自由な猫

「ごめんなさいごめんなさいごめんない!!」



 開口一番、三度続けての謝罪を口にした彼女。

 アインが助けた女の子と、似ている容姿をした女性。おそらく彼女が待ち望んだ"お姉ちゃん"なのだろう。

 服装は同じく汚れていて、髪や肌にもどこか曇った様子を窺える。顔立ちは悪くないと思うが、どことなく素朴な印象を抱いた。ボロボロの眼鏡を見ていると、ついレンズを拭いてあげたくもなってしまう。



「あぁ気にしなくていいよ。ただ待ってただけ——」



 妹と一緒にいてくれてありがとう。そう思っているのだろうとアインは考えた。……だがその予想は簡単に裏切られる。



「お金はありませんけど、あげられる物ならなんでも渡します!だから妹だけは……っ!」



 ポカンと開いた口がふさがらない。アインとは対照的に、クリスは冷静な面持ちでいる。それがちょっとばかし愉快に見える。



「……ねぇクリスさん」


「恐らく考えていらっしゃる通りですよ。勘違いされてますね」


「はは、だよね?」



 先程までは確かに暴漢が居たが、アイン達が追い払った。つまりたったいま到着したこの女性は、アイン達のことを暴漢だと勘違いしているということ。



「お姉ちゃん!このお兄ちゃんが私のことを助けてくれたの!」



 どう説明したものかと考えたアイン。素直に信じてくれれば楽だと思ったが、女の子が自分の口から説明を始めた。それを聞くとうまくいきそうに思えて、アインも安心した気持ちになれた。



「へ……た、助け?メイ……何があったの?」


「あのね!私とお姉ちゃんのご飯を盗まれそうになって、このお兄ちゃん達が助けてくれたんだよ!」



 そしてもう一度アイン達のほうを見た彼女。

 汚れていて曇っている眼鏡だというのに、きちんと相手のことが分かるのか心配に思うが、杞憂だったようで、彼女の眼にはしっかりとアインとクリスの姿が映し出されている。



「も、申し訳ありませんでしたっ……私ったらつい勘違いしてしまって。失礼ですが……貴族の方、ですよね?」



 勘違いするのも無理はない、アインとクリスは本来の立場は隠している。だがアインは一目で理解できる高級そうな服に、クリスも魔物の素材を使ってできた、高価な装備を着用している。一見してみれば、貴族の坊ちゃんと護衛に見えるのは不自然な事ではない。



「貴族か……うーん、まぁ似たようなものだけどね。ところで君の名前は?」


「あっ。申し遅れました……私はバーラといいます」



大げさに思える程、大きく頭を下げながら自分の名前を口にした彼女。



「そんな頭下げなくても……とりあえず、よろしくバーラさん」



 貴族と勘違いしてくれてるのはこの際放置する。貴族というのは間違ってるが、おそらく平民といわれるよりは、身分として近い気がする。



「メイちゃんのことは心配いらないよ。手を出されてもなかったからね」


「まさか貴族様に助けて頂けるなんて……本当に申し訳ありませんでした。お支払いできる物ならば、本当になんでもお渡ししますので……」



 一体貴族へとどんなイメージを持ってるのかと、それを問いただしたくなったが仕方がない。もしかすると魔法都市にいる貴族たちは、横暴な奴らが多いのかもしれない。あとでクリスさんに聞いてみよう……そう決めた。



「いやいや支払いなんていらないから。ところでさ」



 このまま話していると、バーラはなんとしても支払いをといい続けるだろう。だから会話の流れを、アインが求めていた方向へと向けていく。



「怪我を治してあげる仕事をしてるとか。それって本当?」


「え、えぇ……。私にはこれぐらいしかできることがなくて」


「骨が折れてても治せるんだよね?」


「ちょっと疲れますけど、もちろん治せます……それがどうかしましたか?」



 そんなことを聞いてどうするのか?そんな目をアインに向けたバーラ。



 ビンゴ。バーラが考えていることなど全く気にしていないアインは、そう思って拳を強く握った。チラリとクリスの方に目をやると、彼女からも似たような雰囲気を感じ取れた。



「それだけのことができるのに、どうしてこんなスラム街にいるのか気になるんだけど」


「……へ?だ、だってこんな魔法なんていくらでも……」



 そんなわけがない。そう思っていると、クリスが口を開いてバーラに話しかける。



「バーラさん。失礼ですがあなたの生まれはこのスラム街でしょうか?……そしてこのスラムから出たことがない、間違いありませんか?」


「ど、どうしてそれをっ!?……ですが仰る通りです。昔、亡くなった母がいってました。このスラムから出ると我々のような人間は、すぐに強欲な者に捕まって好きにされてしまうと」



