ようやく見えた背中。
――敵対しなくて、本当に良かった。
そうは言っても、ほぼ敵対していた状況だったのだが、こうして最後の一手が放たれなかったことには、エレナは深く安堵する。
リリに案内された時、エレナは多くの戦艦や施設を視察した。
だが、こうして主砲を含む兵器が稼働するのは、当然ながら初めて目にした。
感想を一言にまとまるならば、やはり、敵対しなくてよかったの一言に尽きる。
「次弾、装填致しますか?」
主砲の一撃が終わり、乗組員がリリに振り返ると、こう尋ねた。
「うーん。城下町の破損状況は?」
「御覧の通り、瓦礫の山です。風圧や瓦礫に押しつぶされているかと」
目前に広がるのは、さっきまで城下町だったものの成れの果て。
これが戦争であれば、すでに勝敗は決まったと言えるような光景をしていた。
「うんうん。それじゃ、念のために装填して、全速力で王都に戻るよ」
「はっ!」
リリはこう命じると、エレナとティグルに向かって振り返る。
「一先ずは、エウロに居るあの生物はほぼ殲滅できました。多少は生き残ってると思いますけど、殲滅するのは面倒なんで」
「……ねぇ、さっきのを港町ラウンドハートに打ち込む予定だったっていうのは、本当なのよね?」
「うーん、エレナ様も分かってると思いますけど、私たちも色々あるんですよ。とりあえず、先日はこれを使う結果にならなかったということで納得してください」
さっきは、打ち込む予定だったと言ったくせに、今度は茶を濁すようなリリの言葉。
弄ばれてるような状況は気に入らないが、絶対的な強者を前にして、そうした文句は口に出せなかった。
「ご納得いただけたみたいなんで、そろそろ詳しく話しを聞かせてもらいますねー」
エレナはつい黙ってしまった。
しかし、リリはその姿を見て、エレナの心境を察する。
するとすぐに話を変えて、二人がここまで来た理由、その詳細を説明するように求めた。
そしてリリは歩き出し、扉に向かうと、エレナとティグルの二人を手招きするのだった。
*
長い通路を渡り、リリが目指したのは多目的の一室。
そこは作戦立案に使われることもあれば、外からやってきた者と会話をするのにも使う。
つまり今回のような場合には、なんとも丁度いい場所だったのだ。
「お好きな席にどうぞー」
お好きな席といわれても困ってしまうが、二人はとりあえず近くにある席に腰かける。
備え付けの魔道具を使い茶を淹れると、リリはそれを二人に配った。
「あ、別に毒なんて入ってないですから」
「……こんなところまできて、そんなことを疑うはずがないだろう」
城下町の騒動と、主砲がみせた一撃。
そうした衝撃的な光景を繰り返したことによって、ティグルは疲れが溜まっていた。
喉が随分と渇いていたのを感じ、ティグルは受け取った茶を一気に飲み干した。
「……美味いな」
「不味いもんなんて出しませんよ。はい、お代わりどうぞ」
素直に褒めてしまった事で、ティグルは頬を少しばかり赤く染めた。
お代わりを半分程度飲み干すと、小声で礼を口にするのだった。
「はい。エレナ様にも、もう一杯置いとくんで良かったらどうぞ」
「気が利くのね」
「それはもう。なにせ、元部下なので」
リリは彼女らしさに溢れた笑みを浮かべると、二人の正面に腰かける。
3mほどの幅に、奥行きは1m程度だろうか。
作戦を考えるには若干狭く感じる机だが、今はこの大きさが丁度良かった。
「それで、それで?ハイムでは何があったんですか?」
「はぁ……貴女、妙に楽しそうね」
「この興味津々なのが、私の美点なんですよ」
緩い雰囲気に辟易すると、ティグル同様に茶を飲み干し、リリに答える。
「どこから話せばいいのかしら」
「全部ですよ、全部。何があって、何を考えて、そしてエウロに向かってきたのか。……それを教えてもらえたら、エドさんについても答えてあげますから」
さっきも口にしていた、エドが行方不明という事実。
内心を言えば、エレナとティグルの二人は、彼が行方不明な事に安堵していた。
なにせ、彼が犯人だとすれば、その彼がエウロに居なかったことが、イシュタリカとエウロは無関係との証明になるからだ。
エレナはティグルに視線を向けると、ティグルは静かに頷く。
それを見て、エレナは少しずつ語り始めた。
「暗殺騒動があった次の日よ。私たちは……――」
最初に語ったのは、エレナがエドの関係性に気が付き、それをティグルに相談しに行った時の事だ。
「はえー……。なるほどなるほど。それで、エドさんを探しにわざわざ来てたってことですか」
「結果として大当たりだったって訳よ」
「まーた、随分と大胆な行動しましたね。私も居たんで、その判断は正解でしたけど」
リリが居なければ死んでいた可能性もあるのだから、エレナは素直にそのことは感謝する。
