打倒祖父

 シルヴァードの寝室は、不穏な空気に包まれていた。

 不穏といっても決して剣呑なものではなく、どちらかといえば、シルヴァードが心配そうにしているだけのことだが。



 部屋の中にはシルヴァードにララルア、そしてウォーレンの3人が、アインの到着を待ち望んでいた。



「な、なぁまだなのかアインは?いつのなればここに来るのだっ!」


「あなた?王として、そのような姿はどうかと思うのだけど」


「わかっておるっ!だが……だがあのアインがだぞ!?あのアインが、褒美を清算するなんて口にしたのだ!何を言い出すのか余は……余はっ!」



 ちなみに心配そうにしているのはシルヴァードのみで、妻のララルアや宰相のウォーレンは、楽しそうな表情を浮かべるばかり。

 もはや味方はいない、自分だけが信じられる。シルヴァードはそうした意識に囚われている。



「陛下落ち着いてください。よかったではないですか、溜まった褒美を清算してくれるというのです。バルトの褒美も追加される今回、逆に幸せなことなのでは?」


「馬鹿をいうなっ!希望の褒美なんぞ、一つ一つ願ってくれればそれでいいのだ!だというのに一度に清算なんぞ……なにかとんでもないことを要求するに決まっておろう!?」


「でしたら突っぱねればよいのでは?」



 ウォーレンはこう口にするが、シルヴァードは絶対に首を縦に振らないだろう。

 信賞必罰、シルヴァードが良く口にする言葉で、これを守ることが王としての責任だと考えているからだ。



「そ、それはならんだろう……。それをしては、余は王ではなくなり、そこいらの老躯へと成り下がってしまう」



 それ見たことか。ウォーレンの予想通り、シルヴァードはそう口にした。

 ララルアも似たようなことを考えていたようで、ウォーレン同様顔に笑みを浮かべる。



 ——……コンコン。



「陛下。お待ちかねのアイン様では?どれ私が見て来ましょう」



 王の寝室。その部屋をノックできる者は限られる、そしてこのような時間ともあれば、ほぼ確実にアインがで間違いないだろう。

 ウォーレンが立ち上がり、扉に向かって足を進める。シルヴァードとしてみれば、そのウォーレンの一歩一歩がどうにも焦れったい。



「おぉアイン様、お待ちしておりました。ささ……どうぞ中へ、と……クリス殿?」


「クリスさんは俺が呼んだ。俺が呼んだなら入っても構わないはず、いいよね?」



 いつもと比べて、どこか堂々としたアインの態度。

 バルトへの旅がいい影響をもたらした、また一皮むけたのだなとウォーレンは喜んだ。



「えぇ勿論でございます。さぁお二人とも、陛下の近くへ」


「わかった。ほらいくよクリスさん」


「は……はいっ!」



 シルヴァードは解せなかった。どうしてクリスを連れてきた?これから話すことに彼女が関係あるのか、と不思議に思った。

 まさかクリスと結婚させろ。そんなことを口にするとは思えないが、クリスも何やら深刻そうな顔を浮かべているため、アインの行動がどうにも読めない。



「ふむ……急にどうしたのだアイン。褒美を清算したいなどと」



 先程とは打って変わって、威厳を表に出したシルヴァード。内心心配なのは変わらないが、祖父としてのちょっとしたプライドだ。

 隣に腰かけているララルアは、そのシルヴァードの内心をよく理解していた。

 ここで笑ってはシルヴァードが可哀そう、そう思ったララルアは、扇を広げて顔を隠して口を綻ばせる。



「ちょっとほしいモノ……いや、者ができたので。そのご相談に参りました」



 わざわざ言い直したアインの表情は、自信に満ちたいい顔つきをしていた。ロイドから少しだが、アインの新たな剣についての話は聞いた。クローネからの報告書も、明日にはウォーレンから自分の手元に届くはず。