 まるで奴隷のようにだろうか?彼女たちの場合は女性だから性奴隷か?どちらにせよ愉快なことじゃない、イストの治安が心配になってきた。



「……とのことです、アイン様」



 アインが思っているよりも、スラム街は狭い世界なのだろう。そして外部とはまるで別世界のように分けられている。それがこの魔法都市にあるスラム街だった。ゴロツキが裏社会を仕切っているような町なんていくつもあるだろうが、どうやらこのイストのスラム街はそんなことはないらしい。



「治安とかそこらへんにいくつか問題を感じてきたけど、それは後でウォーレンさんと話し合うよ。……さてと。それじゃ一つ質問したいんだけど。バーラ、君はメイちゃんに楽な暮らしをさせられるとしたら、どう思う?」



 これではまるで、『第三者から見れば、ただの悪徳商人だろうなあ……』そう自己嫌悪をしてしまう。だがしょうがない。時間をかけて、少し自分の考えを聞いてもらえないかと彼女を説得し始めたアインだった。




 *




 日が沈み、あたりが夜空に包まれ、徐々に冷たい空気が流れ始める。

 宿に戻ってきたアインは、ようやく戻ってきたカティマとディルを出迎えていた。

 カティマのホクホク顔とは違い、ディルには珍しく疲れた表情をしているのが、今日という日の彼を表している。



「また随分と買い込んだね」


「こういう時に買っておかないとニャ。財布の紐がつい緩むのニャ」


「カ、カティマ様……お部屋にお持ちしても……?」


「あぁ頼んだニャ!慎重に頼むニャ!」



 小さくはいと返事したディルの声が、表情と同じく元気がない。どれほど連れまわされたのか想像するのが、決して難しくなかった。



「いやーさすがは魔法都市だニャ。王都で手に入りづらいのもたくさんあったニャ」


「それはよかった。ディルにも感謝だね」



 その言葉はどちらかというと、クリスに向けて発していた。ディルが生贄となったおかげで、今日はそれなりに楽しい一日を送ることができたのだから。



「それで。アイン達は何か買ったのかニャ?」


「買ってないけど、人を拾ったよ」


「……ニャ?」



『なに言ってんだコイツ』そうした感情を一切隠すことなく、披露するカティマの姿。なんとなく自分が説明するよりも、クリスが説明した方がしっかり伝えられると思い、アインはクリスに説明を任せた。



 暴漢から女の子を助けたこと、そしてその姉について話した結果。その後長い時間をかけてどうにか信じてもらい、彼女たちに付いてきてもらったこと。



 若干端折りながらだったが、今日アイン達に起こったことをカティマに説明した。



「ニャるほどニャー……ついに人まで拾うようになったのニャ、この甥っ子は……」


「自分でも想定外すぎて困るけどね」


「とりあえずではありますが、ウォーレン様に連絡いたしました。なので陛下にも話は伝わってるかと思います」



 本当なら褒められたことじゃないだろう。だがなんとなくチャンスに感じたので、つい彼女をこのまま勧誘してしまった。さすがに黙っている訳にもいかず、城にはきちんと連絡を済ましている。



「それで?その姉妹はどこにいるのニャ」


「貴族向けの部屋ではありませんが、一室別途に借りましたのでそこにいます。先程風呂に入らせたところですよ」


「ニャるほど。まぁちょっと軽々しかった点は否めないニャ。だけど今回の判断は英断だと思うニャ」


「そう?」



 姿を隠しているとはいえ、王太子が人をそうやすやすと連れてくるべきではない。それが軽々しかったと言うことだ。

 だがカティマが素直に褒めたのは珍しい。そのせいか、アインもつい聞き返してしまった。



「それで、なにか対策は考えたのかニャ?スラムに関してのことだニャ」


「あとでウォーレンさんにも話すけどね。そううまくはいかないのが問題だけど……お金もたくさんかかるし」



 カティマがいうのは、つまりバーラが居なくなった後のスラム街は、怪我が増え続けるのではないかという懸念からだった。だがアインは勿論そのことも考えていた、後ほどウォーレンに相談する予定だったが、そういった改革には多くの資金がかかる。だからそれを考えると簡単にはいかないだろう。



「ニャ?別にある程度の金で済む問題ニャらいいと思うニャ。……今まで求めていた、王都で仕えてくれる専属の治療魔法使いが手に入るなら、たかだがスラムの改革にかかる金なんて安いものニャ」


