きっと留守番。
朝は意外と暖かいのだと実感した。
ただそれにも条件があって、太陽が雲に隠れていないことだ。
太陽の日差しがあると、なんだかんだ多少の暖かさは感じ取ることができる。
窓を開けると冷たい風が吹き込み、表情の筋肉を収縮させる。
少しの間当たっているぐらいならいいだろうが、続けていると凍傷になりそうなのでそれは遠慮したい。
『んー』と声を出しながら、体を伸ばしてストレッチ。
朝一のこの動きが心地よく感じるのは、皆が共通している気がしてならない。
「さぁ、クローネは起きてるかな」
リビングスペースを挟んで、彼女とは別の寝室で休憩していた。
宿側からすれば寝室が複数ある部屋ということで、同じ一つの部屋扱い。
だが同じ寝室ではないので、さすがに緊張することはなかった。
カーディガンを羽織って外に出る。
着替えてから出るのがいいのはわかるが、どうにもこの気怠い感じを満喫したかった。
普段過ごしている寝室とは違う空間。
それが新たな刺激となっており、その一つ一つの感情を尊重したい。
そして寝室のドアを開けて、リビングの方へと目をやった。
「あらおはようアイン。……可愛らしい恰好だと思うけど、あまり部下にはみせられないわね」
「おはよ……早いねクローネ」
「そう?アインも早いから似たようなものよ。もっと寝ていてよかったのに」
6時だというのに、もうしっかりと着替えを終えている彼女を見て、若干の気恥ずかしさを催すアイン。
「き、着替えてきます……」
「着替えちゃうの?私は気にならないわよ?」
「俺の気持ちの問題だね……それじゃまた後で」
今ので完全に目が覚めたアインは。寝室へと戻り、着替えを始める。
昨晩用意しておいた着替えが、ベッドサイドに置かれている。気を取り直してそれを手に取り、ふぅと息を吐いてから上半身から着替え始める。
「さぁ今日も頑張ろう」
伯爵が挨拶に来るまでまだ時間がある。
それまでは朝食や、クローネとの雑談でも楽しもう。
その後、着替えたアインはクローネの許へと戻り、彼女が用意した温かいお茶を満喫した。
*
「既成事実、ですか?」
「似たようなものだろう」
アインとクローネが朝食を共にしている頃、王都にあるオーガスト商会の本店。
そこではグラーフとアルフレッドが、同じく朝食をとりながら会話を楽しんでいる。
今や大商会へと成長したオーガスト商会。
その会長ともなれば、休む暇なんて少ないのは当然のこと。
アルフレッドはグラーフの補佐として、同じく仕事に励んでいる。
だが幸いなのは、二人ともこの忙しい生活を楽しんでいるということだろう。
「第三者からしてみれば、同じ部屋で寝泊まりをしているようにしか思えん。そうともなれば、いい加減面倒な者たちも手を引くだろうよ」
「言われてみれば確かに。ですが前々から噂があったというのに、随分と熱心な者たちもいるものです」
「三桁から先は覚えておらんがな」
クローネが学園へと通っていたころ、それはもう面倒になる量の求婚が相次いだ。
彼女へとそれを伝えても、『適当に断っておいてください』としか言わないあたり、彼女の心の内がよくわかる。
「ですが疑問に思います。だったらなぜ、ウォーレン様たちはすぐに婚約という形に纏めないのでしょう」
「お国柄なのかもしれんな。シルヴァード陛下がララルア妃と婚約したのも、22歳になった時と聞く。早いに越したことはないと思うが、ここでは別の常識なのかもしれん」
王族なんてものは、さっさと子供を作ってくれた方がありがたい。
更に数人の妻を娶ってくれた方がさらに安心できる。
だというのに、シルヴァードは一人の妻だけで、婚約の時期も遅かった。
「デリケートな問題もある。あまり私からも尋ねることはできんがな、さすがに失礼に当たりそうだ」
「そうですね……。ところで坊ちゃん」
「なんだ?」
最近では二人とも、昔の若かったころを思い出しているのだろう。
最近では昔のように、人がいない場所では坊ちゃんと呼ぶアルフレッド。
「お嬢様が婚約なさるとなれば、反対などは……」
「あるわけなかろう。クローネが何のためにイシュタリカを目指したのか。それを思えば止めるはずもない、それに殿下なら任せてもいい。そう思えるお方だ」
単身で海龍を倒した英雄にして、イシュタリカ最高学府ともいえる学園の首席。さらには王太子という立場。