 となれば一体何がほしいのか……。普段から物欲が弱いアインだからこそ、余計にその希望の品が目に見えてこない。



「……珍しいな、まさかアインからそのような事を聞くことになるとは」


「お爺様、いえお母様たちにもですが……たぶんこうして、自分がほしい事についてお願いするのは、きっと初めてだと思います」


「ねぇアイン君?それは陛下でも貴方に渡せるものなのかしら?」



 迷っているシルヴァードを見て、そっと口を出す妻のララルア。



「えぇお婆様。むしろお爺様にしか渡せない、それほどのことですから」



 首筋に一筋の汗が流れていった。

 汗の通り道がヒヤリと冷たく、シルヴァードの不安を表しているのがよくわかる。



「……続けよアイン。お主が望む褒美とは一体何か、それを余に申してみよ」



 いつものアインならば、ここで目に見えてわかる深呼吸を行うはずだった。だが今回はそのような仕草が一切なく、継続して自信に満ち溢れた顔のまま、続けて口を開き始める。



「では望む褒美の前に、私が褒美を与えたい人をお伝えします」


「……何を考えておるのだ?」


「多くの事を、です。……褒美を与えたい者はロイド・グレイシャー。王太子として、彼に褒美を与えることをお許しください」


「ロ、ロイドにだと……?一体なんの褒美だアインっ!」



 ウォーレンは気が付いた、この論戦はシルヴァードの負けだ。アインが何を望んでいるか、それはまだウォーレンであろうとも理解できない。だがしかし、この場の主導権アインで、強者もアインで間違いない。



 アインは武において語れば、相当の実力者といえよう。デュラハンたちの影響があるとはいえ、なにせ海龍の単独討伐を成し遂げた英雄だ。

 ここでウォーレンは評価を改める。王太子は論戦においても、まさ王の器の持ち主だったと。



「ロイドのおかげで、私の調査団は多くの成果をあげました。私も安心して調査に臨め、バルトで快適に過ごすことができた。これを功績といわずして、なんといいますか」


「……その言葉は間違いない。余もそれは功績と認めよう、だが仮にそれを功績として……アインはロイドに何を望む」



 アインが聞きたかった言葉。それはシルヴァードの口から、ロイドにどうしたいのかという言葉に他ならない。

 こうなったことに安堵したアインは、続けて自らの要求を突きつける。



「過去の懲罰について、一つ撤回を」


「む……?ロイドの懲罰だと?」



 ララルアやクリスは、今だ何を求めてるのか理解できなかった。だがこの懲罰という言葉を聞いたウォーレンは、すべてが繋がったかのように『なるほど……——』と頷いた。



「はい。ロイドが私に"敗北"し、私を止められなかったこと。それ故に2つの罰を負いました。……そのうちの片方を、褒美と相殺で撤回に致します」


「2つの罰……アインに敗北っ……まさかアイン、お主はっ……——」


「お察しかと思いますが。私はロイドの騎士籍と元帥の剥奪、それを撤回することを検討しています」



 ロイドは今、騎士としてこの城に残っているわけじゃないのだ。

 シルヴァードの専属護衛として、いわば個人に雇われているようなもので、騎士としての席は残っていない。

 それはアインが海龍討伐の際のことで、アインを止められなかったこと。それの罰としてこのような立場となっている。



「な、なにを申すかと思えばアインっ……何を考えておるのだ!?」


「ですから言いました。多くの事を、ですよ……陛下」



 アインとシルヴァード。二人以外はまるで蚊帳の外な状況となり、二人の会話を皆が見守る。



「私は魔物に襲われそうになった。それをロイドは、一刀両断で守ったのです。……言い方を変えれば、王太子の命を守ったといえましょう」


「……アイン、それはいささか強引ではないか?ロイドは確かに守っただろう、だがしかし、アインでも対処が可能な相手だ。更にいえば、他の騎士やそれこそディルもいる。そこでロイドだけにそのような褒美をやるのはおかしいと思うが」


「結果論ではありますが。万が一私がその襲撃に気が付かなければ?更にいえば、万が一の事もあり得るでしょう。そんな中、どんな形であれロイドは私の命を守った。この事実に変わりありません」


「……なら仮にそれを功績としよう。そういえばアインよ、アインがリビングアーマーに連れ去られた際、誰もがそれに気が付けなかったらしいな?ではその責任はどうなるのだ、説明してみよ」



