロと変えるクリスが、その美しさと相反して、特別な魅力を発しているように思えた。



「それも、大丈夫。お爺様にもウォーレンさんにも、勿論クローネにも了承の返事は貰ってるから、その辺は問題ないんだ」



 ということは、最後はクリスの言葉で決まるという事だ。

 まさかクリスも、イストの帰りで話した事が現実になるとは思っておらず、この話に強く嬉しさを滲ませる。



「だからさ、クリスはどうかなって――」



 ――どうかなって聞きに来たんだ。



 こんな感じに答えるつもりだったのだが、窓の外を見ていたつもりが気が付いてしまう。

 窓ガラスというものは、反射(・・)するのだ。

 室内が明るければそうなるのも当たり前の事で、うっすらとだが、室内の様子がアインの目に映る。



 紐をきつめに縛ったせいか、豊かな胸元や細い腰付き……そして、形のいい臀部や、大きく露出された彼女の脚。

 まだ濡れている髪の毛が、少しばかり首元にも張り付いている姿。それがどこか幻想的で蠱惑的な様相を見せつける。



 過去に月の女神と表現したことがあったが、まさに人間離れした艶やかさをしていたのだ。



「聞きに来たんだけど……聞きに来たんだよ?」



 動揺で言葉が落ち着かないが、一応こうして言い直してみる。



「は、はい。数年前の話となってしまいますが、私がアイン様を案内するのは問題ありません。むしろ、是非案内させてくださいと言う感じですが……」



 当然のようにこう答えた。

 自分から誘った経緯もあるのだから、クリスは断る気なんてさらさらない。

 問題を考えてみるならば、それは許可が下りるかどうかの話ぐらいなため、ウォーレン達が賛成ならば障害なんてないのだ。



「――でも、私も里に行くのは久しぶりです」



 優しげな声で語ると、アインがそれに答える。



「……やっぱり久しぶりなんだ。確かに、俺が来てから一度も帰ってないよね。ってことは、何年振りぐらいの里帰りなの?」



 十年近くも里帰りしてないのだから、クリスもきっと楽しみにしているだろう。

 アインも微笑ましいなと考えて尋ねてみたのだが、自分が純血の人間と思っていた時の弊害があってか、クリスの返事は驚かされるのだった。



「えぇっとですね……。あっ!たしか、五十ね……」


「――え?五十年?」


「お、思い出しましたっ!五十日です!たしか、五十日だったかなーって!」



 思えば、クリスの年齢なんて聞いた事が無かった気がする。

 エルフは長寿な種族というとこもあるので、確実にロイドやシルヴァードよりも上だとは思っていたが、実際の所はどれほど上なのだろうか……。

 必死に隠そうとしてるので尋ねないが、五十年も里帰りしないとか、エルフの時間感覚がどうかしてるとしか思えない。



「五十日か……最近だね」


「そ、そそそ……そうなんです!実は急ぎで荷物だけ取りに行ってきたというか、なんというか……」



 アインの言葉がフォローになったかと聞かれれば、アインは手ごたえはないと答えるだろう。

 だが、無言にも耐えられなかったため、最近だねと答えてみた。

 別にエルフが長寿で価値観が違うのは当然の事なため、アインは全く気にしていないのだが、クリスはやはり違った様子。

 むしろ彼女の場合、異人種や人間が暮らす王都での生活が長かったからなのか、価値観に変化があったのかもしれないのだが。



「――……ところで、アイン様に一つ、エルフについてお伝えしてもよろしいですね?」


「あ、うん……よろしいです」



 ですか?ではなく、ですね?なところにクリスの意思の強さを感じさせる。



「エルフという種族は、人の何倍も長寿な種族です。個体によって寿命が千年に届いた者もいると耳にしました。今では、基本的には数百年も生きればといった感じです。……換算は結構異なりますけど、私の場合は人間でいうと、二十三、四歳ぐらいですからね?」



 明確な数字は明らかにしないが、つまりそのぐらいの年齢ですよって事だろう。



「……つまり、クリスお姉さんってことだね?」


「えぇ、そうなんです。……でも、アイン様にお姉さんって言われると、ちょっと照れくさいですね。――ちなみに、異人種も様々ですが、その中でもエルフは特に長寿な種族です。アイン様やオリビア様の様にドライアドの血を引いていると、個体数が少ない影響もあってか、どのぐらいの寿命……かは分かりませんが」


