暗闇の中の共闘。
――怒涛の出来事だった夜を超えて、ハイムにも朝がやってくる。
大広間には絶えず灯りが灯(とも)され続け、第二王子のために明るい空間が維持された。
ラルフは意外にも子煩悩な一面があったようで、昼前になり、倒れるように気を失うまで、離れることなく第二王子の傍に寄り添った。
エレナを含む、多くの貴族や文官達も城に入り、仕事詰めで朝を迎えたのだが、この騒動は拡大が広がるばかりだった。
「……なんて行動が早いの」
空気の入れ替えでもしよう。
そして、少しでもいいから気分転換になれば御の字。
そう考えたエレナは、窓に近づくと、疲れた様子でそれを開く。
すると、目に入ったのは城門前に集まった多くの騎士。
先頭にはローガスが立ち、騎士達の様子を確認していた。
「そりゃ、そうよね。ローガス殿も家族を殺されたのだから、恨みは募る一方だもの……」
今までのローガスという男は、国に忠実な大将軍で、母の言葉を何よりも重んじていた節がある。
だが、これはあくまでも良く言った場合での話で、言い方を変えれば、主体性が無い母親依存が過ぎる男と言えるだろう。
仮にアインのように、同じ母親依存があっても自ら考える力に富んでいれば問題はない。
しかしながら、ローガスの場合はアインの件然り、面倒ごとに直結することもあるのだから、同じ母親依存とはいえなかった。
そんなローガスが、今回ばかりは誰よりも早く行動しラルフに上申したのだ。
失礼だと思う気持ちはあったが、エレナにとってもこれは意外性が感じられる出来事。
暗殺が判明したのは昨晩の事だというのに、次の日の朝にはこうして行動を起こしているのだから、エレナはローガスに対する考えを変えざるを得ない。
「……あまり身内の事を悪く言うものじゃないわね」
イシュタリカに渡った時の事や、帰国してからのエレナへのちょっとした冷遇。
そして、会談での王族の振る舞いを見ると、エレナも少しぐらいは文句を言いたくなる。
こうした心境の変化に、エレナ自身も少しの虚しさを感じていた。
「なんなのかしら。この、色々噛み合ってない感覚って」
王族や貴族たちが、復讐という一つの目標に対して一致団結している。
それが大多数の意見なのだろうが、エレナはそれを不可解に感じしまった。
ボタンを掛け間違えたどころか、一人一人の思惑が、どこかで履き違えられているような、筆舌にし難い難しい感情だった。
「いいえ。違う、逆に噛み合いすぎてるのかもしれないわ」
密約を破った時点から、オリビアとアインがイシュタリカに向かった件。
次に接触したエウロでは、ティグルがひと悶着を起こす。
そして、イシュタリカと連絡を取り合うと、数年の間が開いたが会談が開かれた。
ローガスが王太子の護衛に勝つという結末になったが、相手はまだ若く、ローガスのように将軍とは言えない。
つまり、会談は壊滅的な結果となり帰国したわけだが、その後のこの騒動だ。
「……ハイムが一方的に狙われてるようにしか思えない。そんな騒動が続きすぎよ」
密約の件は自国の恥となるが、いくら第二子が才能に恵まれていたとはいえ、大将軍家の前当主の妻が、大国繋がりの子(アイン)をあのように扱うだろうか。
仮にアインがひねくれ者であったならば、イシスも意地悪をしたくなったかもしれない。
しかし、アインは真摯に訓練に努めると、同年代では並ぶ者がいないような力は身に着けていた。
生まれ持ったスキル至上主義な一面があるとはいえ、その振る舞いは乱暴すぎたと思う。
「人格の問題?それとも、根付いた文化の問題……?」
考えても分からないが、どこか不可解に感じられるのは変わらない。
「――多分、狂いが生じたのは、グリント殿が産まれた時のはず」
聖騎士を持って生まれたグリントは、まさに武家の子としては最高の才能の持ち主だった。
それからというもの、アインの扱いは悪くなったと記憶している。