 もはやシルヴァードの覚悟を決め、自らの大切な考えの"信賞必罰"。そのことを守るため、アインと戦う決意をした。

 お互いの主張を口にしあい、今はアインの返答を待つ時間。



「確かに連れ去られました。ですが情状酌量の余地がありますし、更にいえば"責任の所在"を決めるのが難しい話かと」


「続けよ」


「はい。まず情状酌量の件ですが、連れ去られるきっかけは私が使った"幻想の手"です。なので元々の責任は騎士達にありません」



 そのことは報告を受けている。そのため内容に齟齬がないことも、チラッとウォーレンの顔を見て確認する。



「次に責任の所在ですが、これはどうでしょう。ディルですか?それともロイド?……あるいは他の近衛騎士達皆でしょうか?」


「ロイドに決まっていよう、なにせロイドが指揮をとっていたのだから」


「なるほど、それは陛下の勘違いです」


「か、勘違い……とな?」



 アインが何を口にするのか。まるで評判の劇を見るかのように、心躍らせながら見つめる3人の姿。

 生唾を飲み込む生々しい音が響き渡った。



「調査団の団長は私です。なので責任の所在を口にするならば私です。なので上官に責任を求めるならば、それは最終的に私に来るんですよ」



 強引な部分が見受けられるが、アインが言うことに間違いはない。

 確かにアインが団長として出向いた調査であり、このことはイシュタリカの民へと大きく公表されている。

 仮に上官に責任を求めるならば、結局のところ連れ去られたアインに戻ってくることになる。



「なのでこれも清算致しましょう。信賞必罰、これは私の罰となります。なので私が受け取るはずだった褒美のうち、一つをこれと相殺させてください」


「どのことを申しておるのだ……?」


「赤狐達が海を渡ったという情報について。それを手にしたことの褒美を、その罰と相殺に致しましょう。……釣り合いもとれている、そうだなウォーレン?」



 唐突に話を振られ、数テンポ返事が遅れてしまったウォーレン。このような失態は久しぶりの事で、彼は心の中でその油断を恥じた。



「え、えぇ……アイン様の仰る通りかと。釣り合いがとれてるどころか、むしろお釣りがでるかと思いますが……」


「ならいい。釣りはパーティにでも使ったと思っておく。……さて、これで罰となりそうなことは終わりです。ロイドの褒美に戻っても?」


「……構わぬ」



 シルヴァードのセリフに、一瞬だけ笑みを浮かべたアイン。そして再度真面目な顔となり、会話を続ける。



「では私の命を救った褒美。それをロイドに渡すことを同意していただけますね?」


「……それは構わぬ。だがロイドを元帥に戻すということ、それと釣り合いは取れておらぬぞ」


「彼は一度、王太子の命を危険にさらした。そして今回命を救った。これでは足りませんか?」


「足りぬ。寝言を申すな、状況が全く違うであろう」



 それを聞いたアインは、初めて考える様子を見せた。もう打つ手はないのか?そう周囲の者達に思わせたが、アインはすぐに口を開き直す。



「でしたら赤狐の魔石の件を使わせて頂きます。それも褒美を受け取れたはず、なのでその褒美の分をロイドに当てましょう」


「っな……ア、アイン!お主さっきから何を考えておるのだっ……!」


「これで釣り合いは取れますよね?お爺様?」



 そんなことを話しに来たのではない。

 さっさと先に返事をしろ、強い瞳でそう訴えかけるアインを見て、シルヴァードもそれ以上の追及は控えてしまう。



「……ウォーレンよ」


「は、はい。なんでしょうか陛下……?」


「寝る前に、ロイドの騎士席の書類を認(したた)める。用意せよ」


「……お心のままに」



 とうとう認めた。いや……アインが認めさせた。シルヴァードを前にして、自分の力でその望みを認めさせたのだ。



「だがアイン。元帥に戻すことはできぬだろう?なにせ元帥にはクリスが……」


「えぇ。ですのでクリスを元帥から罷免、私とお母様の専属護衛として、近衛騎士団の団長として席を取り直します」



 ——……これがアインの望んだことであり、クリスの思いを叶えるため、アインが考えていたことだった。



「元帥を……罷免、だと?」


「えぇ。なので元帥としてロイドを戻し、クリスを近衛騎士の団長。その席にだけ置くことにします」



 近衛騎士だけの身分ともなれば、王族を守るのが使命となる。となれば、クリスの願いであった、アインを守りたい。その気持ちを叶えることができる。



「元帥を罷免などと簡単に申すでない!ロイドを元帥に戻すと聞いて驚いたが、更に馬鹿な事を申すとは何事かっ!?」



 驚いたのはシルヴァードだけでなく、アインと共にやってきたクリス。彼女が一番驚いていた。



「セージ子爵とのこと、その裏付けとして多くの密談を露にしたこと……聞いておりますよ?多くの不正が見つかったとか。間接的ではありますが、その褒美も頂けるんですよね?」