どこに欠点があるのかと考えさせるほどの男、それがアインだった。
「とはいえ殿下は、クローネと宿を共にしても手を出すことはないだろう」
「ほう。どうしてそのようにお考えに?」
グラーフは自信満々にそう告げた。
なにが彼にこんなに自信を与えているのか、それを訪ねるアルフレッド。
「そこまでの度胸は、まだなさそうだからのう……」
「……聞かなかったことにしておきます」
人に聞かれてはまずい理由にアルフレッドはつい、そのことを聞かなかったことにしてしまうのだった。
*
一方で食事を終えて、リラックスした時間を満喫しているアイン。
メイを連れてくれば、きっと彼女は喜んで雪遊びに励んだだろう。
雪の積もった街並みを眺めていると、騎士食堂の天使メイのことを思い出す。
帰ったら騎士たちがロリコンだったのかを調査しなければならない。
ぼーっとそんなことを考えていると、専属護衛のディルから声を掛けられた。
「アイン様。昨晩はよく寝られましたか?」
「大丈夫だよ。部屋の中は暖かいし、ベッドも気持ちよかった」
「それは何よりです」
伯爵が来る時間が近づいてきたこともあり、アインの部屋にロイドとディルの二人がやってきた。
今では4人でソファに腰かけ、ゆっくりとその時を待っている。
「そういえば伯爵の名前は?すっかり忘れてたんだけど」
「あ……ごめんなさい、私も説明し忘れてたわ。名前はライゼル・バルト伯爵よ」
「教官と名前似てるんだね。覚えやすくて助かるよ」
家名は領地と同じく、バルトを冠している。
カイゼルとライゼルを聞けば、本当に兄弟なんだなと実感する。
家族の事情を聞くのは憚(はばか)られるが、もし聞ける機会があれば教官のことも聞いてみよう。
「じゃあ呼び方はバルト伯爵だ」
「そうね。……そういえばバルト伯爵も剣をたしなむ方らしいの。それもバルトの領主らしい人柄かもね」
「たしかに、ここの領主らしい趣味だ。ロイドさんはどういう人か知ってる?」
「過去に何度か。城で行われたパーティで会話する機会がありましたな」
それはいいことを聞いた。
是非どんな人だったのかを聞いておきたい。
「どういう人?」
「気持ちの良い男です。人情を重んじる、温かみにあふれた人柄をしている。またクローネ殿がいったように、剣を高いレベルで扱える珍しい貴族ですな」
「へぇー……それじゃ話すのも大変じゃなさそうだね」
「そのあたりはご心配なさらずに。ちなみに剣の強さに関して言えば、エウロに行く前のディルならば五分。今ならば6分はとっているかと思われます」
最近のディルは、近衛騎士たちの間では敵なしの実力者。そのディルと近い強さといわれれば、アインも強く興味を抱く。
「よくよく思えば、ロイドさんもディルも。二人とも公爵家で立派な貴族なんだけどね」
「はっはっは!何をいいますかアイン様!なぁディル!」
「えぇそうですね父上。何せ我々は王家の剣にして盾でございます。なのでアイン様、貴族というよりは一人の騎士として扱っていただければと」
「な、なるほどね……。頼もしいよ」
代々グレイシャー家が重んじてきたのは誇りだ。決して家の格ではない。
その誇りとは代々近衛騎士を輩出し、その中でも重鎮として信用されてきたことへの思い。
そのため貴族というよりかは、騎士の一人として皆が育てられてきた。
前・元帥のロイドですらも、父からは立派な騎士になれと育て上げられてきたのだから。
とか話していると、外からドアがノックされる。
「到着したのでしょうな。ディル、出迎えを」
「承知しました。ではアイン様、一度失礼致します」
貴族の格という話をすれば、ディルが出向くのもお門違いではある。
なにせ彼も公爵家の人間なのだから、伯爵よりも立場が上だ。
だが今のディルはアインの護衛。
それに考え方も違う為、格下の伯爵のために出向くのも、何一つ文句を抱くことがない。
バルト伯爵が面倒な性格でないことは、ロイドの言葉で理解できた。
彼の人物評は信用できる、だからおそらく言葉通りの人間なのだろう。
アインはゆっくりとしていた気分を入れ替え、バルト伯爵が部屋に来るのを待ち続ける。
*
「先ずは初めに、急な申し出をしたことを深く詫び申し上げます」
ディルに案内されてきたバルト伯爵。
