初日を終えて。
「……意味が分からないのニャ」
時刻は午前4時。資料は数枚程度の量だったが、ついそれを読みながら考え事に数時間を費やしてしまった。
ただカティマが指摘したいのは時刻の事ではなく、アインのその状況にあった。
「くーっ……くーっ……」
「なんでそこで寝てるのニャ、クリスは」
「……疲れてたんだろうね」
「王太子の膝枕で寝落ちする近衛騎士なんて、初めて聞いたのニャ。近衛騎士どころかクリスは元帥だニャ」
もちろんアインも初めて聞いた。当たり前だ、そんなことをする騎士なんて前代未聞。おそらくイシュタリカの長い歴史でも、初めてがクリスとなったはずだ。
「というか。なんでそんなよくわからない体勢で、クリスは資料持ってるのニャ……」
アインの膝の上に横になりながらも、指で広げる数枚の資料があった。
「え、だってクリスさん以外が触れたら燃えるって」
「別にテーブルに並べさせればいいと思うのニャ。馬鹿かニャ?」
……カティマに馬鹿かといわれたのがどうしても悔しくて、立てるなら立ち上がって彼女の耳をひっぱりたい。そんな欲求がよぎってしまうが、今はできない。
自分の膝の上で、なんとなく幸せそうに寝付いている彼女を見てしまうと、起こすのをつい躊躇ってしまう。
昨晩の事だ。話が長くなると思ったクリスは、一度私服に着替えてきた。だから鎧で寝苦しいと言うことは無いだろう。
いつのまにかほどけている彼女の長い髪が、アインの膝の上いっぱいに広がっているのを見ると、絡み合ってしまわないかとつい心配になる。
「ダメな姉ってそんな感じなんだろうニャ……」
「なにそれ。自分の事?」
オリビアからしてみれば、カティマは姉。……つまりはそういうことだ。
「……やんのかニャ?」
「……やったるニャ」
お互いもはや深夜のテンションだ。もう朝のほうが近い時間帯だが、寝ていない彼らからすれば同じこと。
よくわからないテンションのまま、カティマはアインへと飛び掛かった。
「はい残念でした」
「っひ、卑怯だニャ!?そんなのずるだニャ!」
「はい座ろうね。俺の勝ちだからこれ」
使われたのは幻想の手。デュラハンもまさか、こんなことにそれを使われるとは考えないことだろう。というかアインもこんなことに使うとは考えたことがなかった。まさに深夜のテンションが生んだ、ただの荒業に他ならない。
そのまま幻想の手を使って、正面の席に座らせた。
「……こんな時間に何やらせるのニャ」
「ちょっとは悪かったなって反省してるよ。ディルは?」
「途中から休ませたニャ。まったくアインは……こんな時間までクリスを付き合わせて、ひどいやつなのニャ。ちなみにいつ頃から、クリスは寝落ちしたのニャ?」
「着替えて気が緩んだのかもしれない。着替えてきてから、一時間もしないうちにあっさりと」
カティマが大きく開けた口から、彼女の健康的な牙が姿を見せる。噛みつかれたら痛そうだ。
彼女が驚く顔はなかなか珍しいので、じっくり見ることにした。
「早すぎなのニャ」
「まぁ疲れてたんでしょ。そっちは終わったの?」
「なんとかニャ。で……そっちの資料は、面倒そうニャ?」
「……たぶんね。このままいくとカティマさんの予想通り、俺は魔物化するかもしれないかな」
「……説明するのニャ」
アインはここ数時間で、いくつかの仮説を考えた。もちろんオズ教授から貰った資料を元にだ。
「異人種は、すべて魔物となる可能性を秘めている。それが結論らしい」
「それは私も考えてたニャ」
研究者たちがその研究の末に見つけたのは、異人種が持つ"核"の可能性だ。その作用が肝になる。
「裏付けが出来たってことだね。実験内容はシンプルだよ、ただ使われる技術が馬鹿みたいに難しいだけ。原理を簡単に説明するとこうだ、異人種に魔石のエネルギーを溶かし入れて核の肥大化を狙う。すると核が持つ役割が強くなって、徐々に魔物化する。これが原理となるらしい」