「あぁくれてやる!だがアイン!そのように軽々しく物事をっ……——」


「アイン様?さすがに少しばかり強引すぎるのではないかと」



 ウォーレンも口を開き、アインのことを諫める様に語り掛ける。だがアインは一向に表情を変えず、たんたんと言葉を口にし続ける。



「陛下、話はまだ終わってません。……それとウォーレン、話は最後に聞く。王と王太子の語らう時(とき)だ、少し待っていてくれ」



 締めは口調を抑えたつもりだが、意味合いとしては『黙ってろ』という内容の言葉。

 ウォーレンはそんなアインの言葉を聞いて、唖然とした表情を浮かべてしまう。



「陛下?ですがこれは当然のことではありませんか?」


「……何が言いたいのだ」


「ロイドが騎士として戻るならば、彼の力を最大限発揮できるのは元帥です。更にいえば、クリスは元帥に向いた性格や能力ではない。どちらかといえば護衛向きだ」


「向き不向きは誰にでもあろう!そんなことでこのような人事などっ……」


「感情論ではありません。多少強引な部分があろうとも、"イシュタリカ"のためになることをしてほしい。ただその一心なばかりです」



 内心を言ってしまえば、クリスの想いを叶えてあげたい。そんな優しい願いのもと、今回の騒動を引き起こしている。

 当然そんなことを口にすれば、この話はすべて破談となるだろう。だからそれは口にしないし、別の理由などを必死になって考えてきた。



「ロイドというイシュタリカの宝を、ただの騎士として扱うのは無駄な事だ。まさに宝の持ち腐れです」



 強引な部分や、アインにとって都合のいい話運び。確かにそれが多くあったのは事実だ。

 だがそれでもだ。それでもアインの語ったその言葉たちは、確かな力強さに溢れているのだった。



「……あなた?もうこのぐらいにしておいたら?」



 静まりかえったこの部屋で、とうとう口を開いたのはララルアだった。



「このぐらい、だと?」


「無理やりな所はありますけど。でも筋は通ってます。アイン君、いえ……王太子。この返事は明日朝には致します。それで如何でしょうか?」


「わかりました。では朝のお返事をお待ちしております。……クリス」


「へぁっ……?は、はいっ!」



 完全に油断していたクリスは、アインに声をかけられたことで現実に戻る。目の前で繰り広げられていた、迫力に満ちた論戦に目と意識を奪われていた。



「退室する。行くぞ」



 そうしてアインは、クリスを連れてシルヴァードの寝室を後にした。

 すると寝室を漂っていた緊張が一挙に消え去り、空気が徐々に緩やかなものとなっていく。



「さて。ねぇウォーレン、貴方の教育の賜物かしら?」


「いやはやなんとも……。アイン様は恐らく、ご自身の"器"に合わせて自然と成長している。そんな節がございます」


「えぇそうですね。確かにそうした風に見えますもの……。ほらあなた、お水どうぞ」


「……うむ」



 まだ興奮冷めやらぬ状況だったシルヴァードだが、ララルアが手渡す水に口を付ける。一気に飲み干した姿を見て、ララルアがもう一杯おかわりを用意した。



「ウォーレンよ。アインの願いを纏めてくれぬか」


「承知いたしました。1つ、ロイド殿の元帥復帰。2つ、クリス殿の専属護衛化。簡単に申せばこの内容かと」


「あぁそうだな……。余の考えも間違いではないようだ」



 ララルアの入れた水を再度飲み干し、ようやくリラックスし始めるシルヴァード。先ほどのアインの姿が、目を閉じても浮かんでくる。



「とはいえ恐らく、これはクリス殿のためなのではないかと」


「む?それは何のことだ?」


「クリス殿は、アイン様の御傍にいたいと考えている様子。そしてそれを知ったアイン様が、この願いを叶えようと必死になった結果かと」


「あらあら。微笑ましいわ」



 大凡の内容は想像できたウォーレンだが、それを聞いたシルヴァードは、花がしなびれるように、体から力を失った。



「ま、まてウォーレンよ……。それでは余は、いや余と王太子は……。そんな理由のため、ああして論戦を繰り広げたというのか?」


「もしかすると、としか断言できませんな。ですが筋が通っているのは否定できない、そう思いませんか陛下?」


「……うむ。粗削りではあったが、8割は余の負けといってもよいだろう」


「仮に不謹慎な理由であろうが、仮に利己的な理由であろうが……。筋が通っているならば、認めざるを得ないこともございます」



 その言葉を聞くと、納得しなければならない。そんな感情に包まれてしまうシルヴァード。



「はぁ……。どうやら未来のイシュタリカは、頼もしい英雄の治世となるようだな」



 感情的に納得しきれない部分があるのは確かだ。だがしかし、アインの要求がこれで済んだと思えば、むしろ僥倖だったと思える自分が居ることも事実。



 自分を"言いくるめた"褒美として、このぐらいの強引さは認めてやってもいい。そう心の中で決心した。



「もうよい、認める。……明日よりロイドを元帥として復帰させる。現場の面倒事は聞きたくない、ロイドに全て任せてしまえ」



 ちょっとしたシルヴァードの仕返しだが、それはどうにも可愛らしい小さな仕返しだった。ララルアも笑みを浮かべ、くすくすと笑い声を漏らす。



「承知いたしました。ではクリス殿は……」


「望み通りだ。近衛騎士団の団長とし、アインとオリビアの専属護衛に当てる。もう決めたことだ、何を言われてももう変えぬからな!別の褒美なんてやらぬからな!」


「ふふ……はいはい陛下。よく頑張りましたね」



 不満げにしてる夫の頭を撫でて、どうにか夫を励まそうとする妻の姿。

 こうした姿を見ていると、オリビアはララルアの一面を引き継いでいるのだと実感する。



「ウォーレン、グレイシャーの屋敷に使いを送れ。明日より元帥として城に参れとな、それと余の護衛も兼任させる。……前に元帥をしていたころと、似たようなものだ」


「えぇではそのように。今すぐに使いを出して参ります」



 この短期間に元帥が複数回入れ替わる。それは異例の人事だが、アインがクリスの護衛を希望した。いっそのこと、このように公表してやろうか、そんなことをシルヴァードは考えていた。



「全く……こんな異例の事態。許してよいものか」


「もう観念したら?アイン君がそれがいいって望んだんだもの、それとも別の褒美で清算されたかったの?」


「……考えたくもない」



 国民に不安を与えないだろうか?こうしたことを考えてしまうが、アインの護衛につくためだ。そうしたことを公表すれば、なんとか納得してくれるだろうか?実際その通りなため、むしろ嘘偽りなく公表したいものだ。