彼はロイドが説明した通り、随分と気持ちのいい動きを見せてくれる。
だが彼は開口一番、この急な予定を詫びた。
「お初にお目にかかります殿下。私はライゼル・バルト。陛下よりこのバルトの地を任されており、伯爵の地位を頂戴しております」
きびきびとした動作で入室し、90度に頭を下げたバルト伯爵。
ロマンスグレーな頭髪は綺麗に固められており、同じくグレーのヒゲが男らしい。
背筋がピンと伸びたその姿勢は、まるで洗練された軍人のような印象を与えた。
「初めましてバルト伯爵。わざわざすまない、名高きバルトの領主と会えて私も嬉しく思う」
おべっかを口にするが、もちろんバルト伯爵の事は知らなかった。
バルトの領主が有能だろうとは予測していたが、彼自身の事を聞いたのはクローネを介してで、更に昨日今日の事なのだから。
だが彼と直接対面して、クローネやロイドが説明したことの意味が理解できる。
「座ってくれ。ゆっくりと話をしたい」
「はっ!では御前に失礼致します」
こうしてバルトは、アインの正面へと腰掛ける。
ディルはアインとクローネが座るソファの後ろへと進み、ロイドと並んでそこに立つ。
「この度はバルトまで来ていただき、私も嬉しく思います」
そう口にする彼の顔つきは、どこどなくカイゼルに似ている気がする。
鼻筋と目元なんかは、カイゼルに似た印象を抱く。
「調査を兼ねているからな。だがバルトはいい町だ、この雰囲気は私の好みだよ」
ちなみにこれは事実。
アインからしてみれば、バルトのような街並みはすべてといっていいほど、好みな部分に溢れている。
それを聞いたバルト伯爵は気を良くし、アインへと礼を言う。
「それはよかった。荒くれ者も多い町ですが、そう言っていただけると有難く存じます」
「帰る前には鍛冶屋なども楽しんでいきたいと思う。腕のいい鍛冶師が多くいるらしいからな」
「それはもう。なにせ魔物や鉱物資源の宝庫です。なので鍛冶の聖地と呼ばれるほど、多くの鍛冶師が詰め寄せておりますので」
バルト伯爵の座り方は、見ている方も惚れ惚れする美しい姿勢をしている。
それ見れば、ロイドが気持ちいいい男といった理由も良く理解できるものだ。
「楽しみにしてるよ。おすすめの鍛冶屋があれば、あとで教えてくれ」
「では鍛冶屋への紹介状を用意しましょう。それがあればすぐにでも店に入れるかと」
素直にありがたい申し出に、アインも顔をほころばせる。
だが紹介状という言葉に、一つのことを思い出した。
「そういえばバルト伯爵。伯爵の弟と聞いたカイゼル教官だが、彼からも一つ紹介状を受け取っていたことを思い出した」
カイゼルから受け取っていたのは、ギルドへの紹介状。なんでもなかなか有名だったカイゼルだからこそ、その紹介状が役に立つと言われ受け取っていた。
「あの男が紹介状を……?なんと珍しいこともあったものだ、ですがカイゼルの紹介状ならば、殿下の調査も捗るでしょう」
「ん?珍しい……?」
「えぇ、珍しいどころか、カイゼルが紹介状を書いたなんて初めて聞きました。なにせ見た目通り偏屈な男でして」
笑みを浮かべてカイゼルの事を話す伯爵は、どこか楽しそうに見えて、家族仲が悪かったのではないのか?とアインに予想をさせる。
「最近は連絡を寄越さないのですが、元気にやってるなら何よりです」
「……つかぬ事を聞くが、教官はどうして伯爵家を出て……?」
「おぉそのことでしたか。……簡単に言えば、夢のためにです。カイゼルも私も、このバルトの生まれです。なので幼い頃より冒険者にあこがれを持ち、ギルドに出入りをしていました。もちろん依頼を受けるわけではなく、その場の雰囲気を楽しんでいたのです」
語り始めた彼の表情は、過去を懐かしんでいるような優しい顔つきをしている。
「私は長男ということもあり、親からしてみれば聞き分けがいい子だったと思われます。ですがカイゼルは、自由を求めた。あとは簡単な話です。強引にバルト家を出て行った、ただそれだけのことですよ。別に私個人と仲が悪いといったことはありません」
「……てっきり、もっと大きな問題があったのかと思っていた」
「ご心配をお掛けして申し訳ありません。ですがきっと……カイゼルは生まれる家を間違えてしまっただけなのです。あいつなりに夢があり、それを叶えたかった。それだけのことなのですよ」