「……言いたいことはわかるんだけど。そうなのクリスさん?」


「カティマ様が仰る通りですよ。むしろ安い買い物だったと、お得だったと思います」


「相手は人だから、あんまり買い物だったとか言いたくはないけど……その通りみたいだね」



 だったら別に、治療魔法を使える高名な冒険者を雇えばよいのでは?そういった話になってしまう。



 だがそうもうまくいかない。冒険者ギルドは大陸の安全にも一役買っているし、関係を悪化させるような無理な引き抜きをしては、将来のことを考えれば得策ではない。

 なるべく王都近くで活動をと願い出ても、なかなか上手くいっていないのが現状だった。



「カティマ様。ただいま戻りました」


「おぉご苦労なのニャ!褒美に頭でも撫でてやるのニャ」



 戻ってきたディルがカティマに褒美を与えられることになった。ただそれは、頭を撫でられるということだけだったが。

 これがもし、まるで父ロイドのように筋骨隆々の逞しい女性相手ならば、顔をだらしなく変形させて喜んでいたことだろう。



 ディルは素直に体を低くし、カティマが撫でやすいようにした。



「うむうむ。お利口さんだニャ」


「あ、ありがとうございます……」



 でかい猫が美少年を撫でている姿は絵になる気がしたが、相手がカティマではどうしてか違う風に思えたアイン。

 生暖かい瞳でディルを見つめていた。



 ディルはその視線に気が付き、つい恥ずかしそうに顔をそらす。



「(ねぇクリスさん。やっぱりなんとなく相性いいよね)」


「(……カティマ様も、おそらくディルのことは構いやすいんでしょうね)」



 アインとクリスの二人は、ディル達のことを見ていると、なんとなく和んだ空気に浸れるのだった。



「さてと。ディルも戻ってきたし、それじゃ行こうかニャ」


「え?カティマさん……行くってどこに?」


「決まってるのニャ!……アインが拾ってきた姉妹に会いに行くのニャ!」



 そろそろ風呂も終えて、待っているのではないか?いい頃合いに思えたので、彼女たちがいる部屋へと向かうことにした。部屋は丁度一階下の部分で、ちょっとばかしいい部屋を借りている。歩いてすぐの場所にいるので、部屋の移動は容易だった。




 *




 階を移動し、バーラたちがいる部屋へと出向いたアイン達一行。先に女性ということでクリスが中に入り、彼女たちの様子を窺った。ドアをノックしても返事がなく、待っても出てくることがなかったのでこちらから入ることにしたのだ。



「え、えっとアイン様……どうすればよろしいでしょうか」



 奥の部屋まで行って様子を見てきたクリスが、一人で戻ってきた。クリスにしては珍しく、アインに判断を仰いでいる。



「どうすればって?なにかあったの?」



 アインの後ろでは、ディルとカティマも不思議そうな表情を浮かべていた。



「……ちょっとこちらに来ていただいてもよろしいでしょうか?」


「別にいいけど。どうしたの?」



 言いづらそうにしているクリスに、アインとカティマ、ディルの三人は続いて部屋の中を進んでいく。

 アイン達が泊ってる部屋とは違い、インテリアや絨毯に大きな違いはあったが、それでも上位の部屋なだけあって居心地はとてもいい。アイン達の部屋と同じくいくつかの魔道具も設置されていて、しっかりとした風呂も用意されている。



 部屋の様子を確認しながら、クリスに着いていくとついにベッドルームへと到着した。ドアが半開きになっていて、中の様子が外からも良くわかる。



「中をご覧ください」



 そこで止まったクリスが、アイン達のほうを振り向いてそう口にした。中に何かあるのか?少し興味がわいてきた。



「……あぁ、なるほどね」


「あれはしょうがないのニャ……スラムからこんな部屋に移動したんだからニャ」


「なんとも……起こしづらいですね」



 アインに続いてカティマとディルが感想を述べる。中の様子は別におかしいことはない、むしろ微笑ましくすら思える。



「すーっ……すーっ……」


「お姉……ちゃんっ……んー……」



 大きなベッドの真ん中で、二人寄り添って静かに寝ていた。ベッドの端を見てみると、わずかに使用された形跡が見える。おそらく広いベッドで寝ているうちに、寂しく思ってついくっついてしまったのだろう。きっと普段はああして一緒に寝ているのだろうか?そう思ってしまう。