 「……過去の事を不問にするのに、十分な材料があり、そして筋が通っていた。立派に育ったものだな、我らが王太子は」




 *




「——……イン様っ……アイン様っ!」



 過剰に分泌された脳内物質が、アインの心をまだ高揚させたままだった。

 勢いのまま、論戦を繰り広げた。先ほどのことを自己採点するならば、この言葉につきる。



 そのためまだ気持ちが落ち着かず、隣を歩くクリスの声。その声に返事をすることすら忘れていた。



「っと……ごめんクリスさん。どうかした?」


「ど、どうかしたじゃありませんっ!陛下に何をいうかと思えばっ……」



 先程の論戦について、クリスは事前報告なんてものは一つも受けてない。

 それどころか、シルヴァードの場所に行って何をするのか。そんなことまで何も聞いていなかった。



「クリスさんの身柄を貰いにいった。そんな感じ?」


「そんな軽いものじゃっ……。アイン様の貰った、大切な褒美だって全部っ……」


「あー別にそれはいいんだ。使い道特になかったし、こうして使えるなら残しておいてよかったって思う」



 事実今回の様なことのため、褒美をとっておいた側面がある。確かにほしい物がなかったということもあるが、何も希望しないで正解だったということだろう。



「で……でも、私のためにあんなにっ……」


「まぁまだ決まったわけじゃないし、明日の朝にならないとわからないからさ」



 だがララルアがあの様にいったのだから、おそらくほぼ確定で決まっただろう。アインは密かに勝利を確信していた。



「だからもし決まったら、お願いね?」



 どうせクリスは、またつらつらと言い訳を続けるだろう。だからアインはそれを待たず、会話の主導権を握りにかかる。



「お願い、ですか……?」


「そうお願い。次の調査地はマグナになる、だから俺の護衛を、ディルと一緒にやってくれるよね?」


「っ……勿論です!命を懸けてアイン様を守ります!」


「は、はは……。そう言ってもらえると嬉しいけど、クリスさんの命も大事にね?」



 少しは元気になってくれた。そう思わせるクリスの言葉を聞いて、アインはようやく一息ついた。

 先程まで火照っていた体も落ち着きはじめ、目に見えるものもクリアになってきたような、そんな錯覚を覚えた。



「いやーでも緊張したー。お爺様すっごい怖かったし、話しててびっくりだったよもう」


「えっと……緊張してらっしゃったんですか?すごい堂々としてて、陛下の方が緊張してるように見えたんですが……」


「ほんと?うーん……でも勢いで話してたしさ、内心結構ドキドキしてたよ。いろいろ考えて、話を聞いてもらえるように計画は立ててたけど、やっぱり本番だと落ち着かないもんだね」