「まぁ、俺の場合はなるようになれって感じだけど……。とりあえず、説明ありがとう」



 いつものクリスと比べて、いくらか早口で説明をしてくれた。

 何はともあれ、クリスの事はこれからは二十四歳ということにしておこう。

 それ以上を追求することは、確実に悲しみしか生まないと考えられる。



「……くちゅん」



 説明を終えて力が抜けたのか、クリスがくしゃみを漏らす。

 思えば、風呂上りからずっと話をしてくれたのだ。濡れた髪のせいもあってか、身体が冷えてきたのかもしれない。



「ごめん。髪も乾かしてなかったもんね。――ってことだからさ、クリスも大丈夫みたいだし、じゃあクリスの故郷に行ってみるってことでいいかな?」



 良い頃合いだろう。

 クリスの煽情的な姿の影響もあり、そしてクリスが風邪をひかないようにも、クリスの部屋を出ていく。

 一応話すべきことは話し終えたので、特に違和感なく部屋を出ていける。



「そろそろ行くよ。風邪を引いたら困るからね」


「あ、あのあの……ごめんなさい。来ていただいたというのに、お風呂に入ってたなんて」



 口調がいつもより自然なのは、きっと彼女の部屋だからだ。

 いつも今のような態度で構わないのだが、まぁ、おいおいと言ったところだろう。



「でも、本当にいいんですか?私の故郷って、王都からはかなり遠いんですけど……」


「……うん。へーきへーき」



 ついさっき耳にしたばかり。

 そうは言っても、エルフの里が移動するわけじゃないのだから、我慢して向かうしかない。

 遠い目をしながらも、アインは強がってみせる。



「――本当にへいきですか?山あり谷ありどころか、瘴気が漏れてる所も通りますよ?」



 ……え?



「なんでそんなとこに住むことにしたんだ……」


「あははは……。昔は魔王領の近くだったそうですけど、徐々に僻地に移動していったらしくて……」



 僻地を目指したい欲求でもあったのだろうか。

 まぁ、それをとやかく言っても事情が変わるわけじゃない。

 例の生物の件や、ずっと気になっていたヴェルンシュタインの姓について調べられると思えば、そんな道のりだろうとも踏破してみせる。

 仮に瘴気が濃厚な所を目指したとしても、自分に効果が無いのだからそれは問題ない。ただ、驚かされただけだ。



 ――これで何一つ情報が無ければ、若干虚しくなるがそれは仕方ないだろう。



「わかった。ものすごい僻地ってのも理解したから大丈夫。そんなに柔なつもりじゃないし、頑張って行くよ」



 すると、アインは今度こそクリスの部屋を後にするため、扉に向かって足を運ぶ。

 すれ違いざまにクリスのバスローブ姿が目に映るが、これは仕方のない事だから許してほしい。



 ……アインも男だ。正直な気持ちを言えば、見たいという感情がないわけじゃない。だが、ヘタレたのか紳士なのか、この境目は分からないが、その感情を必死に無視したのだった。



「きっと、明日にはウォーレンさんから正式に話が届くと思う。俺もクローネと予定の確認とかしないといけないから、それも済んだら連絡するよ」



 ハイムの現状も知りたいことだらけ。

 しかし、情報をただ待つだけというのも、時間を有効に使えていない気がしてならない。こうした歯がゆい思いがある中、カティマの思い付きは天啓のような何かを感じてしまう。

 エレナやティグルが少し落ち着いてきたのだから、頃合いも悪くない気がしていた。



「それじゃ、お休み。クリス!」



 背後からクリスのお休みなさいという返事を聞き、アインは部屋を後にする。



「……あれ?もしかしてエルフの里って、クローネも一緒に来られないんじゃ」



 となれば、久しぶりのクリスとの二人旅。

 イストでは途中からカティマとディルが離脱したため、その時のように二人になるのだろうかと考えたのだ。



「うーん。一緒に行けないのは残念だけど、ヴェルンシュタインの事も調べるなら、この方が良かったのかな?」



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