「ニャ……それって痛みどころの話じゃないのニャ。体の負担を考えると。かなりの被験者が死んだはずだニャ」
アインの言葉を聞いたカティマ。魔石のエネルギーが人体に与える影響を理解しているカティマ。
だからこそその結果がどうなるかなんて容易に想像がついた。
「さすがはカティマさん、そうだよ。被験者の99.9%が息絶えた、そう書いてあった」
「……成功例があるのかニャ?」
「うん。でも正気を失って研究者を殺した。だから殺処分らしい、そこそこ強力な魔物に変貌したってあったね」
「……なるほどニャ。つまり実質成功はしてないってことだニャ。それで?」
「ここからは仮説だけどいい?」
そしてついに、アインが考えた仮説がカティマへと説明される時だ。
「続けるニャ」
「俺がやってることはさ、たぶん同じことなんだよね。魔石のエネルギーを吸ってる、ただその過程において、痛みがあるのかないのか、それぐらいの違いしかない」
「待つのニャ。アインは毒素分解で、体に悪影響のあるもの……つまり毒になるものを吸わなくなっているはずなのニャ!」
「だって別に毒じゃないでしょこれ。核からしてみれば……ただの"進化"の結果だ、それで魔物になる。だから悪影響とは判断されないってことだよ、たとえ俺の意思が別だろうとね」
少しの沈黙の後、カティマが大きくため息をついた。
「……少し喉が渇いたのニャ。アインもいるかニャ?」
その空気に耐えられなかったのだろうか、それともいったん休憩を入れたかったのか。そのどちらかわからないが、カティマが水を取りに行く。
「お願いするよ」
「了解だニャ……まったく私の甥っ子は、面倒ごとばかり手にするのニャ」
「悪いとは思ってるんだけどね」
「……ところで、一つ考えたことがあるのニャ」
「ん?なに?」
2つ分のグラスを持って戻ってくるカティマ。席に座ると同時に、なにやら考えがあるようでそれを口にし始めた。
「魔物化したときの、デメリットってなんだニャ?」
「そ、そりゃ会話ができないとか……」
「それは勘違いだニャ」
「……え?」
「というかアインが進化するとしたら、そういうやっすい雑魚じゃないのニャ」
あまり悲壮感を持っていないカティマに、アインは少しの希望を抱く。
カティマはやれやれといった様子で、若干冗談じみた空気を醸しながら、次の言葉を発した。
「デュラハンとか思い出すのニャ。魔物ニャけど、あれたぶん普通の服来てたりしたら、魔物とか判断できないのニャ。エルダーリッチもそうだニャ」
「た、確かに……」
「あまりこういうことは言いたくないのニャ。でも……いざとなったらアインが進化した種族を、異人種として新たに認定させればいいのニャ。……お父様も多分そうするのニャ」
「随分と力技だね」
「……まぁそんなもんだニャ」
なんとなく、そう言われると元気を取り戻せたアイン。冷たく感じていた手足に、熱が戻ってくるのを感じる。どうやら自分が考えている以上に、アインは思い詰めていたようだ。
「ちょっとトイレ行ってくるよ。……よいしょっと、ごめんねクリスさん」
優しく彼女の頭を横にずらしたアイン、そのまま立ち上がり。トイレへと向かって行った。
「はいニャ。……さて」
アインが立ち去って行ったのを確認してから、カティマは水のお代わりを取りに行った。そして水を入れながら口を開き、彼女に話しかけた。
「クリス。今の話は他言無用だニャ、たとえディルでも……お父様たちでもだニャ」
「……お気づきでしたかカティマ様」
実のところ、クリスは目を覚ましていた。カティマにはそれが分かったから、今まで黙っていた彼女に口止めをする。
「アインの幻想の手の時に起きたのニャ。私はケットシーだから、そういうのに敏感だニャ。……それと、他言無用なのはわかったかニャ?」