何度も言うが、その結果として、アインとオリビアはイシュタリカに渡り、ハイムの敵のような存在となった。
「……王太子殿下がイシュタリカの人間となった事で、ティグル王子やグリント殿とは敵対的な形となった。でも、そこで終わる話じゃないはずよね」
事は個人同士の話じゃない。
先日の会談のように、話はすでに国同士の問題に発展していた。
すでに国交断絶は確定しているが、それもエウロでの調印という機会が最後に残る。
いくつもの錠が、一つずつ解除されているのをエレナは感じた。
「王太子殿下……いえ、イシュタリカね。――イシュタリカは結果として、ハイム王国の敵になった」
まるで一つずつ、舞台道具を整えるように話は進む。
出来すぎな話だったが、構図はイシュタリカ対ハイムを作り出そうとしているように思える。
「最後に、ハイムがこうして暗殺騒動によって、ローガス殿が調査団を派遣……」
各国を相手にした戦争。
それが可能性としては高くなってきた現状では、これも何かを意味しているようにしか思えない。
「……ハイムが大陸を統一したら、イシュタリカと同じ統一国家となるわけよね」
当然ながら、規模は違う。
大陸イシュタルはこちらの大陸よりも大きく、その戦力は会談中にも見せつけられた。
だが、大陸を統一した国家同士という、不思議な構図が出来上がる。
「――偶然?」
偶然なのかは分からないが、縁は感じる話だった。
こうしてみると、ますます暗殺者の事が気になってしまう。
「さすがに暗殺者は数人だとは思うけど。なにせ、一人であんなに殺せる暗殺者なんて……――」
いくらローガスでも難しいだろう。
そう感じさせる一夜の所業を思えば、エレナも苦笑いを浮かべてしまう。
「そうよ。ローガス殿以上の実力者ってことになるんだから」
だが、この突拍子もない言葉が、エレナの考えに多くの影響を与えた。
――……ローガス以上の実力者?
ふと、エレナの身体が氷漬けになったかのように固まる。
ローガス以上の実力者と言えば、エレナが知る中でも一人存在しているじゃないかと。
それはバードランドで開催される、数年ごとの武の祭典。
そこでローガスは、何度も同じ相手に敗れていたのを思い出す。
……我ながら、こうした冴えを発揮してしまったのに後悔したくもなる。
「私ったら、可笑しなことを考えるわね。……エド殿が、なんでハイムで暗殺なんか……を……」
この時、エレナは気が付いてしまったのだ。
会談に向かう前、ティグルからチラッと聞いていた話がある。
グリントの婚約者であるアノンが、グリントにエドへの伝言を頼んだという話だ。
その伝言内容も小耳に挟んだが、確か、『新しい舞台の支度をしましょう』という言葉だったはず。
「舞台って……舞台って、もしかして――」
たかだが、一貴族の令嬢の言葉に過ぎない。
しかし今のような状況では、どうにも引っ掛かってしょうがないのだ。
このタイミングとその言葉が、エレナの心を釘付けにする。
杞憂ならばそれでいいのだ。
ただ一つ尋ねればいい。ブルーノ家へと、エドはハイムに来たかどうかと。
その後、アムール公にも尋ねればこの疑惑は晴れる。
両者の話に食い違いがあるかどうか、それを見極めればそれで終わりなのだ。
「……大丈夫。ただの偶然よ」
アムール公が嘘をつくことは無いと思う。
イシュタリカと共謀して、この暗殺騒動を起こすはずがなければ、イシュタリカに黙ってエドを派遣するなんてしないはずだ。
その様な事をして、イシュタリカの怒りを買う行動をする必要が無いのだから。
「万が一に備えて私の護衛を増やして……後は、エウロへの書状も用意しなきゃ」
何やらキナ臭い話になってきた。
この事をすぐに夫のハーレイへと伝えると同時に、自らの身を守るための行動も必須となった。
「ローガス殿にこの話は……」
果たしてローガスは、エレナの言葉に耳を貸すだろうか?