 柔らかい布団とベッドが、彼女たちには心地よいのだろう。気持ち良さそうに寝ているのが一目見てわかる。



「この宿のベッドってさ、寝心地いいからしょうがないね。起こすのも忍びない」


「……臣下の身としていえば、彼女たちのこれは不敬にあたるのですが」


「ディル、気持ちは分かるよ。じゃあ俺に仕える身としてじゃなくて、一個人としての意見を言ってみてよ」


「そ、それは……私も鬼ではありませんから……っ」



 形としては、アインが施しを与えたといってもよいだろう。そのアインに何も言わずに寝ていたことは、臣下として思えばあまりいい印象にはならない。だが彼女たちの気持ちだってわかる、スラム街で苦労していたのに、急にこのように過ごしやすい場所へとやってきたのだ。つい眠くなってしまうのも当たり前だろう。



 そして彼女たちはやってきたといっても、あくまでもアインの都合によって連れてきた形なのだから。あまり贅沢もいえない。



「じゃあいいじゃん。別に俺みたいに甘い王太子が居てもいいでしょ、代わりにちゃんとやることはやるからさ。……それに今は急いでるわけじゃないし、あとでゆっくり話を聞けばいい」



 クリスはアインについて、王太子なのだからもう少し強い態度で接してほしい。そう思うことがないとはいえなかった。

 だがこうした優しさも、アインという一人の男を作る重要な因子の一つだ。それを思えばこのままでいいのかと、そう思ってしまう。



 だがそんなアインだが、いつも唐突に異色のオーラで自分たちを圧倒するのだから、わからないものだ。



「ディル。置手紙を用意して、内容は俺が伝えるのをそのまま書いてくれればいいから」


「はっ。承知いたしました」


「アイン様?では明日お話を……?」


「明日はオズ教授との約束があるから。帰るまでは話せない……だから朝起きてから二人の様子を見に来ようか。それで起きてたら、帰宅次第話をするって伝える。まだ寝てたなら、もう一枚置手紙を用意してオズ教授の場所に向かおう」


「それがいいニャ。あとついでに宿にも一言話しておくといいニャ。食事とかほかに必要なものがあれば頼むってお願いしておくのニャ。料金はこっちに付けて貰えば問題ないのニャ」



 置手紙を用意することにしたが、カティマの意見も取り入れることにした。こちらの都合で連れてきたのだから、不自由に感じてほしくない。



「そうだね。じゃあカティマさんが言うように宿にも伝えておこう。そっちはクリスさんに頼めるかな?」


「もちろんです。ではまずは部屋に戻りましょうか。お送りしてから、宿の者にこの件を伝えて参ります」



 ドアを静かに閉めて、バーラとメイの姉妹が起きないように気を使ったアイン。

 明日はイストに来てから三日目となり、オズ教授との約束の日だった。彼が長い時間をかけて研究して来た、赤狐の情報をアイン達に教えてくれる重要な一日。



 なるべく多くの情報を得るため、今夜はしっかり休もう。そう決めたアインだったが、そうはいくまいとカティマが爆弾発言を投下した。



「あぁそういえばアイン。私たぶん先に王都に帰るニャ。研究したいのがたくさん見つかったし、欲しかったものがたくさん手に入ったから。だからすぐに取り掛かりたいのニャ」


「また自由な……」



 イストに来ても自由なカティマに、アインはやれやれといった態度で対応する。



「だからディルを護衛として借りてくニャ。少しの間クリスと二人にニャるけど、アイン……クリスのことをよろしく頼むニャ」



 続けてバーラとメイの二人も一緒に城へと連れて行く。そう告げたカティマ。



「カ、カティマ様……私がよろしくされる側なのですか……」



 カティマの言葉を聞いて、驚くというよりも悲しみが先に来てしまったクリス。そんなクリスを見てただ笑いながら、カティマは続きの言葉を話始めた。



「ニャハハッ。そういうことだから頼むニャー。オズ教授と話したいことが終わったら、すぐに研究しに戻るのニャ!だからそのつもりでよろしくニャ」



 バーラとメイの二人も連れて帰る、つまり完全にクリスと二人きりになることが確定したアイン。まだカティマたちがこの場にいるのに、今から緊張してきてしまったアイン。



 アインがクリスと二人で行動することはよくあったが、遠出して泊りで二人きりという状況は今までにない。

 アインがそんなことを考えていようとも、カティマはただ自由に……そして楽しそうに笑い続けているだけだ。



「……なんだか最近アイン様専属というよりも、カティマ様といる方が多い気がする……」



 自分の意見なんて一つも通らない。そんなディルはぼそっとそれを呟いたが、それが誰かの耳に入ることはなかった。


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