 へらへらと笑い続けるアインを見て、クリスは全くその内心を見せなかった事に驚いた。



「あんなに小さな男の子だったのに……」



 思い返すのは、アインと初めてあった時の事。

 そんな男の子が、自分よりも遥かに強い精神力を持ち、王を論戦で打ち負かした。

 その事実が本当に現実なのか、若干疑わしく思ってしまう。



「昔は小さかったけど、でも……ほら?」



 そういって立ち止まったアイン。クリスの横に立ち、体を少し近づけた。



「もう身長だって、同じぐらい」



 アインはもう12歳。食事のおかげなのか、それともローガスの遺伝子による遺伝なのか。何が理由か分からないが、身長もすくすくと成長を続けてきた。

 女性としては高めの身長のクリスとも、もはや目線は同じぐらいの高さにある。もう一年もしないうちに、アインの方が背は高くなるだろう。



「ァ、アイン……様っ……?」



 唐突に近づいたアインを見て、顔を赤らめるクリスの姿。

 アインも自分がしたことに気が付いて、さっと急いで距離を取った。



「ご、ごめん……。さっきの興奮がまだ残ってたのかも」



 先程の論戦のせいにして、この場を収めたアインの言葉。一方クリスには、まだ先ほどのアインの顔が焼きついて離れない。



「い、いえ大丈夫……です」



 もう少し気の利いた言葉は言えないのか、先程の事が嫌だったわけじゃない。そうした想いを言葉にしようと考えるが、こういう時に回らない頭に、クリスは強く嫌気がさした。



「……すみませんアイン様。その……不躾ながら、もう一つだけお願いしてもいいでしょうか」


「い、いいよ!なになに?」



 クリスには珍しい態度だが、今はそれがありがたい。この空気から逃れられるなら、クリスのお願いなんて安いものだ。



「あ、あのっ!どうか私がアイン様の護衛となれた暁には、先ほどの様に……呼んで、頂けないかと……」


「さっきみたいに?えっとそれって」



 さっきの様にといわれ、シルヴァードとの論戦の時のことを思い出す。

 クリスをどう呼んだかを思い出そうと記憶を探った。



「どうかクリスと……アイン様の護衛となれた時には、私の事をクリスとお呼びくださいっ!」



 彼女にとっては、かなりの勇気を必要とした言葉だった。

 そのために顔を赤くし、目にうっすらと涙を浮かべて、この言葉を口にしたのだ。



 アインから見れば、泣きそうになっている美女のクリス。その破壊力は絶大で、その涙が宝石にの様に思えたほどだった。



「わ、わかった!わかったから泣かないでクリスさん!」



 断られたら勿論泣いた。だがしかし、承諾してもらえた嬉しさに感激し、嬉し泣きをしそうになってしまう。



「わー!わー!ほら、泣かないでって!ね!?」


「ご、ごめんなさいアイン様っ……!これは嬉し泣きなので、だから大丈夫ですっ!」



 微笑みながらこう口にした。両手を強く握り、ゆるめのガッツポーズを見せたクリス。

 それはとても可愛らしく、クリスの柔らかな笑顔をより引き立てた。



 その後はぐしぐしと音を立てて、自分の目を拭った。

 目の周りがそのせいで少し赤くなったが、満面の笑みでアインにこう告げる。



「ではアイン様!おやすみなさいっ!……また明日お会いしましょう!」



 今日ほどクリスを可愛いと感じた日はあっただろうか?もちろん無い。

 クリスはおやすみと口にした後、小走りでアインの側を後にした。



「……あの論戦した甲斐があった、かな?」



 結果はまだわからないが、クリスがここまで喜んでくれたのだ。それだけでも、アインにとって金塊より価値のある出来事だった。