なにせアノンはグリントの許婚であり、二人の仲は評判になるほど良い。
火に油を注ぐ様な話にならなければいいのだが……。
「懸念が事実ならば、アノン嬢も共犯……よね」
アノン自身が、エドに対する言伝を依頼したのだ。
となれば、アノンがその思惑を知らないとは考えられない。
「……駄目ね。ラウンドハートにはまだ伝えられない」
ならば誰に伝えればいいのか。
全てを一人で進めるには、エレナの身には重すぎる話だ。
実母が亡くなっているのであり得ない話だが、万が一、ラウンドハートが関与していたら、エレナの身が危ない。
――すると、ただ一人の人物が、エレナの脳裏に浮かぶ。
「ティグル王子……しかいないわね」
苦肉の策と言っては失礼だが、今はティグルしか伝えられる相手が居ないようだ。
昨日のティグルとラルフの姿は、決して演技のようには思えなかった。
しかし、現状でラルフにこれを伝えるには、あまりにも話が大きくなりすぎる。
「覚悟を決めましょう。知らないふりをするなんて、今更できないもの」
エレナはそう口にすると、両面の頬を強く叩く。
気合が入ったところで、ティグルの部屋を目指して執務室を出発した。
*
しばらく寝ていなかったティグルとラルフ。
二人はその後、自室にて休んでいると給仕から情報を得た。
王族の部屋を尋ねるのは、例えエレナであろうとも推奨される行為ではない。
だが、今回ばかりは緊急事態なため、そう目立たないだろうと考えた。
「……殿下。私です」
ティグルの部屋に着くと、エレナは扉を数回叩いた。
憔悴しきっているであろう彼の下を尋ねるのは、先日冷遇に近い扱いを受けたエレナであっても若干躊躇してしまったが、意を決して扉をたたく。
「――入れ」
数秒経ってから、ティグルからの返事が届いた。
あまり寝ていないからだろう。疲れ切った声色がエレナの耳に届く。
「失礼致します」
「……何の用だ、エレナ」
こんな時に自室に尋ねてきて、と、不機嫌な様子を隠すこともしない。
エレナはティグルの部屋に誰もいない事を確認すると、ティグルが腰かけていたソファに近づく。
「一つ。お伝えするべき話が生じました」
真面目な様子で語られた言葉に、ティグルが居を正す。
エレナがこうしてやってきたという事は、何か重要な話なのだろうと、ひいては、この事件に関する事なのだろうと考えた。
「続けろ」
「――暗殺者は、恐らくローガス殿と同等か、それ以上の実力の持ち主です」
その言葉を聞くと、ティグルは分かりやすく落胆した。
何を言うかと思えばそんなことか。
言われなくとも、お前が言う事は分かってる、と。
「何を言うかと思えばエレナ。お前そんな事をっ――」
エレナを叱責しようとしたのだが、エレナが珍しくティグルの言葉に声を被せる。
「我々が会談に行く前、グリント殿がエウロに向かった際の事です。……グリント殿が頼まれて、とある人物に伝言をしに行ったのを覚えていますか?」
その刹那、ティグルの視界が、まるでガラスが割れるかのような衝撃に覆われる。
すると、数秒に渡って、意識が飛んだかのように思考が停止すると、エレナの言葉が身体全体に染み渡った。
「……整理しきれない。悪いが、もう少し詳しく話してくれ」
テーブルに置かれた水を一気飲みすると、先ほどのエレナのように頬を叩く。
そして力の入った目でエレナを見つめると、エレナの考察の続きを促す。
「はい。では、私が考えた仮説をご説明致します」
一度咳ばらいをすると、エレナは自分の執務室で考えた仮説を、一からティグルに語った。
タイミングが良すぎるという件や、アノンが口にした舞台という言葉。
そうした仮説の材料を詳しく丁寧に口にする。
それは数分に渡って語られ、語り終えたエレナは、大きく脈打つ心臓の音を聞きながら、静かにしていたティグルの反応を待った。