「でも、不思議ですね。それならなんで、ラウンドハートの人が護衛に居ないんです?隠さないで教えてくださいよ」
――そりゃ、バレるわよね。
まだ語りたくなかったため、意図的に隠そうとしていたのだが、不思議に思われて当然だ。
大将軍家の人間が、更にいえば、グリントがティグルの護衛をしていないのは、今までの事を思えば不思議でしょうがない。
「……エレナ。続きは私が説明する」
すると、ティグルが口を開く。
「えぇ、構いませんよー」
リリの言葉を聞き、ティグルが苦々しい面持ちを浮かべ、エウロに来た切っ掛けを更に詳しく説明した。
「エドに伝言を頼んだという貴族が。グリントの許婚……ブルーノ家のアノンという令嬢なのだ」
「……そうきますか」
「続けるぞ。イシュタリカとの会談直前。グリントはエウロに渡り、そしてアノンからの伝言をエドに伝えたのだが、後は知っての通りだ。我々がハイムに帰国すると、例の暗殺事件が発生していたという訳だ」
「道理で、
犯人と疑わしいエドとの関係。
それを疑っていたため、ティグルとエレナはこうした少人数でエウロに渡った。
これを聞き、リリはキナ臭さに拍車がかかったのを感じた。
「……もう隠さず言うが、王族にもその疑いがかかった。そのせいで、私とエレナは他に味方の判断が付かなかったのだ」
国家機密というか、少なくともこの話は他国にするべき話じゃない。
だが、ティグルはこれを口にしてしまった。
それは王族としては愚を極めるかもしれないが、今のティグルは、ハイムの様子にそれを我慢できなかった。
「――王族?まさか、それって」
「あぁ。察したと思うが、疑いがかかったのは父上……ハイム王だ」
リリからしてみれば、赤狐との関係を持つ、あるいは赤狐がエドという認識。
そんな中語られたのは、その関係の中にハイム王も含まれるという事実。
それを聞くと、これまでで一番の驚きを感じる。
「こう言ってはなんだが、父上は他人に"殿"なんていう敬称は使うことが無い。すでに亡くなっている過去の王族たちには敬称を付けるが、それ以外では見たことが無いのだ」
「えぇっと。ちなみに、誰に殿なんて付けたんですか?」
「……その、グリントの許婚のアノンにだ。私は特に気にしてなかったので、当時は流して聞いていたのだが、こうした騒動となって初めて気になってしまったという訳だ」
「――なるほど。エドさんに声を掛けたのが、そのアノン嬢、ね」
するとリリは口元に手を当てて、ぶつぶつと何かを呟き始める。
エレナとティグルから聞けたこの話は、イシュタリカにとっても多くの国益をもたらすだろう。
二人がこうして存在価値を見せてくれたのは、勝手に保護した身からすれば有難い話だ。
「アノン嬢って、どんな人なんです?」
「そうだな……。頭が良く、夫となるグリントを立てられる女だ。容姿もハイムで評判で、その美しい赤毛が更に人気を高くしているな」
「……赤毛?」
「あぁ。あれは見事な赤毛をしている。私も魅力的に感じる程で、なんとも縁起のいい色だぞ」
――確定か。
アノンの人物像を聞くと、リリはこれまでない程に納得した。
そうか、グリントの許婚が赤狐か。
アインとグリントの関係が、まるでイシュタリカと赤狐の因縁の様に繋がった。
比べられてきた兄弟の因縁が、まさかこんなところで奇妙な縁を作り出すとは思いもしなかったのだ。
王都に付いたら、すぐにウォーレンと会ってもらわなければならない。
これが何よりも優先事項だ。
「"色々"と、素敵な情報でした。……では、約束ですので、私たちがしっているエドさんの情報をお教えしますね」
過去のハイムの行いが、赤狐の影響を受けているのか。
それは議論する価値があるかもしれないが、そんな議論は後からでもできる。
とりあえず今は、エドの情報を伝えるとしよう。
「といっても、アムール公もあんまり分かってないんですよ。なんでも、ハイムの使者が帰ってから、その日の晩には姿を消していたらしいです。それからハイムの暗殺事件の話を聞いて、エドさんも被害にあったのでは、って心配してたみたいですから」
「……リリ。それって、演技の可能性は?」
アムール公が、リリやイシュタリカを騙そうとしているのか、そうした懸念だ。
素直に信じることも愚策だと理解していたエレナは、リリにそれを尋ねる。
「無いとは言い切れませんけど、私たちの力を一番近くで見ていたのがアムール公です。ですので、その可能性は低いかなと」
リリも無条件で信じている訳でないのだが、現状では、演技の可能性を低いと考えていた。
「あ、そういえば王子。一ついいですか?」
「……む?なんだ」
ふと、リリがティグルに向かって語り掛ける。
……一応言質は取ったが、もう一つ約束してほしいことがあったのだ。