「……陛下にご命令されれば、さすがに……」
「なら、話は早いのニャ」
水を入れ終わったカティマが、ゆっくりと振り向いた。振り向くまでの時間が、何分にも感じる程、どこか優雅で美しい。振り向いた彼女の顔は、長年城に居たクリスですら見たことのない、どこか神々しい表情を浮かべていた。
「……クリスティーナ・ヴェルンシュタイン。そなたに第一王女、カティマ・フォン・イシュタリカが王族令を発令する。旅の最中に得られる情報のうち、アインの魔物化に関する情報を口外することを禁じます。これは他の王族を含む、すべての存在に口外してはならないとする。……さて、これでいいかニャ?」
カティマも紛れもなく、イシュタリカ王家の人間だった。いつもの彼女の雰囲気からは想像できない程、威厳に満ちたオーラを感じたクリス。……それを受けてクリスも素直に頷き、了承してしまう。
そしてクリスが知る限り、カティマが王族令を使用したのは初めての事だ。
「うんうん。素直に了承してくれてよかったのニャ。……真面目な態度は疲れるのニャ。まったく……」
「……カティマ様は、どうお考えなのですか?」
「それはアインの最悪のケースかニャ?」
「……はい」
どうにもカティマは、アインに最悪のケースを伝えてない様に思える。それはとても優しく、まるで上澄みの部分だけを言葉にしたような、そんな印象を抱く。
だからこそクリスは、カティマの本当の考えを聞きたかった。
「……過去を繰り返すかもしれないニャ」
「過去、ですか……?」
意味深な言葉に、更に疑問を返すクリス。……だが、時間切れのようだった。
「ただいま……って、あれクリスさん。起きてたんだ」
「っア、アイン様っ!?」
「いやいや、そんな驚かなくてもいいのに」
アインがトイレから戻ってきた。もちろん戻ってきたことにより、この話は終わりだ。アインが居るところでする内容でもない。
「アイン。クリスは膝の上で寝落ちしたのが恥ずかしかったのニャ」
「っそ……そうですけど、そんな態々言わなくても!?」
カティマはフォローしたつもりだった。クリスが急な事情には弱いことを理解しているからこそ、だがクリスの受け取り方は違った。
なにせ膝の上で寝落ちしてしまったことは本当だし、その恥ずかしい思いを今更になって実感している。
さっきまでは笑えるような雰囲気でもなく、相当真面目な雰囲気を醸し出していたと思う。その落差が大きいがゆえに、羞恥の気持ちも比例して大きくなってしまう。
「まぁそんな気にしなくても……よだれが垂れてたわけじゃないし」
「よだっ……本当ですかアイン様!?そんな粗相を……っ」
「だからしてないってば、あーもーっ!」
「はぁ……こんな時間から、うるさい主従なのニャ……」
いつも通りの雰囲気になったことを、嬉しく思うカティマ。アインとクリスに自分の考えを少し話してみたものの、正直カティマも予想できない件だった。前例がなく、仮定するのも難しい。
だからこそ、彼女が一番にできることは祈る事。彼女は神の全てを信じているわけではないが、それでもこういうときは祈りたくもなる。
あとは少しでも研究の成果が役に立つよう、考え続けることだった。
クリスがその羞恥から、若干慌ただしかったもののそれはアインによって、なんとか抑えられる。
その後はもう朝に近い時間であったが、3人とも休むことにする。
今日は昼頃から活動しよう。そう決めて皆自室へと休憩に向かった。
もう日は跨いでしまったので分かりづらいが、つまりあと2回寝ればオズ教授との約束の日ということだ。
調査するのは勿論だが、せっかく魔法都市イストまで足を運んだのだ。アインは今日という日は、魔法都市の町並みを楽しむことにしていた。
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