「……この事は、父上にも言ってはならん」
「――えぇ。心得ております」
エレナが答えると、ティグルは頬杖をついて言葉を続ける。
「エレナの懸念……。確かに、筋が通っている」
ティグルの答えを聞き、エレナはほっと一息ついた。
「無いとは思うが、最悪の場合にはラウンドハートも繋がってる。そういう意味だな?」
「……その通りです」
ティグルも口にするが、今は、無いと思う……としか言えないのだ。
可能性がゼロだなんてエレナには口が裂けても言えない。
「私の私兵を使い、ブルーノ家に使いを送り調査をしよう。その方がいいだろう?」
「格別のご配慮、感謝致します」
「……だが、何が何だかさっぱり分からん。エレナのいう言葉が真実ならば、誰が敵で誰が味方なのかが分からなくなってきた」
「はい。実は私も同じことを考えておりました。……信用に足る人物が分からないのです」
ラウンドハートの関係者も、それこそブルーノ家の関係者も。
どちらも城には多く出入りしている。
更にいえば、給仕や騎士に至っても、その両家に関係がある人物は多い。
「エレナ。確かお前は、エウロに書状を送り届けると口にしていたな?」
「……お聞きになっていましたか」
「あぁ。ついさっき、騎士から報告を受けていたのだ。……出発はまだ決めていないな?」
「え、えぇ……。なにせ、まだ書状も出来上がっていませんでしたので」
それを聞くと、ティグルは口元に手を当てて考え込む様子を見せた。
数十秒ほどそれが続くと、数度頷いてからエレナを見る。
「これより支度をして、私もエウロに向かう。護衛には、私の私兵とアウグスト家の騎士を使う。書状は馬車で認(したた)めよ、一時間以内に出るぞ」
ティグルは額に汗を浮かべ、突如こうしたことを口走る。
「で、殿下っ!?殿下まで向かわれるのは危険です!」
「――何を言う。それを言えば、兄上が殺されたこの地に居ても危険は同じこと」
「ですがっ!わざわざ、エド殿が居るかもしれないエウロに出向く必要は……」
明らかな危険行為だ。
だが、ティグルの考えは違った様子で、覚悟を決めたような表情で答えを口にする。
「……エレナに指摘されて一つ気が付いた事があるのだ。悪いが、この方針は変えない」
「でしたら、せめてその気が付いたという事を教えてください。あまりにも危険が過ぎます」
絶対に認めない。
エレナがそんな姿勢でティグルに答えると、ティグルは天を仰ぎ見るように天井を見る。
するとティグルは、若干震えた声で答えるのだった。
「――……会談から帰国する際の事だ」
「帰国する際の事、ですか?」
「あぁ、その時にだな――」
随分と最近の話だ。
船の上で何かあったのだろうか、エレナは静かに続きを待った。
「父上は、クローネと結ばれない私の事を慰めてくれた。その際に、ハイムには多くの美女が居ると口にしていたのだが……」
「……はい」
「――その時の父上は、アノンの事を"殿"と付けて呼んでいたのを思い出したのだ」
一国の王が、一人の貴族……それも、令嬢に対して殿を付ける。
更に、その王がラルフだと思えば、この異常性はエレナにも理解できた。
すると、背筋を冷たい何かが通り過ぎる。
何がどうなってるのか、何処で何が繋がってるのかは分からないが、不気味な何かが始まっている……そう考えざるを得なかったのだ。
――兄の死で慌てているかと思ったら、それだけを考えていたため、ティグルの頭は意外にも冷静に働いていたのだ。
「一瞬どこかおかしいと感じていたのだが、どうやらこの事だったらしい。――はは……エレナ。これは一体、何がどうなっているのだ?」
……身近に発生した"死"という出来事が、ティグルに冷静さと恐怖心を与えたのだった。
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