「キングスランドに着いたら、正式に書類を交わしてもらいます。内容はいくつかありますけど、一番重要なのは、我々が貴方を拉致したのではなく、保護したというのを書類にしてほしいんですよね」
「キングスランド……?というのは、いったいどこの事だ?」
「あー。えっと、我々の王都の名称ですよ」
イシュタリカ王都の名を初めて聞き、そこが何処の事か分からなかったティグル。
リリが王都の事だと説明すると、納得した様子で頷いた。
当たり前の話だが、ティグルはイシュタリカに保護された形なのだ。
部下やエレナの命も助けてもらっているのだから、ここでごねる気はない。
「そういうことか。――あぁ、分かっている。部下も含めて助けてもらった身だ、そんなもの、いくらでも応じるさ」
「うん。いい返事ですね。……全く、アイン様の件とかも、全部そうしてくれてたら楽だったんですけど」
「む、むぅ……!」
そう言われれば、ティグルはどうにも返事が出来ない。
遠慮なしに言葉を投げかけるリリが、ティグルに苦手意識を持たせた。
「エレナ様は分かってると思いますけど、私って性格悪いんで。もう、大体大丈夫そうだなーって思ったら、好き勝手しちゃいますよ」
暗に、あまり気にするなと伝えたリリ。
そうした部分を直せばいいのかもしれないが、リリにその気がなかったので、諦めるか我慢するかの二択しかない。
「……えぇ。それはもう、嫌ってほど理解させられたわね」
今までのリリの行いを思い返し、エレナは呆れたように笑みを浮かべる。
リリという女性は、幼い時があれば、自由すぎる時もある。付け加えるならば、口から毒を吐くのはいつもの事だ。
それでいて頭は悪くないのだから、彼女の扱いには苦労することもあった。
「さて、と」
――ティグルとエレナの二人が、こうして呆れた様子を見せた後、リリは思い出したかのように口を開く。
「そういえば、今まで結構強気でしたけど、なんでなんです?一応、私たちって結構な大国ですけど、例の先制攻撃はしないって言葉とか、随分と信じすぎじゃありませんでした?」
これはティグルが顕著に表れていた傾向だ。
今まで不思議に思ってたいので、いい頃合いだと考え、二人に尋ねた。
「私の場合は、父上からそう教わっていた。ラウンドハート家に第一子……その、イシュタリカの王太子が産まれた時にも、遜(へりくだ)ってはならんと言われていたのだ」
「殿下?そのような事を陛下が仰っていたのですか?」
話を聞いて、エレナが若干驚いた様子で声を漏らす。
「あ、あぁ。幼いころから、それこそ、クローネと初めて出会った時には、すでにそう言われていたが……」
「いやー、腐り過ぎですね」
もしかすると、ハイム王は早い段階から影響を受けていたのかもしれない。
それはどの時期になるのか分からないが、少なくとも、アインが産まれた時には既に始まっていたはずだ。
――仮に影響を受けておらずとも、ただの愚王だったで終わる話なのだが。
深いため息を何度か吐くと、リリは気怠そうに立ち上がる。
「教えてくださってありがとうございました。とてつもなく面倒くさそうな話なのが分かったので、この辺で終わっときますね」
口ではこう述べるが、リリは自分の身に余ると感じたのだ。
であるならば、これを尋ねるのはこの辺で終えて、あとはウォーレンに任せるべき。
それを口にするのはなんとなく悔しかったので、彼女らしく、面倒くさそうに立ち上がった。
「お二人とも、食事にしましょうか。お腹減ってません?」
それを聞くと、エレナとティグルの二人は、確かに腹が空いているという事実に気が付く。
慌ただしい様子が続いた後の、こうしたゆっくりとできる時間を経て、身体も空腹な事を自覚してしまう。
「……すまん。いずれ何か対価は払う。だから、連れて来た部下にも何か恵んでくれないだろうか」
しおらしくなったティグルを見て、リリは小さく笑みを浮かべる。
「別に、これぐらいいいですよ。空腹にさせとくのも気分悪いですし、食事ぐらい気にしないでください」
リリはこう答えると、二人のカップを片付け、扉に向かって歩いていく。
「こちらにどうぞ。食堂に案内するんで、まずは腹ごしらえしときましょ?」
その後、ティグルは、あとどのぐらいで到着するのかとリリに尋ねた。
エレナは前回、貨物船に乗せてもらったのである程度分かっているつもりだったが、戦艦は更に速度が速い。
もうちょっとで着くと言われ、二人は同じような表情で驚かされた。
――それからおよそ一時間が経ち。ティグルとエレナの二人を連れて、イシュタリカ戦艦は王都の港に帰還するのだった。
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