 *




 翌朝の目覚めはなかなか悪くなかった。

 シルヴァードとの戦いによって疲れ果てたアインは、自室に到着してからの記憶がない。

 ベッドに横になっているあたり、なんとかここまではたどり着けたのだろう。



 まだもう少し寝たいところだったが、時刻は朝の8時。

 もうさすがに目を覚まさなければいけない時間だ。



「着替えよう……」



 柔らかな羽毛布団から抜け出して、ソファに置いた着替えに手をかける。

 寝巻に着替えていなかったので、正装が皺だらけになってしまった。あとでマーサへと謝罪することに決める。



「でも今日は休日……もう少し寝ても、きっと怒られない」



 とはいっても、あまり自堕落な生活もどうだろう?

 朝にしっかりと起きること、それが習慣となってるアインとしては、地味に罪悪感を感じる事態だ。



「いいや。双子と遊ぼう」



 双子にも寂しい思いをさせてしまった、今日ぐらいはしばらく遊んであげてもいいだろう。

 そうと決まれば、食事のためにも身支度をしよう。



 ——……コンコン。



「はい?」



 身支度を始めたアインの部屋が、静かにノックされる。

 もう着替えは終わったので、すぐに返事をしたアイン。するとドアが開き、一人の女性が部屋に入ってくる。



「あ、えっと……おはよ」



 昨晩の事を思い返せば、いつも同様の会話ができなかった。

 だが彼女はそんなことは気にせずに、嬉しそうな顔で口を開く。



「……本日より、アイン様の専属護衛となりました。クリスティーナ・ヴェルンシュタインです。どうかよろしくお願いします!」



 アインがそれを聞くより先に、彼女はこのことを聞いていたのだろう。つまりはそういうことだった。

 騎士服ながらも髪を下したクリスの姿。それは神々しさすら感じさせる、特別な美しさに満ちていた。



「え、えっと本日は特にご予定はないはずですが……ど、どうしましょう……」



 その後の言葉は考えてなかったのだろう。

 きっと彼女は、専属護衛となれた嬉しさを、早くアインに伝えたかったに違いない。

 心なしか息が上がってるようにも見えた。



「……ぷ、くくっ……」



 つい笑みを漏らしてしまうのも許してほしい。

 美しさに満ちた彼女の仕草が、どうにも微笑ましかったのだ。



「ア、アイン様ぁっ!そんなに笑わなくてもいいじゃないですかっ!」



 アインのその態度が不満に思い、頬を膨らませてその内心を露にする。小さく『もーっ!』と言ってるのが可愛らしい。



「いやごめんごめん。——……さてと、ご予定ね……実は一つあってさ、これから双子に顔を見せてにいこうと思ってたんだ」


「っ!でしたらっ……!」



 御伴します!彼女はきっとこう口にするだろう。

 そんなのはすぐ分かる、容易に想像できることだった。だがアインはそれを知っていながらも、クリスの言葉を遮ってこう告げた。



「勿論付いてきてもらうよ、でもまずは朝ごはん食べに行こうかな……だから」



 そう、だから昨日の約束を守ろう。



「だからまずは食堂だ。……ほら行くよ、クリス・・・


「——……はいっ!アイン様っ!」



  きっとクリスが一番だろう。例え歴代エルフの美女と比べても、クリスとは絶対に比較にならない。そう思わせる程の、唯一無比の彼女の笑顔。それがアインへと向けられる。


 そして一つ前言撤回しよう。

 このクリスの笑顔は金塊どころじゃない。女神すらも霞むような……そんな素敵な宝物なんだ、と。



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