今度学園でチクリと聞いてみよう。
どんな反応をするのか楽しみでしょうがない。
怒られない程度に、絶妙なラインで弄繰りまわしてやると決めた。
「おっと、無駄話が過ぎましたな。申し訳ありません殿下」
「いや気にしないでくれ。私としても、なかなか興味深い話だった」
なにせ弄れる話題が出来たのだから。
これだけでも、この出会いに価値があったといえるだろう。
「……時に殿下は、旧魔王領へと向かう予定だとか」
ここまでは前座だとでもいうように、伯爵の纏った空気が変わる。
それはどこまでも澄んでいて、冷静にアインの様子を窺うものへと変貌する。
「……あぁ。私は旧魔王領を調査する」
なにせそれがこの度の主な目的。
そこには赤狐などの痕跡も残っている、その可能性が高い。
伯爵がアインの瞳をじっと見つめる。
「なるほど……本気のようですな」
ふぅと息を吐いて、彼はそう呟いた。アインの目を見て、どれほど本気なのかを確かめていた。
「本気のようでしたらお止めできませんね。……まぁそもそも、止めるなんて私にはできないのですが」
「はは。気遣ってもらったようだな」
「とんでもない。老害のする些末事ですよ。……さて、実は今回私が参ったのはその件です。挨拶も当然なのですが、どちらかといえばそちらの話が本題で」
そういうと彼は、手にしたバッグから一枚の羊皮紙を取り出した。
「こちらをお渡しします」
「……これは?」
「今の時期の、旧魔王領への行き方です。まだ雪が深くなっておりませんので、時期としては早めがよろしいかと」
彼が渡したのは旧魔王領への通り道。
アイン達が欲しがっていたものの一つだったのだ。
「ギルドからも案内を付けましょう。ですが事前にそれを読んで、いくつか計画を立てるとよろしいかと」
「これはいい……助かるよ伯爵!感謝する!」
「喜んでいただけて何よりです。……ちなみにこの時期の行程としては、徒歩で2,3時間はかかるかと」
「……え?」
つい素面に戻るほどの言葉に、アインは驚いた。
このきつい道のりを?3時間近くも歩く?
「雪が厳しく、雪がない時期よりかなりの時間が掛かります。なのでそれぐらいは必要かと……」
つまり朝のうちに出発して、昼前に到着。
そして調査をすると、その日のうちには帰れない可能性が高い。
「……ロイド。意見を聞きたい」
「はっ!どういった意見でありましょうか」
「日帰りは無理だよね?」
「……数日のキャンプは覚悟するべきかと」
『だよね』と心の中で納得する。
そんな時間をかけて歩き、わざわざ日帰りするのは効率が最悪だ。
黙ってキャンプする方が現実的だろう。
「わかった。ありがとうロイド」
そしてロイドが、黙って頭を下げる。
さて、計画をどうするべきか……考えてみるが、すぐに決まる事じゃない。
今回の調査は、一月程度の日数を確保している。
だが数回に分けての行軍がベストか?
また更に考えるべきは危険性。
旧魔王領は恐らく隠れた危険が残っている。それを思えば、軽々しく向かうこともできず、か弱い者達……たとえば給仕などは連れて行かないほうがいいのかもしれない。
そう考えると、まずは1つ。
アインの頭の中で確定することがあった。
「(うん。クローネはお留守番だな)」
彼女は反対するだろうが、アインとしても連れて行くのは反対だ。
そんな危険な地域に何日間も、彼女を連れて行くわけにはいかない。
「(問題はなんて説得するかだけど……)」
チラっと隣の彼女を見る。
すでにどうするか考えているのか、伯爵から手渡された羊皮紙をじっと見つめている。
そのためかアインの視線にも気が付く様子がなく、黙って集中している。
「さてどうしたものか……」
つい口から洩れてしまう程、アインにとっての悩みの種となっている。
「えぇ……本当ね。どう計画を立てましょうか……」
そうだね。どうやって納得させる計画を立てようか。
……二人の考える事は少し違うが、していることは随分と似ている。
「後でしっかりと計画を立てよう。まずはそれからだ」
ただ現状では、どうするかなんて決めることができない。
まずはバルト伯爵の言葉を聞いて、次にどうするかを考えよう。
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